第20話『砂の精と虫取り網』

 「あっ! 」

「あら、リク」

 リクが食堂車の扉を開くと、そこには、白いネグリジェに身を包んだレアの姿があった。金色の美しい髪の毛をそのまま肩に流した姿は、まさに天使を思わせるうるわしさであったが、その手には何故か、巨大な虫取り網が握られていた。といっても、重要な、網の部分が欠如したものであったが。

 そして見合ったふたりは、ほとんど同時に、「こんなところで何してるの? 」と、たずね合った。

 先ずリクがレアに事情を説明すると、ネグリジェのウェイトレスは「あら、リクもに起こされてしまったのね」と言った。

「トニ? 」

 リクが首を傾げると、レアは「ええ」とうなずいて、虫取り網を握ったまま椅子に腰を下ろした。

「夜になると、ああやって、子供たちと遊びだすのよ。“カレ”の正体を、リーレルたちは、“砂の精”って呼ぶのだけれど。うるさいったらありゃしないんだから! 」

「待って。“子供たち”? “砂の精”? レアの言ってることが分からないんだけど」

 リクが眉間みけんしわを寄せ、尋ねると、窓の外に浮かぶ月に照らされたレアは、2号車に続く扉を指差した。

「そこにいるのよ、。姿は全く違うけれど、そこにいるの。たぶん、リクも見たことがあると思うわ」と言った。

 リクが未だに首を傾けたままでいると、レアが、「扉を開けて見てみたら分かると思うわ。でもね、少ししか開けちゃ駄目よ。気づかれちゃ駄目。彼は大人が嫌いなのよ」と、続けた。

 何も分からないままのリクは、立ったままレアの顔を見つめていたが、どこからか湧いてくる寒気に、我に返った。

 そしてレアに、「そこにいるんだね? 」と確認すると、覚悟を決めて、レアが言う通り、扉をほんの少しだけ、開いた。

「あっ」

 リクは思わず声を上げて、咄嗟とっさに手で口をふさいだ。

 玉蜀黍色とうもろこしの髪の毛、雪の様に白い肌、海の様に深く青い透き通った瞳──扉を開いた先にいたのは、リクがこの汽車に乗車する直前、リクの部屋で出会った、青い燕尾服の男だったのだ!

 青い服の男は以前会った時と同様に、人種の異なる子供たちに囲まれ、たわむれていた。そして、なんだか不思議な歌も口遊くちずさんでいた。


『砂の精とは手を繋ぎ 丘を目指して歩こうか

 赤毛の道化は橋のもと 母親のろわれ汽車の中

 どんなに足掻あが藻掻もがこうと 僕の夢からでられない

 僕は輝く砂の精

あしたは誰と遊ぼうか つぎはどこへと歩こうか』


 気がつけば、周囲にいる子供たちも声をそろえて その歌を歌っていた。


『あしたは誰と遊ぼうか つぎはどこへと歩こうか』

『あしたは誰と遊ぼうか つぎはどこへと歩こうか』


 その不気味な光景に、リクはまた ブルリ と震えあがると、急いで扉を閉めた。

 そしてレアの方を振り返り、「いた! いた! 」と小声で訴えた。

「私、あの男見たことある! 私がこの汽車に乗るすぐ前に見たの! “一緒に遊ぼう”なんて言われて、それで、あの男、私の眼鏡を見たかと思ったら、眼鏡の中に吸い込まれていったの! それで、私も、吸い込まれて、えっと、えっとね……」

「あの男が、リクをこの汽車に引きり込んだ張本人なのよ。ここにいる従業員たちのほとんどが、彼によって連れてこられたの」

 興奮気味のリクを椅子に座らせると、低く真剣な声で、レアが言った。

「それでね、リク。“アレ”が、砂の精。それで、“アレ”が、トニのもうひとつの姿なのよ」

「トニの、もうひとつの姿? 」

 リクは心臓をバクバク鳴らしながら尋ねた。

 レアはリクの言葉に重たく頷くと、「驚かないで聞いて頂戴ね、リク。トニはね、人間の体の中に、妖精を宿しているの。その妖精は夜、トニが眠りについた時に目を覚まして、あの様に子供たちと遊び回るの」と言った。

 リクはレアの言っていることを頭の中で咀嚼そしゃくしながら、それでも目を丸くして、「妖精を体の中で飼ってる? 」と聞いた。

 虫取り網を体にぴったり沿わせて立つレアは、また頷いて口を開くと、信じられないことを言い出した。

「トニはね、妖精を殺したの。“砂の精”を。そのせいでトニは 妖精の力を手に入れたの」

「妖精を殺した⁉ 」

 あまりにも驚いたリクが大声を出すと、レアは「しーっ しーっ! 」と必死で制した。そして「驚かないで聞いて頂戴って言ったでしょう。でも まあ、そうなるわよね。私も最初はびっくりしたわ」と、美しく眉を下げて言った。


 「トニは“砂の精”を殺した。そのお陰で、トニは“砂の精”の力を手に入れることができた。“砂の精”の能力は 毎晩、世界中の子供たちと遊ぶこと」

 ようやく落ち着いたリクは、レアから聞いた話を まとめた。

「さすがリク! 飲み込みが早いわね! 」

 「でもさ」レアの言葉を無視してリクは言う。「レアの持ってる、その、虫取り網? は何? 」

「ああ、これ? 」レアは右手に抱えた虫取り網を、リクの前に差し出した。そして「これは、“砂の精”を捕まえる道具よ」と答えた。

「“砂の精”を捕まえる道具? 」

「そうよ」レアは笑顔で頷く。「先程リクが見た“カレ”だけれど、実は“アレ”はトニの体っていう訳では無いのよ。トニの魂って言うのかしら? だから、トニの肉体事態は、ベッドの上で眠っているって訳なの」

「ええ⁉ 」

 こぼれ落ちてしまうほど目を大きく見開くリクに、レアは、「驚きよね。でもそうなのよ」と言い、「“砂の精”が、トニの魂が抜けだしたモノなら、ベッドの上で眠っているトニは、どうなっているか分かるかしら? 」と、リクに問題を出した。

 突然の問いかけにリクは「ええっと ええっと」と戸惑とまどいつつも、少しすると「もしかして、息を、してなかったりする? 」という答えを出した。

 リクの答えにレアは パッ と目を輝かせて、「正解! 」と言い、「だから、これなのよ! 」と虫取り網を指した。

「妖精にはある特性があってね。《輪》に群がるのよ。ほら、《妖精の輪》って、聞いたことないかしら? 妖精たちの中には、輪を成して踊って、数百年の時を過ごす種類もいると言われているほどに、妖精たちにとって《輪》というのは神聖な存在なの」

「でも、それと虫取り網と、どう関係があるの? 」と尋ねるリクに、レアは微笑み掛けて、説明を続けた。

「妖精たちは そんな《輪》を無視することができない。だからそれを逆手にとって、メルがトニに おまじないを掛けたの」

「おまじない? 」

 リクが言葉を繰り返すと、レアは首を縦に振り、「そうよ。メルはトニに、『《輪》を見たら起きなさい』という おまじないを掛けたのよ。単純な おまじないだけれど、とっても強いものなの」と言った。

「それで、この虫取り網の出番よ。毎晩では無いのだけれど、私は“砂の精”を これ で捕まえているのよ! ほら、網は取ってしまったけれど、この部分は真ん丸でしょう」と、リングの部分を指差した。

 それを聞いてリクは、「なるほどお! 」と相槌あいづちを打って、「私も手伝えるかな? 」と申し出た。

 リクの申し出にレアは感激した様子で顔を輝かせ、「ありがとう、リク。そう言ってくれたのはリクだけよ! 」と言った。

「みんなトニのことだからって、妖精の勝手にさせておけばいいんじゃないの って言うのだけれど、やっぱり心配じゃない? 」そう言って困った様に、リクに笑い掛けた。

「それで、今回の計画なのだけれど。先程、リクは“砂の精”から遊びに誘われたって言っていたわよね? 」

「そうだね」リクはあの当時を思い出し、げっそりして返した。

 一方レアは、その言葉に希望を持った様で「それは使えるわ! 」と叫んだ。

「リク。お願いなのだけれど、この虫取り網を持って、砂の精に近付いてみてくれないかしら? その時なのだけれど、なるべく体から離れたところに《輪》を掲げて頂戴ね。リクが吸い込まれてしまうと困るから」

「なら、眼鏡も外していった方がいいかもね」

 リクが言うとレアが、「そうね。眼鏡に吸い込まれてしまう恐れがあるものね」と頷いた。

 そうしてレアは、リクに虫取り網を手渡すと、「もしかしたら逃げるかも知れないけれど、その時は追うのみよ」と言った。

「“カレ”が相手を大人だと判断してしまった場合、逃げ出してしまうのよ。逃げ足が速くて! 追うのが大変なの」


 虫取り網を持ったリクは、今度は勢いよく貫通扉を開いた。

 「《輪》はできるだけ体から離して──」青い男を前にしたリクは、震える声で呟いた。

 リクが虫取り網を持って現れると、青い男こと“砂の精”は、例の奇妙な歌を止めた。周りの子供たちも、突然遊びに乱入してきた炭鉱婦を、恐れる目で見つめている。

 リクは ぼんやりする視界を狭めながら、《輪》を“砂の精”の前に掲げた。

「お願い、トニに帰って」

 つぎの瞬間、砂の精と子供たちの姿は消えていた。

 リクは虫取り網を持ったまま呆然と、「も、戻った? 」と宙に向かって尋ねたが、すぐに違うと分かった。

 また遠くから、子供たちの笑い声と、あの歌が聞こえてきたのだ。

「ど、どうして」と戸惑うリクの背後から、レアが駆けてきた。

「逃げられちゃったわね。きっとリクのことを 大人 だと判断してしまったのでしょうね。追うしかないわ! 」

「う、うん! 」

 リクは言われるがまま、レアの背中を追おうとして、背後からまた新しい歌が聞こえてくるのを聞いた。とても暗く、寂しい歌だ。その歌はレアの耳にも届いていたらしい。ふたりは足を止めて、その方向を振り向いた。

 その歌は2号車の末端、106号室から響いていた。


『ぼくの前に霧かかる

 右へ左へ曲がりくね

 つひばむ歌は紛れゆく

 嗚呼あゝ 仕方ない 仕方ない!


 愛し歌うことこそが 幸せもたらすことなのに

 ぼくは誰かの虚無きよむの中 心休まる夢を見よう


 愛し愛せよ 誰も居ない

 歌い歌えよ 誰も居ない』


 部屋の引き込み戸が開いた。

 歌うたいは、白っぽい金髪を肩まで垂らし、萌黄色もえぎいろの上等なシャツに身を包んでいた。

? どうしたの? 」

 目を細めるリクからそう声を掛けられた歌うたいは、宝石の様な瞳でふたりを捉えた。しかしその表情は空虚で、何も語ろうとはしなかった。

 つぎにレアが歌うたいに近付き、「丁度良かったわ、アディ。今ね、“砂の精”が現れているのよ。一緒に捕まえてくれないかしら? 」と聞いたが、彼は何も言わずにその身をかわすと、食堂室の方へと消えていってしまった。


『愛し愛せよ 誰もいない

 歌い歌えよ 誰も居ない──……』


 そう口遊む歌うたいが持ち上げた袖から、小さな、ぼんやり光るものが出てくるのを、リクは見つけた。

 リクはシャツの胸ポケットから眼鏡を引っ張り出した。

 それは葉っぱの様な形をしていて、全部で5つあった。その5つは、早足で過ぎ去る歌うたいの頭の周りを、嬉しそうに飛びね、飛びまわっていた。

「リーレルたちだ」

 リクは誰にでもなく呟いた。

 その後ろで、レアが歌うたいの背中に向かって、「ちょっと! 無視とはどういうことなの⁉ アディ! 」と叫んだ。

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