実践

「ドラム?」


「ああ、ドラム。どう考えても有り得ないんだ」

「有り得ない……この曲は基本的に4つ打ちってか4ビートっていうのかな、それに合わせてるつもりなんだけど」

「いや、それ以前だ。打ち込みにしても有り得ない叩き方してるって」

「というと?」

「バスはともかくタムとスネアとハイハットが同時に鳴ってるっつー有り得ない鳴り方してるんだ、お前は手が3本あるのか?」

「あ……」

その言葉を聞いたワタルは全てを理解した。確かにそうだ、何で今まで気づかなかったのだろうか? やはり当初に懸念していた通り、音楽の基本が出来ていなかったのだ。

「そう、ドラムセットはキックと両手、合わせて同時に3音までしか鳴らない、ツインペダルなら両手両足で4音、それでもスティックで打つ音が3つ鳴ってるんだからどっちみち不自然だよな」

「でも打ち込みだから……」

「もちろん打ち込みならいくらでも音を重ねられるんだろうけどな、その辺はまだよくわかんねーけど。だが、聞いてる側からすればどっちもドラムだ。そういう有り得ない部分が積み重なると、演奏全体が不自然に聞こえるんだ」

「……なるほど」

「ま、ワタルの事だから、本物のドラムセットなんか叩いた事ないんだろうな……っと思ってさ、ドラムの基礎を教えるには実践が一番。っていうわけで今日お前を呼んだんだ」


駅前から歩いて7分ほどの場所にあるライブハウス、名前は『クラブジャンクハウス』

「俺たちが一番通った所だ」

元々別の場所で老舗のライブハウスとして営業していたが、3年前に現在のビルに移転し、DJブースと映像設備を入れ、クラブイベントもライブイベントもできるスペースになった。貸しスタジオとレコーディングブースも併設され、お得な学割プランもあって学生でも気軽に利用できたりするので、多くのバンド、そして個人が練習場として利用している。ショウタ達が組んでいたバンド『ノーズスキッド・シナモンズ』もこのスタジオをよく利用していたのであった。

ジャンクハウスは1階がフロントとレンタルスタジオ、地下がクロークとライブスペースになっている。ショウタ達が使うのはレンタルスタジオなので、まずは1階の奥にある休憩スペースに入っていく。

そこには、ワタルと背格好が似ている野郎が1人座っていた。

「おお、ヤス、お待たせ」

ショウタがその野郎に声をかける。ノーズスキッド・シナモンズの元ドラム担当、ヤスである。

「実践を始める前に、うちのメンバーを紹介しておかないとなって。こいつが徳武康人、ノーズスキッド・シナモンズのドラム担当、今は元が付くけどな。俺たちはヤスって呼んでる」

「はじめまして、ヤスっす、ショウタからはいろいろ聞いてるんで、まぁよろしくな」

「はじめまして、ワタル、清水航っていいます。よろしくお願いします」

ヤスから手を差し出され、ワタルは固い握手を交わす、その後お互い軽く会釈をし、隣のイスに座る。ワタルがシナモンズのメンバーと対面するのは今日が初めてである。

「俺だってそんなに教えられるぐらい経験豊富ってわけじゃないけど、役に立てるなら頑張りますぜ! てかショウタさん、解散してすぐなのにもうメンバー探しですか? ちょっと傷心タイムぐらい作りましょうよ~」

「あはは、悪い悪い、まあほら、円満解散だから切り替えてもいいかなって」

「そうでもないでしょ、きたみんもあれから結局音信不通になっちゃってさ、俺と言えば部の先輩とノリの相手ばっかりだからストレス溜まりまくってますよ」

ワタルには分からないシナモンズの内輪話が続く。

「じゃあヤス、軽音の練習の合間に呼び出した上に急がせて悪いんだけど、とりあえずスタジオの受付しちゃうぜ」

「おう、お願いするわショウタ」

ショウタは受付脇のカウンターで申込書を書き始めた。ヤスがイスを引きずりながらワタルのそばに寄ってくる。

「ワタルはドラムをマスターしたいって話だったけど、普段はどんなドラムなんだ」

「打ち込みで」

「打ち込みかー、シンセで?」

「パソコンで」

「パソコンか……俺も欲しいけどさ、なかなか難しそうで手が伸びないんだよなぁ」

「あぁそうそう、ワタルは北商だからパソコンには詳しいんだ」

ショウタが受付で申込書を書きながら答える。北商、という言葉を聞いたヤスの目の色が変わった。

「え? ワタルって北商なの?」

「そうです」

「うはー、うらやましいっす。北商ってきゃわいい女子多いからなー。シナモンズのライブの時もあそこの女子呼べればなー、なんて思ってさそりゃ。なぁ、そうだよワタル、今度北商と若高の面子で合コンセッティングしてくれよ~」

そう言ってヤスは肩と二の腕をグイグイと押し付けてきた。

「いやいや、羨ましいってよく言われますけど……ぶっちゃけ、北商じゃ男子はほとんど校舎の隅に追いやられてるんですよ、女子の会話になんか絶対混ざれないし」

ワタルは押された肩をすぼめて答える。

「えー、なんだよそれーつまんないなー、北商の男子弱すぎー」

そこに、受付に申込書を出してきたショウタが戻ってきた。

「ヤスさ、テンション上がるのは分かるが、その前にさ、今日俺らが来た理由分かるよな? 今日の本題はドラムっしょドラム。ワタル、今日はヤスにみっちり基礎を仕込んでもらわないとな」

「あ、そういう事なのか。それは大丈夫、わかってるわかってる」

ヤスは浮かれてた自身を取り繕うように答える。

「手っ取り早くドラム叩くならスタジオのセットを借りるのが一番だからな、それにここのセットは若高やほかの箱よりいい、そこそこ新しいし。ヤス、ほら、スタジオの鍵」

ヤスはショウタから鍵を手渡される。

「それじゃ、ドラムの準備してくっから、ちょっと待っててくれ」

そう言ってヤスはドアの鍵を開け、スタジオの中に入っていった。それを見計らうと、ショウタが隣に寄って耳元で話しかけてくる。

「ヤスもパソコンには詳しくないから『初音ミク』の事は話してない。話した所で理解されるかどうか分からんしな。今日は、打ち込み専門だったけど本物のドラムに触ってみたい初心者、ってノリで話つけてるからな」

「了解、わかった」

しばらくするとヤスがスタジオから出てきた。

「準備オッケー、入っていいぜ」


ワタルたち3人はスタジオCルームに入る。ジャンクハウスの貸しスタジオの中では2番目に狭い部屋である。吸音材入りの分厚いダークグレーの壁で覆われたスタジオ、その奥に立派なドラムセットが鎮座していた。

「ワタルは本物見るのは初めてか?」

ヤスが聞いてくる。

「はい」

「打楽器やった経験は?」

「ない……ですね」

「じゃ、ゲームは?」

「弐寺、ドラマニ、あとは太鼓の達人ぐらいです」

「あぁ、やっぱりそのぐらいね。俺もドラマニはよくやってるけどね……」

ヤスはそう言うとドラムセットの椅子に座り、備え付けのスティックを手に取る。

「ドラマニやってるんならハイハット、スネア、バス、タムは知ってるね?」

「あ、はい。分かります」

「で、実際のドラムセットは見ての通りだ。ドラマニは6種類しかないけど、こいつはライドシンバルにバス、スネア、タムはハイローにフロアーの3つ、そしてクラッシュシンバル、クラッシュシンバルで、ハイハット、以上の9種類」

ヤスは右手に持ったスティックでそれぞれの楽器を1つづつ叩き、音を出しながら説明していく。

「シンバルやタムなんかは、曲の構成とかバンドの個性に合わせていろいろ組み変えるけどね。でもこいつは基本形だから、これをマスターすれば大抵の演奏はこなせる。で、ドラマニと全く違うのがハイハット。ドラマニではただのシンバル扱いなんだけど、こいつにはペダルが付いていて、ペダルを踏んで開閉できるんだ。まぁこれは実際にやってみれば分かるかな」

そう言うとヤスはハイハットのペダルに足を添え、ゆっくりと踏む。

「こいつを踏むと、2つのシンバルの間が開くようになってる」

そしてゆっくり足を戻してハイハットを閉じ、スティックでハイハットの上の部分を叩く。シャッと乾いた音が鳴る。

「閉じた状態で叩くと短い音しか鳴らない」

ヤスはもう一度ペダルを踏み、ハイハットの間を空け、上の部分を叩く。今度はシャーッという音が響く。

「開くと、隙間ができて響いた音になるんだ」

なるほど、これは難しそうだ。

「渋い顔してるねー」

「見ただけでももうおなかいっぱいです。バスだけでも大変なのにハイハットの操作までやって、さらに叩くとなると……」

「ペダルキックだけで鳴らす方法もあるけど、それも逆に難しいか。まぁ、ある程度できるようになったら教えていくわ。じゃあ早速ワタル君のお手並み拝見といこうか」

そう言ってヤスは手の中でドラムスティックを180度回転させ、持ち手側をワタルの目の前に差し出した。

「はい、やってみます」

スティックを受け取るとヤスが立ち上がり、入れ替わりでワタルが座る。生まれて初めて本物のドラムセットの前に座る、ワタルの背中に緊張が走る。

「じゃあ手始めにハイハットで4ビートを叩いてみよう、1小節4拍、タンタンタンタンのリズムだね、わかる?」

「あ、それは分かります」

「ならオッケー、早速やってみようか」

ヤスは電子メトロノームをセットする。テンポは120bpm、音楽ゲームの感覚からすれば普通の速さ、いや、若干遅いぐらいかもしれない。

「はじめに1小節流すから、それに合わせて、後に続けて2小節分打ってみて」

ヤスはメトロノームのボタンを押す。カチカチとしたクリック音が鳴る。1小節流れた後、すかさずワタルはテンポに合わせてハイハットを2小節8拍叩く。

「うん、思ったより合わせてこれるね。どう? 叩いてみて気づいたは事ある?」

「音圧がすごいってのと、あと跳ね返りが腕に来ます」

「そりゃそうだ、叩けばその分反作用で返ってくる。作用反作用の法則、それぐらいは理科で習ったでしょ?」

「なるほど……」

こんな調子で他の楽器も同じように4ビートで叩いて試していく。出来たら次は8ビートで叩いていく。正直、かなり技術が要るなとワタルは感じていた。タムもスネアも、そしてバスも跳ね返りで手足に来る。


「よし、交代だ。俺が一度通しで叩いてお手本見せるわ」

入れ替わりでヤスがドラムセットの前に座る。そして一息深呼吸を入れ、何かを口ずさんだ後にこう呟く。

「1、2、3、ホッ」

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