第20話『砂の精と虫取り網』
「あっ! 」
「あら、リク」
リクが食堂車の扉を開くと、そこには、白いネグリジェに身を包んだレアの姿があった。金色の美しい髪の毛をそのまま肩に流した姿は、まさに天使を思わせる
そして見合ったふたりは、ほとんど同時に、「こんなところで何してるの? 」と、
先ずリクがレアに事情を説明すると、ネグリジェのウェイトレスは「あら、リクもトニに起こされてしまったのね」と言った。
「トニ? 」
リクが首を傾げると、レアは「ええ」と
「夜になると、ああやって、子供たちと遊びだすのよ。“カレ”の正体を、リーレルたちは、“砂の精”って呼ぶのだけれど。うるさいったらありゃしないんだから! 」
「待って。“子供たち”? “砂の精”? レアの言ってることが分からないんだけど」
リクが
「そこにいるのよ、トニが。姿は全く違うけれど、そこにいるの。たぶん、リクも見たことがあると思うわ」と言った。
リクが未だに首を傾けたままでいると、レアが、「扉を開けて見てみたら分かると思うわ。でもね、少ししか開けちゃ駄目よ。気づかれちゃ駄目。彼は大人が嫌いなのよ」と、続けた。
何も分からないままのリクは、立ったままレアの顔を見つめていたが、どこからか湧いてくる寒気に、我に返った。
そしてレアに、「そこにいるんだね? 」と確認すると、覚悟を決めて、レアが言う通り、扉をほんの少しだけ、開いた。
「あっ」
リクは思わず声を上げて、
青い服の男は以前会った時と同様に、人種の異なる子供たちに囲まれ、
『砂の精とは手を繋ぎ 丘を目指して歩こうか
赤毛の道化は橋のもと 母親のろわれ汽車の中
どんなに
僕は輝く砂の精
あしたは誰と遊ぼうか つぎはどこへと歩こうか』
気がつけば、周囲にいる子供たちも声を
『あしたは誰と遊ぼうか つぎはどこへと歩こうか』
『あしたは誰と遊ぼうか つぎはどこへと歩こうか』
その不気味な光景に、リクはまた ブルリ と震えあがると、急いで扉を閉めた。
そしてレアの方を振り返り、「いた! いた! 」と小声で訴えた。
「私、あの男見たことある! 私がこの汽車に乗るすぐ前に見たの! “一緒に遊ぼう”なんて言われて、それで、あの男、私の眼鏡を見たかと思ったら、眼鏡の中に吸い込まれていったの! それで、私も、吸い込まれて、えっと、えっとね……」
「あの男が、リクをこの汽車に引き
興奮気味のリクを椅子に座らせると、低く真剣な声で、レアが言った。
「それでね、リク。“アレ”が、砂の精。それで、“アレ”が、トニのもうひとつの姿なのよ」
「トニの、もうひとつの姿? 」
リクは心臓をバクバク鳴らしながら尋ねた。
レアはリクの言葉に重たく頷くと、「驚かないで聞いて頂戴ね、リク。トニはね、人間の体の中に、妖精を宿しているの。その妖精は夜、トニが眠りについた時に目を覚まして、あの様に子供たちと遊び回るの」と言った。
リクはレアの言っていることを頭の中で
虫取り網を体にぴったり沿わせて立つレアは、また頷いて口を開くと、信じられないことを言い出した。
「トニはね、妖精を殺したの。“砂の精”を。そのせいでトニは 妖精の力を手に入れたの」
「妖精を殺した⁉ 」
あまりにも驚いたリクが大声を出すと、レアは「しーっ しーっ! 」と必死で制した。そして「驚かないで聞いて頂戴って言ったでしょう。でも まあ、そうなるわよね。私も最初はびっくりしたわ」と、美しく眉を下げて言った。
「トニは“砂の精”を殺した。そのお陰で、トニは“砂の精”の力を手に入れることができた。“砂の精”の能力は 毎晩、世界中の子供たちと遊ぶこと」
ようやく落ち着いたリクは、レアから聞いた話を まとめた。
「さすがリク! 飲み込みが早いわね! 」
「でもさ」レアの言葉を無視してリクは言う。「レアの持ってる、その、虫取り網? は何? 」
「ああ、これ? 」レアは右手に抱えた虫取り網を、リクの前に差し出した。そして「これは、“砂の精”を捕まえる道具よ」と答えた。
「“砂の精”を捕まえる道具? 」
「そうよ」レアは笑顔で頷く。「先程リクが見た“カレ”だけれど、実は“アレ”はトニの体っていう訳では無いのよ。トニの魂って言うのかしら? だから、トニの肉体事態は、ベッドの上で眠っているって訳なの」
「ええ⁉ 」
突然の問いかけにリクは「ええっと ええっと」と
リクの答えにレアは パッ と目を輝かせて、「正解! 」と言い、「だから、これなのよ! 」と虫取り網を指した。
「妖精にはある特性があってね。《輪》に群がるのよ。ほら、《妖精の輪》って、聞いたことないかしら? 妖精たちの中には、輪を成して踊って、数百年の時を過ごす種類もいると言われているほどに、妖精たちにとって《輪》というのは神聖な存在なの」
「でも、それと虫取り網と、どう関係があるの? 」と尋ねるリクに、レアは微笑み掛けて、説明を続けた。
「妖精たちは そんな《輪》を無視することができない。だからそれを逆手にとって、メルがトニに お
「お
リクが言葉を繰り返すと、レアは首を縦に振り、「そうよ。メルはトニに、『《輪》を見たら起きなさい』という お
「それで、この虫取り網の出番よ。毎晩では無いのだけれど、私は“砂の精”を これ で捕まえているのよ! ほら、網は取ってしまったけれど、この部分は真ん丸でしょう」と、リングの部分を指差した。
それを聞いてリクは、「なるほどお! 」と
リクの申し出にレアは感激した様子で顔を輝かせ、「ありがとう、リク。そう言ってくれたのはリクだけよ! 」と言った。
「みんなトニのことだからって、妖精の勝手にさせておけばいいんじゃないの って言うのだけれど、やっぱり心配じゃない? 」そう言って困った様に、リクに笑い掛けた。
「それで、今回の計画なのだけれど。先程、リクは“砂の精”から遊びに誘われたって言っていたわよね? 」
「そうだね」リクはあの当時を思い出し、げっそりして返した。
一方レアは、その言葉に希望を持った様で「それは使えるわ! 」と叫んだ。
「リク。お願いなのだけれど、この虫取り網を持って、砂の精に近付いてみてくれないかしら? その時なのだけれど、なるべく体から離れたところに《輪》を掲げて頂戴ね。リクが吸い込まれてしまうと困るから」
「なら、眼鏡も外していった方がいいかもね」
リクが言うとレアが、「そうね。眼鏡に吸い込まれてしまう恐れがあるものね」と頷いた。
そうしてレアは、リクに虫取り網を手渡すと、「もしかしたら逃げるかも知れないけれど、その時は追うのみよ」と言った。
「“カレ”が相手を大人だと判断してしまった場合、逃げ出してしまうのよ。逃げ足が速くて! 追うのが大変なの」
虫取り網を持ったリクは、今度は勢いよく貫通扉を開いた。
「《輪》はできるだけ体から離して──」青い男を前にしたリクは、震える声で呟いた。
リクが虫取り網を持って現れると、青い男こと“砂の精”は、例の奇妙な歌を止めた。周りの子供たちも、突然遊びに乱入してきた炭鉱婦を、恐れる目で見つめている。
リクは ぼんやりする視界を狭めながら、《輪》を“砂の精”の前に掲げた。
「お願い、トニに帰って」
つぎの瞬間、砂の精と子供たちの姿は消えていた。
リクは虫取り網を持ったまま呆然と、「も、戻った? 」と宙に向かって尋ねたが、すぐに違うと分かった。
また遠くから、子供たちの笑い声と、あの歌が聞こえてきたのだ。
「ど、どうして」と戸惑うリクの背後から、レアが駆けてきた。
「逃げられちゃったわね。きっとリクのことを 大人 だと判断してしまったのでしょうね。追うしかないわ! 」
「う、うん! 」
リクは言われるがまま、レアの背中を追おうとして、背後からまた新しい歌が聞こえてくるのを聞いた。とても暗く、寂しい歌だ。その歌はレアの耳にも届いていたらしい。ふたりは足を止めて、その方向を振り向いた。
その歌は2号車の末端、106号室から響いていた。
『ぼくの前に霧かかる
右へ左へ曲がりくね
愛し歌うことこそが 幸せもたらすことなのに
ぼくは誰かの
愛し愛せよ 誰も居ない
歌い歌えよ 誰も居ない』
部屋の引き込み戸が開いた。
歌うたいは、白っぽい金髪を肩まで垂らし、
「アダム? どうしたの? 」
目を細めるリクからそう声を掛けられた歌うたいは、宝石の様な瞳でふたりを捉えた。しかしその表情は空虚で、何も語ろうとはしなかった。
つぎにレアが歌うたいに近付き、「丁度良かったわ、アディ。今ね、“砂の精”が現れているのよ。一緒に捕まえてくれないかしら? 」と聞いたが、彼は何も言わずにその身をかわすと、食堂室の方へと消えていってしまった。
『愛し愛せよ 誰もいない
歌い歌えよ 誰も居ない──……』
そう口遊む歌うたいが持ち上げた袖から、小さな、ぼんやり光るものが出てくるのを、リクは見つけた。
リクはシャツの胸ポケットから眼鏡を引っ張り出した。
それは葉っぱの様な形をしていて、全部で5つあった。その5つは、早足で過ぎ去る歌うたいの頭の周りを、嬉しそうに飛び
「リーレルたちだ」
リクは誰にでもなく呟いた。
その後ろで、レアが歌うたいの背中に向かって、「ちょっと! 無視とはどういうことなの⁉ アディ! 」と叫んだ。
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