第2話『狐の面と青い男』

 新刊書店雨蛙しんかんしょてんあまがえるを出てから、自転車のペダルを10回ほど踏むと、横断歩道の向こうに、オレンジ色のコンビニエンスストアが現れる。

 リクはそこを渡った。

 コンビニを左に行って、川の上に架かるコンクリートの橋を通る。

 暫くそのまま自転車を動かして風を受けると、幅の広い道に出る。

 この道は、リクの住む小さな町の、様々な場所を繋いでくれている、大切な道だ。この幅の広い道を胴体として、左右に ウネウネ と、たくさんの曲がり角を、脚の様につけていることから、町の住民からは『ムカデ道』と呼ばれ、親しまれていた。

 リクは1本目の曲がり角を通りすぎた。この道は町の小学校へと続いている。

 続いて2本目の曲がり角を通りすぎた。この道は城ケしろがおかハイツという集合住宅へと続いている。

 3本目。リクはここで曲がった。この道は彼女の通う中学校、もっと行くと、彼女の家がある道だ。

 暑さに参ってしまっていたリクは、すぐにでもクーラーを ガンガン にかけた自室に閉じこもってしまいたかったが、ふと、丘の下で進行を止めた。

 リクの通う中学校の前には小さな丘があり、そのいただきには、丘と同様に、小さな稲荷神社いなりじんじゃが設置されている。いつもは学校終わりの小学生たちの溜まり場となっていて、動物園の様に騒がしいのだが、きょうは、やけに静かだ。聞こえるのはせみの鳴き声だけだった。

「みんな田舎に帰ったのかな。それとも東京に観光とか? 」

 普段のリクならそのまま通りすぎているところだが、きょうは違った。彼女は自転車をその場に置き、丘の急な階段を登った。

「誰もいない」

 朱色しゅいろの鳥居をくぐって、リクはそうつぶやいた。丘の上は、空っぽだったのだ。リクはまっすぐ拝殿はいでんに向かった。

「わあ、ひどい! 」

 そこにお供え物が無いことを知ったリクは、思わず大声を出した。彼女はその場で グルっ と回ると、脇に咲いていた白い花を「ごめんなさい」と声を掛けながら、そっとみ取った。そしてそれを拝殿に重ねた。

「花瓶とかがあったらよかったんだけど」

 そうしゃべり掛けて、何の目的も無く手を合わせてみたリクは、そのまま回れ右をした。

 鳥居を出ようとして、左右に置かれた白狐びゃっこを見て、首をかしげた。

「この子らにもお供え物したほうがいいのかな、稲荷寿司いなりずしとか。それにしても、狐って本当に好きなのかな、稲荷寿司──キツネ……“狐”……? あ! 」

 瞬間、パチンコで弾かれた様に、リクは飛び上がった。

「2年前の4月6日、2年前の4月6日! まさか、まさか まさか! 」

 リクはそう言いながら、丘を転げ下りると、自転車を拾い上げて、走り出した。一歩、また一歩、ペダルを踏み込むたびに、「まさか! まさか! 」という声を上げながら。


 玄関前に自転車を投げ捨てたリクは、自分の部屋までをも駆け上がっていった。

2階にある自分の部屋に飛び込んだリクは、ほとんど乱暴な手つきで、バックパックからラップトップを引き出して、勉強机に置いた。早速動画サイトを画面に映した。頻繁に見るサイトの為、デスクトップに貼り付けてあるのだ。

 動画サイト内の検索バーを選択して、リクは次の言葉を入力する。

『アカメ』 検索。

 待機カーソルが1周もしないうちに、画面には、検索ワードに関連する動画の一覧が、縦に一列に広がった。そのいちばん上に、リクの探している動画があった。リクは再生ボタンを押した。

 白い背景に狐の面を被った青年が映し出された。この青年こそ、リクが先程 検索バーに打ち込んだ“アカメ”という名の人物である。

 今から5年前、アカメはオカルト事件紹介者として、動画投稿を始めた。彼の最大の特徴としては、秘められた人物像である。動画上の彼から得られる情報は、白い背景に狐の面、高くも低くも特徴も無い声、豊富すぎる知識がある、ということだけだ。彼は計算された抑揚、計算された間で喋る。その機械的な声から発せられる情報の濃厚さたるや圧巻で、彼の動画の視聴登録者数は100万人を超える。「謎」という言葉は最早、アカメの代名詞となっていた。それほどまでに、不思議な男だった。

 そんなアカメだが、今から2年前、自身の動画にて、活動の一時休止を宣言したのだ。

 リクが検索したのも、その動画だ。

 10秒の沈黙の後、アカメは喋り出す。

『こんにちは、アカメです。いつも動画をご覧いただき、ありがとうございます。きょうは皆様に、お知らせしなければならないことがございます。わたくしアカメは、本動画をもちまして、活動を、一時休止させていただくことになりました──』

 リクは動画の下に表示されている投稿日を見て、手を叩いた。

「やっぱり! この動画が投稿されたの、“2年前の4月6日”だ! 」

 そうリクが言っている間にも、動画のアカメは話をどんどん先に進めていく。

『活動休止と言っても、一時的なものです。またすぐに戻ってきます。少しお休みをいただくということで、今回は特別に、事件を3本立てで紹介したいと思います。最初の事件は──』

 すぐに戻ってくると言って、アカメは、この動画から2年経っても、未だ復帰していない。

「でもこれって、例の無番汽車と関係あるのかな? 」

 リクは画面のアカメにたずね、ひとりで首を傾げた。

「だって、A県に機関車が出没したのが、4月6日の朝早くでしょ。でもこの動画が投稿されたのは、正午ぴったりだもん」

 そこまで喋って、何かを思いついたリクは、椅子の上で跳ねた。

「あっ、もしかして、アカメの正体は画家で、アカメも無番汽車を追って、今でも調査しているのかも! でも調べても何にも分からなくって、雑誌に記事を投稿したのかもしれない! そう、あり得なくない話だよね! 」でも──……

「それなら、100万人もフォロワーがいる自分の動画内で呼びかけた方が早いのに──」という結末に至り、リクは首を横に振って、溜息をいた。

「うーむ、それじゃあ、これとアカメとは無関係ってことなのかな」

 リクは再度、画面のアカメに話し掛けた。が、当たり前の様にアカメは返事をしなかった。

「でもなあんだか、引っ掛かるんだよなあ」そう言ってリクは椅子から立ち上がって、窓を見下ろした。

 きょう、リクは母親と、隣町で行われる祭りで、屋台のやきそばを食べるという約束しているのだ。もうだいぶ日も落ちてきているが、母親の車はまだ見えない。

 仕方なくもう一度椅子に戻ろうとして、リクは窓に顔をつけた。

「ん? なにあれ」

 リクの家の玄関前に、人だかりができていたのだ。それも、小さな子供ばかりが集まって、青い、大きな、キラキラしたものを囲っている。

「なにしてるの、あの子たち──というか、どこから来たの? 」

 玄関の前に集まっていた子供たちは、見る限り、リクと同じ国籍の人間ではなかったのだ。リクはあまりにも不気味なその状況に、窓からそそくさと離れると、ラップトップが置かれた勉強机の前に設置された、ベッドに横たわった。そして目を閉じた。

「夢だよ、夢。きっと私、暑さにやられちゃったんだ。そうだ──」

 そうして眠りにつこうとした時だった。

 リクの部屋の扉が、ノックされたのだ。あまりにも驚いたリクは、ベッドから転がり落ちてしまった。

「ああっ! 」

 そう大声を出して、床に打ちつけた背中を抱えようと転がり回りながら、リクは懸命に自分を落ち着かせようとした。

「うん、夢なんだと思う! だから今、夢から覚めて、きっとお母さんが帰って来たんだ。それか風のいたずらなんだ! 」

 しかし扉の向こうから、子供たちの笑い声が響いてきて、リクはぎょっとした。

「な、何なの! 何が起きてるの! まだ夢の中なの⁉ 」

 扉に向かってそう大声を出したリクだったが、机の上では、先程 彼女がその指で再生ボタンを押したアカメの動画が流れ続けていた。

 床にいつくばったリクが、今にも泣きそうになっていると、今度は、優しい男の声が聞こえてきた。

「やあ、お嬢ちゃん。出てこないかい? 僕と一緒に遊ぼうよ。みんなも一緒だよ。遊べば、笑顔になれるよ。一緒に遊ぼう。ねえ、ここから出てこないかい? 楽しいおもちゃもたくさんあるんだよ」

「だ、誰⁉ 」

 思わず悲鳴を上げたリクは「どうやってこの家に入ってきたの⁉ 」と叫んで、床にうずくまってしまった。すると声の主は、「これが質問の答えだ」とでも言うかの様に、取っ手を回さず、透き通ってリクの部屋に侵入してきたのだ。

「ひいいいいいいっ! 」

 リクが驚くのも無理はなかった。

「ゆゆゆゆ、幽霊! 幽霊! 」

 リクは扉から染み出てきた男を指差してそう叫び、抜けた腰を引きりながら後ずさりした。が、すぐに背後の壁に捕まってしまった。

「怖がらなくってもいいんだよ、お嬢ちゃん。一緒に遊べば、僕が楽しいんだって分かるんだから。あの子たちだって、ほらね。楽しそう」

 泣きじゃくるリクに、穏やかにさとすこの男は、リクが窓から見下ろした時に見た、青いものの正体であった。

 玉蜀黍色とうもろこしいろの髪の毛に、雪の様に白い肌を持ち、瞳の色は浄土ヶ浜じょうどがはまの様に、透き通った青色だった。それは彼のまと燕尾服えんびふくの色でもあった。真っ青に輝く、美しい男。

 その男は、手袋をはめた長い指を扉に向けると、宙を縦に スッ となぞった。するとその空間が、まるで鋭利な刃物で切り取られた布みたいに パックリ 割れ、そこから数多の子共たちが溢れ出してきた。みんなきゃあきゃあ興奮しながら、青い男に纏わりついた。よく懐いているみたいだ。

「どうだい、お嬢ちゃん。みんなこんなにぼくを信頼して、みんな楽しそうだ。だから一緒に──」

 そこまで喋って、リクの顔を見た青い男は、整った眉を歪ませた。

「それ、どうしたんだい? どうしてそんなものを──」

「それ──? 」

 リクは涙で滲む目で、男を見た。

 どうやら男は、リクの丸眼鏡を指して言っている様だ。リクは震える手で丸眼鏡を外して、男の前にそれを差し出した。

「これが、どうかしたの? 」

「これが──」

 男がそっと、リクの丸眼鏡に触れたかと思うと、突然、弾かれた様に苦しみ始めた。

 うなり声を上げ、纏わりついていた子供たちを乱暴に振り解き、扉の方へと後ずさりしだした。

 辺りに放り出された子供たちは、驚いて泣き叫びながら、まるで蝋燭ろうそくが吹き消されるかのごとく、つぎつぎとその場から消えていった。リクは短い悲鳴を上げた。

「な、なんなの、これ……! みんな幽霊なの⁉ 」

 その間も青い男は苦しみ続け、遂にはリクと同様、床に這いつくばる格好になってしまった。

「そ、それを! それを! 」

 青い男はあえぎながらリクに言う。

「それを、それをかくせ! 」

「こ、これ⁉ 」

 何が何だか分からないリクは、青い男の頭上に、ドロドロとした赤い液体が、雨の様にしたたり落ちてくるのを目撃して、凍り付いた。

 男は赤い液体にずぶ濡れになりながら、あんぐり口を開けているリクの方を向き直った。その姿は、もうあの美しい天使の様なものではなく、真っ赤な悪魔のそれだった。

「それを、隠せええええええええ! 」

 青い男がそう絶叫した途端。リクの丸眼鏡が白く光りだした。

「え、なにこれ──」

 リクがそれを確認した時、「うわっ! 」、その白い光が急速によどみだし、渦を巻きだした。するともう少しで扉に辿り着こうとしていた、赤く染まった男が、丸眼鏡に吸い込まれ始めたのだ! まるで掃除機に引き込まれるほこりの様に。

「や、やめろ! やめてくれっ! 」

 赤い男は脚を踏ん張り、床に爪を立ててしがみついたが、丸眼鏡が男を吸い込む力は衰えない。それどころか、どんどん勢いは増している様に見えた。

 それに比例して、丸眼鏡の重力もどんどん増えてゆき、リクは床に落としてしまった。

「ああああっ! 」

 とうとう男の脚が持ち上がり、丸眼鏡のレンズの中に突入した。リクは、目を疑った。

「人が……眼鏡に、飲み込まれてる──っ! わっ! 」

 男の脚がレンズに引きり込まれてから、その体全体が飲み込まれるのは一瞬だった。悲鳴を上げていた男は、最後の力を振り絞って、なんと、リクの腕をつかんだのだ。

「やめて! 放して! ああっ! 」

 そうリクが叫んでも、もう遅かった。

 丸眼鏡は、赤く染まった男と、持ち主であるリクを、そして仕舞しまいには、丸眼鏡自身をも、飲み込んでしまったのだった!



 誰もいなくなった部屋の机の上で、リクが再生ボタンを押した、アカメの動画だけが音を立てていた。

『では、また会うその日まで。さようなら。』

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