第3話ストーカー(再び)
(また来るよ)なんて言ってから一ヶ月、教室には車椅子に乗った三輪の姿があった。結局俺が病院を訪ねる前に三輪が退院してしまったのだ。下半身付随を除いて大した怪我はなかったらしい。今は朝のホームルームの時間だ。クラスメイトは長期間休んでいた彼女をそれなりには心配していたらしいが、さすがに車椅子で教室に入ってきた時にはかなり驚いていた。担任は三輪の事情を簡単に説明したあと、三輪のお世話係について話始めた。
「ということで、学校生活にはかなりの不便が生じると思う。そこで誰か三輪の全般的な補助をしてもらえないだろうか」
沈黙……。誰も手を上げる気配はなかった。三輪は学校で孤立している存在だったのでこの状況は想像に難くない。さらに今は期末試験直前でもあり、これは当然の結果といえる。
「…………」
いまだに残る罪悪感は俺の心にドロドロとしたものを這わせている。俺に逃げる選択の余地はなかった。
「僕がやります」
小さな声だったが、この沈黙で埋まった空間ではそれで十分だった。周囲からは驚きの声が上がり、奇異の視線が向けられる。無理もない。俺と三輪の関系を知っているのは俺の彼女くらいだし、なんせ俺は男だ。担任は生徒のざわつきを止めると、会議がどうのこうの言って足早に去っていった。クラスメイトも三輪の件にはとうに興味を失っていつものように談笑している。孤立した生徒の扱いなんて所詮こんなものだ。
ホームルームが終わると皆一時限目の化学に向けて理科室へ移動を始めていた。俺は教室の後方で待機していた三輪のところへ足を運ぶ。まさか、今まで逃げてきた奴に自分から近づくことになるとは思いもしなかった。
「えっと……よろしく」
「うん……よろしく」
なんともぎこちなかった。それ以上の会話はなく、ロッカーから三輪の教科書などを回収すると三輪が乗った車椅子を押しながら理科室に向かった。病院で三輪と会った時はものすごく取り乱してしまったが、今冷静に考えてみるとどうだろう。自分を贔屓せずに考えても俺の非はない。自分が不注意だったわけではなく、悪いのは完全にひき逃げしたやつだ。感謝の気持ちから三輪を助けているということにすればいいのだが、謎の罪悪感はいまも体のどこかに居座っている。
理科棟に繋がる渡り廊下に入る直前だった。
「高木君?」
背後から声をかけられた。後ろを振り向くと、そこには俺の彼女、遠山雫がいた。柔らかい印象のボブカットヘアを揺らしながらこちらに近づいてくる。いつもは明るい彼女の顔は少し不安げだった。ここは素直に説明した方がいいだろう。
「おはよう、遠山。実は三輪の付き添いをすることになってさ」
「そう…… 。クラスが違うからあまり助けられないかもだけど私に出来ることがあったら言って。そういうことだから、三輪さんも遠慮しないでね」
彼女はなんの嫌味もないいつもの明るい笑顔でそう言うと、手を振りながら教室へ戻っていった。
今まで三輪のこと……ストーカーや事故についてを相談してきた遠山だから、優しい彼女だからすぐに納得してくれると分かっていた。本当に感謝しても仕切れなかった。
「かわいくて優しい恋人がいるんだね。羨ましい」
三輪はふと、そう口にした。今まで遠山がいる時でも迷惑をかけてきた張本人の言葉とは思えなかった。歩けないということだけで人はこうも変わってしまうのか。本当の辛さは本人にしかわからない。俺は三輪に同情の念まで覚えていた。
その日は特に問題もなく終わった。周りの生徒も特に過剰な反応はしないし、俺も友達がそこまで多いというわけでもないから変にからかわれることもない。登下校についても親に送迎してもらうらしいので、駐車場に連れて行くだけで済んだ。明日も問題はないだろう。
しかし、その予想は大きく裏切られる。
翌日、なんの心配をすることもなく登校をした。移動教室で三輪を手伝うこと以外至って普通の学校生活。トイレは女子生徒に頼んでるらしいし、特に問題は生じなかった。そして放課後、三輪を駐車場に連れて行く。それは校舎の玄関に差し掛かった時だった。
「ねえ、高木君。ちょっと寄り道しない?」
突然のことで少し驚いた。今まで会話という会話はほとんどなかったからだ。何か忘れ物でもしたのだろうか。
「急にどうしたんだ?」
三輪はこちらを見上げる。
「ごめん」
三輪の頬には一筋ずつ、涙が流れていた。その声は震えていて……、まるで時間が止まったようだった。
「三輪!?」
そう言ってる間に彼女の目からはどんどん涙が溢れてくる。同時に視界の隅にこちらに歩いてくる二人組の生徒が見えた。俺は三輪の返事を待たず、その場を引き返した。途中の渡り廊下から外に出ると、人気のない校舎裏に回る。木陰に車椅子を止めると、何にもしてあげれないまま、俺は立ち尽くした。三輪のすすり泣く声を耳にしながら空を眺める。色合いはは青と白半々ぐらいだ。夕方のこの時間、日差しはほとんど気にならず、風は結構心地よい。まるで秋を先取りしたようだった。
三分ほど経っただろうか。三輪はかなり落ち着いてきた。
「大丈夫か?」
それは病院の時とは違い、本心から気にかける言葉だった。三輪は呼吸を整え、話し始める。
「私、後悔はしてないよ。君を助けたこと。けどさ、けど、学校始まってからまだ一日とちょっとしか経ってないけどさ…………、あー、これ一生続くんだーって、あと何十年だろうって。考えちゃったんだよ」
ああ……。
「うん」
「一人で手洗えなかったんだよ。トイレも行けなかったんだよ」
ああ…………。
「うん」
「階段も上がれない、なんか家にも入れない」
ああ………………。
「うん」
「ここからじゃ夕日も見えないんだね」
後ろに立つ俺からは輝く夕日が見えていた。
「うん」
これはもう拷問に等しかった。もうやめてくれと叫びたかった。好き勝手に吐き出しやがってと文句を言ってやりたかった。
「これは相当きついな……」
俺は独り言のように呟くと、三輪から一歩後ずさった。
三輪は俺が離れたのを感じると、必死になって小さく叫ぶ。
「高木君は消えないでよ……」
三輪の言葉は俺の胸に残っていた罪悪感を呼び起こす。こんなの…………、もう無理だ。俺は頭を抱えて無言を貫いた。三輪も同様だった。その後は無心で駐車場まで連れて行き、自分は真っ直ぐに帰路に着いた。
「お前はまだ、おれに付き纏うのか……」
その日の夜、遠山から連絡があった。
[高木君、無理してない? 部活が忙しくてあんまり手伝えてないけど。頼ってくれていいからね]
正直、めちゃくちゃ頼りたかった。でも三輪の両足の責任を、その重みを一緒に背負ってくれなんて到底言えなかった。
今日は金曜日。それだけを希望に家を出た。なんとも馬鹿らしいが、二日間会わなくていい。今の俺にはそれだけでも十分だった。俺は、正確には俺たちは、何事もなかったかのように過ごした。いつも通りほとんど無言で、必要最低限のことしか話さない。そして放課後三輪は言ってきた。
「まだ、私の世話をしてくれるんだね」
その言葉に少し動揺する。俺の中で辞めると言う選択肢はなかった。別に義務ではない。逃げようと思ったら簡単に逃げることができる。でも三輪はどう頑張っても逃げることはできない。その事実が俺を苦しませるのだ。
「ああ」
俺はそれだけ返すと、駐車場に向かって歩き始めた。妙にゆっくりな時間だった。
「ねえ、校舎裏行こ」
三輪の真剣な雰囲気からか、俺は疑問を感じることなく方向を変えた。そして昨日と同じ場所に移動してきた。今日は空一面に雲がかかって少しじめじめとしている。三輪は涼しげな表情を浮かべどんよりとした空を眺めなら言った。
「高木君て、多分すごく責任感じてるでしょ」
開口一番に俺が最も気にしている点を話題にしてきた。俺が言葉を返す前に三輪はさらに重ねる。
「正直、私は高木君には一生隣にいてほしい」
(一生)その言葉は妙に耳についた。私を一生歩けなくした代わりに、私のそばに一生いて。そう言うふうに自動で解釈してしまう。
「だけど、高木君には可愛い彼女がいるし、多分私のことを嫌っている……って当たり前だよねストーカーだったんだし」
語り続ける三輪に少し恐怖を感じていた。何かとんでもないことを言い出すのではないかと。
「それでさ、交渉しない?」
「交渉?」
「うん。もしこの交渉に乗ってくれたら私は一切あなたのことを嫌いになって、一切の関わりを断つようにする」
こちらにとっては最高の条件だ。向こうから拒まれれば俺の罪悪感なんてどうでも良くなるだろう。
俺は意を決して訪ねる。
「……そっちの条件は?」
三輪は全く無表情で答えた。
「私を轢いた犯人の足を潰したい。それの手伝いをして」
その無表情の中で感じる三輪の憤りはそれが冗談ではないことを直感的に感じとった。そういえばあの事故は大々的にニュースに取り上げられたが、未だに犯人が捕まったという情報は目にしない。
「犯人への復讐ってことか」
「うん。それが私の出す条件」
この時、俺は今までの過ちに気づいた。
そうだ。なんで責任を自分に押し付けて、こんなに苦しんでいたんだ。結局全ての元凶は事故を起こした犯人。間違いない。
「俺も……潰したい」
その言葉を聞いた三輪は嬉しそうに笑い、こちらに手を差し出した。俺は疑問も持たずその手を取る。短い握手を交わした時、全ての物事がスッキリまとまった気がした。
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