第15話『新品作業服と待ちに待ったお昼食』

 アダムの見立て通り、リクたちが再度メルの部屋に戻った時は、作業が丁度終わった頃合いだった。

「いやはや、お待たせして悪かったのう」

 ロバ頭の妖精メルは、リクたちを部屋に招き入れると、そう言って、床のクッションをすすめた。

「いいえ、大丈夫。さっきまでスチュワートたちの仕事を手伝ってたの」

 リクは肉厚のクッションの座り方を思い出しながら、メルに礼儀正しく言った。

 そんなリクを、メルは目を細めながら「そうか そうか。もう仕事をしてきたんじゃな。偉いのう」と褒めた。そして「少し待ってなさい」と言って、天井から吊(つ)るされた布をき分けながら、部屋の奥に消えていった。と思えば、言葉通り、すぐにまた姿を現した。

 「ほれ」と、リクに差し出すメルの片方の手には、アダムたちとおそろいのオーバーオールと、白いシャツを着せられたハンガーが掛かっていた。そしてもう片方の手には、リクの普段着にとこしらえてくれたのだろうか、何着ものシャツとズボン、そしてなんと、くつまでもが積み上げられていた。

 そのどれもが、リクが今まで見てきた服の中でいちばん良い物だった為、メルが「気に入って貰えれば良いんじゃが」と言い終えたのとほとんど同時に、「素敵! ありがとう! ねえ、早速着替えてもいい? 」とさけんでいた。

 リクの予想以上の反応に驚いたのはメルで、2、3度、黒目がちな目をパチクリさせると、口をカパカパ言わせて、「そんなに気に入って貰えるとは! 着て良いかじゃと? もちろんじゃ。これはリクの為の服なんじゃから」と嬉しそうに言った。

「ありがとう! 」

 そう言ってリクは、布がカーテンの様に分厚く密集している、部屋の角へと駆け込み、炭鉱婦としての仕事着に着替えた。

 オーバーオールにぶかぶかのシャツ、足にぴったり合った黒革の靴を履いて現れたリクに、クッションに落ち着くアダムとニックは、口々に感想を言い合い、最終的には口を揃えて「似合ってる」と言った。

 それからアダムは、急に真面目腐まじめくさった顔になり、「改めて。ようこそリク」なんて手を差し伸べたものだから、ニックから笑われていた。


 「また何かあったらここへ来なさい」

 メルは、服を両手いっぱいに抱えたリクに柔らかく言うと、目を細めた。リクもロバ頭の紳士しんしに笑顔を返してうなずいた。

 アダムもメルに「ありがとな」と感謝をし、リクとニックに「さあ、今度は食堂に行って──」と向いた時だった。メルがアダムを引きめた。

「アダム、少し内密に。良いか」

 そうささやかれたアダムは、メルに向かって「ああ、大丈夫だが」と返事をし、首をかしげるリクとニックに、「先に食堂に行っててくれ。ニック。リクにテーブルセッティングを教えてくれ。あと、昼飯も済ませておいてくれ」と指示した。

「ああ、了解した」

 簡素かんそに返事をしたニックは、質問したがりのリクの背中を押して、食堂車へと移動した。


 食堂でリクたちを待っていたのは、美しいウェイトレスのレアだった。

 「メルに作って貰った作業服ね! とっても似合っているわよ」

 きのうの夜と相も変わらず、重たいレースの服に身を包んだ美しいレアは、ニックと一緒に食堂室に現れたリクに駆け寄ると、リクを目一杯 褒めた。

「今度は食堂室の仕事を手伝いに来たよ」

 リクがそう伝えると、レアはパッと花咲く様な笑顔になり、「ありがとう。偉いわねえ! 」と言った。

 それからレアは、ニックに振り向くと、リクに食堂を案内しているうちに、服をリクの部屋まで運んでくる様に言った。

「お願いできるかしら? 」

 レアに聞かれたニックは、あっさり「リクがいいんなら。女の子の部屋だしな」と答えた。

 丸眼鏡以外何にも持ってこなかったリクには、隠す物なんて無かった。

リクはニックを上目遣うわめづかいに見上げながら、「ニックが大変じゃないんなら」と、お願いすることにした。

 ニックに服を預けたリクは、今度はレア背中を押され、食堂の奥設置された、調理室へと案内された。


 調理室でリクを出迎えたのは、今朝リクにサラダを振舞ってくれた、健康的な褐色かっしょくの肌を持つウェイトレスのゾーイと、笑顔が素敵な黒髪の青年だった。「あ、この人が、今朝ゾーイが言っていた新米料理長だね」リクは、白いコック服とコック帽を着こなし切れていない、その青年を見て思った。

 リクが自ら挨拶あいさつするよりも早く、しっかり者のレアが、青年にリクを紹介してくれた。

「リクよ。きのう汽車に乗車してきて、今朝からアディたちと一緒に、炭鉱婦たんこうふとして働いているの。それでこっちが──」

「“ソジュン”だよ。みんなからは“ジェイ”って呼ばれてる。ここでは、一応“コック” ──彼はこの単語をかなりか細い声で言った──として働かせてもらってるんだけど、雇ってもらって、まだ日にちが浅いんだ。料理だって全然してこなかったしね。まだまだ修行中の身だけど、君の先輩として、役に立てることがあればいいな。よろしくね、リク」

 レアから視線を受け取った“ソジュン”は、優しい声で丁寧に、リクに対して自己紹介をした。

 そんな彼の対応に、リクはすっかり感動して、「こ、こちらこそ、よろしく! 」と、大きな声で返事をしてしまった。


 調理室のことは、料理長よりもウェイトレスたちの方がよく知っていた。ソジュンは後ろからふたりの説明にうなずくばかりで──時々唸うなり声を上げてメモさえ取っていた──、リクは内心「ここでのご飯の味は、期待できないな」と思った。

 レアの説明は優柔不断ゆうじゅうふだんだった。「まずは、基本的な場所から説明するわね! 」と宣言した割には、「ちなみに」を連呼れんこし、お気に入りの場所に至っては、3分以上も時間を掛けて説明するといった有様だった。

「ここがカップ置き場。たくさんあるから、好きに使っていいのよ。ただし、この猫ちゃんのカップは、いくらリクでも使っては駄目よ! このカップはね、すっごくお気に入りのカップで、私でさえ使ってないのだから。トニには、“そんなに大切なら自分の部屋にでも飾っておけ! ”なんて言われたのだけれど、そうじゃないのよ! このカップはね、たくさんの人に見られてこそ、輝きを放つのだから! わかるでしょう? 」

 一方でゾーイの説明は非常に分かりやすく簡潔なものだった。

「シンクの周りには色々な物があるの。例えばまな板。たくさんあるけど、食材や用途ようとによって使い分けてる。で、手前の扉の中には、タッパーたち。ミカなんかは、よくここにあるタッパーにご飯を詰めて部屋に持ち帰ってる。そして、下の扉に入っているのは、み台。コリンは小さいからね。これが無きゃ駄目なの」

 調理室の簡単な説明が終わる頃には、ニックも食堂に帰ってきていた。

 ニックはリクに右手を上げながら、「ベッドの上に重ねたんだが、それでよかったか? 」と聞いた。

 リクがニックの問いに答える間もなくレアが、「調理室の大まかなことは伝えておいたから、テーブルセッティングについては、ニックがお願いね」と言った。それからリクに向き直ると、「これから私たちはお昼の準備に取り掛からなくちゃいけないのよ。本っ当に、信じられないぐらいの人数が乗っているんだもの! だから、頑張りましょう、リク」と優しく微笑んだ。


 レアたちが昼食の支度したくを始めたのと同じに、ニックによるテーブルセッティングの研修も開始された。

 ニックの説明は不安になるぐらい丁寧だった。

汚れたテーブルを布巾でぬぐって、カトラリー(食卓用金物しょくたくようかなもの:ナイフ・フォーク・スプーンの総称)セットの入ったケースを交換(こうかん)し、椅子をきちんと元通りにする、という、ただこれだけの簡単な作業を、何度も何度も、嫌になるほど繰り返し説明した。

「それで、テーブルを拭いた後は──」

「ケースを取り換えるんでしょ」

「そう。それから──」

「椅子を並べ直す! 」

「凄いじゃないかリク! 覚えが早いな」

「そりゃあ8回も繰り返したら、誰でも覚えると思うよ」

 4つ目の椅子を揃えながらリクが言うと、ニックは「いや、そうでもないさ」と首を横に振った。そしてほおに笑いを含みながら、「アダムなんか、この作業を3日やって、やっと覚えられたんだからな」と言った。

 その言葉に驚いたのはリクで、首を振りながら「本当に⁉ 掃除の時なんかはあんなキビキビしてたのに! 」と大きな声で言った。

「ああ、本当だ」とニック。「掃除だって、ゾーイが何週間も、根気よく教えてやったんだぞ? 」と右眉みぎまゆを クイ と上げた。

 リクが「へえ」と漏らしたのと同時に、背後から「そうそう」と頷く声が聞こえた。

 振り返ると、そこには、料理を乗せた皿を持ったゾーイが立っていた。彼女は、リクたちを4人掛けのテーブルに座らせると、「どうぞ。お腹空いたでしょ? 」と皿をふたりの前に並べた。

 そして自分も椅子に腰を下ろすと、リクに向いて、「アダムは本当に手がかかる子だったの。何にもしたことがなくってね」丁度うちの新米料理長みたいに、と笑った。

 リクは皿に乗ったキッシュを見下ろしながら、「何にもしたことないって? 」と尋ねた。

 リクの視線に気がついたゾーイは、微笑みながら、「それはレアが作ったものだから。美味しいよ」と、ふたりを安心させた。そして、「裕福な家庭で育ったってこと。それも人並み以上の。面倒なことはなんでも人がやってくれちゃう」と、続けて リクの質問に答えた。

 キッシュを口一杯に詰め込んだリクは、「レアって料理上手なんだね。美味しい」とモゾモゾ言って、口の中のものを飲み込んだ。それから、「アダムたちったら羨ましい。私の家なんかじゃ、週末ごとにお母さんが、“部屋の掃除をしなさい”だとか、“上履きを洗いなさい”とか言ってくるよ」と、口をとがらせて言った。

 その言葉を聞いたニックとゾーイは、お互いに顔を見合わせてからニッコリと笑って、リクに、「そうだね。でも、その普通の生活が、実はいちばん幸せだったりするのかも」と言った。

 ゾーイの言葉に、リクはふた切れ目のキッシュを詰め込みながら首を傾げた。が、穏やかなふたりの顔を見比べて、疑問を口にする代わりに、「なんだかニックとゾーイって、親みたいだね」と、モゴモゴ言った。「何でも知ってるって感じ」

 そう言って、ふた切れ目をじっくり味わうリクの頭上から、突然、白い腕が ニュっと 伸びてきて、皿でリクを待っていた3切れ目を ヒョイ と持ち去ってしまった。

 「わっ」

 驚いたリクが、腕の消えた方を振り向くと、そこには、リクのキッシュを満足気に頬張ほおばるアダムが立っていた。

 若い炭鉱夫は、怒りに震えるリクの頭にひじを掛け、目の前に座るニックとゾーイに、「何にもしたことねえボンボンで悪かったな」と意地悪く言った。

 それから腕の下にいたリクに、「そろそろお客人が、めしを食いに駆け込んでくるんだ。さっさと食べて、テーブルも綺麗にしとけよ」と命令し、調理室の方へ、えらそうに歩いて行った。

 その背中をにらみ付けて、リクは、「ううううう! 」と犬の様にうなって、ニックとゾーイに「が本当に、裕福な家庭で育った人間なの! 」と怒鳴った。

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