ある場所

月曜、教室に入ってくるやいなやワタルの席の前に駆け寄ってくる男子がいる。

言うまでもなく、孝志だ。

「おう、先週のニコ動見たか? ミクの曲がすげぇ一杯上がってきてるぞ。それも国歌とかネギとかのカバーじゃない、ちゃんとした音楽が出来てきたんだ」

孝志は左手に携帯プレーヤーを持ちながらノリノリで話しかけてくる。

「あぁ、もちろん見てはいたけど……」

「これ聞いてほしいんだ、2日前に上がったミク曲なんだけどさ、すごくイケてるんだよ」

そう言うと孝志は携帯プレーヤーをワタルの机の上に置き、耳に付けていたカナル型イヤホンを外し、差し出してきた。

ワタルはそのイヤホンを右耳につけて曲を聞く。

流れてきたのは、シンセサイザーを駆使したエレクトロのインストゥルメンタル、そして、ミクの声に俗に言う『ケロケロ』と言われているボーカルエフェクトを効かせた曲だ。

「あー、これは聞いてた、ゴミのCMで流れてた感じのやつでしょ。リサイークールー、仕分け事業がーってやつ」

「やっぱそう思うかぁ、あー、たしかにさ、聞き初めは俺もワタルと同じ事思ったさ、むっちゃゴミのCMじゃんって、でも聞き込んでみてよ、中身はしっかりミクのテーマソングになってるんだぞ。サビの『あなたに歌声、聞こえてますか』ってほらさ、ミクちゃんが訴えかける歌詞なんだよなーこれ」

孝志は自分の耳にイヤホンを挿し直し、曲の世界に浸っている。


ワタルは漠然とした思いを孝志に話し出す。

「ここ1週間、ちゃんとした曲が増えてきたなーって感じはする。たださ、何となく物足りないなってのをちょっと感じてるんだよな」

「そうか? これでもスゲーと感じるけど」

「……孝志が今までどうだったかは分からないけど、俺はさ、そんなにアニソンとかエロゲソングとかは聞き込んでなくて、いちおう世間並にJ―POPを聞いてきたんだよ、バンプとか、ポルノとかアジカン、あとはレミオロメンって、あとベタなところでビーズとか」

「うわっ、ベタだわー、ちゃっかり流行に乗ってますってセレクト」

「ベタ言うな。まぁそんなんで、言っちゃえばバンドサウンド、正統派っていうのか、なにが正統ってのは分からないけどそんなの」

と、口で言ってはいるものの、ワタル自身は今挙げたグループの曲にさほど深く入れ込んでいたわけではない。どちらかって言えば、クラス連中の流行についていこうとしたり、女子と話すネタにするためとか、苦手なカラオケを克服するため、というか、曲のレパートリーを増やすために聞いていた程度だ。それこそ、その手のジャンルなら、中学の頃からロキノンを読み込んでその手のバンドのCDを買い漁って聴き込んでいるショウタの方が詳しいだろう。

とはいえ、ワタルはそんな当たり前な音楽に慣れ親しんでたのもまた事実だ。

やはり音楽の王道はベースとギターを効かせたバンドサウンド、これもワタルが漠然と感じている音楽の印象なのだ。

しばらくの沈黙の後、孝志はおもむろに立ち上がった。

「あー、なるほど、確かにそんな曲はまだ出てきてないなぁ」

「だろ? もしミクでそういう曲が出てきたら……」

「でも、それをミクでやったらつまらない、多分、というか絶対似合わない、合わない、つまらない」

「そうかぁ?」

「ミクって声そのものも結構キー高めだし、ぶっちゃけ声優寄りじゃん、中の人も声優だけど」

「確かにな、この声質だと」

「それにさ、つまんないってかさ、ツマンネ」

孝志はにやけた顔をしながら両手を開いてツマンネアピールをする。

「そんな曲ばっかりになると、結局今のJ―POPの焼き直しって感じになるじゃん。ただボーカルにミクを使いましたってだけで、歌ってるのは愛だの恋だの夢だの思いだの翼広げて一歩進んで歩き出そうだの、パスタ作って俺マジ感動! とかってゆう、なんかありがちな曲だらけになるよ絶対」

こうなってしまってはもう止められない、孝志はさらに口調を強めてくる。

「それにな、今の野郎グループに乗っ取られてる今年のシングルチャートを見てみろよ、痛い女子がキラキラした扇子振ってキャーキャー騒いで、ドーム埋めちゃう連中だよ? あんなのにチャート乗っ取られるような、お寒~い日本の音楽業界と変わらなくなっちゃうじゃん。野郎以外でもさ、ピンでは売れなくて映画やドラマのタイアップで人気取ってるパターンばっかだろ、今のJ―POPって。下手すると声優のアニソンの方が音楽性たっぷり、てかそのうち逆転するんじゃ? って」

「……それ、孝志の趣味入ってるだろ?」

「俺は割と本気だぞ? むしろ芸能界のマーケティング路線から外れてるからこそ、アニソンには本物の音楽が残ってるんじゃないか、とすら思ってるわ。今の流行がこれだから、誰々をターゲットにしてどちら様をマーケティングしましょうとか、そんな発想で生まれた今のJ―POPに未来は無い」

孝志は自分の席を離れ、ついに教壇の前で堂々と演説を始める。

「あ~あ、ワタルにも分かってもらいたいよなぁ。せっかくネットと初音ミクのおかげでさ、古い音楽業界にとらわれない新しいムーブメントが起き始めてきてるんだからな」

最後に孝志は、右手の人差し指を天に掲げてこう語る。

「初音ミクは今までの常識を覆した、誰にも縛られないアイドルなんだ! お金にもビジネスにも縛られず、自由に歌えるんだ」

……教室が途端に静まり返る。

もちろん、孝志の説得力を持って皆を黙らせたわけではない。その場にいたクラスメイトの大半が、何言ってるんだこいつは……という、白けた空気が支配したが故の静寂だ。

しばらくの間の後、ガラガラと教室の戸が開き担任の山崎先生が入ってくる。もう朝のホームルームの時間だ。

「威勢のいい声が聞こえてましたね、誰かが演説してたんですか?」

クラスメイトからは苦笑が漏れる。


この日を境にワタルはテンションが狂ってしまった、と言うよりも『初音ミク』で直球の音楽に取り組もうと決めて以来テンションが狂ったままになっているのである。

先週に買った入門書を見つつ、フリーのソフトウェア音源を漁ったりDAWを捜したりしてるが進歩は見られない。こんな調子で一週間以上が過ぎた。9月後半からは定期テストの勉強や検定対策に追われる。その合間になんとかDTMの知識を付けようと頑張っているが成果は出ていない。そしてなにより、音楽に関しては圧倒的にアドバンテージがあるショウタに誘いを断られた、という心理的ダメージもワタルに重くのしかかった。今思い返してみれば相当な無茶振りではあったが、あれはあれでワタルは真剣であったのだ。


さらに追い討ちをかけたのが、この一週間、ニコ動にはキャラソンと呼ぶべきオリジナル曲が続々とアップロードされていた事だ。さっきのゴミの曲、恋する曲、あなたの曲、そして一番人気になっていたのが『みくみくにしてあげる♪』だ。このキャッチーで軽快、そしてハイテンポなノリのキャラソンが今、ニコ動で爆発的にヒットしていたのである。

奇しくも、ワタルが予見した"カバー詰まりの後の直球音楽勝負"が的中していたのであった。

だが、成り行きを予見できても、今のワタル自身がその恩恵に授かれなければ頑張りようが無い。


まずは、作曲だ。


その日、ワタルは放課後に『ある場所』へ行こうと心に決めていた。放課後が待ち遠しいワタルであった。


放課後、川の向こう側にある地区、その住宅街にある一軒の家の前にワタルはいた。

玄関の横にあるインターホンを鳴らす。

「叔父さん、こんばんは」

「おう、こんばんはワタル君、ちょっと待ってな」

インターホン越しのやり取りの後、玄関のドアが開く。出迎えてくれたのはワタルの叔父さんであった。

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