第9話『無敗記録と運命のビギナーズラック』

 リクはアダムに手を引かれ、彼が座っていた椅子まで案内された。

その途中でレアがアダムに、「ちょっと、あんた正気⁉ トニの実力を忘れたわけじゃないわよね? トニはポーカーで 一度も 負けたことがないのよ! 」と怒鳴っていたのだが、その言葉は、リクの耳には届いていなかった。

 リクはただ、目の前に座るアントワーヌを見つめていた。美しい赤い髪の毛を持つその男は、リクなど敵にもならないと言う様に、テーブルにひじをついて窓の外に広がる大海を眺めていた。そしてその格好のまま、「ディーラーはリクが好きに指定していい」とだけ言った。

 リクはゆっくり頷き、慎重に、「レアで」と言った。

「リクう! 信じていたわ! 」と飛び跳ねたのはレアで、リクに抱きつかんばかりであったが、緊張の雰囲気を察して、「分かったわ」と、冷静に付け足した。

 カードを切るのは、リクとアントワーヌのふたりで行った。お互いが不正を働かない様にだ。

 アントワーヌは、自身が最初にカードを切った後、リクにもカードをよく混ぜる様に命じた。リクは勿論その通りにし、よく切ったカードを真剣な面持ちで、差し出されたレアの手の平に乗せた。

 そして「お願いします」とアントワーヌに声を掛けた。

一方、アントワーヌは、何を願われたのか理解できなかったらしく、「あ、ああ……? 」と間抜けな相槌あいづちを打った。


 リクの手元には、2種類のおもちゃのコインが積んであった。小さいコインが10枚、大きいコインが3枚だ。

「そのコインを取り合うんだ。賭けられるコインが無くなった時点で負け。大きなコインは小さいコイン3枚分とする」

 アントワーヌはそう説明すると、前のめりになって、固いリクの表情をのぞき込んだ。

「賭けるモノを提示し合おうじゃないか。お前は俺に何を望む? 」

 そう言われたリクは、「アダムの──」とつぶやいた。「アダムの、コイン30枚を、返してもらう……」

 それを聞いたアントワーヌはわざとらしく溜息をいて、「おいおい」と言いながら首を横に振った。

「それじゃあ、リクは得をしないじゃないか。もっと大胆な賭けにしよう」

 アントワーヌはそう言い、アダムから奪い取ったコイン30枚を、リクの目の前に重ねた。そして派手なスーツのポケットから、紙きれを取り出して、数字を書き込むと、30枚の上に乗せた。

 リクがその用紙を手に取って見ると、ゼロのたくさんついた数字があった。

「これは? 」

 リクが聞くと、アントワーヌは片方の口角をキッと引き上げ、「俺の全財産だ」と言い放った。

 それを聞いた従業員たちは、早足にリクの持った用紙を覗きに行った。そして、誰ひとり例外なく、ひと悲鳴を上げると、指揮官の顔を呆然と眺めた。

 指揮官は相変わらず肘をついたままで、「お前が勝ったらそれはお前のものだ。ひとりで使い切るなり仲間に配るなり、好きに使えばいい」と簡単に言い切った。「しかし──」

「俺が勝ったら、お前をここの従業員として雇い、俺の部下として働いて貰う。文句は無いだろう? 」

「え、え、うん」

 尻込みしたのはリクの方だった。このアントワーヌは、何があっても負ける気がしないらしい。リクは見たことも無い金額に、目をパチクリさせながら、レアから配られた2枚のカードを確認した。

「では、ゆっくりいこうか」

 アントワーヌはそう言って、不敵な笑みを浮かべた。



 結果から言うと、リクはアントワーヌに惨敗ざんぱいだった。

気持ちが良いほどの負けだった。


 アントワーヌのプレイスタイルは、まさに勝負師のそれだった。

 彼は、リクの表情を巧みに読み取り、ある時は賭け金を大胆に吊り上げ、またある時にはあっさりゲームを降りてしまう。それに翻弄ほんろうされたリクのコインは、減っていく一方であった。

 そして遂に、リクのコインは底を尽きてしまった。リクは「どうしてえ」と力無く項垂うなだれた。

 落ち込むリクとは裏腹に、コインを自分の前にうず高く積み上げたアントワーヌは、憎たらしく言った。「お前は 賭け というものを知らない」

「いいか。ポーカーは精神のゲームでもあるんだ。良い手札が来たからといって能天気に表情を明るくして、その時だけ賭け金を振舞っている様では勝てない。負け戦だと知って、そんな賭け、誰も乗らない。だろう? 」

「それは、確かに──」

「このゲームで大切なのは、良い手札が来た時に、相手に降ろフォールドされないこと。それでいて、いかに多くのコインを賭けさせるか、ということ。勝負所を見極めるんだ。その為には、自分の持ち札より相手の顔を見ろ。相手のプレイスタイルを観察しろ。全てはそこにある」

 アントワーヌはそうリクに忠告すると、「さて──」と言って、脚を組んだ。

「素人相手とはいえ、賭けは賭けだ。リク、お前には俺の部下として働いて貰う。担当部署は、そうだなあ──」アントワーヌは、食堂に集う従業員たちの顔を見渡し、意地の悪い表情を作って言った。

 「“炭鉱婦たんこうふ”として働いて貰おうか」

「炭鉱夫⁉ 冗談でしょう? 」

 リクより最初に反応したのはレアで、カードの乗ったテーブルを両手で バンっ と叩いた。

「女の子には絶対無理よ! 絶対絶対無理! 」

 そう訴えるレアの手を、アントワーヌは払い除け、「アダムとニックだけでは、またこういう馬鹿なことをやりかねない。3人もいれば仕事の分担もしやすい。そうだろう? 」と説得した。

 それから炭鉱夫ふたりを見比べて、「お前たちはどう思う? 」とたずねた。

 アダムとニックは顔を見合わせて肩をすくめ合うと、「俺らはその意見に賛成だね。人手は多いに越したことは無い」と答えた。

 「ちょっと! 」と大声を出しかけたレアをおさえたのはゾーイで、彼女は静かな声で「お互いが納得してやった賭けの結果なんだから。それに、決めるのはリリイじゃなくて、リクでしょ。違う? 」と言い聞かせた。

 そしてリクに顔を向けると、「リクはどう? “炭鉱婦”、やってみたい? 」と聞いた。

「まあ断る選択肢は無いがな」と、アントワーヌが言ったのを、レアが睨み付け、「嫌なら嫌って言っていいのよ」と、リクに声を掛けた。

 しかしそんなことを聞かれても、リクは、“炭鉱婦”が何をする仕事なのかをよく理解していなかったし、アントワーヌの言う通り、拒否権なんて持っていないのだ。最初から、リクの答えは決まっていた。

「うん、やる! 」

 リクの答えにほっとした顔を見せたのは炭鉱夫ふたりで、アダムは「よく言った! 」とリクの肩に手を置くと、「コイン30枚失ったのは痛かったが、新たな人員を獲得したんだって思えばへでもねえぜ」と調子の良いことを言った。

 アダムの後ろに立っていた大男のニックも、改めてリクと固い握手を交わすと、リクを少しでも安心させるためか、「大変な仕事ではあるが、その分やりがいのある、良い職だ」と言った。

 リクもふたりに笑顔で「よろしく」とは言いつつも、「ニックの言う通りに、本当になら、コインを賭けてまで、仕事の量の多さを指揮官に訴えることなんてあるのかな? 」と不安に思った。


 しばらくのざわめきが過ぎた後、ひとり静かに状況を見つめていたアントワーヌが指を鳴らした。

 リクたちがその音に指揮官を振り返ると、相変わらず脚を組んだままのアントワーヌが、自身の従業員たちに、テキパキと指示を飛ばし始めた。

「遊びは終わりだ。各自持ち場について仕事を開始しろ。時間を無駄にするな」

 そう言って、アントワーヌは立ち上がると、真っ青な瞳でリクを見つめた。

「俺の見込みは間違っていないはずだ。お前はきっとこの仕事が気に入るだろう」そう言うと、今度はアダムに顔を向け、「仕事着が必要だ。まずは“メル”の部屋を訪ねる様に」と命令した。

「“メル”? 」リクが首を傾げている間に、レアとゾーイは──特にレアは──名残惜なごりおしそうに調理室へと姿を消し、アントワーヌも サっと 体の向きを変えると、食堂から出て行ってしまった。


 食堂に取り残された炭鉱夫たち3人は、ぼんやりみんなを見送ると、「よし」というアダムの掛け声で動き始めた。

「まずは“メル”に会っておかねえとな」

「だから、“メル”って? 」

「ここの、所謂いわゆる、衣装係をされている方だ。俺たちが着ているこの服も、“ファブリ”さんが作ったものだ」

「“ファブリさん”? 」

「だから“メル”のことだって! 」

 ちんぷんかんぷんなリクに、アダムは大きな声で言うと、「とにかく、行くぞ! 」と先陣を切って歩き出した。その後に、リク、ニックと続き、食堂から退出した。

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