第2話ストーカー(恩人)

コンコン

 病室のドアをたたく音が真っ白い廊下に嫌に響いた。

「高木です」

一瞬の間の後無機質な返事が返る。

「どうぞ」

(三輪志保)そう書かれたネームプレートを横目に見ながら、俺はその部屋に足を踏み入れた。例外なく無機質なその場所には、一人の患者がいた。あるのは一つのベッドと棚、そして異様に存在感を放つ車椅子だけ。彼女はベッドの上で窓の外を眺めていた。顔の包帯や湿布が目立つ。他にも見えないところにたくさん傷があるのだろう。

「大丈夫か?」

それが形式ばった言葉でしかないのは彼女にも伝わったはずだ。でもストーカーであり恩人でもある彼女に対する言葉をうまく見つけられなかった。正直とても気まずいし、何を話せばいいのかもわからない。別に圧倒的嫌悪を持っているだけではなく、むしろ感謝の気持ちさえ芽生えているのだが素直に感謝を伝えようという気にはなれない。とにかく複雑な心境だった。

 彼女は自然な動きこちらに振り向くと、薄い笑顔を浮かべて言った。

「高木君に大きな怪我がなくてよかった」

俺は少しの驚きと不安を感じた。今までストーカーとして俺を締め付けてきた彼女が真っ先に自分のことを心配してくれたことに対する違和感。けどその声には全くと言っていいほど覇気が感じられず、憔悴しきった様子だった。見た感じは彼女もさほど大きな怪我はなさそうだが……。

「ああ、助かったよ。まさかあんなスピードで突っ込んでくるとはな。三輪も大事に至らなくてよかったよ」

俺は確認の意味を含めてそう言った。しかし、彼女はこう返す。

「私、もう下半身動かないの」

彼女があまりにも表情を変えないから、俺はその言葉を把握するのに時間がかかった。

「は?…えっ…と………」

「いわゆる下半身不随ってやつで、車に吹っ飛ばされた時に脊髄を損傷したのが原因だって。」

最初は冗談だと思った。けれどよく考えたらそこにある車椅子が真実を物語っている。………大怪我なんてものじゃない。まだ骨折とかなら治すことができるが、半身不随となると一生治療することはできないはずだ。これってものすごく大変なことなんじゃないか? なんで彼女はこんなに平然としていられるんだ?

「三輪は……、いやなんでもない」

この質問は憚られた。一番この傷の痛みを感じている、理解しているのは三輪本人だから。そして悲しくないわけがないのは俺でもわかる。

「私は自分からあなたのことを助けただけだからあまり気負わないほしい。それに私はあなたに付きまとってたから、それが原因で事故に巻き込まれたのかもしれないし」

彼女はできるだけ明るい表状で聖人のように振る舞う。最初から俺の方が悪かったのかもしれない。いつの間にか相手への嫌悪はそんな自己嫌悪に変わっていた。まるで言葉が出なかった。自然にわきあがっててくる責任感は俺の焦りを余計に増大させ、一番つらい彼女に気を使わせている罪悪感は俺の感情を不安と不甲斐なさで染め上げた。

「……また来るよ」

ようやく出た言葉はカサカサでなんとも頼りなかった。彼女に目も合わせられないまま部屋を出る。返事も待たなかった。……俺はただこの場から逃げ出したかった。

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