第18話『土のオアシスと灼熱地獄』

 4号車112号室のポッドの部屋は、一面の砂袋だった。いちばん奥から扉のすぐ手前まで、大きな砂袋が何重にも積んであって、思わず咳払せきばらいしてしまう様な、ザラザラした空気が充満していた。

 「ここからどうやって運転室に袋を運んで行くんだろう? 」

 リクが足元にいる ふたつにたずねると、マリアとマルコは楽し気に飛びねて、「ヒと袋をそのまんま持ってくんだよ! あっははは! 」「ニックは運べるけど、アダムは引きってく! ひひひ、ひひひ! 」と答えてくれた。

 それを聞いたリクは、「もう! アダムは自分でも運べない物を私に運ばせようとしたんだ! 」と、地面を思い切りみつけた。

 ふんっ と鼻を鳴らしてリクは、「でもこれも仕事なんだから! 」と自分に言い聞かせ、目の前の砂袋をひとつ、掴むと、なんとか廊下の床まで引き摺り落とした。

 縫い目から砂がこぼれるのも気にせず、リクは袋の耳を両手で握ると、ズルズル ズルズル、不機嫌な速度で歩き出した。

 そんなリクの後をつける ふたつの人形は、尻で進んで行く新米炭鉱婦しんまいたんこうふに興味津々で、「ガんばれ、がんばれ! あっははは! 」「ヘンな格好! ひひひ、ひひひ! 」と歌う様に、交互に笑った。


 再度 入室した食堂には、メモに没頭するソジュンと、テーブルの上に乗って巨大なキッシュにかぶりつくコリン、まるで回転寿司の様に、何枚もの空いた皿を山積みにしているミハイルがいた。

 彼らは砂袋と格闘するリクを見ると、とんでもなく驚いた様子を見せた。それでも、ミハイルは、目の前の食事にまた視線を向けたが、コリンとソジュンはリクの元へと飛んできて、「大変だ 大変だ」と言いながら、砂袋を運ぶのを手伝ってくれた。

 気がついてみれば、リクは手ぶらで歩いていた。

 リクが引き摺っていたはずの砂袋は、いつの間にか、今度はソジュンが引っ張っていて、小さなコリンも後ろから袋を、体全身を使って押して、進んでいた。

「もう! マリーとマークがいるんなら、ふたりが運んであげればいいじゃないか! 」

 そうコリンがぶつくさ言うのに対し、お人好しのソジュンは、「でも、おふたりとも、今は休憩中なんですし」と、ふたつをかばった。

 砂袋から解放されたリクは、汗だくになっている ふたりに「ごめんね」と声を掛けた。するとふたりはリクに向いて、声を揃えて「いいんだよ! 」と笑い掛けた。


 ロイヤルスイートの手前の扉を開けて、細い鉄橋を渡って、運転室に辿り着いた砂袋運搬隊すなぶくろうんぱんたいは、 ぐらり とする熱気を全身に吹き付けられた。

 そこではアダムとニックが、シャベルを手に、火室に石炭をくべていたのだった。

「なんでコリンとジェイが運んで来たんだ? 」

アダムは、大粒の汗を、首に掛けた手拭いでぬぐいながら尋ねたが、すぐに「まあいいや。ふたりともありがとな」と感謝を述べた。そして ふたりの背後から現れたリクに、床に転がった例の砂場用バケツを指差して、「これに入るだけ入れてやってくれ」と指示した。

 リクも手伝ってくれたふたりに「ありがとう」と頭を下げた。「ゆっくり休憩してよ」

 しかし人の好いふたりは結局、バケツに砂を詰め込む作業まで付き合ってくれたのだった。

「ささ、コリンさん。マリアちゃん、マルコ君。僕たちは食堂に戻りましょうか」

 バケツを砂で満たしたソジュンは、小さな3人にそう言うと、何度も礼を言うリクに、「先輩として、リクの役に立てて良かったよ」と優しく微笑んで、鉄橋を引き返して行った。

 その後を、「リクの役に立ててヨかった! あっははは! 」「ボクたちも、やっぱり役立った! ひひひ、ひひひ! 」「ふたりは全然手伝っていなかったじゃないか! 」と わいわい 言い合う小さな3人が続いた。

 リクは、汗を服の袖で吸い取りながら、彼らの背中を見送りながら、「ここって賑やかな人ばっかりなんだね」と、つぶやいた。

「そういうのは嫌いか? 」

 リクの言葉に顔を上げたニックが、火室に石炭を放り投げながら聞いた。リクは「ううん」とすぐに首を横に振り、「私は好きだよ」と答えた。

 すると素直じゃない若い炭鉱夫は「けっ」と馬鹿にした様な声を出し、「そりゃあ良かったな」と言い捨て、石炭をシャベルいっぱいにぶち込んだ。

 一方、リクからバケツいっぱいの土を受け取ったポッドは、嬉しそうにフゴフゴと口を鳴らした。そして、これまた おもちゃのプラスチックのスコップで、まるでアイスを食べるみたいに土を大切そうにすくって、唇の分厚い口でめ取り、うっとりと味わって飲み込んだ。

 「この袋はどうすればいいの? 」

 まだたくさんの土が入った砂袋の口を持って、リクが尋ねると、アダムは汗を垂らしながら、「ポッドの足元に置いておいてくれ」と指示した。「俺らがいない時は、マリーとマークがそいつの面倒を見てんだ」そう付け足して、「見ての通りポッドは、そこにはまっちまって動けねえんだから」と、悪戯いたずらっ子の様に笑った。

 「それにしても凄い熱気! マリーとマークはずっとこんなことしてるんだ。大変だね」

 運転席のすぐ下にある鉄橋に腰を落ち着かせたリクは、先輩炭鉱夫ふたりの仕事を見守りながら、そう呟いた。

 アダムとニックも、床に突き立てたシャベルに寄り掛かりながら、ドリンクピッチャーに入った水を、ゴクゴク 音を立てて飲んでいた。

 アダムは、服の袖で乱暴に口を拭うと、「まあ、アイツらは、俺らみたいに、暑さも疲れも全く感じねえんだけどな」とぼんやりと言った。

「それでも、自由な時間が無いのは残酷だろう。だから俺たちは、日に2回、1時間ずつ、こうして業務を交代してやってるんだ」アダムの言葉を引き継いで、ニックが言った。

 アダムと違いニックは、こんな暑さでも未だ へっちゃら と言う様に、さわやかな笑みを浮かべていた。

「それよりも、いちばん心配なのは、ボイラーの熱で、いずれアイツらが燃え尽きちまうんじゃねえかって点だな」アダムは、 ボタボタ とひたいから汗を床に落としながら言うと、足元に積もった石炭の欠片を見つめた。

 リクもアダムの視線を追って欠片を眺めた。 カタカタ と震えるそれは、ゆっくりと、炭水車の方向へとすべって行っていた。

「登り坂か」アダムつぶやく様に言ったのが聞こえた。

「少し休んでたらどうだ? もっと水飲め」汗だくの相棒を心配したニックが声を掛けたが、若い炭鉱夫は黙って首を横に振った。

「しかし──」と、ニックが口を開いた時だった。リクが立ち上がって「私がやる! 」と、威勢良いせいよく言い放ち、アダムからシャベルを奪い取ったのは。

 リクのその行動には、ニックもアダムも、暫く目を丸くしていたが、やがて「ぷくくっ」と噴き出すと、「ああ。ありがとな」と言った。

そうして今度は、アダムが風の当たる鉄橋の柵へともたれ掛かった。そして ふう と安心した様に息をいた。


 炭水車の取り出し口からシャベルで石炭を取り出し、それを火室にくべるという作業を繰り返しながらリクは、きょう1日のことを考えていた。

 今朝、アダムの仇討あだうちとして、指揮官アントワーヌとポーカーをして呆気あっけなく負けてから、リクにとってはこれまでに無い驚きと、疲労の1日だった。もう何日も過ぎ去ってしまった様に感じるけれど、実はまだ1日だって過ぎてないのだ。

 リクはそのことに内心びっくりしつつ、コリンたちが話をしていた、乗客に思考を傾けた。

 人の死をなげき悲しむと言われている、女の妖精 、《泣き女バンシー》──下級寝台車309号室を水びだしにしたカノジョは、一体誰の死を予感して、その涙を流していたのだろうか……

「そう言えば」リクは思い出す。「コリンが言ってなかったっけ? “《泣き女バンシー》は、トニのお気に入りのネクタイを洗っていた”って! 」でも──そこまで思い出して、リクは首をひねった。「それとこれとは何の関係があるんだろう? 」

 石炭を引っ掻きながら、自分の考えに夢中になっていたリクは、「おい! 」と思い切り背中を叩かれるまで、呼ばれている声に気がつかないでいた。

 「わっ! 」とびっくりして振り向くと、そこには、眉間みけんしわを寄せたアントワーヌが腕を組んで立っていた。

「あ、あれ? トニ、どうしたの? 」

 やっと現実の世界に戻ってきたリクが、間抜けな表情でたずねると、派手な色のスーツを着こなした指揮官は、深い溜息をいた。

「全く。上司の呼び掛けを無視するなんて。なんて奴なんだ! 慣れない従業員のことを心配して、俺がわざわざこんな所まで出向いてやったというのに……」そうブツブツ言って首を横に振ると、「仕事はどうだ? やっていけそうか? 」と、真剣な顔になって、新米炭鉱婦に尋ねた。

 リクはアントワーヌの海の様に深い青色の瞳と、火室で燃える炎の様に真っ赤な髪の毛をじっと見つめてから、「大変だけど、楽しいよ。やっていけそう」と、笑顔で答えた。

 その言葉を聞いた指揮官は、今度は安心した様に息を吐くと、クルリと背中を向けて、「実はレアが俺に、お前への伝言を託しているのだ。上司であるこの俺にだぞ! まあ、いい。今晩の食事は食堂ではなくサロンで取るらしい。ささやかながらではあるが、お前の歓迎会とやらをほどこしたいらしい」と言って、ツカツカと歩き出した。それから足元に座り込んでいるアダムに、「レアが今晩の打ち合わせをしたいから、仕事が済んだら部屋に来るようにと言っていた」と言い残して去っていった。

 アダムはその背中を追って何やら叫んでいたが、風のせいか、言葉は聞き取れなかった。

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