第4話『覚めぬ夢と無番汽車』
声のする方向を見ると、そこには、レースがたっぷり詰められたワンピースを着た女性が立っていた。
彼女の
リクが見とれていると、女性はリクに微笑み掛けた。
「無事で安心したわ。私は“レア”。リリイって呼んでね! 」
彼女は両手に提げていた、ジュースの瓶を置くと、リクに近付いて、手を取った。
「ええっと──」
「リクって言います」
「リク。リクね。良い名前」レアは口の中で何度も“リク”の名前を呼んで、「“アディ”が いじわるしてしまってごめんなさいね」と言った。
「別にいじめてなんてねえよ! 」
レアから“アディ”と呼ばれたピアニストの青年は、大声でそう言って、リクに向いた。
青年もリクに手を差し出すと、「挨拶が遅くなったな。“アダム”だ。よろしく」と、自己紹介をした。
「よろしく。リクです」
アダムの手を握って、リクも小さく挨拶した。
「ところで──」
お互いあいさつを済ませると、リクは口を開いた。
「あの、私はどうしてここにいるの? で、あの、ここは何なの? 」それから それから──……
止みそうに無い問いの嵐に、レアは「ちょっと」と、リクを止めると、それらひとつひとつに答える代わりに、「リクはここで目が覚める前、何してたの? 」と聞き返した。
そしてリクを、ピアノの近くに置いてあったハイキングチェアに座らせた。
椅子に深く座らされたリクは、思い出せる限りのことをすっかりふたりに打ち明けた。
ふたりはリクの長話を熱心に聞いている様子で、リクも話していて気持ちが良かった。リクの両親や本屋のウスイ以外で、リクの長い話をちゃんと聞いてくれる人間はいなかったのだ。
「でね、その青い男が現れてからは、全部が変なの。全部夢の中で起こっていることなんだって思ってるんだけど、でも、夢の中で夢を見たことなんて無かったし、さっき窓を開けた時なんて、風までリアルに感じたの」
リクはようやく話し終わると、アダムとレアの顔を見比べた。ふたりはなんだか困った顔をしていて、お互い顔を見合わせた。
「あのねリク。これは夢じゃないのよ。私もここに来た時、最初は夢なんじゃないかって思ったんだけれど、そうじゃない。まあ、何日か経てば、理解できるようになると思うけれど」
レアの優しく温かい手が、リクの左手を包んだ。
「夢じゃ、ない? 」
そう戸惑うリクの顔を、アダムが覗き込んだ。
「自分のほっぺたを爪立ててつねってみろよ。痛いぜ。一気に現実に引き戻されんだからさ」
そう言って けけけ と笑うアダムの肩をレアが小突いて、「何変なこと言ってんのよ。リク、やらなくていいのよ? ああっ! 」とリクを見たが、手遅れだった。
「痛っ! 確かに、これは現実だ! 」
リクは自分の頬に爪を立てて、思い切りつまみ上げていたのだった。指を放したリクの右頬には、爪の
「ほら見なさいよ! あんたがあんなこと言うから試しちゃったじゃないの! リク、大丈夫? ほら」
アダムを厳しい口調で叱って、レアは瓶に入ったオレンジジュースを、赤くなった頬に優しく当ててくれた。
「アディが本当にごめんなさいね。こいつ、いっつもこうなの」
「夢じゃないって分からせてやったんだからいいだろ」
「もっと他にやり方があるじゃないのっ! 」
「痛ってえ!
リクに瓶を預けたレアは、口答えするアダムの、今度は脛を蹴り上げていたのだ。
アダムはピアノ椅子から立ち上がって、蹴られた左脚を抱えてピョンピョンと跳ねまわった。
「ふんっ! 当然の報いよ! 」
「そのジュース、リクのためにと思って用意したのよ。アレルギーとかで無ければいいのだけれど──」リクが大丈夫だと言うと、レアはまた、大輪の花の様な微笑みを浮かべて、「いくら目的のためだからって、女の子の顔を傷つけるなんて信じられないっ! 」と大声で言った。
その言葉に
リクは水滴が
自分よりずっと年上のふたりが、自分より小さな子共たちの様に喧嘩をしているのが、リクには可笑しくてたまらなかったのだ。
突然 大笑いを始めたリクに驚いた、アダムとレアのふたりだったが、気がつくとみんなで笑っていた。
「アディ、見て! リクが笑ったわ! 」
「分かってるよ」
「あんたの踊りが可笑しかったのよ! お手柄ね」
「あれは踊ってたんじゃねえ! 」
いつの間にかふたりは仲直りした様子で、笑い終わった頃には、みんなでピアノの周りに座って、オレンジジュースを飲んでいた。
「ところでリク。リクはこの汽車のことを、“
そうレアがリクに尋ねた。
「型番が無いって意味。普通、機関車って、顔の部分に型番が表記されたプレートが貼ってあるでしょ? 雑誌に書かれてた“無番汽車”には、それが無かったらしいんだよね」
だから、この汽車に、もしも型番プレートが無ければ、この汽車こそが、その“無番汽車”ってことになるんだけど──とリクが言った時、アダムとレアのふたりは、顔を見合わせた。
「このふたりって実はすごく仲がいいんじゃないかな」と考えて、リクはオレンジジュースを
顔を見合わせたふたりは、 ごにょこにょ と会話を始めていた。
「この汽車って、型番あったか? 」
「どうだろう。注目して見たことがなかったから……」
「俺も。でも、確か、無かったような──」
「無いの⁉ 」
「ああ、そんな気がするなあ。ニックがそんな様なこと言ってた気がするんだよ」
「ニックが言うなら確かね」
結論を出したふたりはリクを見て、「ここがたぶん、リクの言う、“無番汽車”なんだと思う! 」と、世紀の発見をした教授の様な口振りで言った。
正直、ふたりの ごにょごにょ 話を全て聞いてしまっていたリクだった。だから、「やっぱり! 」と、頷いただけだった。
「でもなリク。だからと言って、瞬間移動なんてしねえからな! 」
アダムは再度、リクに注意した。リクは首を
「でも、さっきも話した通り、その雑誌の投稿者も、その後に私が調べた目撃情報でも、みんなが、“汽車は突然消えた”って証言してるんだよ! 」
リクの言葉に、今度はレアとアダムが首を傾げる番だった。
「ねえアディ、この汽車って実は瞬間移動しているのかしら? 」
「してねえよ。瞬間移動できんなら、今頃ここはバルト海ってことになるぜ。でも、おとといまで走ってたのは朝鮮半島だった。きょう止まったのは、その隣にある日本って島国。そんで、今走ってる所は、太平洋だ」地図で確認したから確かだ。とアダムは言った。
「じゃあ、どうして、汽車は突然消えちゃうのかしら? 」
レアが誰にでも無く疑問を投げかけた時だった。また部屋の扉が開いた。
次に部屋に入ってきたのは、派手な男だった。燃える様に赤い髪の毛をしたその男は、着ているスーツまでその色で、リクの目をチカチカとさせた。
「汽車の姿が突然消える理由は、汽車 自らが姿を隠している為だ」
真っ赤な男はそう言いながら、真っ直ぐピアノへと歩いてきた。そして、ピアノの陰に座るリクを見つけると、「具合はどうだ? 」と尋ねてきた。
「大丈夫、ですけど」
男の高圧的な態度に、リクは縮こまりながら答えた。
赤い男は、海の様に澄んだ、深い青色の瞳で、リクの様子をじっくり見まわすと、無表情のまま頷いた。
「それなら良かった」そしてアダムの時と同様に、リクに右手を差し出して、「俺の名は、“アントワーヌ”。この汽車で
「リクです」
リクも例に
「いまさら来ておいて、“それなら良かった”なんて! 何様のつもりよ」
一方レアは、また不機嫌になってしまった様子で、アントワーヌの背中に文句を言った。
「俺にもいろいろすることがあるんだ」
アントワーヌは落ち着いた口調で、そうレアに言ったが、それが彼女の不機嫌に拍車をかけてしまったみたいで、「あんたのするいろいろっていうのは、私たちを困らせるものでしかないんだから! 」と、叱り付けられてしまった。
「何だと? 」
「この距離で聞き取れなかったの! 」
アントワーヌの問いに、レアが小馬鹿にした様に返すと、今まで無表情を保っていた彼の顔が、大きく歪んだ。
「いいや、しっかり聞き取れていたぞ。しかしな、困らせるものでしかないは無いだろう! 俺は嫌というほど、お前の失恋話に付き合ってやっているだろ! 」
あらら、とリクは首を
「そんなに相談してないわよ! きょうだけ! きょうはたまたまゾーイが忙しかったから、たまたま、そこに いた あんたに話しただけよ! それに、毎回失恋しているって訳じゃないわっ! リクの前で誤解を招く様なこと言わないでよ! 」
「いいや、毎回だ! 毎回お前は失恋しているし、毎回 俺が相談を受けている! いいか、お前が誰に相談しようと、面倒事は最終的に全部この俺に回ってくるんだ! ぜんぶだ! いいか、聞けよレア。今回の相手は絶対に駄目だ! まず種族が違う。人間と妖精なんて価値観が合うはずがない! それに、第2に、あいつは《
「《
「ああ言ってやれるさ! 」
「じゃあ言いに行きなさいよ、今すぐに! 」
「それは──」
「へえ、
「まあまあ、ふたりとも落ち着けって」
彼は口を ポカン と開いたまま、固まっているリクを
どうやらこの“トニ”というのは、アントワーヌの愛称らしい。
「俺のことを“トニ”と呼ぶな」
アントワーヌは声を震わせながらアダムに注意をし、汚れていないスーツの胸元を払うと、また冷静な表情に戻って、リクに向き直った。
「取り乱してすまなかった。彼女らはここの従業員なんだが、どうにも喧嘩好きが多くてな。この腐った
そして紳士な態度で、リクにそう弁明した。が、背後からレアに、「いちばん小言が多いのは誰よ」と
しかし ひとまずは、リクに免じて言い争いは止んだらしい。リクもアダムも、ほっと息を
「でさ、指揮官殿? 」アダムは改めて口を開いた。
「“汽車が消えるのは、姿を隠してるからだ”っつってたけど、それはどういう意味なんだ? 」
「ああ、そのことか」
アントワーヌも近くにあったダイニングチェアに腰掛けると、レアからオレンジジュースを受け取り、話し始めた。
「それは、消えていなければまずいから、だそうだ」
「“消えていなきゃまずい”? 」
思わずリクが聞き返した。
「ああ」アントワーヌはリクへ顔を向けると、足を組んで言った。
「俺も聞きかじっただけの話でな。詳しくは無いんだ。だが、どうやらこの汽車は、普段 俺らが生活している、次元──」彼はここで首を傾げた。「というものとは、違うところに存在しているものなんだそうだ」
「違う次元に? 」
「みたいだな。例えば、幽霊だとか、妖精だとか、そんな様なところだ……と言っていた──」
ここで「えっ」と耳を疑ったのはリクだけで、他のふたりは、頭を縦に振って「だからかあ」と、納得している様子だった。
「よ、妖精? え、え? ねえ、何それ。さっきも《
「は? 」
戸惑うばかりのリクに、驚いた表情を見せたのはアントワーヌで、彼はレアとアダムを見比べると、「お前ら、お客人に何も説明していなかったのか⁉ 」と間抜けな声で聞いた。
一方、質問を受けたふたりは、またお互い顔を見合わせると、揃って肩を
「お前らなあ……」アントワーヌは力無く溜息を吐くと、立ち上がってリクの正面まで来た。そして、体の横に、大きく両手を伸ばした。
「まずは、どんな不幸があったにしろ、ようこそ我らが汽車へ。我々は、リク、お前を大歓迎する! 」
突然始まった、芝居がかった
アントワーヌは、レアの顔を睨みつけながら、一度だけ舌打ちをしただけで、すぐに気を取り直すと、
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