もう一人

 ワタルが『初音ミク』の操作に奮闘していた土曜日の夕方4時頃、場所は駅近くのライブハウス、そこにもう一人の高校生、ショウタがいた。


「おっす、ショウタ。今日も早いね」

 ライブハウスの入口前で佇んでいたショウタに、同い年ぐらいの高校生が声をかける。

「おっす、ヤス、今日もとりあえず"全員"揃いそうだ。ノリはもう奥に行ってるし、きたみんも今駅前に着いたってメール着た」

「おー、じゃあよかった、今日は"大事な話"があるって言うからさ、メンバー全員が揃わないとダメだよなって」

 ショウタがヤスと呼んでいるその高校生は、その知らせを聞いて一安心といった顔をしている。2人は揃ってライブハウスの中に入っていく。通路の先の一角にある休憩スペース、地元バンドのフライヤーやステッカーがベタベタ張られた壁に自動販売機、プールサイドに置いてあるような白いプラ製の椅子とテーブルが3組並ぶ。その奥の組にノリと呼ばれている高校生が座っている。今日は空いているのか、周りの席には誰もいない。

「おっす、ノリ、今日は補習無かったのか?」

「あぁ、なんとかな。てか誰もいねぇな、今日はぜんぶ貸切?」

 ヤスにノリと呼ばれた高校生がそう答える。

「いや、空いてるだけ」

 ヤスがノリにそう返事をする。

「まぁ、誰もいねー方が都合がいいわな、今日は"大事な話"をするからな」

 2人に向かってショウタが言う。そうして3人はノリが座っていたテーブル席に並んで座る。


「こんちわー、みんなお待たせ」

 3人が座っているテーブルの前に、彼らと同い年ぐらいの女の子が小走りで駆け込んできた。

「おっす」

「ちわっす」

「お疲れ様でーす」

 その女の子に、ショウタ、ノリ、そしてヤスは息を合わせたかのように返事をする。メールで駅前に着いたと言っていたきたみんと呼ばれていた子だ。

「失礼しまーす」

 きたみんはそう言って空いているイスに座る、それを確認すると、ショウタが口を開く。

「おっし、これで『ノーズスキッド・シナモンズ』全員揃ったな?」

「おっす」

「はーい」

「揃ってまーす」

 残りのメンバーがショウタの呼びかけに応える。その返事を確認したショウタが口を開く。

「今日は"大事な話"が2つある。どっちもシナモンズの存続に関わる話だからしっかり聞いてほしい」

 "大事な話"と言ったせいか、他の3人は返事をせず押し黙ってしまうが、その様子に構わずショウタは話を続ける。

「まずは……9月15日のワンマンライブ、これのチケットノルマが20枚、今日までまだ10枚しか売れてない」

「10枚かぁ……」

 ヤスが落胆してため息をつく。

「で、売り上げの内訳が、ヤスが2枚、ノリが5枚、きたみんが3枚、そして俺がまだ売れてない」

「ショウター、せめて1枚は売ってきてよー」

 きたみんは苦笑いつつも、ショウタに励ます感じで言う。

「でも今回も持ち時間30分ショートなんだよな、トークやらなくても実質3~4曲しか歌えない、これで、このチケットの値段。売る方も自重しちゃう」

 ノリが口を開く。

「そうだな。ワンマン言っても機材はそのまま、しかも同じ日に他のバンドとの交代アリで時間は40分区切り、ぶっちゃけ合同のやつなんだけどね、その分ドリンクチャージなしのチャレンジ枠とは言えお客さん総入れ替えじゃねぇ」

「きたみんが合流した6月からこの月例チャレンジャーで実績積んで、今日までショートながら2回ワンマンライブやってきたんだけど……」

「過去2回でチケット買ったお客さん、イコール観客とすると延べ15人」

「買ったけど来てないって人いるのね」

「いや、来てるけど『俺ら』だから」

「あぁ……」

 その発言にメンバーが皆沈黙する。

「きたみんが入ってくれたから、お客さんももう少し増えるかなって思ったけど」

「そうは言っても大事なのは音楽性だからな」

「いや、案外ボーカルって大事だぜ、特に女子。かわいい女の子が歌ってるってだけで注目度があがる」

 ショウタはそう言い出す。

「なによそれ、その言い方だとさ、私がブスだから伸びないって意味なんじゃないの?」

きたみんがむくれ顔で言い返す。

「いや、そういう意味で言ったわけじゃ……」

「お客さんにはまだきたみんの魅力が伝わってないんだろ。そりゃきたみんが恥ずかしいって言ってフライヤーに写真載せてないからな」

 ヤスがフォローに入る。

「そもそも性別すら載せてないしー」

 きたみんがそう付け加える。

「ともかくまだ俺らシナモンズは世間には知られてないし、きたみんという素晴らしいボーカルがいるってのも知られてないんだ、まずはアピール、アピールをしていかないとね」

 ヤスが力説する。

「口コミで広めるにしたって、広まるまでに時間かかるからさ、であればもうちょっとショートでもいいから忍耐強く出てみないと覚えられないよ」

「となると毎回ノルマ20枚はきついんだよ」

「でも極力金をかけないとなったら月例チャレンジャーしかないし、かといって対バン枠だとその他大勢で埋もれちまう」

「その対バン枠ですら全体じゃ人は大して集まらないから、ならショート枠でもまだ名前ピンで出るだけチャレンジャーの方が目立てるじゃん」

「だがさ、売れない分のチャージを俺達のポケットマネーで持ち出すのもきついし、かといって打開する方法も無い」

「この10枚だってうちとヤスん所と軽音部のツテでやっと売ってきたんだよ、でも純粋に聞きに来てくれる人は女の子2人だけ」

「いやさ、そいつらの片方もぶっちゃけヤスの彼女だし」

「おいマジかよ!」

「もう一人の方もその彼女の友達で、友達の頼みでって事で渋々ついてきてる、こんなの続けるとかわいそうって思う、あぁ完全に内輪だ、内輪」

「さぁどうするか? せっかく全員集まったんだから真剣に話したい」

 ショウタはそう言い出す。

「……そこで、もうひとつの重大な話に繋がっていくんだ」

 おもむろにヤスが席を立ち、話し始める。

「そもそも俺とノリがショウタと組んでシナモンズをやり始めた理由、知ってるよな?」

「知ってる、てか何度も聞かされてる。若高の軽音部で練習できないから、自分たちでバンド組んで自主練はじめたって話でしょ?」

 きたみんが答える。

「そうそう、それが今年の秋になり、再来週に3年の先輩方が千本祭、あ、若高の文化祭ね。そこで武道場を箱にしてカッコイイ演奏を披露して引退するのが慣例になってるんだ。で、引退後は全部後輩に引き継ぐ、で、2年生部員にはドラム出来る人がいないんで……来年は俺が飛び級昇格する」

「えー、じゃあ」

「ハッキリ言う、千本祭が終わったら俺は軽音部に専念したい」

 同じ若高の軽音部としてこう言われる事を覚悟をしていたノリだが、表情は暗い。ヤスの口から出たその言葉を重く受け止めているようだ。

「みんなには俺が軽音に入ってるってのは知ってもらってるし、そんなわけで、正直言ってしまえば、シナモンズの活動はいわば部の練習のためにやってたってのも……ある。1年生部員は部室使わせてくれないし、部室の外で叩くのも禁止、学校じゃ練習する場所が無かったんだ、そんな事情だから先輩方も早抜けでバンドやるのを黙認してくれてた」

「じゃあ、その先輩方が引退すれば……」

 きたみんが聞き、

「部に合流しろ、ってなるよねーそりゃ」

 ノリも続けて話し始める。

「ついでに言うと、正式に軽音部でデビューってなれば、もうおおっぴらにここのライブには出られなくなる。うちの軽音部さ、正式な部活動として認められてる代わりに、学校が指定したライブ、あとは千本祭にしか出れないって決まりがあるんだ。その決められたライブってのも合同発表会ってお堅い名前で、要は高校同士でやる対バンていうか演奏会、どっちにしても、あんまり人集めてプレイで魅せるようなもんじゃないらしいけどな」

 ヤスは続ける。

「というわけでまとめっと、今話した事情で俺は千本祭が終わる10月以降はまず集まれない。平日は間違いなく。で、どうするか悩んでる」

「そしてね……」

 続けるようにきたみんが口をあける。

「私……シナモンズの中で私だけ高校違うから、2年生になったら授業のペース上がっちゃうし、私ってぶっちゃけあんまり成績良くないから補習も増えるかもしれない。そうなると親もうるさくなるし、放課後、あまり……抜けれなくなる、かも」

「きたみんもか、まあ親あっての事だし無理は言えないけどな」

「さあ、どうするか? みんなじっくり考えてほしい」

 ヤスのこの言葉で空気が区切られる。話を聞いていたメンバー全員が一斉に下を向いて黙り込んだ。

 ここまで話してしまえば、シナモンズの運命は誰の目から見ても明らかである。

 解散だ。

 彼らのテーブルの周りに重い空気が漂う。

 ――2分の沈黙の後、

「じゃあまず俺から言うわ」

 その空気を断ち切るかのようにショウタが話し出す。

「俺からするとさ、ノリとヤスには今ここでなんとなく集まってるよりは、軽音部で頑張ってほしいと思う」

「えっ?」

 その言葉に、他のメンバー全員が驚いた。

「意外っす……」

「ショウタは真っ先に反対すると思ったけど……」

「俺も最初はグッとなったわ、そりゃな。でも、よく考えてみっと、音楽的にブレるわけでもない、喧嘩したわけでもない、演奏ができなくなるってわけでもない。いや、むしろ逆だよな? ノリとヤスは本来若高の軽音部員、だから、そっちで順当にステップアップできてレギュラー務めるってすごくね?」

「まぁ、確かに……ね」

「何も悪くないよね?」

「ああ」

「そもそもシナモンズを結成したのは何故かって考えれば、どうするかはハッキリしたと思うんだけどなぁ」

「ライブやチケットノルマに追われてて、本当の目的を見失ってたってか」

「そうかもしれないし、半年活動してなんか可能性を見出したのかもしれないし、うん、よくわかってない」

「むしろ将来性がないって気づいたほうが辻褄が合うかも」

「やだ、それひどいし」

「ともかく、仲が悪くなったって話ではないから、今後一生組めないってわけでもない。ライブ出演をメインに考えなきゃまた集まりたい時に集まればいい」

「そうなんだよ、時間があればいつでも集まれるって考えれば、ね?」

「ぶっちゃけノリとヤスが3年になって引退しちゃえばさ、好きなだけやれるんだぜ? きたみんもそれぐらいになれば余裕できるっしょ」

「3年になっちゃえば通学時間減るし、余裕出来るからな」

 メンバーの間の空気が徐々にゆるくなっていく。

「でもさぁ……」

 きたみんがボソっとつぶやくように言う。

「なんだよ」

「ノーズスキッド・シナモンズ、愛着出てきた頃なんだよなぁ……」

「そりゃあなぁ」

「これからきたみんを派手に売り出そうって所だもんね」

「売り出すのはともかく、私はそれだけかな、不満は……だって、楽しいもん」


 シナモンズメンバーの様子を見ていたライブハウスの店長が寄ってきた。

「なんだか解散解散って騒いでるからこっそり立ち聞きしてたけどな、なんだかお前ら、随分真っ当な理由で解散するんじゃないか。びっくりしたなー、今時こんな潔い解散の仕方をするバンドがあるのかって思った」

「え? そんなキレイですか?」

 皆が店長に聞き返す。

「そりゃキレイだよ、特にヤス、ノリ、君らは軽音部に専念するって明確な目標がある、それだけでも十分キレイさ。大抵のバンドは、お前が目立つのが気に入らない、あいつが女の子にモテるのがムカつく、どっちの背が高いかで争った、オートレーサーを目指したくなった、って理由で解散しちまうのさ。俺に言わせりゃ単なるガキの喧嘩さ、そんなくだらねぇ理由を全部ひっくるめて何故か『音楽性の違い』ってなるんだけどな」

 店長の言葉に皆が爆笑した。

「音楽性関係ねー」

「でも音楽性じゃしょうがないよねー」

「せっかくだから特別に乾杯ドリンクをサービスしてやるよ」

 店長はそう言うと、バーカウンターの冷蔵庫を空け、中に入っていたスプライトの瓶をメンバーに配った。

「すいませんこんなつまんない話なのに、ゴチになります」

「店長サイコーです!」

「あー、乾杯はいいけどそいつでシャンパンファイトはしないでくれよ」

 また笑いの渦が起こった。

「大丈夫ですよー!」

 こうしてメンバー全員の手にスプライトの瓶が渡る。そして、ショウタが瓶を掲げ、挨拶の音頭をとる。

「俺たち4人は~」

「『音楽性の違い』により~」

 音楽性の違いの所で全員こらえきれず笑い出した。

「ひっでえ理由だ!」

「やめてマジで吹くから」

「まぁともかく、解散することになりました!」

「解散します!」

「一同!起立!」

「礼!」

「ちゃーん、ちゃーん、ちゃーーん!」

「解散しました~」

「カンパーイ!」

「いえーい!」

 結局、メンバー当人ですらよく分からない流れのままスプライトの瓶を乾杯し合った。


 一時の騒ぎも終わり、ショウタはスタジオの前のスタンドに置きっぱなしにしていたベースを自分のケースに収めていた。その時。

「ちょっと……いい?」

 珍しくきたみんが声をかけてきた。

「おう、何だ?」

「解散の話の続きだけど、ショウタだけに話しておきたい事があるの」

「……なんだ?」

「ショウタも帰りは南のほうだったよね? 公園あるでしょ、ほら、図書館のとこの。そこの南口に7時に来て」

 南口に7時に来て……こういう振り方をされると、いかにも高校生らしい『予感』を感じさせそうだが、この時のきたみんは表情が固く、神妙な顔をしていた。

 話しておきたい事とは何だろう? 少なくともいい方向の話ではなさそうだ。ショウタは複雑な思いを巡らせていた。


 午後6時、仕事帰りのスタジオ利用者で混み合ってくる中、シナモンズの面々がライブハウスの入口に集まる。

「それじゃな、またメールするわ」

「おう、じゃまた来週学校でな」

 そう言ってノリとヤスは自転車に乗って線路の反対側、東口の方角に抜けていく。

 ショウタも普段は2人と同じく東口に抜けるルートで帰るのだが、2人に気づかれないようひとつ先の交差点のところでUターンし、南北に抜ける大通りに向けて自転車を走らせる。


 午後6時55分、図書館脇にある公園の南口で、きたみんを待つショウタの姿があった。

 ここは普段他の3人が帰るルートとは反対側、つまりヤスとノリには悟られたくない、きたみんが待ち合わせ場所にこの公園を選んだのはそういう理由からか……。ショウタがそんな事を考えて待っていると、きたみんが自転車を押しながらやって来た。

「ごめんなさい、呼びだしちゃって」

「あ、いいよいいよ」

「……話、なんだけどさ、ちょっと長くなるかもしれないから、とりあえず自転車置いて歩かない?」

 2人は入り口横の駐輪場に自転車を止め、鍵をかけた。


 夕暮れ時の公園、空は青紫に染まり、太陽は沈みかけている。そして9月にしては肌寒い。そんな空の下2人は並んで歩く。互いの間隔は85cm。かなり微妙な距離だ。


 きたみんの本名は北沢麻未、普段メンバーは苗字の北沢と名前の麻未を掛けて『きたみー』とか『きたみん』と呼んでいる。スプライトを振舞ってくれた店長の紹介で5月にシナモンズのメンバーに加わった、そのため高校は他の3人とは違う。彼女は音楽に対して真剣に取り組んでいて。練習中も歌に集中している子で、現地到着・直帰が基本、練習後もショウタ達と遊ぶ事はない。

 そりゃそうだ。

 ショウタときたみんはあくまでシナモンズのベースとボーカルという間柄、心・体共にそれ以上の関係は持っていないし、ショウタ自身も持つ意思はない。そもそもそんな事をしていたらシナモンズは早々に『音楽性の違い』により解散していたであろう。

 だが、そんなきたみんが2人っきりで話したい……と言い出してきた。

 一体何があるんだ……と、ショウタが考えてるうちに、きたみんの方から本題を切り出してきた。

「実はね、あそこでは私も成績とか学校の事情が……なんて言ったけど、理由が違うの。ホントはね、ウチの親が離婚決めた」

「えっ!?」

 予想もしていなかったその理由に、ショウタはただ驚くばかりであった。

「そう、離婚。ずいぶん前からね、母親が男作って密会していたみたいなのよね、で、この前、その現場を父さんの同僚に見られて、写メで現場写真送ってよこしたから、それも父さんが単身赴任で家空けていタイミングだからさ、もう泥沼。離婚も即決まっちゃったし、もう怒って訴訟だ! 弁護士だ! 絶対に訴えてやる! って騒ぎになって。父さん本気で母親から慰謝料取る気だし、浮気相手も思いっきり巻き込むつもりみたい」

 きたみんは一見冷静に話しているようだが、言葉の端々にはうっすらと怒りの感情がこもっている。

「うわ……それは酷いな、完全に慰謝料取れるレベルじゃん。てか、それじゃどっちにしても別居で決まりだろ? そうなるときたみんはどっちに付いていくんだ?」

「もちろん父さんに付いていく、だからもう決めたんだ、転校する。父さんの赴任先が千葉の船橋なんだ、それでね、父さんはもうこっちには戻らない、面倒な事は全部弁護士任せにして、来るのは調停とか出廷とかどうしても来なきゃならない時だけだって。今母親と住んでる家もさ、父さんの名義で借りてるマンションだしね。こっちには住民票以外、財産もお金も何も残してないからって遠慮なく出てこいって」

 なんて事だ、せっかくみんなで仲良く『音楽性の違い』で解散したばかりなのに、とんでもなく重い話を聞いてしまった。2人は近くにあったベンチに一緒に座り、お互いにしばらくの間黙り込んでしまった。時刻は7時20分、9月とはいえ、周りはもう夕闇に包まれている、街灯も付き、人はほとんどいない。遠くには車のライトが見える。

 ――何か励ましたほうがいいのか? 何かアドバイスをしたほうがいいのか? お節介を焼かずにただ聞いてあげるだけでいいのか?

 そんな思いがショウタの頭の中でグルグルしていた。


 しばらくの沈黙の後、ショウタはこう言った。

「すまない。アドバイスとか何か言ってやるとか、正直言って、そんなのを言っていいのかどうかも考え付かねぇ」

 分からない、だからそこは素直に言ったほうがいい。と、ショウタは決め、そう答えた。

「……うん、それはそうだよ。だって、こんな話出されたら誰だって混乱すると思うもん」

 きたみんはこう答える。それを聞いたショウタは、両手を口に当て、緊張をほぐすべく深く息を吐いた。きたみんは話を続ける。

「でもさ、今日ね、ちょうどいいタイミングで、ちょうどいい形で解散できたからよかったなって。たださ、ヤスとノリ、あの場のあの空気であの二人にはこの事は言いにくかったから、リーダーのショウタにはちゃんと話しておこうと思ってね。ヤスとノリが軽音部に専念するって言ってなかったらさ、私がさ、母親の浮気のせいで……他のメンバーに迷惑かけちゃうのかな、って……」

「いや、それはきたみんのせいじゃない」

 悲しみと共に自責の念を感じさせるきたみんの言葉に、ショウタは慌てて取り繕う。

「わかってる、でも、ヤスとノリ、最初はチャラかったけど、ああ見えて練習するうちに真剣になってきたから。あそこで私の親が離婚なんていって動揺させちゃったら2人の気持ちに水差しちゃうよね? 絶対言っておかなきゃいけない、と思ってても、それ言っちゃったら悪いよね?」

「違う!」

 ショウタは一瞬しまったと思ったが既に遅かった。声を荒げ口に出してしまっている。その声に驚いたのか、きたみんは俯き、黙って固まってしまった。

「……この話は、今きたみんから聞いた限りだから、今から俺がどうこう言うのは正しいかどうか分からない。あくまで聞いた事だけ信じて判断したら、ってので返すけど」

 と言いながらも、まだ返す言葉は固まっていない。ショウタは頭の中を必死で整理しつつ、こう言った。

「悪い所はひとつも無い」

「……うん」

「全く無い。今の話を全部信じれば、だけど。一番の原因が親の浮気なら親が悪い。きたみんは悪くない、むしろ俺はきたみんを助けてやりたいと思う、きたみんは悪くない」

 きたみんは悪くない、大事な事なので二度言ってしまったが、ここはきたみんの話を信じ、全ての元凶は親という事にしておこう。とショウタは考えた。

「大丈夫、シナモンズはもう解散した、円満にな。これ以上はないベストな形で、これ以上はない『音楽性の違い』でな。せっかくみんな笑って解散できたんだから、きたみんも胸張って父さんの所へ行けよ。ヤスも、ノリも、絶対同じ事言うわ」

「うん……」

 ショウタは緊張をほぐすべくベンチの背もたれにもたれかかる。

「確かにこの話、タイミングが狂ってたら解散の引き金はきたみんになっていたかもしれない。でも今は『今』を考えよう。今、きたみんがシナモンズに対して背負うものは何も無い、もう終わった、開放されたんだ」

「うん……」

「笑って解散できたんだ、それを素直に喜べよ」

「……そうだよね、ごめんなさい」

 ショウタはきたみんの方を見る。さっきまで強張らせていた肩は、緊張が解けたかのように緩んでいた。心なしか、彼女の表情も緊張が解けたというか、憑いたものが取れた、そんな感じに見えた。

「ヤスとノリには俺から伝えることも、秘密にしておくこともできるけどどうする?」

「うん……いや、どうせウチらの周りなんか狭いしね、黙っててもそのうちバレるよね、引っ越した後に2人に話しておいて」

「わかった、約束する」

そしてショウタは一呼吸おいて再び前のめり気味に座り、自身の気持ちを話す。

「ごめんな、俺もきたみんの話を聞く事しかできなくて、役に立てなくて」

「いいよ、聞いてもらえるのは嬉しいから。逆にショウタからストレートに言われて驚いちゃった」

「うん、いやでも結局俺はさ、練習場所の確保と音楽とベース以外では、3人の話を色々と聞いてやる位しか世話できなかった。円満に解散できたけど、俺って言うと、ヤスとノリみたいにハッキリした目標がないし、きたみんのような悲劇もない。いや、無いと言えば嘘になるけど、もっとも俺の場合、高校は行ってるけど、どっちかって言えばバイトの方に精出して、その金でバンドやってますって。何やってるんだ俺、正直遊び呆けてるだけじゃねーの? って悩んだ事はあった」

「でもそれはさ、ヤスもノリもそうだったし、私もだったよ? そもそもバンドは誰だって最初は遊びとか興味で入るもんじゃん、そうやって思いがけないものを手に入れたりとか、経験とかできるんじゃないかな?」

「だな」

「楽しい事やって、目の前の世界が広がって、目標を見つけるって、それっていいことだよね? シナモンズ入った時もそうだったし、私ももっといろんな事見つけないと。もう船橋で新しい事やろうかなって、人生かけて乗り込んでやる、ってね」

「なんだかさっきより明るくなったか。きたみんのお役に……立てたかな?」

「……はい!」

「じゃあ俺も区切りをつけて……そろそろいいかな? きたみん」

 ショウタはベンチから立つときたみんの方を向いてそう言った。

「うん、今日はありがとねショウタリーダー」

 そう言ってきたみんも立ち上がる。こうして2人は再び85cmの距離を保ったまま歩き出し、自転車を止めてある公園入り口に戻った。


 きたみんは自分の自転車に跨り、ショウタの方を振り返る。

「話したかったのはこんなのでした。ぶっちゃけたかったのはこんなの、ごめんなさい、こんなくだらない私で」

「気にするな、誰だって誰かに気持ちぶつけて話したいって思う日はあるからな」

「……もしかして、今日が一番ショウタと向き合ったのかもね。シナモンズの演奏もライブ本番も含めて、本気で」

「……かも、しれないな」

「じゃあ帰るね、引越しの日決まったらまたメールする。マジで、いや、本当にありがとう……ございまし、た」

 きたみんの顔が一瞬かもしれないが、真剣な顔になった。

「おう、気をつけて帰れよ。俺もきたみんと話せてよかった」

「……最後にさ、ひとつだけ言わせてもらってもいい?」

 その流れで、神妙な面持ちでショウタの顔を見ながら聞いてくる。

「なんだ?」

「みんなで集まってた時さ、結局それぞれの目標がってんで解散になったけど。私はね、実は、ひとつだけ……本当の意味での、音楽の意味での『音楽性の違い』があるなって思ってたの」

「それは何だ?」

「言っちゃっていい?」

「構わねぇ」

「歌詞だよ、歌詞。ショウタ担当の歌詞のときだけ違和感があったんだー」

「って、おい、どんな違和感なんだよ?」

「ぶっちゃけるねー」

 そしてきたみんの顔に再び笑みが戻る。

「童貞臭い!」

「って! なんだとてめー! しかもそれ大声で言う話か! てかそれならおめーは経験あんのかよ!」

「あるわけねーだろバーカ! てか誰にもやらねーよ! じゃあな!」

「この野郎! 馬鹿にしやがって! ぜってー見送ってやらねーからな!」

 きたみんの予想だにしない突っこみ方にブチ切れたショウタを尻目に、きたみんは自転車を颯爽と飛ばして帰っていったのであった。


 気づけば一人、公園の前に取り残されたショウタ。

 悩み、解散、思わせぶりな誘い、離婚、不倫、訴訟、きたみんの家庭の事情に振り回された挙句、最後にぶつけられた言葉はよりにもよって『童貞臭い!』である。

 ショウタの肩にどっと疲れがのしかかった。

 ――明るいんだか暗いんだか悩んでるんだか分からないけどよ、結局みんな前向きじゃねーか。

 複雑な思いを抱えながら、ショウタも自転車を飛ばし家路につくのであった。

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