恥辱とよからぬ事

ワタルの、ワタルによる、ワタルが手掛けたオリジナル曲の誕生であった。


ロールのエンドと共に訪れる静粛、ヘッドフォンから聞こえるプツッというノイズで我に返った。

途端、体が震えだす。そして、おおおお、っと口から思わず声が漏れる。

ワタルはたまらずマウスから手を離し、胸のところで両腕を組んで震えを止めようとする。

――なんだ……? この強烈な恥辱感……?

今まさに感じたこの『震え』は、今までの入力作業で感じてきた『気恥ずかしさ』とはまるで違う、強烈で重たいものである。でも、この感触、意外にも『初めて』ではない気がする。以前にも似たような事を感じた記憶があるのである。


ワタルはすぐに思い出した。

ボイスレコーダーで録音した『自分の声』を聞いた、その時と同じ感覚だ。


人間が自分で発する声は、骨伝導の影響により、他人に聞こえる声とは違うものに聞こえる。そのため、ボイスレコーダーに録音した自分の声は、自分の声であるにもかかわらず、まるで他人の声のように聞こえてしまう。その違和感と同じものがまさに今『初音ミク』の声を通して伝わっているのだ。


この時、ワタルは思い知らされた。


今までニコ動で見た動画の曲、そして打ち込んできたカバー曲は、全て他人が作った曲であり、他人が歌っているのを真似たもの、歌っているのもいわば他人である初音ミクである。すなわち他人の声を他人の声で聞く事には何の違和感も感じない。

だが、まさに今日、『初音ミク』に歌わせたその歌詞は、全てが己の知識や思考、感情を基に作られたもの。本来は自分の声から発せられるべきその歌詞を、自分が聞き慣れている『声』とは全く違う『声』で返される。

――だから、違和感を感じたのか。

己の思考そのままを、ありのままの形で、初音ミクと言う他人として客観的に見られる姿に反射する。一見ヲタ向けの萌えキャラのような容姿をしていながら、例えていうなら『自分の姿』を映す鏡みたいなものなのだ。

ワタルは思わず机の引き出しからパッケージを取り出す。そこには相変わらずのキュートなミクちゃん! がいる。だが、その日からワタルの見方は180度変わった。

――自分の歌詞を歌わせると、このミクは俺の姿になってしまう。ちょっと考えた歌詞だけでこんなに違和感を覚えてしまう……そんな俺に、作曲なんてできるのだろうか?

「なるほど、初音ミクのプロデュースというのはこんなにも恐ろしい行為なのだな……」

この日、ワタルは『初音ミク』による「創作」を通じて、改めてこのパッケージに秘められた魔力を思い知らされたのであった。


日曜、駅前の本屋で音楽関係の本を物色するワタルの姿があった。


パソコンで音楽を作る。

言葉にするのは簡単だが、音楽の理論だけにとどまらず、楽器、ソフトウェア、シンセサイザー、そしてデジタル機器の扱い方など、とにかく覚えなければならない知識が多い。ネットで調べる事もできるがそれでは時間がかかる、ならば一冊にまとめられた本に載っている事を覚えてしまえばいい。ワタルはそういう感覚で棚に並ぶDTM関連の本を手に取り、ひたすら目を通していた。だがそれは普段の勉強と同じ。そう簡単に頭に納まるものではない。次々と見ていくうちに、目、肩、腕、腰に疲労が溜まってきた。

「……大変だ」

ワタルは一旦休もうと考え、手に取っていた本を元の棚に戻し、目ぼしいと思い平積みの本の上にキープしておいた入門書を一冊持ち、レジに向かう。

レジ脇のディスプレイスペースには『先行予約受付中! 話題の初音ミク体験版収録!』と書かれたPOPが張られている。

この本も入手しておかなければ……と、ワタルは思った。『初音ミク』はもう買ってしまっているのだが、調教のテクニックとかが載っているだろうし、何よりも作曲の知識が欲しいからだ。

すぐさまPOPの下に置いてあったDTMマガジンの予約伝票も手に取る。

入門書は若干高めの買い物であったがワタルの財布はまだ余裕があった、シマダ電機のポイントで節約した分がここで効いてきた。


同じ頃、駅近くのライブハウスで、ただひとり黙々とスタジオに篭り個練をしているショウタの姿があった。

壁に貼ってあるキッチンタイマーが鳴る、利用時間終了のコールだ。ショウタは慣れた手つきで撤収準備に入る。

「Aルーム、あがりました」

「お疲れ様、整理整頓は」

「ばっちりです、タイマーと鍵、置いときます」

そう言ってショウタはカウンターにタイマーと鍵を置く。

「ああ、ショウタ君、昨日はノリ君とヤスト君が来てたよ、来週の千本祭が終われば若高の部室にずっと篭りっきりになるからなかなか来れなくなるって言って」

「ですか、これでようやくあいつらも正式に部活動ができるって感じですね。マスターも千本祭に来るんですか?」

「手が空いたら覗きに行くよ、3年の奴らも結構ここに顔を出しているからな。で、それよりだな、ショウタ君の去就はどうするんだ?」

「……それはまだ決まってないですね。とりあえず定期パスの期限が切れるまでは個練させてもらいます、ストレス解消にもなりますから」

「ショウタ君もそうだが、麻未ちゃんも急に引っ越すとかで驚いたよ。水曜日にね、親の転勤だって言ってわざわざ挨拶に来ててな」

――マスターには離婚とは言ってないのか。

まぁ本当の事を言う必要も無いだろうと、ショウタは気持ちを押しとどめた。

「……ま、とにかく、俺はまた来週も弾きに来ます。その間にゆっくり考えます」

そう言ってショウタはライブハウスを後にした。


DTMマガジンの予約を済ませ、今日買った入門書を手に本屋を出ようとするワタル。

そして、適当な雑誌でも物色しようかなと本屋に入ろうとするショウタ。

2人は本屋の前の歩道で出くわしたのであった。


「お、総書記のワタル」

「委員長のショウタ」


ものすごくご都合主義ではあるが、2人は中学の時の同級生である。中学卒業後はワタルは北商、ショウタは若高に進学した。2人はこの時、卒業後初めて再会したのであった。

「あのさぁ、俺も高校生になったんだから普通に名前で呼ぼうぜ、今更中学の呼び名を言ってられないでしょ。それも総書記なんて」

「実際ワタルが書記だったんだから仕方ないさ、それで総書記」

何の因果でこういう呼び方をしていたのか……。2人は向かい合って、互いに苦笑いを浮かべる。

「何やってたんだ?」

「普通に本買ってたわ、これ。で、ショウタは?」

「これから本屋寄るとこ、まぁ夕方までの時間つぶしなんで何も買わないけどな」

「……俺は本見すぎて、目と肩を休ませたいんですけど」

こうして2人は駅前のベンチで休憩する事にした。ワタルは深く座り込み、ショウタは手持ちのペットボトルの飲み物を飲む。


「うちの中学は担任の指名で委員を決めてたんだよな、委員の押しつけ合いがいじめの温床になるって理由で」

「それでショウタが委員長、ヒロシが副委員長、で、俺が書記になって、テキストを配ったりアンケートを回収したり、生徒会に出す書類を作ったり」

「で、俺が生徒会の会議に出たり」

「体を使う仕事はいつもショウタ、事務が全部俺。でいつの間にが俺が総書記と呼ばれるようになっちゃった」

「一番得をしたのはヒロシなんだよな、ちくしょう」

2人共、中学時代の思い出に話が弾む。

「ワタルは高校でも生徒会とかやってんのか?」

「やらねぇよ二度と、でも北商じゃ全員なんか仕事やらされて企業とかJAとか連れてかれる。ニュースで聞いた事あるだろ? 『北商マーケット』ってやつ」

「あぁあれか、あれの準備って1年からやらされるんだ?」

「そう、もう来年に向けて企業回りの班編成とかマーケット会議とかやってるんだわ、年末には仕入れ予算の取り纏めもするみたい」

「で、ショウタはどこ行っんだっけか?」

「若里高」

「若高か」

「無難に普通科にしたよ、下手に工業とかに行ったって身に付くかどうかわからねぇし」

ワタルは再び背もたれにもたれかかる。その時、ベンチの脇に置いてある、ショウタがさっきまで肩に下げていたケースに目が行った。

「そのケース……高校でもベース続けてるんだ」

「あぁそうだ。あの時のやつだ、一応続けようと思ってね」

「だったな。去年の夏休み明け、中学にそのベース持ってきてたな。ショウタが何の前触れもなく突然、平然とケース担いで登校してきたから騒ぎになったんだよな。クラス中が『おいショウタ! 何持ってきてるんだ! 早く隠さないと怒られるぞ!』って。それで俺がすかさずケース奪って掃除用具入れに放り込んで、その日はバレずに済んだんだ」

この話を始めてから、二人の顔は共に真剣になっていた。

「あの時は、単に1年遅れの中二病にかかったのか? って思ってたけど、今でもガチでやってるんだなって」

「その時から演奏できるようになりたいって思ってた。学校に持ってきたのは……確かに、何となく自慢したかっただけだけどな」

「やっぱりそういう事だったんだ。というか、若高にも軽音楽部あるんだっけ?」

「あるけど入部はしてない。見学はしたけど練習の縛りが長くてダメ、バイトの都合もあるから抜けれないのはきつくて。空いた時間にスタジオ行って練習してる、てか今日も練習してたわ。そこで若高と若高じゃない奴とバンド組んで、組んで、って……いや、組んでたんだけど、こないだ解散というか何というか……」

「解散!?」

ワタルは驚いた様子でショウタの方を向く。

「解散はしたんだけ解散しなかったっとも……ともかく解散だ、うん」

「はぁ」

2人は共にため息をつき、下をうつむく。

「色々あるんだけど……まぁいわゆる『音楽性の違い』って感じ」

「そっか。ショウタもそこまでハッスルしてたんだ」

「……そういう意味じゃないんだが」

しばらくして、ワタルは顔を上げ、ショウタの方を向いてこう話す。

「解散したって言ったけど、これからどうするんだ?」

ショウタはやや前のめりになり、胸の前に両手を組む。

「まだ何も決まってない。今更若高の軽音部に入るって気にもなれないし、さっき言った通り俺はバイトがあるからな。とりあえずスタジオの利用パスが来月末まで期限残ってるから、それまでは個練をするつもりだ」

「そうか」

ショウタが組んでいた手を解き、ベンチにもたれかかる。ワタルもつられてベンチにもたれる。


この時、ワタルはよからぬ事を思いついた。

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