第23話『ロイヤルスイートと臆病な王様』

 「あっ! 」

「人の顔を指差して何だ、その反応は。全く失礼な奴だ」

 ニックに仕事を任せて、鉄橋を渡り切ったリクは、そこで、渦中かちゅうの指揮官、アントワーヌに出会った。

 人の死を知らせる妖精、《泣き女バンシー》にネクタイを洗われていた、この赤い髪の男だが、やっぱり 調子が悪そうには見えない。むしろリクの無作法に、機嫌を悪くしている様だった。

 だが冷静な指揮官はすぐに気を取り直すと、「丁度良かった。探す手間がはぶけた」と澄まして言った。

 リクが首を傾けると、アントワーヌは「我々のオーナーが、お前に会っておきたいと御所望だ」と、運転室に繋がる扉のすぐ横に位置する、ロイヤルスイートを指差して言った。

「なあんだ、自分も指差すんだ」という考えがリクの頭をよぎったが、それを訴える代わりに、「オーナー? 」とたずねた。

「ああ」アントワーヌはうなずき、「普通ならこんなにすぐ、新人との面会を望まないのだが、どうやらお前は特別の様だ。光栄に思え」と偉そうに言った。

 「いちいち えばらないとしゃべれないのかな? 」という言葉がまたしてもリクの頭をかすめたが、何とかして心の内に押し込んだ。

 そして文句を言う代わりに、「それよりも、体調は大丈夫? 」と、聞いた。

 問われたアントワーヌは間抜けな顔をして「どうしてだ? 」と眉間をしかめただけで、ピンと来ていない様だ。

「ほら、きのう、“砂の精”が──」

 リクがそう言い掛けた時、アントワーヌの険しい顔が視界いっぱいに現れた。

 海の様に深い青色の瞳を ギラギラ させたアントワーヌは、リクの目をのぞき込むと、「俺の前で“アレ”の話はするな」と、低くうなる様に忠告した。

 その勢いに圧倒されたリクが、「ご、ごめん」とほとんど囁く様に言うと、指揮官はまた冷静な表情に戻り、汚れてもいない上等のスーツをはたいた。

 そして、「余計な心配は無用だ。お前はお前の仕事に専念してくれれば良い」と言い、「ところで、オーナーに会っていくのか いかないのか、答えないか」と、うんざりした表情で聞き直した。


 空色の派手なスーツに身を包んだアントワーヌに続いて、部屋に入ったリクは思わず「おおっ! 」という声をらした。

「さすがロイヤルスイート! これが ひとり部屋なの? とっても広いんだね。大きい本棚もあるなんて! うらやましいっ」

 リクの言う通り、その部屋はリクたち従業員が宿泊する上級寝台のものよりずっと広く、そしてずっと充実したものであった。部屋の奥には、冬に大いに役立ちそうな暖炉が掘ってあり、片開き戸の横には、リクが羨む大きな本棚が置いてあった。部屋の中央には、シーツをまとった大きなソファと、こじんまりしたソファテーブルがあった。しかしどんなに目を凝らしても、ベッドがある様には見えなかった。どうやら、この部屋の主は、ソファをベッド代わりにしているらしい。

 ただ、この部屋もメルの部屋と同じくらい薄暗く──窓という窓に分厚いカーテンが掛けられている為であったが──、唯一の光源が、ソファテーブルの上に乗せられたランプだけであった。

「でも それが、この部屋の雰囲気を作っていてまた良い! 」

 リクが部屋の中を興味津々に見渡していると、アントワーヌの深い溜息が聞こえた。

「お前は本当に礼儀を知らない奴だな。そんなに他人の室内を探るものじゃないぞ」

 指揮官はそう注意すると、暗い部屋の角に向かって、「“イチ”! 話していた新人を連れて来てやったぞ! 人見知りしてないで、出てきたらどうだ? 」と声を掛けた。

「“イチ”? どこかで聞いたことある様な」リクが考え込んでいると、ようやく部屋の主は暗闇から歩み出てきた。

 リクは眼鏡を掛け直し、目を細めて、ピントを調節した。

 そこには黒髪の、素朴な男が立っていた。

 「はじめまして、リクです。最近、というか、つい おとといの夜にこの汽車に来たばかりなんだけど、よろしく」

 ソファに案内されたリクは、丁寧に自己紹介した。が、素朴な男は細い切れ長の目を チラリ とリクに向けて、小さく頷いただけだった。

 リクが助けを求める視線を隣に座るアントワーヌに向けると、それに気がついた頼もしい指揮官は、せきばらいをし、「彼が、我が汽車のオーナー、スィ、スィ……“スィニチ”だ」と紹介した。

「“スィニチ”? 変わった名前だね」

 リクが言うと素朴な男は小さく笑って、「“シンイチ”だよ。トニたちは上手く発音ができないみたいでね。“イチ”って呼ばれてるよ」と、小さな声で言った。

その声を聞いてリクは、何かを思い出し掛けた。が、「“シンイチ”だね! よろしく」とだけ返事した。

 そしてリクは、うつむくシンイチに笑顔を向けると、早速本棚に振り向いた。

「素敵な本棚だねえ。サン=テグジュペリにジュール・ヴェルヌ……ルイス・キャロルまで! ワクワクする本がたくさんっ! 夢の本棚だねっ! 」

 リクは目を キラキラ させながら、詰め込まれた本の背表紙を追っていって、「でも──」と続けた。

「何よりも素敵なのが、この、『世界オカルト全集』! もしイチが良ければなんだけど、この本貸して貰える? 」

 その言葉を聞いたシンイチは、糸の様な目を更に細めて、「俺も、その本がいちばん気に入ってるんだ。まさか君と気が合うなんて思わなかったな。貸して欲しいなら貸してあげるよ」と、また小さな声で言った。

「本当! ありがとう」と言ったリクは、また「んー? 」と首を傾げた。

 そんなリクの様子に いち早く気がついたのはアントワーヌで、左右に ゆらゆら と首を倒す新米炭鉱婦に、「さっきから何だ。可笑しな奴だ」と、眉を下げながら言った。

「んー、何かが引っ掛かるの。私の記憶の片隅に」

 そうやってまた反対側に首を傾けるリクに、アントワーヌは、「それは唄の詩か? 残念ながら俺は学問を心得んのだ」と今度は困った顔になってしまった。

 しかし一度自分の頭の中に閉じこもってしまったリクは、ニックの時と同様、アントワーヌの言葉さえ、耳に入れたりしなかった。

本棚から本を引き抜いていたシンイチも、そんな へんてこ なリクを見て、ほおいた。

「なんて言うか。凄く、個性的な子だね。君の話に聞いてた以上だ」

 アントワーヌにそう小声で言うと、両手で頭を押さえているリクに本を放った。

「ほら、本貸せって言っておきながら、ぼんやりするなよ」

 膝の上に本を投げられたリクは やっと気がついて、「ごめん ごめん。ありがとう」と、本を受け取った。

 その様子を見ながらシンイチは、部屋の隅にあった箱椅子を引っ張ってくると、少し離れた所で腰を落ち着かせた。そして足元に放置されていた1冊の本を拾い上げると、パラパラとページを弾き出した。視線は本に注がれているものの、どうも読んでいるとは思えない。

「何の本? 」

 リクが聞くと、シンイチは顔を上げて本の背表紙を見せた。

 薄明りの中、リクは首を伸ばして背表紙に書かれたタイトルに目を凝らした。というのも、この本のタイトルは日本語で書かれていなかったからだ。

「ザ・ウ、ウィ、ウィ……」

「ザ・ウィザード・オヴ・オズ。『オズの魔法使い』」

 シンイチがそう言って、また本のページを親指で弾くのを見て、リクは「わあっ! イチって英語読めるんだね」と、表情を明るくした。が、シンイチの方は眉を下げて首を横に振っただけだった。

「勉強中なの? 」

 リクが聞くと、シンイチはまたも首を横に振り、「いいや。本棚にささってたから、試しにページを開いてみただけ」と言った。

「そうなんだ」リクは サックリ 相槌を打つと、「それで、どうして私に会いたいなんて言ってたの? 」と尋ねた。

「興味があったから」

 シンイチは簡潔に答えて本を閉じた。そして、猫をそうする様に、膝の上で表紙を大切そうに表紙をで始めた。

「トニから、“面白い奴が来た”って聞いたから、どんな人なんだろうと思って」

「トニから? 」

「そう」シンイチは頷いた。「トニはよく、従業員たちの話を聞かせてくれるんだ。どこで誰が何してたか、何が起きたのか、それがどう終息したのか。俺はその話を聞くのが楽しみでね。ここにいながらでも、たくさんの経験を得られる」

 シンイチの言葉に、リクは疑問符を浮かべた。

「“ここにいながらでも”って。イチは部屋の外には出ないの? 」

 リクの問い掛けにシンイチは薄っすら笑うと、首を横に振った。

「俺は人付き合いが得意ではなくて。体力がないんだ。だから普段はここから出ない」

 そう言うシンイチに、リクは眉を下げた。

「でもそれって、退屈じゃない? 」

「ああ、退屈だ」と、シンイチ。「ここの本棚に入ってる本も、ほとんど読み終わってしまってるからね。だから、毎日、トニの話を待ちびてるんだ。トニは俺の良き友だ。頭も良いし、誰よりも思いやりがある。一緒にいて負担にならない」

「トニに思いやり⁉ 」と、リクは叫んだ。「レアやアダムたちはケチだの小言が多いだの、怖いだの言ってたけど」

 その言葉に真っ先に飛びついたのは、やはりアントワーヌで、彼は「失礼な奴らだ! 」と、大袈裟おおげさなジェスチャーで言った。

「全くだ! 」

 シンイチも友に同調してそう叫んだ。が、こちらはどうやら面白がっている様だった。

 籠城ろうじょうのオーナーは、堪え切れないという風に ククククと喉を鳴らして笑った。

「おいっ! 」

 そんな不誠実な友は、アントワーヌが叱り付けても、「ごめん ごめん」と言うだけで、暫く笑うのを止めないでいた。

「ふう、久しぶりにこんなに笑ったよ。ありがとう、リク」

 やっと笑い飽きると、シンイチは体勢を立て直し、リクに向いた。

「さっきは笑っちゃったけど、トニが優しいということに関しては嘘ではないよ。彼はとっても仲間思いなんだ。しかし、だからと言って甘い顔ばかり見せていたら駄目だ。舐められるのが落ちだからね。もしそうなれば、誰もトニの言うことなんて聞かなくなる、だろ? ここでの俺らは、大きな家族であると共に、仕事仲間としても繋がってる。ビジネスまでとは行かなくても。でも、多種多様な生き物 ──イキモノ──が集まって生活する時、ひとつのネジが緩んだり、ひとつの針がずれたりするだけで、今後の何日、いな、永久の未来が取り返しのつかないものになりかねない。俺らはを護っていくのと同時に、この汽車のことも護って行かなくてはいけない。なんたって俺らの家だからね。だからトニは敢えて厳しい指揮官殿でいてくれるんだ。ネジが緩んでしまわない様に。分った? 」

 シンイチはそこまで一気に喋ると、ふう、と息を吐いてまた膝の上の本を無意識に捲りだした。「久しぶりにこんなに喋ったよ」

 ソファに寄り掛かるアントワーヌは、リクに向かって「その通りだ。俺は思いやりがあるんだ」と、満足気に言った。

 それで本当に感心してしまうのがリクである。新米炭鉱婦は キラキラ と輝く瞳で上司を見つめていた。

「そうだったんだね! 早速レアたちに伝えなくっちゃ! 」

 そう言って立ち上がりかけたリクの手を、「やめろ、やめろ! 」と、アントワーヌが引き留めた。

「お前は、なんと言ったらいいのか……どこまでも澄んだ奴だな。あいつらに言ったらどうなると思う? 図に乗るだけだぞ、それに一生笑い者にされる。やめてくれ! 」

 蒼白そうはくの指揮官は、必死にそう捲し立てた。

「え、どうして? アダムは別として、レアは感動してくれると思うけど」

 引き留められた訳を理解できないでいるリクがポカンとする一方で、この汽車のオーナーであるシンイチは、愉快そうに腹を抱えて笑っていた。


「お邪魔しました。これ、読み終わったら返しに来るね」

 扉の前でリクがシンイチに振り返ってそう言うと、細目のオーナーは首を横に振った。

「返さなくていいよ。リクの部屋にでも飾って置けば? 」

「でも──」とリクが言うと、シンイチは「俺には読める本がまだまだたくさんあるからね。君なんかは1冊の本も持たずに可哀想だし、それぐらいいいよ」と言った。

 それを聞いてリクは「ありがとう」とは言ったものの、「いちばんのお気に入りの本」だと、シンイチ言っていた手前、困ってしまい、「じゃあ、今度、本の感想を言いに来るね」と提案した。

 しかしシンイチはその言葉を良く思わなかったらしい。顔をしかめると、「いや、いい」と言った。

「どうして? 」

 驚いたリクが聞くと、シンイチは、「この部屋にはあまり近寄って欲しくないんだ。リクであっても」と答えた。

「私、何かしちゃった? 」

 本を抱き締めながらリクがまた聞くと、シンイチは薄暗闇の中 破顔して、「違うよ」と言った。

「もう忘れたの? 俺は人と関わるのが苦手だって言ったじゃないか。誰かと会うには、それなりに心の準備が必要なんだよ。だから、俺が呼んだ時にだけ、来てほしいんだ」

 そう言うシンイチにリクは、「そうだったね」と頷き、「分かった。じゃあ、イチの気が向いたらまた、お話ししようよ。オカルトでも本の話でも! イチはどう思ってるか分からないけど、私はもっとイチと話したいと思ったから」と、孤独好きなオーナーに笑顔を向けた。

 そして扉を開くと、「それじゃあ」と、アントワーヌとシンイチに手を振った。

「うん。また今度」

 部屋から出て行くリクの背中に向かって、シンイチは穏やかな声を掛けた。

 扉を閉める直前、リクはその声に引っ掛かるものを感じたが、記憶の尾っぽはすぐに頭からすり抜けて行ってしまった。


 リクが扉を開くと、目の前に、見慣れた後ろ姿が見えた。アダムとニックだ。

 「あっ! 」

 リクは運転室を離れた本来の目的を思い出し、はっとした。「そうだ、私、アダムを探しに行こうとしてたんだった」

 リクの声に気がついた炭鉱夫ふたりは振り返り、「おっ」と揃って声を出した。

「仕事ほっぽりだしてどこ行ってたんだよ、たく」と、アダム。

「マリーとマークの休憩時間はもう終わったから、夕飯までは好きに休んでいていいぞ」と、ニック。

 リクは素直に謝ると、アントワーヌに誘われてシンイチと会っていたことをふたりに説明した。

 リクの手に持っていた『世界オカルト全集』を見て、アダムもニックも納得した様子だった。

「成る程な」とうなずくと、若い炭鉱夫は、「じゃあ、俺はちょっと用事があるから」と言って、ひとりで歩いて行ってしまった。

 一方、廊下に残されたリクとニックは、お互い顔を見合わせると、ひそひそと話し始めた。

「ニックごめんね。すっかり忘れちゃってたの」

 リクが謝ると、人の好い大男は手を振って、「仕方が無いさ。指揮官殿の誘いだからな」と、許してくれた。

「それで、アダムに話聞いた? 」

 早速リクが聞くと、ニックは苦い顔をして首を横に振った。

「いいや、何も。さり気なく聞いてみたんだが、うまく話をらされてな。結局分からずじまいだ」

「そっかあ」

 ニックから報告を受けたリクも、彼と同じ表情になってしまった。

「アダムは一体何を隠してるんだろう。メルも怪しいし。マリーとマークの言葉がアダムのことを指しているのなら、きっと大変な事に巻き込まれてるんだと思うんだけど」

 リクがそう囁くと、ニックも頷いた。

「危険なことに巻き込まれていないと良いんだが。でも、しかし、本人から話してくれようとしない限り、俺らにできることは無いのかもしれないな」

 ニックがそう言うのをリクはひっそりした目つきで見つめて、「うーん」とうなった。「ニックは大人だね。私は知りたくて仕方がないよ。全部のこと」

 リクがそう言うと、大男は一瞬目を見開いて、それから ガハハ と笑った。

「俺は怖くて仕方ないんだ。これ以上踏み込むのが。それをリクが、姿だと言うのなら、大人というものは随分、臆病おくびょうなんだな」

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