創作という行為

月曜日、いちはやく北商の教室に飛び込んだワタルは、真っ先に孝志の席の前に駆け込む。

「……買えたぞ、ミク」

ワタルは孝志に対してドヤ顔を決めていた。

その姿はもはや勝ち誇ったかのようだ。いまや入手困難になっているあの『初音ミク』を買えたという自信、その自信に満ち溢れた感情をありのままに曝け出している。

「……マジ?」

孝志は驚きを隠せない様子で尋ねる。

「マジ」

「マジ? マジで買ったのか?」

「……ああ、買えた」

その言葉を聞いた孝志の顔からは幸せの笑みがこぼれてくる。

「ワタルもやるじゃん! よっし、じゃあ今日もワタルの家に行くぞ! じっくりと……その、調教とやらをさせてくれよ」

「あ、それは……ダメだ」

――ここ最近毎日来てるからね……。

昨日の母の言葉を思い出したワタルは急にテンションを下げ、孝志に背を向ける。

「え? なんでだよ!? ワタル、お前、ミクを一人占めにするつもりか?」

「そうじゃねぇ、母さんに言われたんだよ……孝志くん、毎日ウチに入り浸ってる! って」

「あちゃー」

急転直下の展開に、孝志はややオーバーアクション気味に両手で頭を抱える。

「シマダ電器にあと1本残っていたから買って来いよ、他の誰かに買われっちまうかもしれねーから急ぐんなら今日中だ」

「だーかーら、俺がミクだけ買ったってだめなんだって! マイパソコン持ってねーし、父さんのパソコンに入れたら何されるか分からねぇし」

「てかさ!」

ワタルはそう言うと再び孝志の方を振り向く。

「まずそこだって! だいいち孝志も同じ北商でパソコン必須だってのに、自分のパソコン持たないほうがおかしいんだって」

「……仕方ないだろ、ウチの親が『学校にあるんだからそれを使え』っね、会計も簿記も電卓とノートがあればできるだろって」

「その通りだな!」

「その通りだな! じゃねーよワタル!」

「ならあとは自分で金貯めて買うっきゃないよな、それは許してもらえるんだろ?」

「それ以前に金無い」

「じゃあ我慢しろよ」

「インターネットを引けば実質1円でパソコン買えるのにって、あーちくしょう! 金持ってるワタルが羨ましいわ!」

「金持ってるって……そんなに持ってねぇよ」

話が落ち着いたところでワタルはようやく自分の席に座る、といってもワタルの席は孝志の席の前だ。

「てか、実は俺も金を貯めなきゃならない理由があってだな」

「どういう事?」

「俺もうっかりしてたんだ、せっかく『初音ミク』を買ったのはいいんだが、それに浮かれてて肝心の音楽を作るソフトを持ってなかった」

「……つまり、どういうこと?」

孝志がもう一度聞き返してくる。

「ピアノとかシンセとかドラムとかギターとか……とりあえず楽器が鳴るやつ」

「え? そういうのも付いてきてるんじゃねーの?」

「無かった、マジで声しか出せないソフトなんだ、VOCALOIDって」

「そうなのかぁ。じゃあどうするのさ? あのアホな声だけそのまんまニコ動に上げるってわけにもいかないだろ? 違うソフトで出来ないのか? あとなんかのシングルのオケとか?」

「それは俺も思いついたんだけど、オケの音をエディッタで読み込めなかった、まぁその前にまず調教に慣れないとって。練習で北商の校歌でも歌わせてみるか?」

「やめwwwそんなのつまんねーって」

2人は席を挟んでハイテンションで騒いでいる、その時。

「おーい清水!」

背後からいきなり大きな声で呼びかけられる、丸山さんだ。

「2人で騒いでるけど、ちゃんとプレゼンのCD作ってきたんでしょうね?」

「あ、ああ、はいはい。バッチリ作ってきてますよ、ほら」

ワタルはカバンからDVD-Rを取り出し、丸山さんに見せる。

「あ、そう。じゃあそれ先生に渡しといて」

――あ、そう。って俺に提出までさせるの? ていうかメディア代請求しないと……

とワタルは思った。

「丸山さん」

「あ?」

「……なにか、忘れてませんか?」

「あ、そうだこれ、メディア」

丸山さんからCD-Rを受け取る。包装から察するに100円ショップで買ってきたもののようだ。国産のDVD-Rを使ったんだが、まぁ文句は言えないな。ワタルは大人しく妥協する事に決めた。

「……どうも」


ほどなくして教室に山崎先生が入ってきた、もうすぐ朝のホームルームの時間である。

――ま、放課後じっくり練習しよ。

「起立!」

「礼!」

ワタルは気持ちを切り替え、この日の授業に専念する事にした。


ワタルのパソコンに『初音ミク』をインストールしてから5日が経った。


放課後、北商から帰ってきてから夕食までの間、そして夕食後の風呂から夜遅くまでエディッタの操作に明け暮れた結果、音階を打ち込む、ダイナミクスとピッチを変化させる、歌詞を入力する、再生ボタンを押す、保存する、エクスポート、等。歌わせるまでのだいたいの工程はこなせるようになっていた。

インストールした初日はドレミファソラシドの音階だけを悶々と弄るだけの状態だったが、翌日はちょっと頑張ってカエルのうた、その次の日はドレミの歌、で、今日は何を打ち込んでいるかというと……大塚愛の『さくらんぼ』である。

――これならいけるんじゃないかな?

悶絶にも慣れ、初心者ながらその歌声の出来に自信をつけていたワタルは、そろそろニコ動にでもアップロードしてみようかなと思い……

――いや、待てよ?

もう既にカバーを作ってあげている人がいるかもしれない。そんな思いに不安に駆られたワタルは、ニコ動の検索ワードの入力欄にに【さくらんぼ 初音ミク】と打ち込み、クリックする。


いた。

かぶってるじゃないか……。


アップロード時間は昨日の深夜、一足遅かったようだ。仕方がない、なんか違う曲を打ち込んでみるしかないか。と、ワタルはブラウザを立ち上げ、検索ワードを入力しようとする。

その時、ある疑問がワタルの頭をよぎった。

――このままミクがカバーを歌わせられ続けて、有名曲をあらかた網羅したとしたら……次は一体何を歌わせればいいのか?

こうしている間にも、ニコ動にはカバー曲動画がアップロードされ続けている。ネタが切れるのも時間の問題だ。そうなれば、ミクの動画はアップされなくなる。そうなると動画の再生数も伸びなくなる。今の熱狂も冷め、誰も初音ミクをプロデュースする人がいなくなり、ブームは終焉……。

――この状況で、今更カバーをニコ動にアップしたって、誰も見てくれないのではないか?

ワタルは急に目標を見失った感覚に陥っていた。ワタル自身の調教によるミク、すなわちワタルが手がけたミク動画が注目を浴びる、その道が絶たれかけているのである。行き着くのはそこなのだ、誰も見てくれないと『頑張って作る』意味がないと感じているのである。

「あー、嫌になってくる」

ワタルはチェアの背もたれにもたれかかって両腕を伸ばす。

――頑張ってとなると、他にどんな方法がある? さぁ、どうすればいい?

後頭部に手を組み、天井を見上げながら悩む。

――考えるんだ。

『さくらんぼ』でネタ被りをしてしまった今、他の手段で注目を浴びるしかない。

――知る人ぞ知るドマイナー曲を歌わせてみるか?

いや、曲自体がマイナーだから検索自体されない可能性が高い。

――いっその事、喋らせてみようか?

ワタルは再び画面に向かい、ピアノロールにコピー&ペーストでノートを大量に並べ、歌詞の一括入力画面を呼び出す。

【むかしむかしあるところにおじいさんとおじいさんがあ】

「いやいやいやいや! 絶対ムリがある!」

天を仰ぎ、デスクに両肘を立て、頭を抱えて悩む。

――いや、待てよ?


(それならば、いっそ直球で"音楽"を作ったほうがいいのか?)


自分で作った曲であれば音階も自由、歌詞だって自分で決められる、そして何よりも、カバー曲とは違い"本家"と比較される事がなくなる。つまり先入観なしで聞いてもらえる、調教の面においても心理的に有利になる。

「そうじゃん、これってそもそもそういうソフトだろ!」

ワタルは思わず口に出してしまった。

てか、何で今まで気がつかなかったんだ? というか、VOCALOIDは仮歌用として開発されたソフトである、というのをどこかのニュースサイトで見た記憶がある。いい事尽くめじゃないか! と、ワタルの心に再び明かりが灯りだしたのもつかの間、またこの事を思い出す。

――オケはどうする?

「声以外の部分はどうするんだよ……俺、楽器なんて持ってないぞ」

この場に来て重要な事をド忘れしているのである、そもそもさっきまで打ち込んでた『さくらんぼ』だってオケをどうするつもりだったんだよ! って話である。

だが、もはや音楽の道に進む以外に道は無い。考えを逆転するんだ、頭を切り替えるんだ、と悩みに悩んだ末、ワタルはこの結論に辿り着いた。


("声以外"の部分は作れない。だが、"声"だけなら今すぐにでも作れる)


まずは先行してボーカルパートを作り、オケは後で勉強して作ればいい。ついでにメロディーラインも『初音ミク』で作ってしまえ、という流れである。


「やってみるか」

ワタルは再び画面に向かい、新規で真っ新なピアノロールを立ち上げる。そして、ノリのいい音階、ふんふんふん~、ワタルは音階を試すような感じで鼻を鳴らす。あんな上がり方がイイな、こんな落とし方がいいな、そうしていい感触だなと思えた音を、耳コピの要領でピアノロール上にノートをマウスでクリックして置いていく。

――とりあえず、発音はすべて『ふ』で打ち込んでおこう。

ノートを置き、再生をしながら音階を調整していく。こうして作業を続けること30分、エディッタのピアノロールに、ようやくAメロと呼べそうな感じの音階を打ち込んだ。

ワタルは早速、ロールの再生位置を先頭に戻し再生ボタンをクリックする。


"ふふふふふ、ふふふふふふふ-、ふふふふふふふ"


――いや、そりゃあ「ふ」しか打ち込んでいないのだから「ふ」としか言えないよな。

「歌詞……」

何を歌わせるべきか。ラブソングか、愛か、悲しみか、童謡か、レクイエムか。

……考えろ、きっと何かいいネタがあるはずだ。

ワタルは一旦エディッタの作業を止め、メモ帳を立ち上げる。思いついた単語をひたすら打ち込んでいく。4~50個ほどの単語を打ち込んだ後、コピー&ペーストを繰り返し、なんとか歌詞のようなものができた。

【どうしても いないとだめなの おねがいだから】

なぜこういう歌詞になったのかは分からない、メロディーにあった文字数だったからか、はたや思い出の片隅に刷り込まれていた台詞なのか、とにかく気づいてみたらこういう歌詞になっていたのである。

一括入力で流し込んだ歌詞とノートのズレがないかを確認した後、ワタルは再生ボタンを押す。


この瞬間、始まったのだ。

彼はこの日、人生で初めて、創作という行為に手を染めた。

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