第21話『寝坊助とメイプルにぎり』

 「おーい、リク! 仕事の時間だぜー? まだ寝てんのか? 」

 そう大声で言いながら、乱暴に扉をノックする音に起こされたリクは、「うううう」と低くうなり声を上げた。

 昨夜、リクから逃げ出した“砂の精”は、あの後、食堂車まで行ったかと思うと、すぐ引き返してきて、最後には、1号車にあるスイートルームの扉にめ込まれた、丸いステンドグラスに吸い込まれたのだった。赤い雨を降らし、悲鳴を上げながら。

 その様子を目撃したリクとレアは、ホッ としたのと同時に、ガックシ 項垂れたのだった。

 夜中の大運動のせいで、中々寝付くことができなかったリクは、扉が壊れるほどのノック音にも、めげずに目をつむっていようとした。が、遂に耐えられなくなって起き上がった。

「なーにー? 」

 枕元のデスクから丸眼鏡を取り上げたリクは、寝不足でガンガン鳴る頭を抱えて、ベッドの下の革靴に足を通した。

 リクの言葉にノック音は止み、今度は、「“なーにー”じゃねえだろ、寝坊助! 新人が2日目から遅刻なんて聞いたことねえぞ! 」という怒鳴り声が聞こえた。

 扉を開くと、そこにはすすだらけのオーバーオールに、ぶかぶかのシャツを着たアダムが、腕を組んで立っていた。

 アダムはリクの格好を見て、不機嫌に口をとがらせると、「何でまだ寝巻なんだよ。早く着替えろよ」と、ぶつくさ 文句を言った。

 一方リクは、アダムのその表情に、まじまじ見入っていた。

「何だよ、ぼーっとしてんじゃねえぞ! きょうも仕事がたんまりあんだから! 」

 その視線に気がついたアダムがそう言うのも聞かず、リクは、「きのうの夜──」と、つぶやいた。


『愛し愛せよ 誰もいない

 歌い歌えよ 誰もいない──……』


 しかしアダムは、本当に何のことだか分からないと言った様子で首を傾げた。

そして、「なんかあったのか? 」とたずねた。

「まあ、眠れねえってのは当然だな。いくら疲れてるからって、こんな固いベッドじゃ、寝付きわりいもんな」

 リクにそう言って笑い掛け、「じゃ、俺はニックと食堂で飯食ってるから、さっさと来いよ」と言って、若い炭鉱夫は行ってしまった。


 今朝の朝食は、なんと おにぎり だった!

「ジェイにね、リクの故郷の味を聞いたら、これだろうって! どう? お口に合うかしら? 」

「今回は僕も握ってみたんだ。どうかな? 」

 そう言ってリクを取り囲むのは、新米料理長ソジュンと、昨晩一緒に廊下を走り回ったレアだ。

 レアもリクと同じくらい大変な思いをしていたはずなのに、リクよりもずっとすっきりしている様に見えた。まるで、12時間はぐっすり眠っていたかの様に、きめ細かな肌のつやは、全くおとろえていなかった。

「それに引き換え私は……」そう思ってリクは、ふう と溜息をいていた。

 それを見てレアとソジュンは不安そうな表情になり、「どうしたの? 」「美味しくなかったかしら? 」と口々に聞いてきた。

 その言葉にリクは ハッ としてふたりを見ると、「ううん、とっても美味しい! 具は、キムチに、チーズに……ええっと……」

「メイプルシロップよ! 」

「ああ……これ、やっぱり、そうだったんだ……」

 リクは皿の上に展開された3種類のおにぎりを見て頭を抱えた。

「うううん……キムチとチーズはとってもよく合ってるんだけど」と、リクが言いかけた時だった。リクの背後から、「おえっ! レアさ、味見したか⁉ これ! 」と叫ぶ声が聞こえた。アダムだ。

 その前には大男ニックも座っていて、アダムがメイプルシロップと米とのミスマッチに苦しむ一方で、平気な顔をして おにぎり を楽しんでいた。

 レアはレースが重たいスカートを揺らしながらアダムに振り向くと、ケロリとした顔で、「いいえ、していないわ」と、きっぱり言った。「自分で作った物以外はね」

「具の内容は、私とジェイとゾーイの3人で決めたの。それぞれ味に責任を持つって条件でね! チーズを選んだのは私よ」

「僕はキムチを入れてみました。アダムさんたちが美味しく召し上がれます様、思考をらしてみたのですが。いかがでしたか? 」

 ふたりの言葉を聞いて、リクとアダムは、ほとんど同時に「じゃあ、メイプルシロップを選んだのは、ゾーイか」と唸った。

 そのゾーイはと言えば、調理室からクルトンがたんまりのったサラダを持って来ると、これまたケロリとした顔で、「おはよう! 調子はどう? 」と朝の挨拶あいさつをしてきた。

「ああ、いつも通りバッチリだよ」アダムは眉間みけんしわを寄せたままジリジリと答えると、早速、「それより、この具のセンスはどうしたんだ? 」と尋ねた。

 リクとアダムの表情を見比べてゾーイは、「ふっふっふっ」とあやしい笑い声を上げると、「ちょっとしたサプライズだよ」と、サックリ 言った。

「え⁉ 」

 リクとアダムはあんぐり口を開いた。一方ゾーイは、その反応を期待していたのか、サラダを運んでいたのとは反対の手を、ふたりの前へと差し出してきた。

 その手の平には、小さなボールが乗せられていた。ボールの中には、ブラックペッパーの香ばしいかおり漂うソースが入っていた。

「その おにぎり に、これをつけて食べてみてくれない? 」

 リクたちは早速、ゾーイの指示通りに、皿に残ったメイプルシロップ入り おにぎり にソースをかけて、食べた。

 ひと口放り込んで、ふたりは顔をほころばせた。

「お、美味しい! 甘じょっぱくていい感じ! 」そう言って、リクは、不思議な おにぎり を口一杯に詰め込んだ。まるでっぺたが落ちそうだとばかりに、自分のほおを手で覆った。

 アダムの感動も同じだった様だ。ひたすら「すげえ すげえ」と繰り返していた。

「ジェイに、リクの故郷の調味料で有名なものを聞いてね。醤油 だっていうから、それを使ってみようと思ったの。でも、それだけじゃサプライズにならないでしょ? だから隠し味として楽しめる、メイプルシロップを入れておいたって訳! 後は、白ワインにブラックペッパー」

 ゾーイはそこまで説明すると、リクに、「どう? 私なりに、リクに楽しんで貰おうって思って考えて見たんだけど」と、問いかけた。

 リクは、もうすっかりお皿を空にすると、ゾーイの気遣きづいに胸を押さえた。

「うん、とっても美味しかったし、楽しかった! ありがとう、ゾーイ! 」

「ふふふ、それなら良かった」

 リクの答えを聞いて、ゾーイは太陽の様な笑顔を浮かべると、今度はニックに向いて、「ニックも。ソース、いるんじゃない? って、あれ? 」と目を見開いた。

 ゾーイの説明を黙って聞いていたニックは、耳まで赤くしながら頭の後ろをき、「いやあ、俺は、メイプル味も好きだったんだが──」と小声で言った。


 その日の掃除の仕事は、あっという間に終わってしまった。というのも、リクがきのうよりも グン と成長したのもそうだが、そもそもの宿泊客の数が少なかったせいもあった。

「こんなに客人がいねえってのも、変だよな」と、アダム。

「まあ、こういう日もあるってことだな」一方ニックは、面倒な仕事から逃れられたことを嬉しく思っている様だ。

 リクも首をひねっていると、足元からリクに対する質問が昇ってきた。

「ところで、リクはどうやって炭鉱婦に選ばれたの? 自分から申し出たとか? 」

 そう尋ねてきたのは、身長60センチのスチュワート、コリンだ。

小さな彼は、相棒のミハイルが、また、掃除用具入れの扉を乱暴に閉めようとするのを注意しながら、リクに向いた。

「ううん」リクは首を横に振った。「ポーカーで決めたの」

 するとコリンは身を仰け反らせて、「ポ、ポーカーでだって⁉ まさか、《呪いの賭けマジックベット》じゃあないだろうね! 」と叫んだ。

「《呪いの賭けマジックベット》? なあに、それ? 私がしたのは、おもちゃのコインを取り合うものだったけれど──」

 そう言ってリクが首を傾げると、コリンは ホッ と胸を撫でおろした。

「そう聞いて安心したよ。アントワーヌ相手に《呪いの賭けマジックベット》を仕掛けるなんて、無謀だからね。なんたって彼は、ポーカーではいっかいも負けたことがないんだから」

「いっかいも⁉ 」それを聞いて、今度はリクが仰け反る番だった。「それなのにアダムは、トニにポーカー勝負を挑んだって訳⁉ いくらなんでも無茶でしょ! 」

 リクから視線を受けたアダムは眉を寄せて、「うるせえ! 得意なことでギャフンと言わせたかったんだよ! 」と大声で言った。

「得意なことでギャフン って……」アダムの答えに、リクは溜息を吐いた。「アダムがしたのはイカサマでしょ? しかもそれすらも見破られてたし」

 リクの冷ややかな視線に「そ、それは、偶然だろ! 」と言い訳をしたアダムだったが、当のリクは、既にその話題から去っていた。

 リクは再びコリンに視線を落とすと、「ところで、《呪いの賭けマジックベット》って何? コリンがそんなに真っ青になるくらいだもん、きっと恐ろしいものなんだろうけど」と尋ねた。

 小さなスチュワートは、リクの言葉に コクコク と頷きながら、説明を始めた。

「そりゃあ、もう、恐ろしい賭けなんだよ! 僕はそのせいで身長を奪われたんだからね! 」

「身長を? 」

「まあ、聞いてよ」

 《呪いの賭けマジックベット》とは、魔女の呪いが掛かったサイコロ──彼らはそれを、《呪いのサイコロマジックダイス》と呼んでいる──を使って行うゲームのことらしい。

 賭けの手順としては、先ずテーブルの中央に、《呪いのサイコロマジックダイス》を置く。そしてソレに向かって、今から行うゲームを宣言する。

「ポーカーをやりたければ、“今からポーカーで賭けを行う”って言うんだよ」

 すると《呪いのサイコロマジックダイス》が いっかい、紫色に光る。

 その光が完全に止んだのを確認して、今度はお互い賭けの内容を言い合う。すると《呪いのサイコロマジックダイス》は2回、紫色の光を放つ。

 その光も完全に止んだのを確認して、ゲームが開始される。

「《呪いのサイコロマジックダイス》に誓った賭けの内容は、絶対本当になるんだ」

 コリンがそう言って震えるのを見て、リクも顔を青くした。

「じゃあ、もし、“この賭けに勝ったら相手の命を貰います”なんて言ったら──」

「うん。間違いなく死ぬだろうね」

「ひいっ」リクは思わず悲鳴を上げた。「トニはそんな賭けをしてるの? 」

「私、危険なところに就職しちゃったかもしれない」と身震いするリクに、アダムとニックは笑い声を上げた。

「あのトニだって、命を賭ける様なことはしねえよ」と、アダムが言い、「まあ しかし、コリンの身長の件は可哀想だがな」と、ニックが付け足した。

 リクは目を パチクリ させて、「なあんだ」と息を吐くと、「ん? 」と首を傾げ、コリンを見下ろした。

「“身長を奪われた”って──」

「そう! 僕は《呪いの賭けマジックベット》で負けたせいで、身長を107センチも取られちゃったんだ! 」

 コリンは全身でそうわめいた。そして、アダムとニックをにらみ付け、「このふたりのお陰でね! このふたりったら、前にも仕事の量を減らしてくれって、アントワーヌに訴えたことがあってね。その時も惨敗ざんぱいだったんだよ。でもアダムは諦めなくってさ。この僕に敵討かたきうちを任せたんだ! 」

「そのとき、トニ、《呪いの賭けマジックベット》しよう、コリンに言って、間抜けなコリン、いいよって言って、身長縮んだ。使えなかったのに、もっと使えなくなった。コリン、かわいそう」

 今まで ぼんやり 様子を見守っていた、《入れ替わりの精チェンジリング》のミハイルが、コリンの言葉を引きいで言った。

「役立たずで悪かったね! 僕はみんなよりも、ずっと不器用なだけで、これでも努力しているんだ! 」

 ミハイルの言葉が気に食わなかったのだろう。コリンは小さな体を真っ赤にして叫んだ。

「とにかく、《呪いの賭けマジックベット》だけはしちゃいけないよ! 僕ができる忠告はこれだけ」

 それでもコリンは何とか怒りをしずめると、小さな胸を張ってリクに伝えた。

「うん。ありがとう」

 リクは小さな先輩に礼を言うと、アダムの後に続いて、食堂へと急いだ。

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