第25話③

 「皆さん、何か変なにおいがしませんか?」


ましろの声が完全に入口へと戻ろうとする皆の足を止める。

嫌なにおいですと言ってましろは鼻を抑える。

においなんて磯臭さしかわからず、僕はすっかり考えるのをやめてしまった。

しかし最初に雨宮さんが、少し遅れて一ノ瀬さんが気づくと彼女たちは警察犬のような素早さでにおいの発生源を探そうと辺りを照らす。


 「あった!ここからする!」


見つけたのは雨宮さんだった。かかった時間はほんの数分。

僕たち男子三人はいまだに変なにおいが何なのかさっぱりわかっていなかった。

雨宮さんが照らした先には小さな横穴があった。天井が低く、雨宮さんくらいの高さまでかがまないと入れないほどの。

雨宮さんは柊馬の手を引っ張ってその横穴の奥へと進む。

二人の後を少し空けるようにして、僕たちもそれについて行った。

横穴に入ったところでようやくにおいを感じることができた。

においはチーズに似たにおいだった。それも癖のある、何年も発酵させたチーズのような。

ましろと一ノ瀬さんは顔をしかめ、吐き気を堪えるような表情をしている。


 「ずいぶんときついね。私ここより先に進みたくない…」


 「私もです。なんでしょう…例えるなら大量の生ごみを全身に浴びたような、そんなにおいです」


間違いないという風に自信気にましろが言う。

普通の人は生ごみを全身に浴びるなんてことをしないと思うのだけれど。ましろの例えはどれも上手いのか下手なのかわからなくて面白い。

どちらにせよ、正常な鼻を持った二人にはここらへんで待っていてもらった方がいいだろう。

全員で進んで迷子になったらそれこそ取り返しのつかないことになるのだから。

ここはにおいに鈍感な僕たちの出番だ。


 「二人はさっきのところで待ってて。すぐに追いついて連れて戻ってくるか…」


振り向こうとした一瞬、背筋に冷たい何かが触れる。

寒気とともに数々の違和感が頭に思い起こされる。


 「柊馬!今すぐ引き返そう!!」


洞窟の奥へと叫ぶ。しかしそれは奥から聞こえる悲鳴によってかき消されてしまった。

悲鳴は間違いなく雨宮さんの声だった。


 「委員長、行くよ!」


頭上にだけ気を付けて奥へ向かって走り出す。

もっと早くから気づくことは出来たはずだった。

子ども目線でしか見つかりづらい横穴。他の横穴は奥に続いていなかったのにここだけ奥に続いているのは偶然か。

元の道にいたときににおいが漏れなかったのは?この洞窟自体が風の通り道になっているのであればにおいが漏れ出ていないのには何か理由があるのではないだろうか。

何よりこのにおい。ましろが生ごみを全身に被ったと言ったそれはある意味的を経ていたのではないだろうか。

横穴の突き当りにまでたどり着く。

穴は垂直に伸びており、手を伸ばせば簡単によじ登ることができた。

垂直な穴の奥は意外と広い空間になっている。その入り口のすぐそばで雨宮さんと柊馬は腰を抜かしたのか地面にへたり込んでいる。


 「あ、あれ…」


柊馬の指が指し示す方へ懐中電灯を向ける。

暗闇を切り裂くように現れたのは、紛れもなく人骨であった。


「っう…」


照らされたそれを見て思わず呻き声が漏れる。覚悟はしていたが、いざ対面すると気持ち悪さが込み上げてくる。


 「お、おい!いずみ!」


喉を焼くそれを飲み込み、周囲を照らしながらそれにゆっくりと近づく。

近づいてにおいの元がそれであると確信し、同時に人骨が模型やおもちゃでないことも確信される。

ぼろぼろの布を纏ったそれはしばらくの間ここで生活していたのか、その周りには茶碗や箸などの食器や毛布などが転がっていた。

横たわるリュックは大きく破けているが、隙間から見る限り中身はそれなりに無事なようだ。その代わりに最後まで何か書いていたであろうノートはぼろぼろで、遠目では何が書いてあるかわからない。


 「おい、いずみ!やめとけって!」


柊馬の静止をよそに、僕の手は自然とそのノートに伸びる。

死人の最後の言葉を知りたいという欲が、末端に至るまでの細胞を支配する。

手が触れようとしたその瞬間、再び背筋に冷たいものが触れる。


 「…!」


振り返ったが背後には誰もいなかった。

もう一度人骨の方へと向き直る。

一度正気に戻った今、ノートを読みたいとは思えなくなってしまっていた。

静かに手を合わせ、毛布を死体にかける。


 「…帰ろっか」


腰を抜かした二人に肩を貸し、ましろたちの待つ入り口の方へと歩く。


 「なあ、お前大丈夫か?めちゃくちゃ顔色悪いぞ」


 「大丈夫。委員長こそ無理やり連れてきちゃってごめん」


 「それはいいって。お前が言ってくれなきゃ僕はきっと途中で待ってたし」


無理やり連れて行ったせいで見たくもないものを見せてしまった。

それなのに嫌な顔一つせず手伝ってくれる。それに二人のいる場所に着いたとき、僕は真っ先に死体の方へと向かったが彼は二人の方へと駆け寄っていた。

仲間想いで、冷静な判断ができる。

そんなことを自然とできる人間がいるのがすごいなと心の底から思った。


 「委員長のそれも正しい選択肢だと思うよ」


 「そうか。ありがとう」


声のトーンは暗く。彼の表情は暗闇でわからなかった。




 「あちゃぁ…ギリギリかなぁ」


 「ギリギリかなぁ、じゃなくて!遅いし、何やってたのさ」


表情はよくわからないが、声のトーンから一ノ瀬さんが怒っているのがわかる。


 「大丈夫です。ちょっと足を滑らせて、転んでしまっただけですから」


膝を抑えながら雨宮さんが言う。

余計な心配を掛けたくないのだろう。自分が一番怖かったはずなのに、どうしてそこまでできるか不思議だった。

しかしそれとこれとは別の話だ。


 「奥に人間の死体があった。完全に白骨化していたから何年も前に亡くなったんだと思う。早く出よう」


僕の言葉に二人が絶句する。

極力心配を掛けず、知らなくていいことは教えないというのは大事だがこれに限ってはそうもいかない。一ノ瀬さんはさとり妖怪並みに勘がいいから、下手に隠すと後で怒られる可能性があるのだ。


 「ほーう。して、その仏さんはこーんな顔をしておったかのぅ?」


突然暗闇にライトが照らされ、婆の顔が映し出される。


 「うわぁ!!!」


驚いて腰を抜かしかける。目の前で委員長もひっくり返りかけていた。


 「おばあちゃん!」


腰を抜かす二人を超え、雨宮さんが婆に走り寄る。


 「おおー、日菜か。大きくなったのう」


久しぶりの再会を懐かしむように婆が雨宮さんの頭を撫でる。


 「え、今おばあちゃんって…えぇ?」


困惑が隠せない柊馬が尋ねると、婆は再びライトで顔を照らし、大口を開けて笑っていた。


 「…おばあちゃん」


どうやら雨宮さんは本気で呆れているようだった。


 「君たちを待っていたら雨宮のおばさまが何事かと見に来てくれたのよ。って、それどころじゃなった、早く洞窟から出ましょう。もうとっくに日が暮れる時間よ」


一ノ瀬さんが足元を指差す。

今まで気づかなかったが、いつの間にか床に低く水が張っていた。確かにこのままではもうすぐ水が着てしまうのだろう。

皆で急いで入口へと向かう。夜の洞窟は昼間よりも一段と寒く、洞窟の入り口も暗くてどこかわからない。単純かつ明快な恐怖が、今更ながら脳裏に浮かぶ。

それを皮切りにくしゃみが止まらなくなってしまった。

先ほどまではアドレナリンで無視できていた寒さが無視できなくなったのだろう。

半袖でここにいたくないという気持ちが僕を突き動かし、あっという間に入り口を迎えることができた。



入り口で再び集まった全員は、雨宮のおばさまに連れて行かれるままにどこかへと歩を進める。


 「今日はわしの宿に泊まっていきなさい」


 「いえ、泊まるなんてそんな…僕たちは明日も学校ですし…」


委員長が代表して断る。しかし雨宮のおばさまもそう言われると分かっていたのか、にやりと笑う。


 「では今から一時間かけて歩くかね」


今から来た道を戻る…それこそ正気な選択ではない。

僕たちに選ぶ権利などなく、言うとおりにするしかなかった。


 「ご厚意に…甘えさせていただきます」


僕たちの返事を聞くと、雨宮のおばさまは大口を開けてカカカと笑う。

闇夜に響くその声に背筋を震わせつつ、僕たちはどんなボロ屋に連れて行かれるか怯えることしかできなかった。

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