第13話『泣き女とびしょ濡れの部屋』

 その男の子は、それはもう小さく、頭のてっぺんがリクの太腿ふとももぐらいだった。しかし赤ん坊という訳ではない。正真正銘、男の子なのだ。

 リクは口を半開きにして固まっていたが、男の子の方も、リクを見つけて驚いている様子だった。

「その子、誰? 新しい子? 」

 男の子はリクを指差しながら、アダムを見上げて聞いた。

「ああ。リクっていうんだ。きのうここにきて、きょうから俺らと一緒に、炭鉱婦として働いてる」アダムが簡単に説明してくれているのを聞いて はっ としたリクは、勇気を振り絞って身をかがめると、「リクです。よろしく」と、できる限り自然に挨拶あいさつをした。

 すると男の子も、愛嬌かいきょうの良い可愛い笑顔をリクに見せた。そして、小さな 小さな手をリクに差し出し、「“コリン”だよ。よろしくね、リク」と、丁寧に自己紹介をした。

 どうやらこのコリン、凄く体が小さいというだけで、普通の男の子の様だ。リクはすっかりほっとした気持ちになって、差し出された手を優しく握り返した。

「僕はここでスチュワートとして働いているんだ。そこにいるミカと一緒にね」

 そう付け足し説明するコリンの服は、確かにミハイルのものと同じだった。ただ、もっとずっと小さいのだが。

 一通り自己紹介を終えたリクたちを見て、改めてニックが、「何があったんだ? 」と、今度はコリンにたずねた。すると、ミハイルよりずっと体は小さいのに、ミハイルよりも少ししっかり者のコリンは、不器用に、けさ起こった事件のことを教えてくれた。


「あのね、事件のはじまりなんだけど、きのうのお昼間からはじまったんだ」

 コリンの話によると、リクがこの汽車に乗り込むずっと前、青い男が現れるだいぶ前、稲荷神社にそこら辺でんだ花をお供えする少し前、新刊書店雨蛙しんかんしょてんあまがえるで店主ウスイと話し終えるちょっと前、汽車は日本海を元気に走っていた。

「アダムがそろそろまた停車するぞって教えてくれたでしょ? だから僕たち、すっごく張り切っちゃって、お客さんへ、お土産でも買っちゃおうかって話していたんだ」

 だからコリンとミハイルのふたりは、メモを持って、ここ、下級寝台かきゅうしんだいまで駆けつけた。

「その時、他のお客さんから、新しいお客がいるよって聞いたんだ。厄介やっかいなのが来たよって」

「“厄介なの”? 」

「そう」

 リクが言葉を繰り返すと、コリンが小さな体をひるがえしてうなずいた。

「僕たちはすぐにそのお客さんに会いに行ったんだ。スチュワートは、おもてなしが大切だ、って、アントワーヌから口太くちふ言われているからね」

 “口太っとく”? リクは首をかしげた。「口酸くちすかな? 」リクがコリンに言うと、小さなスチュワートは「まあ、そんなは、今はいいんだよ! 」と早口に言い返した。リクはまた首を傾げた。「“言葉狩り”なんて、私したかな? 」

 「とにかく、僕とミカはね、そのお客を探すことにしたんだ。そしたらね、いたんだよ。この部屋に! 」

 その客は空き部屋を見つけると、早速そこにいついてしまったらしい。普通の人間からすれば、それはとっても非常識で、迷惑な行為だ。が、コリンたちが相手にしている“客”は、妖精や幽霊たちなのだ。普通や常識なんてちっぽけなものは通じない。

「自由に振舞うことこそが、カレらの普通であり、常識だからな」アダムが言った。

「まあそれは置いておいて、そのお客さんの正体が大問題だったんだ! 」と、コリン。

「大問題? 」

 リクがまたコリンの言葉を復唱すると、今度はコリンの代わりにミハイルが口を開いた。

「《泣き女バンシー》だった」

「《泣き女バンシー》? なにそれ」

 その疑問はリクだけのものでは無かった。他の炭鉱夫ふたりも、ミハイルの顔を見つめた。

 一方、無表情のスチュワートは、好奇心旺盛こうきしんおうせいな6つの瞳を、ひとつひとつゆっくり確認して、説明を始めた。

「《泣き女バンシー》はね、人が死んじゃうのを悲しんでるの。死んじゃうよう って、泣いてあげてるの。だからね、近いうちに、ここの中にいる誰か、死んじゃうね」

 ミハイルは、きょとんと言うと、ちょこんと首を傾げた。

「えっ」

 説明を受けた一同は、揃って驚きの声を上げた。

「おいおいおい、“死んじゃうって”──簡単に言ってくれたがよお。ま、まじかよ……だ、誰が」

 震える声でそう尋ねたアダムに、相変わらずの表情でミハイルは、「それは、分からない。もしかしたら、お客の誰かかも。コリンかも。ぜんぜん違うかも」と冷静に答えた。「でも、カノジョたちはいい妖精だからね」

 リク、アダム、ニックの3人が下を向いてしまった時だった。コリンがその視界に ズカズカ と入り込んできて、「問題はそこじゃないんだ! 」と言ったのは。

「君たち、《泣き女バンシー》たちが、ずっと泣き続けるんだってこと知ってる? もうそれはすごい大泣き虫でね。僕たちが部屋の扉を開けた時には、いったいが涙でいっぱいだったんだから! まるでのみたいだったんだよ! 」

 コリンの言う“裏庭の池”というのが、どこのことを指しているのかは誰にも分からなかったが、とにかくひど有様ありさまであったらしい。

「僕たちカノジョに言ったんだ。床が抜けちゃうから、そんなに泣かないでよ って! でも、カノジョ、全然泣き止んでくれなくって、しかもついさっきまで汽車から降りてもくれなかったんだ! 」

 《泣き女バンシー》は華奢きゃしゃな肩を震わせながら、自分の流した涙でひたすらに何かを洗っていた。「確か、トニのお気に入りのネクタイだった気がするけど。あんまりにもびしょびしょだったから、カノジョがいなくなった後すぐに捨てちゃったよ」

 《泣き女バンシー》がいなくなった後、コリンとミハイルは再度部屋を確認した。もうすっかり涙は乾ききっていたものの、長時間塩水に浸かっていた、部屋の床や壁の木は、ボロボロにがれ、床に細かい粉の山を積もらせ、かと思えば鋭いささくれを至る所に立たせていたのだった。

 「それは、災難だったね」

 リクが言うと、コリンは部屋を指差して、「実はまだ、何にも解決していないんだ! 」と、堂々と言い放った。

「とりあえず床の粉だけは、なんとかしなくちゃって思って、ミカに、小さい箒を持って来てって頼んだんだ。なのにミカったら、大きいのを持ってきちゃうし! 」

 コリンの言葉を聞いても、ミハイルは表情を変えずに、「だって、ボクにとっては、小さいから」と返した。

 それに怒ったのはコリンで、「はね! はね、この世にある大体の物は大きいんだ! 」と大声でわめいた。

 しかしすぐに気を取り直して、リクたちに向くと、「だからさ、きょうの掃除は大変なんだよ。もちろん、手伝ってくれるんだよね? 」と、聞いてきた。

 リクは、アダムが目頭を強く押さえながら、深い溜息をくのを視界のはじとらえた。

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