第4話『覚めぬ夢と無番汽車』

 声のする方向を見ると、そこには、レースがたっぷり詰められたワンピースを着た女性が立っていた。

 彼女の容貌ようぼうはまさに、人形の様で、金色の髪の先は丁寧に巻かれ、ほおと唇はほんのりピンク色、青い瞳を宿した目は、ぱっちりと大きくて丸かった。リクはこんなに美しい人を見たことがなかった。

 リクが見とれていると、女性はリクに微笑み掛けた。

「無事で安心したわ。私は“レア”。リリイって呼んでね! 」

 彼女は両手に提げていた、ジュースの瓶を置くと、リクに近付いて、手を取った。

「ええっと──」

「リクって言います」

「リク。リクね。良い名前」レアは口の中で何度も“リク”の名前を呼んで、「“アディ”が いじわるしてしまってごめんなさいね」と言った。

「別にいじめてなんてねえよ! 」

 レアから“アディ”と呼ばれたピアニストの青年は、大声でそう言って、リクに向いた。

 青年もリクに手を差し出すと、「挨拶が遅くなったな。“アダム”だ。よろしく」と、自己紹介をした。

「よろしく。リクです」

アダムの手を握って、リクも小さく挨拶した。

「ところで──」

 お互いあいさつを済ませると、リクは口を開いた。

「あの、私はどうしてここにいるの? で、あの、ここは何なの? 」それから それから──……

 際限さいげんなく溢れ出てくるリクの質問に、レアとアダムは顔を見合わせた。

 止みそうに無い問いの嵐に、レアは「ちょっと」と、リクを止めると、それらひとつひとつに答える代わりに、「リクはここで目が覚める前、何してたの? 」と聞き返した。

 そしてリクを、ピアノの近くに置いてあったハイキングチェアに座らせた。

 椅子に深く座らされたリクは、思い出せる限りのことをすっかりふたりに打ち明けた。新刊書店雨蛙しんかんしょてんあまがえるで、自由研究のテーマを決定したことも、稲荷神社いなりじんじゃでお参りしたことも、アカメのことも、青い男のことも、ここで目覚める前に見ていた、リクが小学生の頃、先生に呼び出しを受けた夢のことも全部だ。

 ふたりはリクの長話を熱心に聞いている様子で、リクも話していて気持ちが良かった。リクの両親や本屋のウスイ以外で、リクの長い話をちゃんと聞いてくれる人間はいなかったのだ。

「でね、その青い男が現れてからは、全部が変なの。全部夢の中で起こっていることなんだって思ってるんだけど、でも、夢の中で夢を見たことなんて無かったし、さっき窓を開けた時なんて、風までリアルに感じたの」

 リクはようやく話し終わると、アダムとレアの顔を見比べた。ふたりはなんだか困った顔をしていて、お互い顔を見合わせた。うなずき合った。それから、リクに向いて言った。

「あのねリク。これは夢じゃないのよ。私もここに来た時、最初は夢なんじゃないかって思ったんだけれど、そうじゃない。まあ、何日か経てば、理解できるようになると思うけれど」

 レアの優しく温かい手が、リクの左手を包んだ。

「夢じゃ、ない? 」

 そう戸惑うリクの顔を、アダムが覗き込んだ。

「自分のほっぺたを爪立ててつねってみろよ。痛いぜ。一気に現実に引き戻されんだからさ」

 そう言って けけけ と笑うアダムの肩をレアが小突いて、「何変なこと言ってんのよ。リク、やらなくていいのよ? ああっ! 」とリクを見たが、手遅れだった。

「痛っ! 確かに、これは現実だ! 」

 リクは自分の頬に爪を立てて、思い切りつまみ上げていたのだった。指を放したリクの右頬には、爪のあとが上下にふたつ、赤くくっきりと残っていて、それを見たレアはまたアダムの肩を叩いた。

「ほら見なさいよ! あんたがあんなこと言うから試しちゃったじゃないの! リク、大丈夫? ほら」

 アダムを厳しい口調で叱って、レアは瓶に入ったオレンジジュースを、赤くなった頬に優しく当ててくれた。

「アディが本当にごめんなさいね。こいつ、いっつもこうなの」

「夢じゃないって分からせてやったんだからいいだろ」

「もっと他にやり方があるじゃないのっ! 」

「痛ってえ! すねは反則だ! 」

 リクに瓶を預けたレアは、口答えするアダムの、今度は脛を蹴り上げていたのだ。

アダムはピアノ椅子から立ち上がって、蹴られた左脚を抱えてピョンピョンと跳ねまわった。

「ふんっ! 当然の報いよ! 」

 あわれなピアニストにそう言い放って、レアはまたリクに向いた。

「そのジュース、リクのためにと思って用意したのよ。アレルギーとかで無ければいいのだけれど──」リクが大丈夫だと言うと、レアはまた、大輪の花の様な微笑みを浮かべて、「いくら目的のためだからって、女の子の顔を傷つけるなんて信じられないっ! 」と大声で言った。

 その言葉に憤慨ふんがいしたのは、 ケンケン をしているアダムで、「怒りに任せて男の脛に蹴りを入れるのも信じられねえがなっ! 」と怒鳴り返した。

 リクは水滴がしたたる冷たい瓶を頬に付けながら、呆然とふたりの会話を見守っていたのだが、とうとう耐えきれず吹き出してしまった。

 自分よりずっと年上のふたりが、自分より小さな子共たちの様に喧嘩をしているのが、リクには可笑しくてたまらなかったのだ。

 突然 大笑いを始めたリクに驚いた、アダムとレアのふたりだったが、気がつくとみんなで笑っていた。

「アディ、見て! リクが笑ったわ! 」

「分かってるよ」

「あんたの踊りが可笑しかったのよ! お手柄ね」

「あれは踊ってたんじゃねえ! 」

 いつの間にかふたりは仲直りした様子で、笑い終わった頃には、みんなでピアノの周りに座って、オレンジジュースを飲んでいた。


「ところでリク。リクはこの汽車のことを、“無番汽車むばんきしゃ”って呼んでいたわよね? オカルト雑誌で付けられた名前だとか。どうしてそういう名前がついたのかしら? 」

 そうレアがリクに尋ねた。

 安楽椅子あんらくいすに姿勢よく腰掛けるその姿は、フリルの服装も相まって、まるで中世の貴族の様に見えた。

「型番が無いって意味。普通、機関車って、顔の部分に型番が表記されたプレートが貼ってあるでしょ? 雑誌に書かれてた“無番汽車”には、それが無かったらしいんだよね」

 だから、この汽車に、もしも型番プレートが無ければ、この汽車こそが、その“無番汽車”ってことになるんだけど──とリクが言った時、アダムとレアのふたりは、顔を見合わせた。

「このふたりって実はすごく仲がいいんじゃないかな」と考えて、リクはオレンジジュースをすすった。

 顔を見合わせたふたりは、 ごにょこにょ と会話を始めていた。

「この汽車って、型番あったか? 」

「どうだろう。注目して見たことがなかったから……」

「俺も。でも、確か、無かったような──」

「無いの⁉ 」

「ああ、そんな気がするなあ。ニックがそんな様なこと言ってた気がするんだよ」

「ニックが言うなら確かね」

 結論を出したふたりはリクを見て、「ここがたぶん、リクの言う、“無番汽車”なんだと思う! 」と、世紀の発見をした教授の様な口振りで言った。

 正直、ふたりの ごにょごにょ 話を全て聞いてしまっていたリクだった。だから、「やっぱり! 」と、頷いただけだった。

「でもなリク。だからと言って、瞬間移動なんてしねえからな! 」

 アダムは再度、リクに注意した。リクは首をかしげた。

「でも、さっきも話した通り、その雑誌の投稿者も、その後に私が調べた目撃情報でも、みんなが、“汽車は突然消えた”って証言してるんだよ! 」

 リクの言葉に、今度はレアとアダムが首を傾げる番だった。

「ねえアディ、この汽車って実は瞬間移動しているのかしら? 」

「してねえよ。瞬間移動できんなら、今頃ここはバルト海ってことになるぜ。でも、おとといまで走ってたのは朝鮮半島だった。きょう止まったのは、その隣にある日本って島国。そんで、今走ってる所は、太平洋だ」地図で確認したから確かだ。とアダムは言った。

「じゃあ、どうして、汽車は突然消えちゃうのかしら? 」

 レアが誰にでも無く疑問を投げかけた時だった。また部屋の扉が開いた。


 次に部屋に入ってきたのは、派手な男だった。燃える様に赤い髪の毛をしたその男は、着ているスーツまでその色で、リクの目をチカチカとさせた。

「汽車の姿が突然消える理由は、汽車 自らが姿を隠している為だ」

 真っ赤な男はそう言いながら、真っ直ぐピアノへと歩いてきた。そして、ピアノの陰に座るリクを見つけると、「具合はどうだ? 」と尋ねてきた。

「大丈夫、ですけど」

 男の高圧的な態度に、リクは縮こまりながら答えた。

 赤い男は、海の様に澄んだ、深い青色の瞳で、リクの様子をじっくり見まわすと、無表情のまま頷いた。

「それなら良かった」そしてアダムの時と同様に、リクに右手を差し出して、「俺の名は、“アントワーヌ”。この汽車で指揮官しきかんという立場にいる」と、偉そうに挨拶をした。

「リクです」

 リクも例にならって、差し出されたアントワーヌの手を握った。

「いまさら来ておいて、“それなら良かった”なんて! 何様のつもりよ」

 一方レアは、また不機嫌になってしまった様子で、アントワーヌの背中に文句を言った。

「俺にもいろいろすることがあるんだ」

 アントワーヌは落ち着いた口調で、そうレアに言ったが、それが彼女の不機嫌に拍車をかけてしまったみたいで、「あんたのするっていうのは、私たちを困らせるものでしかないんだから! 」と、叱り付けられてしまった。

「何だと? 」

「この距離で聞き取れなかったの! 」

 アントワーヌの問いに、レアが小馬鹿にした様に返すと、今まで無表情を保っていた彼の顔が、大きく歪んだ。

「いいや、しっかり聞き取れていたぞ。しかしな、困らせるものでは無いだろう! 俺は嫌というほど、お前の失恋話に付き合ってやっているだろ! 」

 あらら、とリクは首をひねった。血の通わない、冷徹な印象を受けたこの指揮官殿も、実際はただの青年だったみたいだ。リクは少し安心した。アントワーヌは、赤い髪の毛を揺らしながら、レアと言い合いを始めていた。

「そんなに相談してないわよ! きょうだけ! きょうはたまたまゾーイが忙しかったから、たまたま、そこに いた あんたに話しただけよ! それに、毎回失恋しているって訳じゃないわっ! リクの前で誤解を招く様なこと言わないでよ! 」

「いいや、毎回だ! 毎回お前は失恋しているし、毎回 俺が相談を受けている! いいか、お前が誰に相談しようと、面倒事は最終的に全部この俺に回ってくるんだ! だ! いいか、聞けよレア。今回の相手は絶対に駄目だ! まず種族が違う。人間と妖精なんて価値観が合うはずがない! それに、第2に、あいつは《入れ替わりの精チェンジリング》という、最っ低な種類の妖精だ! あいつらほど信用できない妖精はいない! だから今回の相手は絶対的に却下だ! 」

「《入れ替わりの精チェンジリング》が最低な妖精ですって⁉ トニ、あんたそれ、ミカに面と向かって言えるの⁉ 」

「ああ言ってやれるさ! 」

「じゃあ言いに行きなさいよ、今すぐに! 」

「それは──」

「へえ、怖気おじけづくって訳! 」

「まあまあ、ふたりとも落ち着けって」

 にらみ合うアントワーヌとレアを制したのは、アダムだった。

 彼は口を ポカン と開いたまま、固まっているリクをあごで示すと、「お客の目の前だぜ。落ち着けよ“トニ”」と、いじめっ子の様な口調で付け加えた。

どうやらこの“トニ”というのは、アントワーヌの愛称らしい。

「俺のことを“トニ”と呼ぶな」

 アントワーヌは声を震わせながらアダムに注意をし、汚れていないスーツの胸元を払うと、また冷静な表情に戻って、リクに向き直った。

「取り乱してすまなかった。彼女らはここの従業員なんだが、どうにも喧嘩好きが多くてな。この腐った嗜好しこうに毒されぬ様、俺も日々努めているのだが、つい我慢ができなくなる時もあるのだ」

 そして紳士な態度で、リクにそう弁明した。が、背後からレアに、「いちばん小言が多いのは誰よ」と暴露ばくろされてしまったため、格好がつかないまま終わってしまった。

 しかし ひとまずは、リクに免じて言い争いは止んだらしい。リクもアダムも、ほっと息をいた。


「でさ、指揮官殿? 」アダムは改めて口を開いた。

「“汽車が消えるのは、姿を隠してるからだ”っつってたけど、それはどういう意味なんだ? 」

「ああ、そのことか」

 アントワーヌも近くにあったダイニングチェアに腰掛けると、レアからオレンジジュースを受け取り、話し始めた。

「それは、消えていなければまずいから、だそうだ」

「“消えていなきゃまずい”? 」

 思わずリクが聞き返した。

「ああ」アントワーヌはリクへ顔を向けると、足を組んで言った。

「俺も聞きかじっただけの話でな。詳しくは無いんだ。だが、どうやらこの汽車は、普段 俺らが生活している、次元──」彼はここで首を傾げた。「というものとは、違うところに存在しているものなんだそうだ」

「違う次元に? 」

「みたいだな。例えば、幽霊だとか、妖精だとか、そんな様なところだ……と言っていた──」

 ここで「えっ」と耳を疑ったのはリクだけで、他のふたりは、頭を縦に振って「だからかあ」と、納得している様子だった。

「よ、妖精? え、え? ねえ、何それ。さっきも《入れ替わりの精チェンジリング》がどうのって言ってたけど。ねえ、何の話してるの? 」

「は? 」

 戸惑うばかりのリクに、驚いた表情を見せたのはアントワーヌで、彼はレアとアダムを見比べると、「お前ら、お客人に何も説明していなかったのか⁉ 」と間抜けな声で聞いた。

 一方、質問を受けたふたりは、またお互い顔を見合わせると、揃って肩をすくめた。

「お前らなあ……」アントワーヌは力無く溜息を吐くと、立ち上がってリクの正面まで来た。そして、体の横に、大きく両手を伸ばした。

「まずは、どんな不幸があったにしろ、ようこそ我らが汽車へ。我々は、リク、お前を大歓迎する! 」

 突然始まった、芝居がかった口上こうじょうに、リクは驚かされてしまった。が、一方でレアは「毎回恥ずかしくなる。“大歓迎”なんて! 頭悪そう」と悪態をつき、その一方でアダムは手を叩いて喜んでいた。

 アントワーヌは、レアの顔を睨みつけながら、一度だけ舌打ちをしただけで、すぐに気を取り直すと、台詞せりふの続きを暗唱し始めた。

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