過去
「1、2、3、ホッ」
ヤスがバスを蹴り、ハイハットをぶち叩く。
その太く鋭い出音にワタルは思わずビクビクビクッとなってしまった。
爪先を基点にして踵を器用に踏み込むバスキック、正確かつ軽快に奏でるハイハット、背筋を立てながらも肩のスナップを利かせるタムの叩き込み、自身が叩き蹴った時よりも数倍、いや、十数倍とも感じる激しい重低音がスタジオ中に響いたからだ。他の音の鳴り方も明らかに違う。バスキックに引けを取らない迫力がありながら、タムは気持ちよく響き、シンバルはストレートに鳴っている。スタジオCルームは瞬く間にヤスが生み出す音圧で埋め尽くされた。
その間、30秒ほどだっただろうか、最後にタム連符でヤスは一通りの演奏を終え、また深呼吸をして息を整える。
ワタルは思わず拍手をする。
「ありがとフォー! 一応こんなもんだ、ちゃんと叩いてみると、違うでしょ?」
「ええ、すごいです」
「そりゃ誰だって最初は力加減は分からない、このドラムセットも借り物だから乱暴には扱えない。初心者なら尚更だな。だからパワーをセーブするし出音も小さくなる。大丈夫、ワタル君も慣れればこのぐらいすぐに打てる」
さっきまで合コン合コンとか騒いでた奴とは思えない変貌振りだ。ヤスはドラムの心得をワタルにしっかりと語りかけてくる。
「タム1つとっても、叩く場所、叩き方で音色がガラっと変わる。ドラマニは電子ドラムだから跳ね返りは少ない。そしてどこを叩いても全部同じ音、というか判定だな。そこが本物との違いなんだ。繊細に行くときは繊細に、でも叩きはハッキリと。そして攻めに行くときは思いっきり、自己主張も込めて思いっきり行く、でも丁寧に」
ヤスはドラムセットのひとつひとつをスティックの先端で丁寧に撫でながら語る。
「ドラムはバンドの中でも結構体力を使うんだ。スタジオでキレイに鳴らすだけならそんなに力使わなくてもいいんだけど、ライブは別。ホールも大きくなるし雑音も多い。メンバーのギタリフにも負けちゃならない。そこでドラムを際立たせた上で響かせるにはパワーが欲しいし、長時間演奏し続ける持久力もいる。筋肉痛になりにくいフォームとか、乳酸のたまりを防ぐ力の使い方もな」
そこへ、ショウタが痺れを切らしたのかスタジオの中に入ってくる。
「そろそろ俺の番だな、時間いっぱいキッチリ弾かせてもらうぜ」
「だな、じゃあショウタ、お前も思いっきり弾けてくれ」
ショウタはベースとアンプのセッティングを始める。よし、やっと休める……と、ワタルはカバンからペットボトルを取り出そうとする、そこをヤスに制止される。
「ワタル、スタジオ内は飲食禁止、休憩スペースで休もうぜ」
ヤスとワタルは休憩スペースに戻ってきた。ワタルはイスに座り手持ちのペットボトルのウーロン茶を飲む、ヤスは自販機でミルクティーを買う。共に水分補給をし、一息落ち着いたところで、ワタルはヤスにショウタの事を聞いてみた。
「俺ってジャンクハウスに初めて来たんですけど、ショウタって今もあんな感じで練習してるんですか?」
「あぁ、シナモンズが解散してからもここで個練してるし。俺らも先輩が部室使う日とかフラっとやりたい時にはここに来てぶっ叩いてる。俺は軽音の方で忙しくてなかなか来れないが、バッタリ会えばセッションもやるな」
「へえー、そうなんですか、解散したのに」
「さっきショウタも円満解散って言ったじゃん、むしろ解散後のほうが楽しく言い合えてる」
解散の事情を知らないワタルは、ショウタとヤスの仲の良さを不思議に感じていた。この際だからとワタルはシナモンズの事も聞いてみる。
「シナモンズっていつ結成したんですか? 俺その辺全然知らなくて……」
「あー、それは俺たちが若高に入ってすぐの頃だったんだけど。俺ともう一人のメンバーでノリって言うんだけど、2人で軽音部に入ったんだ。若高の軽音部って今年同好会から正式な部に昇格したばっかりで、部室が狭い、ドラムセットもアンプも1つだけ、それを3年の先輩方が使ってるもんだから、新入生の俺達はほとんど練習させてもらえなかったんだ。で、しょぼくれていた俺たちのところに、同じクラスだったショウタがやってきて『どうせ個練するなら、いっそバンド組んでやってみないか?』って誘ってくれたんだ」
ヤスはミルクティーを口に含む。
「勝手にバンドやって部に顔出さないのもアレだから、先輩方には念のため『練習できないから個練代わりにバンドやりまーす』って断りを入れてね。もちろん先輩方には『何だてめえら、勝手にやるのか?』って睨まれたけど、顧問の先生も間に入ってもらって、なんとか練習として認めてもらえて、放課後に集まってバンドをやる事ができたんだ」
ショウタが助け舟を出したのか……と、ワタルは思った。
「で、こないだやった千本祭、あ、若高の文化祭ね。それを最後に先輩方が引退、無事引継ぎも終わり、部室もアンプもドラムセットも俺たち後輩が使えるようになって、やっと正式に練習できるようになりました、それで解散しましたって話」
「なんか、そういう事ならすごいキレイな解散ですよね、堂々としているっていうか、無難というか、目的ハッキリしてて清清しいっていうか、俺なんかショウタが何かやらかしたのかな? って思ってて」
「それはない、逆に感謝したいぐらいさ。オリジナル曲の歌詞とか構成やアレンジで揉めたのは何度もあるけどそんなんバンドならよくある事だし、そんなの全然関係ないぐらいにまとまってていいバンドだった」
「そうなのか……じゃあ、さっき音信不通になったとか言ってたきたみんって人は?」
「ここで練習始めて1ヶ月ぐらいの頃に、ここの店長から紹介を受けて加わったんだ、ボーカル募集してるバンド無いか? って声かけられて」
「ボーカル……同じ軽音部じゃないんですか?」
「うん、高校も若高じゃない、たしか駅前の通信制だったはず。それで気後れしてて他の高校の連中と馴染めないってのもあったのかな。でも俺たちとの練習のときは気合入れて歌ってて、生き生きしてた。だからきたみんは本気で歌いたいんだなーって」
「そう、本気だったんだよな」
と、横から声が聞こえた、ショウタだ。休憩スペースに置いていたカバンからスコアを取るためにスタジオから出てきていたのだ。
「ここに来てる面子の中から、本気でやってるお前らを薦めたんだぞって釘刺されてたんだよ。マスターから『彼女は本気で歌手目指してる』ってね。だから、てか、俺の方から積極的にとっとと家帰ろうぜとか言ってたぐらいだからな」
「はー、だから妙にノリが悪くなってたのか……ショウタのせいなのか、もしかして、気があったのか?」
「気があったってわけじゃない、店長のお願いはちゃんと守ろうぜって考えてやってたんだ。それに、俺は別に本命いるからな」
「えー? それは初耳だな、誰だよ? 教えてよ」
「やだよ、第一教えたってヤスには分からねーよ。俺だって名前分かんねーんだから」
「分かんねーって、え? それで本命って言えるのか?」
「ヤス、それにお前だってシナモンズ組む前から彼女いるだろうよ」
「え? いるんですか? 彼女」
驚いたワタルは思わずショウタに聞く。
「あぁ、ヤスにはな」
「えええぇ? てか、それなのにさっき合コンやってくれって、おかしいじゃないですか!」
「あはは……いやさ、てかその話は若高の面子でって言ったじゃん、だから俺のダチに、若高のダチね、紹介してねーって意味だったんだよ」
「ホントか……?」
ワタルが怪訝そうにヤスに尋ねる。そんな2人を横目に、ショウタはこう誘う。
「じゃあワタル、気が変わった。俺にも一度ドラム演奏見せてくれ。さっきの特訓の成果を見てみたい」
「え? ああ、いいけど、ショウタの分の練習時間は大丈夫なのか?」
「いいんだ、今日の目的はワタルだからな」
こうして、スタジオCルームの中でワタル、ショウタ、そしてヤスの3人が揃う。揃っただけでどうという感じではないのだが、ショウタがこう言い出す。
「ノーズスキッド・シナモンズ再結成、ただしきたみんを除く」
この流れにノったヤスが続けて提案する。
「じゃあ代わりのボーカルはワタルにやってもらおう。名前はワタ美で行こう」
ワタルもこの流れに続ける。
「ワタ美でーす、飲み放題お安くなってまーす」
「そっちじゃねぇ!」
2人からツッコミが入る。バンドとしての連係プレイは上出来のようだ。
「よし、じゃあワタル、今日の仕上げと行こうじゃないか、やるのは8ビートハイハットに156バス37スネアだ。出来るな?」
ヤスがメトロノームをセットしながら言う、ハイハットを8拍、1拍5拍6拍にバスを蹴り、3拍7拍にスネアを叩けって意味なのだろう、ワタルはなんとなくだが理解した。そしてメトロノームが動き出し、1小節後にワタルはドラムセットを打ち鳴らし始める。結果、ハイハットとバスは何とか合わせられたものの、スネアは先走り、バスは遅れた。
「へったくそだな!」
ショウタが大声でワタルに言う。
「下手糞言うな! 仕方ねーだろ! 俺だって本物のドラムセット叩くのなんて初めてなんだから」
そこにヤスがフォローに入る。
「俺は悪くないと思う、いや、むしろいいんじゃないの? 音圧はともかく、テンポは初めてにしちゃ合ってるしミートも結構正確、安定してるよ。後は反発に慣れるのとパワーだな」
「そうですか……」
「で、今日最後にやったバスとスネアの組み合わせがいわゆるゴールデンリズム、いわゆる基本のきってやつなんだ。これをマスターすれば大概の曲はこなせるようになる」
「……ま、ヤスが言うんだから間違いは無い。ワタル、体でしっかり覚えろよ」
「お、おう」
こうしてドラム講習、そしてシナモンズメンバーとの顔合わせは終わった。
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