第12話『新米炭鉱婦と大変なスチュワートズ』

 リクはアダムの後を追いかけながら、通り過ぎた車両の数を数えていた。

 4号車を抜けたあたりで、リクは隣を歩くニックにたずねた。

「ねえ、アダムはどこに向かってるの? 掃除しに行く って、どこに? 」

 するとニックはリクの為に身をかがめながら、「倉庫室だよ。行きたくないがな。掃除用具がそこに収納されてるんだ」と言った。

「倉庫室⁉ 」

 ニックが残念がる一方で、リクは胸をときめかせていた。「いつか見てみたいって思ってたの! 」

 そう言うリクに、先陣を切るアダムが ふんっ と鼻を鳴らした。

「まったく変わってるぜ。ほんっと、“イチ”にそっくりだ! 」

「あ、また! だから、“イチ”って何? 」

 アダムの言葉に、リクが突っかかった頃、3人は6号車の倉庫室に到着した。

「ここが倉庫室だ」

 そう紹介しながら、アダムは、リクたちが部屋に入ってくるまで貫通扉かんつうとびらを押さえていてくれていた。


 倉庫室は、リクが想像していたものよりも、もっとずっと、すっきりとしたものだった。それは恐らく、ニックが打ちつけたという木の壁のお陰だろう。

 壁は貫通扉を開けたすぐ隣から、向こう側の扉の方まで続いていて、その両端についた引き戸が無ければ、幅の広い、清潔な廊下としか思えないだろう。

「それで、掃除用具入れはどこ? 」

 リクが尋ねると、ニックが壁を指差した。「この中だ」

「この中なんだね! わあ、楽しみ! 」

「あのなあ……そんな面白えもんじゃねえぞ」

 まるで宝箱を開ける時かの様に、目を輝かせるリクに、アダムはまゆをひそめて言った。

 そして「じゃあ、開けるぞ」と、自分に言い聞かせるみたいにつぶやくと、扉を引いた。が、この扉、建てつけが悪いらしく、アダムがどんなに引いてもガタンガタンという大きな音を立てるだけで、ちっとも開いた様子を見せなかった。

「誰だよ! いちばん最後に閉めた奴! くそっ」そう言いながら若い炭鉱夫は、暫く扉相手に格闘していたが、ついに指の痛みに負け、溜息を吐いた。

「駄目だ。もう一個のドアから入ろう」

 そう言った時だった。

 ずっと後ろで見守っていた大男のニックが、 ノッシノッシ と歩み出てきて扉を掴むと、いとも簡単に言うことを聞かせてしまったのだ。

 アダムもリクも目を丸くして、この男を見上げると、ニックはまた温和な表情を浮かべて、「扉が奥に入りすぎていたみたいだ。これでもう大丈夫だ」と、おだやかに言った。

「にしても、誰がこんなことを」

 アダムはまた先陣を切って倉庫室に足をみ入れながら、愚痴ぐちの様にこぼした。

「きっと“ミカ”だろうな」

 アダムの後に続いて倉庫室に入って行ったニックが言った。

 ニックの言葉に、アダムはぶつくさと、「くそう、あの大食いめえ」と言ったが、本当に怒っているのではなさそうだった。

 リクもふたりの後を追いながら、「ねえ、“ミカ”って? 」と聞いた。が、答えの代わりに返ってきたのは、アダムの不機嫌そうな顔だった。

「リクってさ、いちいち質問しないと気が済まない性格なの? 」

 倉庫室から顔を覗かせたアダムはそう言って、リクに手招きをした。「早く来いよ。楽しみにしてたんだろ? 倉庫室」

「あ、うん! お邪魔します」

 リクはアダムに急かされるまま、倉庫室に入った。


 倉庫室は、なんだか少し蒸し暑く、ほこりっぽい空気が漂っていた。おまけに、昼間だというのに何故か真っ暗闇で、廊下から差し込んでくる光が無ければ、何も見えなくなってしまうだろう。

 リクが丸眼鏡の つる をまみ、真っ暗な室内を見渡そうとしたその時、視界がパッと明るくなった。

 「ここじゃあ、これが無きゃ駄目なんだ」

 そう言ったアダムが握っていたのは、小型の懐中電灯だった。アダムはその明かりで、目の前にある細い扉を照らした。

「あれが掃除用具入れ」

 そう言うと、アダムはリクの前で手を横に動かした。どうやら、リクに開けろと言っているらしい。

 リクが懐中電灯に照らされながら、掃除用具入れの扉の取っ手に手を掛けると、後ろからアダムに「ドアがかたいから気をつけろよ」と声を掛けられた。

「確かに! 」リクは試しに取っ手を引っ張ってみて、そう言った。

 この掃除用具入れは、だいぶ頑丈な物であるらしく、扉を厚く作っているみたいだ。リクが全身を使って引いても、グググ グググと擦れるような振動が伝わってくるだけで、手応えが掴めない。

「もう! 」リクは素直じゃない扉にだんだんイライラしてきて、スリッパを放り出し、素足を扉の両脇に掛けると、「えいっ! 」と、今度は取っ手にぶら下がる様にして勢い良く引っ張った。

 すると扉は すぽん と気持ちの良い音を立てて開き、バランスを崩したリクはそのまま情けなく、尻餅しりもちをついた。

 「痛ったあ! 」と言うリクを見て、アダムもニックもすぐさま駆け付けてきた。そしてニックは床に転がったリクを拾い起しながら、「大丈夫か? 」と聞いてきて、アダムは「だから気をつけろよって言ったのに」と眉を下げて言った。

 リクはお尻を擦りながら起き上がると、ふたりに「開いたよ! 」と報告した。すると先輩炭鉱夫ふたりは、顔を見合わせ、揃って小さく肩をすくませると、リクに温かい笑顔を向けてくれた。


 リクたち3人は、それぞれ多種多様な掃除道具を抱えて、廊下をまた歩き出した。

 「どこに向かってるの? 」と問いかけるリクにアダムが、「目的地は無え。探してんだよ」と答えた。

「何を? 」と続けて問うと、今度はニックがリクに、「人をだ」と答えた。

「誰を? 」と、また質問するリクに、アダムが眉間みけんしわを寄せながら、「あの倉庫を、最後に閉めた奴をだよ! 掃除道具が何個か無かっただろうが! 」と不機嫌に答えた。

 たくさんのタワシとスポンジが入った、鉄のバケツを胸に抱え、はたきをジーンズの尻ポケットに挟み込んでいたリクは、アダムの言葉に口をとがらせながら、「はじめて見る用具入れなんだから、元々の数なんて知らないに決まってるでしょ! 」と文句を言った。

 するとリクの後ろを歩いていたニックから「そりゃそうだ」と声が上がった。

「でしょ! 」リクがもう一度アダムに訴えかけると、ほうきの束を抱えた若い炭鉱夫は、耳まで赤く染めて、ふん と鼻から息を押し出し、そっぽを向いてしまった。


 倉庫の扉を外した人物は、客車の一番奥、客が宿泊する、下級寝台の廊下の端っこに立っていた。

 絹の様に滑らかな黄土色おうどいろの髪の毛を、目元まで伸ばした、息を飲むほどに美しい青年だった。

 「おい、“ミカ”! また倉庫室の扉、乱暴に閉めただろ! 」

 アダムは、ぼんやりと一点を見つめ続ける青年に、そう怒鳴った。

 “ミカ”と呼ばれたその青年は、柔らかい髪の毛を揺らしながらこちらに振り向くと、顔に何の感情も表さないまま「おはよう」とだけ言った。

 「おはよう、じゃねえよ」アダムはそう言いながら青年の元へと歩いて行きながら、リクに彼を紹介してくれた。

「あいつが、リクが知りたがってた“ミカ”だよ」

「本当の名は“ミハイル”というんだ」ニックが付け足した。

「“ミカ”は渾名あだなな。そっちのが呼びやすいだろ」

 アダムとニックによる説明が終わる頃には、リクたちは、ミハイルの目の前に到着していた。

 リクはミハイルの綺麗な顔を覗き込むと、思い切って自分から、手を差し出してみた。

「リクです。よろしく、ミカ! 」

 するとミハイルは、緑色と栗色の、それぞれ色が異なる両方の瞳で、リクをまじまじ見つめると、やはり何も表現しない顔で「よろしく、ミカ」とだけ言った。

「ミカは自分の名前でしょ? 私はリクだよ」

 リクが首を傾げると、横からアダムが、「ミカは変わってるんだ」と簡単に説明した。

 リクは未だ眉を下げながらも「うん」と頷いて、改めて、このへんてこな彼を見た。

 ミハイルの美しさは、間近で見るとより一層感じられた。うるおった大きな目、筋の通った鼻、ほんのりピンク色に色づくくちびる。すべてが恐ろしいぐらい完璧で、リクは、「おんなじ人間とは思えない! 」とさえ思った。そしてそれと同時に、「なんだかとても違和感がある」とも感じていた。

「ん? 」その時、ミハイルの黄土色の髪の間から、彼の耳が覗いた。

「あっ」ミハイルの耳を見たリクは、そう声を漏らした。

 ミハイルの耳は、人間のそのものではなかったのだ。耳朶みみたぶが無く、すうっ と細長く上に伸び、先端がするどく尖がっていた。リクが小さいころ、読んだ本の挿絵さしええがかれていた、妖精の耳とそっくりだったのだ。

 そしてリクは、ミハイルの顔に対しての違和感を、やっと突き止めた。

「ミカ、顔色が、なんだか緑に見えるんだけど」

 そう、ミハイルのきめ細かな真っ白な肌は、健康的な赤い血液の色ではなく、不自然な緑色を透かしていたのだった。

 リクから肌の色を指摘されたミハイルは、尚も表情を崩さずに、ぼんやりと頷くと、「ボク、変身、へた」と、たどたどしく言った。

「へ、変身? 」

 リクが「なにそれ」とミハイルに聞き返すと、モップの束とゴミ袋を床に降ろしたニックが、代わりに答えた。

「ミカも妖精なんだ。《入れ替わりの精チェンジリング》という妖精でな。この汽車では、スチュワートとして働いている」

 少々おっとりしているミハイルではあるが、瑠璃紺色るりこんいろの上等なスーツに身を包んでおり、スチュワートらしいことは確かだった。

しかしリクが気になったのはその点ではなく、やはり──……

「《入れ替わりの精チェンジリング》⁉ ……って──あっ! 」リクはそこまで言って、ある会話を思い出した。

 リクがこの汽車に乗ってきた夜。サロンで、アントワーヌとレアが口喧嘩くちげんかをしていた時のものだ。

「確か、トニは《入れ替わりの精チェンジリング》は、最低な妖精だって言ってたっけ」そう口に出しそうになって、リクは何とか堪えた。

 リクの考えていたことを察したのであろうか。ニックと同様に、箒を床に投げ捨てたアダムが、リクに指を差し、警告する様に首を横に振った。

 「それにしても──」ふたりの様子を全く気にないニックが、ミハイルに向いて話し掛けた。「ミカは、ここで何してるんだ? 」

「そう言えば」

 ミハイルは、先程からずっと突っ立ったまま、閉まった部屋の扉を見つめているのだ。

「スチュワートって、お客様のお世話する人だよね? どうかしたの? トラブルとか」

 身長こそリクよりずっと大きいが、ずっと幼い感じのするミハイルに、リクは優しい声で尋ねた。

 するとミハイルが答えるよりも早く、部屋の扉が開き、中から 小さな小さな男の子 が出てきた。

そしてアダムとニックを見つけると、男の子は安堵あんどの表情を浮かべて、「ああ、ふたりとも! やっと来てくれた! 」と叫んだ。

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