二度目

おじさんの家を訪ねて3日後、ワタルが北商から家に帰ってくると荷物が届いていた。

「ワタル、何か買ったのかい? サウンドクラブって所から荷物が届いたけど」

「あ、ああ、うん、今度の北商マーケットで必要なものなんだ」

というのは真っ赤な嘘で、買ったのはもちろんオーディオインターフェースである。ネット通販でなるべく安く、高性能なものをチョイスしたのであった。ワタルは玄関脇に置いてあるダンボール箱を抱え、そそくさと2階へ上がる。

――面倒だな、今度から営業所受取にしようかな?

ワタルはそんな事を考えながら、これもまた母に見つからないようにこっそり部屋に運び込んだポータトーンを押入れから引き出し、カバーをはずし、スタンドを立て、ACアダプタを繋ぐ。

早速、接続作業に取り掛かる事にした。

ポータトーンを確認すると、裏側にMIDI INとMIDI OUTと書かれたコネクタがあった。つまり、こいつとUSBインターフェースとやらを繋いで、そこからさらにPCに繋げればVOCALOIDの打ち込みが出来る。

パソコンを立ち上げ、オーディオインターフェースのドライバインストーラーを起動し、手順に従ってセットアップする。そして一旦再起動をかけ、あらかじめWAVE出力しておいたミクの声を再生して動作確認をする。

「よし、オーディオンターフェースに挿したヘッドホンから正常に音が出た」

その後、インターフェース付属のディスクからCubaseLEとボーナス音源をインストール、起動、出力、全て正常。これで環境は出来た。

『初音ミク』は買えた、USBインターフェースもDAWもなんとか手に入れた、音源も付属のVSTi、そしてフリーの音源をそれなりに揃えた。そして入力の手助けとなるキーボードも揃った。


あとは、作るだけだ。


ここからの進行スピードは早かった。

インターフェースが届いた日にちょうど定期テストが終わったため、比較的時間に余裕ができていたのもあるが、何よりも叔父さんから貰ったポータトーンの存在が大きいのであった。『初音ミク』の声だけで悶絶しながら手探りでメロディラインを作っていた時とは違い、今はポータトーンを使って鍵盤を弾き、音色・音階を確認しながら入力ができる。もちろん、家の中に音は漏らせないので常にヘッドホンを装着しながらの作業ではある。

こうしてプロジェクトのトラックはどんどん埋まっていく。平行してCubaseLEの操作もだんだん覚えていく。

ある日はポータトーンの内蔵音源でノリ・テンポ・音色をひとつひとつチェックしながら、ある日は何故かチャルメラを弾きながら、ある日は猫ふんじゃったを弾きながら、一週間も経つとピアノを習っている人ほどではないものの何とか両手で鍵盤を弾けるようにはなっていた。


こうして時が過ぎ、日付は10月5日。この日発売のDTMマガジンを受け取るため、放課後すぐ駅前の本屋に向かうワタルの姿があった。

「清水航様、こちらがご注文のDTMマガジン11月号で間違いはないでしょうか?」

「大丈夫です、お会計お願いします」

それにしてもひどい表紙だ、と思いつつ、こうしてワタルは無事マガジンを受け取り本屋を後にする。早めに予約してよかった、数少ない初音ミクとVOCALOIDの特集記事に体験版まで付いてくるとあって、巷ではこれも品薄になっているらしいとの噂だ。

まだ時間があるからそこら辺で休んでちょっと中身を見てみるか……とワタルは思い、駅前のベンチに座って読み始める。

そのベンチの前を通りがかる、肩にベースケースを背負った高校生の姿が見えた。

ショウタである。

ワタルは思わず立ち上がり、声をかける。

「ショウタ!」

その声にショウタは振り返り、ワタルの方を見る。

「……ワタル」

「はい」

「……謹んで、お断りだ」

「……まだ何も言ってないけど」

「大体察しは付く」

「……それはこっちも察しが付いてるから」

ショウタはこのまま立ち去ろうとしたが、ふと、ワタルが右手に持っているDTMマガジンに目が行く。

「何読んでるんだ?」

「ああ、DTMマガジン、パソコンで作曲する人のための雑誌だよ。今月号に『初音ミク』を調教するテクニックが載ってるんだ」

「調教って……」

ショウタのその言葉を聞いてワタルはハッとなった。無意識に『調教』と口走っていたのだ。やばい、ミクが載ってるページを見ながらそんな事を言ったら誤解されるに決まってる。ワタルは慌てて本を閉じ、後ろ手に隠す。

「あ、ああ、ごめんごめん。……そうだ、調声、調声だよな、調声」

「いや、どっちにしてもキモいものはキモい」

「……絶対エロゲではないと誓えるんだけどなぁ」

そう言ってワタルはDTMマガジンをカバンに仕舞った。そして、もう一度ショウタに聞く。

「やっぱ、俺と一緒に曲を作ってもらえないのかな?」

「……謹んで、無理だ」

ショウタは一呼吸おいてこう言い放った。

「てかな、お前は作曲作曲って言うけどさ、何か楽器できるのか? ギター弾けっか? ベース弾けっか? 俺はお前の楽器弾いてる姿見た事ねぇぞ、授業でリコーダー吹いてたぐらいだぞ、それもヘッタな」

「まぁ、確かに俺は楽器はできねぇ、このミクだってまだまだあーあー言わせるぐらいしか出来ない」

「アーアーヤメテーとかモロ喘ぎ声じゃねーか!」

「違うわ! アーアーマイクのテスト中ーってやつだ」

「ともかく、作曲は甘いもんじゃねぇ、楽器が出来て、バンドもやってた俺だって1曲作るのにどんだけ苦労したか分かるか?」

この言葉は重い、ワタルは何も反論できずただ黙って聞くしかなかった。

「しかもオリジナルだろ? オリジナルやっても集まらねぇ。無い頭捻って歌詞考えた曲をいざ対バンで披露、空気が凍ってシーンだぞ? お寒い反応しかない」

そういった後、ショウタはベースケースを先ほどワタルが座っていたベンチに立てかけ、座る。仕方なくワタルももう一度ショウタの横に座る。

「曲、作りたいって言ってるけどさ、ならさ、曲の歌詞ぐらいなんか考えたのかよ?」

「……いや、まだ考えてない」

「考えてないのか? どんな曲作りたい? ってのも決まってないのか?」

「迷うなぁ、セクシーなのにするか、キュートなのにするか、キャラソンにするか恋の歌にするか」

「キャラソン……!?」

「あ、ああ……」

またしても口が滑ってしまった、とワタルは思った。

「キャラソンは絶対ありえねぇ、てかとにかく、16歳でセクシーは無ぇ」

「じゃあキュートでいく」

「……好きにしろよ」

そうして2人はしばらく黙り込み、おもむろにショウタが立ち上がり、ワタルの方を見下ろしてこう言う。

「ワタル、この際だから言っておく。音楽が出来る奴に頼むんなら、せめてなんか出来るようになってから出直してこい」

そして、立てかけていたベースケースを背負うと、夕暮れに染まる駅前から立ち去っていった。


ひとり駅前に残されたワタルは、悔しがっていた。確かにショウタが言ったとおり楽器は出来ない。音楽のキャリアも知識もショウタの方が上なのは言うまでも無い。奴を上回るもの、それはパソコン関係の知識ぐらいだが、今の実力では音楽とは結びつかない。

「あー、ちくしょう!」

ワタルは柄に無く声を出して荒げる。こんな気分になるのは珍しい。それだけ心の奥底でワタルが『音楽』に対して本気になっている事の表れであるのであるが、本人は気づいていない。単に誘いに乗らないショウタに腹を立ててるだけ、と感じているようである。


その日の深夜、いつになく『初音ミク』とDAWの打ち込みに熱が入るワタルがいた。

DAWのトラックにはボーカル、ドラム、シンセ、ループ素材と並び、一見楽曲は出来ているように思えるが、ワタル自身は全然出来ていないと感じているのだ。

と言うのも理由がある。

このトラックのメロ、ドラム、シンセの打ち込みは、ネットで調べたり、入門書の通りにしたり、あるいは見よう見まねで打ち込んでいたもので、いわゆる『音楽理論』とかに裏づけされたものではない。一見ノリがいいとワタルが感じる打ち込みであっても、音楽的に正しいかどうかは分からないのだ。

そして一番引っかかるのが、ベースとギターが全然出来ていないのである。

付属音源にもギターやベースはあるが、何とも音が安っぽい。そしてワタルの腕では生っぽい打ち込みをやるのが難しく、ワタルが最終目標とする"正統派バンドサウンド"を再現できないのである。

――やはり、このままではどうしようもない。

この打ち込みを判断するには、誰か音楽知識がある人間にジャッジしてもらうしかない。孝志はぶっちゃけアレで当てにならないし、叔父さんに聞いてもらうのもダメだろう。そして、弦楽器も扱える人間。


やはり……今知る限りではショウタだけだ。

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