第6話『新たな朝とひねくれ妖精』

 がたん! と体が浮いて、リクは目を覚ました。

「ここは──……? 」

 頭上から降り注ぐ白色の光が、狭い無機質な部屋を照らしていた。白い壁に小さな木のデスク、緑色のポールハンガー、リクが寝ているふかふかのベッド。相変わらず部屋全体はガタガタと揺れている。

「ここは! 」

 リクは掛け布団をぎ取り、上半身をバネの様に ビヨン と跳ね起こした。それから何回も、手の平でまぶたを擦って、ようやくリクは、こう言った。

「夢じゃ……なかった! 」

 きのう起きた全ては、夢ではなかったのだ!しかし、リクの日常は、一体全体どこからおかしくなったんだろう? そう考えるリクの記憶に鮮明に映し出されるのは、やはりあの、青い男だった。そして彼さえも、現実だったのだと知って、ブルっと震え上がった。

「あれだけは夢であって欲しかったなあ」

 小さく漏らして、リクはベッドから床に降りると、デスクの上に置いてあった丸眼鏡を掛けた。そして、ベッドの下にスリッパを見つけた。

 木目の目立つ床は、お日様に照らされてポカポカと温かったが、ここが汽車の中で、裸足で歩くことは行儀が悪いことだと、リクは知っていたのだ。

 リクはスリッパに足を滑り込ませると、部屋の引き込み戸を開いて、廊下に出た。

 そして、長い廊下を左右に見渡しながら、「今度はどこに運び込まれちゃったんだろう」とつぶやいた。

 リクが目を覚ましたその部屋は、きのうリクが寝かされていた、ピアノの置かれた部屋ではなかったのだ。そこは、ビジネスホテルの一室の様な、小さな個室だった。

 リクがそうっと扉を閉めようと手を後ろに回そうとすると、汽車がまた がたん! と跳ねた。リクは目の前の壁まで飛ばされた。

 壁に手をついて見上げると、大きな四角い窓があった。窓は廊下の続く限り、横一列に張られていて、その向こうには、きのうと変わらず広大な海が広がっていた。きのうと違うところといえば、きょうの海は明るい、昼間の海だということだけだ。

 高くのぼった太陽に照らされた海は、空と同じに、晴れ渡った青色をしていた。

「私、とんでもないところに来ちゃった」

 リクはしばらくの間、そうやって海を眺めていて、あることに気がついた。

「あれ? あれ、あれ! 線路がある! 」

 そう。きのうは見えなかった線路があったのだ! 透明なプラスチックの様にキラキラ輝く線路が、海面を覆いつくす様に、四方八方に延びていたのだった。

「まさに蜘蛛くもの巣! 」リクは目をぱちくりさせながら言った。

 どうやら、先程から がたん、がたん と激しく揺れるのは、線路が何重にも重なっている為らしい。

 リクがまた ポカン と窓の外を眺めていた時、どこからか、人の話し声と、美味しそうな匂いが漂ってきた。

 お腹が無意識に ぐう という音を立てた。リクは、きのうのお昼から何も食べていないことに、気がついた。

「こんな時でもお無かった空くんだなあ」と、また誰にでもなく話し掛けて、リクはきょろきょろと首と鼻を動かした。「あっちだ! 」


 リクが扉を開けた先にあったのは、椅子とテーブルが規則正しく並んだ食堂だった。食堂には4人掛けのテーブルと、ふたり掛けのテーブルが4つずつ並び、リクが入ってきた側の扉の近くには、壁に囲われた、小さな調理室が設置されていた。

 廊下で聞いた賑やかな声は、食堂の奥からしていた。リクは、調理室の壁に張り付くように、そろりそろり と進んだ。

 こっそりと覗いた、リクの瞳に映ったのは、4人掛けのテーブルに座る3人の男と、隣のふたり掛けのテーブルに座る女の人ふたりだった。リクは、その5人のうち3人なら知っていた。汽車の指揮官のアントワーヌ、煙突掃除夫えんとつそうじふな見た目のアダム、そして人形の様に美しいレアである。

 あとのふたりは見たことがなかった。アダムと似たような服装をした大男、そして褐色かっしょくの肌を持つ女性だ。

 彼らはトランプのゲームをしているらしく、みんな視線をテーブルに張り付かせていた。

 しかしリクが注目したのは、その人物たちではなかった。彼等の周囲に浮遊する、「な、な、な、何あれ⁉ 」虫の様な、葉っぱの様な、小さな、生き物たちの方だった。

 思わずそう大声を出してしまったリクに気がついた一同は、席に着いたまま、思い思いにリクに朝の挨拶をした。

「気分はどうだ? 」と、きのうと変わらない言葉をくアントワーヌに、リクは「大丈夫」と答えて、「だけど──」と続けた。

「それ、それ、何? 」

 アントワーヌはリクの指差す物を見て、「全く」と、首を横に振った。

「きのう説明してやっただろう。この汽車の中には妖精がいるんだ」

「こ、こ、“これ”が⁉ 妖精⁉ 」

 そう叫んで、リクは呆然とした。

 アントワーヌが“妖精”と紹介したカレ等は、リクが昔、物語の挿絵さしえで見たものとは、大きく異なっていたのだ。全身が緑色で、全く人の形なんてしていない。針葉樹の様な体に、せみの羽根の様な物を背負っていた。

 口をあんぐり開けたままでいる、リクの態度が気に食わなかったのだろう。宙に浮く葉っぱの様な妖精のヒトリが振り返って言った。

「“これ”って何よ! ふんっ、失礼しちゃうわねえ、この小娘っ! アタシには“リーレル”っていうちゃんとした名前があるのよ! あんたものろわれたいって訳! トニの──」

「の、呪い──⁉ 」リクが息を飲むと、今まで黙って様子を見ていたレアがテーブルをたたいた。

「あんた“リーレル”だか“ハーレル”だか知らないけどね、リクのことを呪ってみなさい! 私があんたたちを許さないから! 」

 レアは妖精たちにそう怒鳴ると、鼻から息を ふん と出して、リクに向いた。

「ごめんなさいね、リク。お早う。お腹は空いていないかしら? 」よく眠れたみたいで良かったわ、と美しい笑顔で、立ちすくむリクを、自分が座っていた席へと案内してくれた。

 その間にも妖精たちは怒りを忘れていない様子で、レアに向かって「レアも呪ってやる! 」とか「アタシたちの味方だと思ったのに、裏切り者! 」など文句を言ったり、くちびるを ブルブル 震わせていたが、レアの鋭いひとにらみに、すっかり縮み上がってしまった。

 仕舞に、妖精たちは、アントワーヌの向かいの席で、ひじをついていたアダムにすり寄ると、「みんながアタシたちをいじめてくるのよ」と訴えた。

 その妖精たちを、サイズの大きな服の袖にかくまって、アダムはリクに、「許してやってやれ。こいつらは俺たちなんかよりずっと長く生きてんだ。プライドってのがあんだよ」と、おだやかな口調で弁明した。リクは何が何やら、分からないままうなずいた。

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