Fall

第22話

9月、気温はまだ夏の面影を残しているものの確実に秋が近づいているのを肌で感じる。

僕はこのくらいの気温が好きだった。苦しいほど暑くなく寒くもない。強いて言うならもう少し気温が下がってくれた方が嬉しいのだが、今日は天気がいいので文句は言わないでおこうと思う。


 「はい…じゃ―この問題を、桜庭。解いてみろ」


桜庭、と呼ばれた生徒は教科書で顔を隠し、おずおずと黒板の方へと歩いて行く。

黒板の前で立ち止まり問題と教科書を交互ににらみ合う。

黒板に書かれた数式は三次式の因数分解。

彼女は二、三分の格闘の末に弱々しい声でわかりませんと呟くのであった。

彼女が復学して既に一週間、クラスメイトにとってはもはや見慣れた光景だった。


 「そうか。それじゃあ――――」


先生の声を遮ってチャイムが鳴る。

退屈な授業の後は母について図書館で調べるのが最近の日課だった。

透き通った青空を眺めては、今日こそ何かわかりますようにと心のうちでそっと願うのであった。



いつもの空き教室でお弁当を食べる。

1学期の通りならテラリウムで食べているところだが、ましろが登校するようになってからはみんなと一緒に食べようと誘ったのだ。


 「……」


 「……」


とはいったものの会話が弾んでいるわけではない。

ほとんど見知らぬ人と顔を合わせて話すのは彼女にとって難しいだろうし、そんな性格を理解しているからこそ無理に話しかけないよう全員が気を遣っている。


 「なあ、図書室ってよく行くのか?俺本とかあんま読まないけど何かおススメがあったら教えてくれないか?」


 「あっ…図書室はそんなに行かなくて…でも…」


 「柊馬、そんな無理に話題作っても桜庭さんが困るでしょ」


唯一積極的に話しかけているのは柊馬一人だった。

僕に対しても積極的に話しかけてくれるのは2人っきりでお互いの顔がはっきりとわからない場合のみで仕方がないように感じていた。


 「あのっ…私もう、戻りますので…誘ってくださってありがとうございます…」


空気に耐えられなくなってしまったのか逃げるように教室を出ていってしまった。

追いかけたい衝動に駆られるが今追いかけても追い詰めるだけだろう。

やっぱり無理させちゃっていたかなと反省しつつ弁当を平らげる。

昼食は腹八分目くらいの方が午後の授業は眠くなりにくいのだ。


 「桜庭さんってさ、不思議な感じだよね」


おもむろに一ノ瀬さんが話題を出す。


 「まあ確かに…雰囲気というか、自信のなさがにじみ出てる感あるよな」


ついにこの話題が来たかと少し身構える。

ましろが班員になる以上自分たちの中で彼女との接し方を決めるために避けては通れない話題なのだから仕方がないのはわかる。

だがその場にいない人の話をするのが僕はどうにも苦手なのだ。


 「それもそうだけれどさ、第一に人と積極的にかかわろうとしない」


 「だよな。でっかい本で顔隠してるし、こっちからも怖くて話しかけづらい」


柊馬の返事に一ノ瀬さんが大きくうなずいて返す。


 「第二に学力が驚くほどに低い」


 「そりゃお前、今まで勉強できる環境になかったとかじゃないか?それに頭が悪いのは個性だからそれは言っちゃいけないだろ」


 「それはそうだけれど、単に問題を解けないんじゃなくてなんか違和感があるんだよね。まるで習う必要がなかったから、みたいな」


一ノ瀬さんの言葉に誰も反論できない。多分この場にいる全員が同じ違和感を持っていたのだ。ただ、誰もそれを言語化できないがゆえに困惑している。


 「第三に、いずみ君にだけ懐いている。というか心を開いている」


 「えっ…僕?」


突然自分の話が出てきて素っ頓狂な声が出かける。


 「そう。普通に見ててもよくわからないけれど、授業中とか背後を気にしてる感じがわかるよ。単に間違えた問題を全部代わってもらってるからかもだけれど」


背後を気にしているだなんてそんなことは一切気が付かなかった。

でも最近テラリウムで話すときは妙によそよそしかったりするので心当たりはいくつかあるのかもしれない。最も心当たりがあったところで何一つ気が付けなかったけれど。


 「あっ!もしかして1学期に一緒にお昼ご飯食べていたのって桜庭さんなのか。そうすると色々と合点がいくけれど…」


図星を当てられて思わず弁当箱を落とす。

やっぱり一ノ瀬さんはさとり妖怪か何かだとしか思えない。

空の弁当箱を拾い上げて一応弁解しておく。

最も聞き入れてくれる耳があればだが。


 「確かにお昼は一緒に食べていたけれど、本当にそれだけだよ。勉強だとか運動だとか、そういったことで一緒に何かしたことはないから」


 「なんで!?」


柊馬が驚きの声をあげる。まあ弁解という名の自白だし、この先同じ班になるのであればそのうちバレるだろうと思ってのことだった。


 「その話がとっても気になるところなんだけれど、いったんおしまい。なんにせよ、明後日で班別学習は終わらせないといけないんだからさ。顔を見られるのが恥ずかしいなら本で隠したままでいいから、どうにか話し合いができるようにしなきゃいけないの」


僕たち二人に言い聞かせるように言い、各々がはいと答えると委員長の方を振り返って確認する。

当の本人はこちらの話など一つも聞いておらず、弁当を食べつつ授業の予習をしているところだった。


 「だよね、杏平?」


いつもより語尾強めで言ってようやく委員長が顔を上げる。


 「ああ、うん。だからその、話を付けといてくれるとありがたい」


 「うん。わかった、話してみるよ」


僕の返事を聞くと委員長は満足そうにして再び勉強へと戻ってしまった。

ちょうどそのタイミングで扉をノックする音が聞こえる。

はーいと返事をすると、ごそごそという音とともにバスケットボールを抱えた雨宮さんが顔を出した。


 「柊馬おにいちゃんいますか?」


 「おう!もう弁当食い終わったのか?」


 「うん。早く外に遊びに行こ」


柊馬の返事に眼を輝かせた雨宮さんは嬉しいのがバレないようにできるだけ平静を保ちつつ柊馬の手を引いて出ていってしまった。その瞳が喜びを隠しきれていないのに、柊馬はきっと気づいていない。


 「二人とも、一つ頼みがあるんだけどいいかな」


 「どうした?えらく改まって…」


僕は夏休みから考えていた頼みを委員長たちに話す。

それを聞いた二人は少し考えた後、とりあえず一日待ってほしいと言い今日はそのまま解散となった。

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