第19話『小さな歓迎と夜のパレード』

 レアから自分の部屋で待っている様に言いつけられたリクは、その時改めて、自分がパソコンを持っていないことに気がつき、肩を ガックシ と落とした。

「パソコンが無いと、こうも手持無沙汰なんだなあ」

 リクは誰にでもなくつぶやいて、枕に頭を落とした。


 しばらくして、部屋の扉がノックされているのに気がついた。ノックの主は、「リク! お待たせしちゃったわね」と、可憐かれんな声を響かせていた。

リクはベッドから起き上がり、引き込み戸を開いた。

 案の定、そこにはレアがいた。

美しくレースをまとった彼女は、リクに微笑み掛けると、「案内するわ。行きましょう」と言って、手を振った。


 リクの前を歩くレアは、女性にありがちな とってもおしゃべり好きな人だった。彼女はリクに、リクがこの汽車に来てくれてどれほど嬉しかったかということを、 ペラペラ と語ってくれた。

「私ね、故郷に弟がいるのよ。その弟は、すっごく生意気で、可愛くなくってね」

「故郷? 」

「ええ。私の故郷はパリなの。知っているかしら? 」

「勿論! フランスの首都だよね」

「そうよ。リクは物知りね! 私もリクの国のことは少し知っているわよ。確か、“トーキョー”がある所でしょう? 」

「うん、まあ、でも、私が住んでるのは、違う所なんだけどね──で、弟? 」

「あ、そうそう。私の弟、ルイって言うのだけれど、この子ったら本当に嫌な子なのよ。私のすることなすこと全てが気に入らないって言ったりして! 私の着るお洋服も、私の好きなお菓子も。全部 否定してくるのよ! どれもみんな可愛いものばかりなのに! 」レアは弟のことを思い出しながら、だんだんとイライラが増している様に見えた。「それで何度 喧嘩したことか! 」

「だから私、妹がいたならどんなに素敵だろうって ずっと考えていたのよ。一緒に可愛いものを着て、甘くて美味しいお菓子をシェアしたり、恋のお話をこっそり打ち明け合ったり……でも、ここって男ばっかりでしょう? それに、女の子って言ったらゾーイくらいだけだけれど、彼女は私よりもずっと年上なのよ。だから私の方が妹になってしまうでしょう? 」

 レアの言葉にリクは、「うーん」とうなっただけだった。リクはこれまでの人生で、お洒落に興味を持つことも、甘くて美味しいお菓子に夢中になることも、誰かを好きになることも無かったのだ。それに、姉妹が欲しいと願ったことも、無かった。リクが興味をそそられることと言ったら、もっぱら活字とオカルト記事だけなのだったのだ。

 しかしそんなリクの背景もお構いなしのレアは、その唸り声でさえ都合のいい様にとらえたらしい。「だから、リクがここに来てくれて私とっても嬉しいの! やっと私の夢が叶ったのよ! 」と、可愛らしくスカートを揺らした。


 サロンの扉を開いてすぐ、リクの耳に、アダムの奏でる愉快なピアノの音が飛び込んできた。

 グランドピアノの周りには、汽車の従業員たちが集まっていた。ピアノの音に聞きれていたり、冗談を言って笑い合ったり。思い思いに楽しい時間を過ごしていた。

 リクはその様子に微笑んですぐ、部屋の中が、今朝リクたちが掃除をした時とはまるっきり変わっていることに気がついた。

 部屋の真ん中には、豪勢ごうせいな料理で敷き詰められた、大きなテーブルが置かれ、例の種類様々な椅子が、その周りを囲っていた。壁面は色とりどりのガーランドが鮮やかに飾り付けられていた。

「わあ! 素敵」

 リクが目をキラキラさせて声を上げと、レアが、「そうでしょう! リクの為に、頑張ったのよ」と満足気にうなずいた。

 すると、グランドピアノの方から「よう! 」という声を掛けられた。アダムだ。

 若い炭鉱夫はピアノを弾く手を止めて、扉の前に座るリクに右手を上げた。

「みんなお待ちかねだぜ。特にミカはな」

そう言って、ピアノの鍵盤の側にしゃがみ込むミハイルを指した。

 ミハイルは、部屋中に漂う香ばしいかおりによだれを垂らしながら、リクに向いて、「リ、リク。ごはん、おいしそう。でも、リク、食べても、いいんだよ」と言った。

 リクはミハイルに笑顔を向けると、「ありがとう。でもみんなで食べようか」と言った。ミハイルはその言葉に目を輝かせた。

「リ、リク。いい子。ボク、リク、好き」

 皆で大きなテーブルを囲んで、リクは あれ? と首を傾げた。

「トニは? 」

 リクが聞くと、隣に座ったレアが肩をすくめた。

「まだ仕事が終わらないんじゃないかしら。でも、すぐに来ると思うから、リクが気にする必要は無いわよ」

 さあ、冷める前に食事にしましょうか と言ったその時、扉が開き、例の指揮官が入ってきた。それを見たレアは、「ほら」とリクに言った。

 派手な服装のアントワーヌは、何食わぬ顔で一同に「まだ始めていなかったのか」と言って、レアとアダムから反感を食らった。

「遅れてきたのに相変わらずの態度ね」とレア。

「指揮官らしく新米炭鉱婦をねぎらったら? 」とアダム。

 一方アントワーヌは「俺はお前たちみたいに暇ではないのだ」と涼しく受け流し、「しかし、新米従業員にひと言くらい、労いの言葉を掛けるというのは、指揮官として大切なことだろう」と頷いた。そしてわざとらしくせきばらいをすると、椅子に座ってぼんやりやりとりを見上げていたリクに、「改めて、当汽車へようこそ、リク。成り行きはどうであれ、俺たちの仲間として働くことを決めてくれたことを、大いに感謝する」と、堂々とした口調で言った。

 その言葉を受けてリクは従業員たちに、「こちらこそ、こんなに素敵な席を用意してくれてありがとう」と感謝の言葉を述べた。

 リクの隣に座るレアは微笑み、「さっきも言ったけれど、リクが来てくれて本当に嬉しいわ」と言い、先輩炭鉱夫のアダムとニックは「これからよろしくな」と笑い掛けてくれた。他の従業員たちも、口々に「よろしく」と声を掛け、ミハイルは相変わらず、「リク、ごはん」とうながした。

 その様子を温かく見守っていたゾーイが、「それじゃあ、参加者は揃ったことだし、始めようか」と宣言をした。


 リクの歓迎会は非常に賑やかで楽しいものとなった。

 ゾーイの合図に、いち早く行動したのは、勿論ミハイルで、すらりと伸びる白緑色の腕で、脂がたっぷりのったローストチキンの足をむしり取った。それを丸ごと口の中に放り込むと、再び空いた手で、今度は机の真ん中に置かれた、クリームたっぷりのケーキの一切れを、手掴みで口に運んだ。

 「わあ、凄い食欲! 」

 レアからパエリアを取り分けて貰ったリクが、目を丸くしてつぶやくと、レアの向かい側に座るアダムが溜息を吐きながら、「いつも ああ なんだよ。全く、冷凍室のストックを分かってて食ってんだろうな」と文句を言い、ひと口大に切り分けたステーキを美しく口まで運んだ。

 そんなミハイルの隣では、コリンがベビーチェアにはさまる様にして座っていた。小さな小さなスチュワートは、大男ニックから料理を取り分けて貰わなければならず、苦労していた。

「だからその、茶色の肉が食べたいんだよ! 」

「これか? 」と、ニックはローストビーフを持ち上げた。

「違う 違う! 」とコリン。「それは赤い肉じゃないか! その、茶色い肉だってば! 」

 どうやらコリンは、料理の名前をよく知らないらしい。リクがその様子に笑っているとレアが、「傑作けっさくでしょう? まるで親子ね」と、ささやいた。

 結局ニックはコリンの言う“茶色い肉”の正体を解明することができず、その会話を聞いていたアダムがローストチキンをコリンの皿に乗せてやることで解決した。

 レアの隣に座るゾーイと、その隣に座るアントワーヌは、ふたりで こそこそ と話し合っては、新米料理長のソジュンにワインを注がせていた。一方ソジュンも、ふたりの会話を興味深く聞き、しきりに頷いていた。

 「何を話してるのかな」

 リクがアダムにたずねると、若い炭鉱夫は肩を小さくすくめて「さあな。どうせまた仕事の話だろうさ」とだけ言った。

 その時リクは ハッと気がついて、アダムに、「そう言えば、メルは? 」と聞いた。

「ああ、あの爺さんならだよ。メルは広い場所も明るいところも好きじゃねえんだ」

 アダムはそう言って またステーキを上品に口に運んだ。そしてリクにエメラルドの瞳を向けて、「こんな賑やかな夕食は久しぶりだ。ありがとな」と微笑んだ。

 突然感謝されたリクは、「私は別に、何にもしてないけど」と、ぎこちなく答えた。

「いや、そうでもねえさ」

 アダムはニックからワインを注いでもらいながら首を振り、「いつもはみんな、仕事が終わるのがバラバラなんだ。だから、こうやって顔をつき合わせて飯食めしくうってのも中々無くてな。リクが俺らの仲間になってくれたお陰で、こうして同じテーブルを囲えるってもんだ」と言った。

「そうかな」とほおくリクに、優しい顔のニックが「そうとも」と首を縦に大きく振った。


 ワインですっかり上機嫌になったアダムは、みんなに促されるままにピアノの前に座った。他の従業員たちもその周りに集まり、ピアノの上に置かれた楽譜をめくっては、オーバーオールのピアニストに、次々と曲のリクエストを出していった。

 リクはその様子を、アントワーヌとゾーイと一緒に、テーブルの椅子に座ったまま眺めていた。

 「うるさい奴らだろう」

 アダムの伴奏に拍手をしていたリクに、アントワーヌは言った。

 リクは「そうかな」と首をひねって、「楽しくていいと思うけど」と答えた。

「トニは、こういうの苦手なの? 」

 そう聞き返すリクに、アントワーヌは「俺をトニと呼ぶな」と注意してから、ワインをついばむと、「嫌いではない」と小声で言った。

「なら、どうして“うるさい”って言ったの? 」

 質問好きのリクがそう問いかけると、アントワーヌの代わりに、ニコニコと頬杖をつくゾーイが答えた。

「トニはね、こう言ったのよ。“賑やかで楽しい奴らだろう? ”ってね」

 「おいっ」トニは顔を赤らめると、急いでゾーイを制した。

 それを見てリクは、「なあんだ」と笑って、「トニも素直じゃないだけか」と納得した。

 アントワーヌは「素直じゃないってなんだ」と不服そうに口を尖らせたが、リクとゾーイが顔を見合わせて ニヤニヤ と笑った為、不機嫌になってしまった。

 そして眉間みけんしわを寄せた表情のまま、グラスのワインを一気に飲み干すと、立ち上がり、リクとゾーイに「俺は仕事が残っているんでな。一足先に失礼させていただく」と言い残し、サロンから去ってしまった。

 リクは困った顔でその後ろ姿を見送りながら、「私、まずいこと言っちゃったかな? 」とゾーイに尋ねた。

 しかし黒髪のウェイトレスは動じることなく、自らのグラスにワインを注ぎ足すと、「トニは本当に忙しいだけだから、気にすることないよ」と言って、微笑んだ。

 いずれ歓迎会もお開きになり、レアとゾーイ、ソジュンは、それぞれテーブルの片づけを始めた。リクが「手伝おうか」と聞くと、レアは首を横に振り、その代わりに、ワイン片手に部屋へ引っ込もうとするアダムの首根っこを捕まえた。

 「リクは疲れているでしょう? 部屋に戻っていていいのよ」

 レアにそう言われてしまったリクは、それに従うしかなかった。


 サロンを出て、リクは目の前を歩くニックを見つけた。

 「今日の歓迎会、ありがとう」

 リクがその背中に声を掛けると、大男は振り返り、「いいや、俺は何もしてないんだ。ほとんど、レアたち食堂室にいるメンバーと、アダムが頑張ってくれた。俺はテーブルを運んだだけだ」と言って、笑顔を作った。

 ニックはリクを部屋の前まで送り届けると、「ゆっくり休めよ」と言って、足をみ出した。

「ニックの部屋はこの号車じゃないの? 」

 リクが聞くとニックは、「ああ」と答えた。

「俺の部屋は2号車の105号室なんだ。アダムも、俺の隣の部屋だから、何かあったらノックしてくれ」

 そう言って、今度こそお互いに挨拶あいさつをし合って、別れた。


 部屋に戻ったリクが、再びベッドにもぐり込んでから、夢の中に落ち着くまでの時間はあっという間だった。それほどまでに きょう という日は忙しく、驚きに満ちていたのだ。

 部屋の前を、ふたつの人形マリアとマルコが ぎゃあぎゃあ 叫びながら走り去るのも、レアとアダムが相変わらずの喧嘩をしながら通り過ぎるのも、全く聞こえていなかったリクだった。が、夜が更けて、ひんやりただよう肌寒さに目を覚ました。

 月明りのみが差し込む薄暗い部屋の中、目を開いたリクは、どこからか、子供たちの愉快な笑い声を聞いた。

「何、この声──」

 リクは独り言を言って、枕元のデスクから丸眼鏡と、ベッドの下から革靴を引きりだすと、部屋の引き込み戸を開いた。

 廊下に出て、リクは左右を見回したが、部屋と同じ様に薄暗い景色以外、何も見えなかった。

 それでも、確かに、どこからか、子供たちの笑い声が聞こえてくる……

「もしかして、幽霊? 」

 リクは、そう自分で言って身震いした。そして耳を澄ませると、「こっちからだ」と、食堂車へと続く貫通扉かんつうとびらを開いた。

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