第23話

昼休み、今日は一ノ瀬さんが委員会ではるとは先生に呼ばれているらしく、お昼ご飯を食べるのは遅れてしまうそうだ。野田くんも授業が終わるとすぐ校庭に出てしまったので、いつもの教室に行くと南くん一人だけだった。

南くんは弁当箱こそ机に出しているものの、教科書とノートを開いて一心不乱に手を動かしている。どうやら今日も勉強中らしい。


 「…お昼ご飯、食べないんですか?」


彼は声をかけられたことに驚き、手を止めて顔を見ようとする。

途端に顔が熱くなるが、南くんも何か思ったのか目線は上がり切らないままノートに向き直ってしまった。


 「ご飯はみんなで食べた方が美味しいから胡桃が戻ってくるまで勉強している」


返事が返ってきたことに今度は彼女が目を開く。

お互い相手の表情かおなんかまともに見たことがなく、普段は無口で何を考えているか分からないという印象しか持っていなかったから。

委員長には地縛霊に、ましろには機械のように相手が見えていたのかもしれない。

無言で勉強を続ける委員長の向かいの席でましろも同じように数学の教科書とノートを開く。


「……」


正直に言うと私は数学は算数止まりでそもそも関数なんてものが一切分からない。

一時関数であれば数字を入れるだけなのだが二次以降だとそもそも図が理解できなくなってしまう。

今も中学3年生の教科書を開き教科書とノートを見比べながら首を傾げている。


「その問題はとりあえずグラフを書いてみるといいよ」


顔を上げると恥ずかしいのか伏せがちのまま南くんはそう言った。

言われた通りに図を書いてみると答えは驚くほど簡単に導くことができた。

ずっと悩んでいた問題の意味がわかって思わず頬が緩む。問題が解けたこともあるが、他人から初めて教えてもらったこともその理由の一つだった。

無口な彼が話しかけてくれたのにはきっと勇気が必要だったのだと思う。

だから私も勇気を出して聞いてみることにした。


「じゃ、じゃあ…こっちの√162xの最小のxを求めよって問題も…教えて、くれませんか?」


そう言って少女はおずおずと教科書を差し出す。


「これは面積が162xの正方形を作る、という意味だよ」


「面積なのですか?」


言われた意味はぴんと来ないが、それをわかっている南くんはすぐに意味を説明し始める。


「たとえば√4は2と同じだよね。これって、一片が2の正方形の面積は4っていうのと一緒なんだ。じゃあさっきのでいうと面積が162xの正方形を作りたい。で、もしかすると162の中にもう一個か二個正方形が混ざっているかもしれない」


「混ざってるんですか!?」


「まだかもしれないってだけだよ。だから162を素因数分解してみる。素数の小さい順に割っていくんだよ」


素因数分解と言われ過去のノートを見返しながら計算していく。


「2が1つと…3が4つ出てきました」


「じゃあ3×3の正方形が2つ作れるね」


「…たしかに!!じゃあ余った2は?」


「その余った数を一片にした正方形を作るのに、足りない数がxってことだよ」


心の底から、すごい、と感じた。

確かに問題自体はとても簡単なものなのかもしれない。

しかし、初めての理解は私にはとても刺激的で、数学の美しさに魅せられるにはあまりにも十分だった。その正方形の美しさや、奇跡のようにかみ合った理屈に自然と瞳が輝く。


「あっ…」


そこでようやく私は彼にお礼を述べてないことに気づいた。

慌てて立ち上がり、深く頭を下げる。


「お礼をまだ言ってませんでした。教えてくださってありがとうございます」


「そんなかしこまらなくてもいいよ。たしかに分かりづらいけど難しい問題じゃないし、何より理解できたならそれで僕は十分だから」


無口だった彼が屈託のない笑顔を見せてくれる。

お互いにそれが嬉しくて、自然と握手をしようと手を伸ばそうとする、が…


「2人だけで仲良くなってる〜!」


残念なことに手は結ばれることなく友人たちが返ってきてしまった。

用事を終わらせたはるとと一ノ瀬さんが嬉しさとやきもちを足して割ったような顔をして教室へと入ってくる。

それを見た南くんはすぐに顔を背けて席に座ってしまった。


「2人とも…一緒だったのか…」


「すぐそこで合流しただけだけどね」


「そんなことより、どうしちゃったのさ。最近元気ないなと思ってたら私がいない間はやけに楽しそうだったじゃないの」


一ノ瀬さんが笑いながら言い、南くんが見るからに怯えているのがわかる。


「いえ、これは決してそういうわけでは…」


「勉強を教えていただけだからな。やましいことは一切ないぞ」


「いいのいいの、別に疑ってないし。それより桜庭さんが楽しそうに喋ってるのが私は驚きだし、何より嬉しいから」


二人がかりの必死の弁解を、一ノ瀬さんは笑い飛ばして許してくれた。

そして今度は少し真面目な顔で話し始める。


「明日さ、最後の班別学習があるんだよね。私としては班の仲間になった桜庭さんとも楽しく過ごしたいけれど、桜庭さんはなんとなく怖がっていたじゃない?だから心配だったんだけど、今のを見て安心した」


安心した、と言われてようやく私は心配されていたのだと気づく。

もしかしてはるとも同じなのだろうかと横目で見ると、彼も安心したように微笑む。


「委員長と仲良くなれてよかったね」


「…はい」


目の前にいる3人が、初めてできた友達なのだと自覚し、それがなんだか嬉しくてもう一度深々頭を下げる。


「不束者ですが、これからどうぞよろしくお願いします」


「こちらこそよろしくお願いします」


それぞれによろしくと言われ、自分が受け入れられたと思うとなんだか涙が出てきそうだった。


「さっ、そろそろご飯食べないと昼休み終わっちゃうぞ」


委員長の一声でみんなが昼食の準備をする。


「ずっと気になってたんだけどさ、復学の時の挨拶は普通にできていたじゃない?あれはなんでなの?」


それぞれ食事をとりながら、一ノ瀬さんが聞いてくる。


「実は…復学を決めた時から挨拶だけはずっと練習していたんです。意識が飛んでいても同じ行動を繰り返せるように…」


思いもよらぬ返事に3人とも口をぽかんとさせる。


「ずいぶん強引な方法だね…でももう本で顔を隠さなくても平気なの?」


「はい…まだちょっと恥ずかしいですけれど、顔を隠してる方が失礼なので…」


「ましろちゃんすごい良い子じゃん…」


一ノ瀬さんがなぜか涙を拭くような仕草をする。というか呼び方が変わったような?


「私も聞いてみたいことあったんですけどいいですか?」


「いいよー、なんでも聞いてね」


なんでもと言われて余計に少しためらったが、一ノ瀬さんに促されるままに質問をすることにした。


「その、南くんはどうしてそんなに勉強しているのですか?頭良いし、ご飯を食べる時間を減らすほど切羽詰まっているようには思えなくて」


失礼な質問をしたかもと少し身構えるが、南くんは何だそんなことかという風に答える。


「僕は東京の大学目指しているからね。まだまだ勉強が足りないんだ」


「…初めて聞いた」


向かいに座っていたはるとが驚いたように口にする。それを聞いた南くんは言ってなかったっけかと逆に驚いているようだった。


「大学…それも東京のですか。凄いですね…」


東京の大学をいまいち想像できないが、日本の首都にある大学であればきっとすごいのだろうと考える。


「じゃあ最近機嫌悪そうな顔してたのはこの前のテストの結果が悪かったから?」


「恥ずかしいのだが文系科目が苦手でな。社会科は暗記すればなんとかいけるのだが国語が苦手で」


恥ずかしそうに頬をかく南くんにほんの少しだけ見とれてしまう。

ボーっとしていて呼ばれているのに気づかなくて、次に話しかけられた時に思わずひっくり返りそうになってしまった。


「ましろちゃんって得意教科あるの?」


「私の答案用紙こんな感じですけど…」


プリントを鞄から出しておずおずと一ノ瀬さんに渡す。他の2人も気になるのか身の乗り出して覗き込み、間もなく男子2人はひっくり返った。


「すごっ、国語98点に社会が80点!なのに数学と理科は20点台で英語は微妙すぎて言うことなし」


「しかも社会は現代史が0点なだけで他は全問正解…」


感想を述べる一ノ瀬さんとはると、それと驚きのあまり口をパクパクしている南くん。

そんな南くんを見た一ノ瀬さんは今まで見たこともない悪い笑顔を浮かべた。


「じゃあさ、これからは委員長は理系科目をましろちゃんに教えてあげて、ましろちゃんは文系科目を委員長に教えることにしようよ」


「それは…教えてもらえるのは私も嬉しいですけど多分凄く下手ですよ…?」


提案としては嬉しいがリターンが見合っていないと素直な不安を吐露する。


「大丈夫、そこは私といずみ君がサポートするし、なんなら私たちが直接教えもするから。いずみ君も頭良いんでしょ?」


「そんなことはないけれど、一応高校2年の範囲までは終わってるから教えられるよ」


はるとの発言に再び南くんが口をパクパクとさせる。その様子が何だか面白くって、私は少しだけ笑ってしまった。


「中高一貫でそれなりの進学校だったからね。勉強だけは詰め込まれたんだ」


「頼もしいな…すまんがお願いしてもいいだろうか」


頭を下げて手を差し出す南くんにはるとと一ノ瀬さんは迷わず手を握る。

少し迷った末に、私も力強く彼の手を握った。



勉強会はその日の放課後から図書室で始まった。

はるとは1人で何か探していたようだったが、わからないと言えば親切に助けてくれた。

私は彼らの友達になれたのが、どうしようもなく嬉しかった。

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