出会い

 土曜日、午前中だけ授業がある。

 総合活動という科目であるが、実態は『ある行事』のための時間に充てられている。


 ワタル、そして友達の孝志は、地域の人々から『北商』と呼ばれている商業高校の1年生である。世界史、英語、数学、生物といった高校の共通科目を勉強しながら、簿記、情報、ビジネスなどの商業科独自の専門科目も同時に学んでいく。普通科の高校なら夏休み前までは肩慣らしのようにじっくり学習……といった感じだが、北商は春に文化祭と体育祭があるので入学早々出し物の準備に追われる。他の高校は秋に文化祭があるのだが、北商は春なのだ。

 では、秋には何があるのか?

 それは『北商マーケット』と呼ばれる行事だ。

 10月第2週の土曜・日曜に北商の校舎を一般開放し、生徒が仕入れた自慢の逸品を近隣の皆さんに売る、いわば模擬スーパーマーケットという感じの行事だ。生徒たちがこの日のために仕入れた商品は、新鮮でトレーサビリティもしっかりしていて、なにより、どこの店よりも激安である。


 そりゃそうだ。

 なぜなら、人件費がかからないからだ。


 給与も賞与も無い、交通費も出ない、授業と言う名のタダ働きのおかげで北商マーケットは大繁盛。毎年テレビの取材が駆けつけローカルニュースで取り上げられる地域の一大行事となっている。北商の生徒たちは、北商マーケットの『営業活動』のため、土日はもちろん、夏休み中であっても何度も学校に呼び出され、先生と一緒にJAや地元の企業に足を運ぶ。そこでやるのは工場ラインの見学に、農場の収穫体験、出向先の常務による社史の講義、そして会議室でのパワーポイント鑑賞など、取引先から教えられる事ばかりで営業らしい営業は何一つしていないのだが……。

 というわけで、本日、ワタル達にとっては、二学期に入ってから初の『営業活動』となる。

 今日のテーマは『地域活性化のためのマーケティング』

 お決まりの起立、礼の後に2組の担任、山崎先生が教壇に立つ。

「えー、来月の北商マーケットでは1年は全員接客担当、売り子さんをやるのですが、2年次からは君たち自身で物を仕入れたり企画を考えなければなりません。どのような物を売りたいか、お客様が欲しい商品、買いたい商品をどう探し出すか、それを、市場調査、企画段階から関わっていきますし、それだけではなく、商業のあらゆる分野に取り組む事になります。今日は、来年に向けての予行演習として、模擬マーケティング会議を行います」

 本日の授業はこの会議だけである。

「それでは全員、席を会議モードにしてください」

 先生の号令でクラス全員が一斉に立ち上がり、手馴れた動きで机と椅子を動かす。

教室の机はコの字のレイアウトに並べられた。


 生徒の着席を確認した後、改めて先生が教壇に立つ。

「1学期最後の授業で、夏休み中の課題として各班に市場調査をお願いしてましたね、それぞれ君たち自身で調査した『2008年に売れるもの』を発表、そしてその内容を討論してもらいます」

 先生はそう言うと、黒板の上に吊るされているプロジェクタースクリーンを下ろす。

「1班リーダーの丸山さん、発表をお願いします」

「はい」

 丸山さんは教壇に置いてあるノートパソコンにUSBメモリーを挿し、ファイルを開く、それを確認した先生はプロジェクターの電源を入れる、スクリーンにパワーポイントのスライドが表示される。

「私たち1班が2008年に売れるものとして推挙するのは『戦国武将』です」

 白の背景に黒字のMSゴシックで書かれたプレゼン画面が姿を現す。

「日本の歴史においても戦国時代は織田、武田、真田と特に認知度が高い人物が活躍する時代です。そして今年は戦国武将を扱った大河ドラマ『風林火山』が高視聴率を記録しており……」

 プロジェクターに映し出される文章をそのまま読み上げるプレゼンテーションが続く。


「1班の連中、結局あいつらが好きなネタを出してるだけじゃね?」

 ワタルの隣に座っている孝志が話しかけてくる。

「まぁ、あのゲームの事だろうな……」

「あっちのグループで流行ってるからな、手っ取り早いんだろうな」


「……以上で、1班の発表を終わります」

 特に盛り上がる事も無く、クラス全員の拍手で締める。


「それでは次に、2班リーダーの清水君、発表をお願いします」

 ワタルは教壇の前に立ち、先ほど丸山さんがやったのと同じように、教壇のノートパソコンに自分のUSBメモリーを挿し、ファイルを開く。

「えー、今回2班が2008年に売れるものとして挙げるのは『マスコットキャラ』です」

スクリーンには、背景に各地のマスコットキャラが一斉に並ぶプレゼン画面が写る。周囲から「おー」という声が漏れる。

「マスコットキャラと言いましたが、もっと簡単に言えば『ゆるキャラ』ですね。兵庫国体のはばタン、そして愛知万博のモリゾーキッコロ、そして最近では彦根市のひこにゃんのように……」

 ワタルの発表が進むにつれて、教室は静まり返る。といっても1班の時とは違い、クラス中が真剣に見ているが故の静寂である。

「特にモリゾーキッコロ、何故これだけの売上を上げているのか、ひとつは老若男女に満遍なく愛される、という点、そして様々な商品に派生できるデザインを兼ね備え……」

 ワタルは、プレゼン画面とは別に用意していた原稿を読み上げ、解説していく。


「……これで、2班の発表を終わります」

 先ほどと同じくクラス全員の拍手で締める。


「各班ともいろいろと調べてきたようですね、1班は、大河ドラマなど今現在進んでいる事を盛り込んでましたし、2班は各地の具体的な事例を挙げて解説してきました、お互い素晴らしい発表でした」

 先生が簡潔にプレゼンの内容を総括していく。

「ですが、1班は流行する理由や魅力などの具体的根拠に欠けました。そして2班は……正直、過去の成功事例を並べただけ、という印象です。近い将来、消費者が何を求めてくるのか、その視線が足りませんでしたね」

 最初は褒めて、その後落とす。担任のいつものパターンである。

「こういう見落としは将来社会に出たら必ず突っ込まれます、各班しっかり反省するように」

 社会に出たら突っ込まれるぞ、これも毎回授業で言っているパターンである。


 そうして、再び机の並べ替えが行われ、日直の号令で本日の授業を〆る。

「本日の授業を終わります」

「起立」

「礼!」

 3時限分をぶっ通しでやるこの授業、時刻は12時前になっていた。


「各班班長、プレゼン資料を月曜日にCD―RかDVD―Rで提出してください」

 先生が言う。

「え? このままUSBで提出するんじゃないんですか?」

「北商マーケットの資料は学校の保存用としてメディアで提出する、そういう決まりなのでね」

 購買のメディアは1枚売りのくせに180円と高い、そして家には在庫がない。仕方がない、帰りに買いに行くか……とワタルが思っていると、

「清水、1班の資料もCDにしてもらえる?」

 そう言ってきたのは1班リーダーの丸山さん。

「え? 俺がやるの?」

「1班の人は誰もCD作れないのよ。じゃあこれメモリー、頼むわね」

 そう言ってワタルはUSBメモリーを手渡される。

 ――1班の連中、誰もCD焼けるパソコン持ってないのかよ……。

 ワタルは渋々そのUSBメモリーをカバンに仕舞う。

 ――あれ、メディアは?

 その事に気づいた時には、すでに丸山さんの姿は教室に無かった。メディア代も俺の自腹か……いや、後で請求すればいいのか。とワタルは思った。


 放課後、北商をいち早く飛び出したワタルは、その足でシマダ電機に向けて自転車を飛ばしていた。目的はもちろん、プレゼン資料の提出に使うDVD―Rを買うためだ。

 シマダ電機、一昨年のオープン以来何度も来ているので売場の位置は覚えている。エスカレーターを駆け上がり、足早に店の奥にあるメディアコーナーに飛び込む。使い慣れた国産10枚パックのDVD―Rを、左手前の棚から選び出し、手に取った。

 ――よし、さっさとレジに行っちゃおう。

 ワタルは素早くレジに行くために、中央の大通路ではなく敢えて横のパソコンソフトコーナーを通り抜けようと考えた。

 このコーナー、誰が買うのかわからない会計ソフトとか、同じシリーズのやったら安くていかにも便利そうなのをウリにしているソフトとか、パッケージ版のラグナロクとか三国志とかが並んでいるような、正直言って、オフィスとネットで落としてくるフリーのソフトしか使わないワタルには無縁の、滅多に覗かない。いまいち冴えないコーナーである。

たまに覗くとしても、アドビのフォトショとかクリエイティブスイーツとかのパッケージを眺めて「うわ、アドビってたっけーよな」とぼやく、ただそれだけのコーナーでしかない。

 しかしこの日は違った。

 まさかな……、でもまさかな……、でももしかしたらな……、という思いがワタルの頭の中を駆け巡っていた。その思いに駆られたワタルは、ソフトコーナーの棚を端っこからじっくりと覗いていく。


 あった。

 数多くのゲームに混じって『初音ミク』のパッケージが2つ置かれていた。

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