第20話②
「そういえば、あなたは私のことを自分の中で何と呼んでいましたか?」
「なんて呼んでたかって…」
素直に幽霊とは言えなかった。自分で言うのもなんだが今更失礼なような気がしたのだ。
「ちなみに私は『つばめ』と呼んでいました。『幸福の王子』に出てくる、あのつばめです」
それを聞いて思わず笑ってしまう。
「『つばめ』って、そんなに可愛い顔してないと思うけど」
「そうですか?いじけるところとかとてもかわいいと思いますよ。まあでも、『つばめ』と呼んでる理由は童話のつばめのように優しい心の持ち主だからです」
面と向かって優しいと言われて頬が赤く染まるのを感じる。
恥ずかしさをごまかすためにも何か言ってやろうと思い彼女の方を見ると、彼女は僕の答えを待っているのかじっとこちらを見つめていた。その瞳に吸い込まれそうで慌てて顔を隠す。
大きく船は揺れ、さっきまで考えていたことはすっかり思い出せなくなってしまった。仕方がないので彼女の質問にそのまま答える。
「僕はもしかすると君は『幽霊』なんじゃないかと思っていたよ。いつもふらっと現れるし、存在感薄いし、顔をいつも隠してるから余計にお化けみたいだなって」
幽霊と言われてショックだったのか、彼女はあからさまにしゅんとしていた。
「『幽霊』って可愛くないじゃないですか。もっと可愛いのがよかったのに…」
今まで背後霊みたいなことをしておいてそれは無理があると思いつつ、ショックを受けていても嫌ではないのか髪で顔を隠しつつうらめしや~とお道化て言ってくれた。
怖いというより可愛いその様子に思わず直視できず逃げるように湖面に視線を移す。
今度は一番近くの星を掬おうとする。勿論手に触れるのは水だけで、ここにある星は全部偽物なんだと思うと不思議でたまらなかった。本物も偽物も、どちらも同じだけ美しいのに。
物思いに耽っていると彼女は覚悟を決めたようにいきなり立ち上がり船首へと歩いて行く。
小船は大きく揺れ、偽物の星はあっという間に消えてしまった。
「では『つばめ』さん。昔あなたが言っていたことを覚えているでしょうか?」
昔言ったこととは。今更心当たりが多すぎてわからなかった。
さあというと彼女は微笑みながらこちらを振り向き口を開いた。
「今夜あなたに見せたかったものはこの景色ではなく、一本の桜の木です」
そう言って『幽霊』はいっそう微笑み、勢いよく小船を蹴って湖へと落ちていった。
小船はさっきの比じゃないほど揺れ、僕は声を出す暇もなく湖へと放り出される。
冷たい水が肌を貫き、一気に夢心地の気分から覚める。
目を開けると月明かりの反射した水面がキラキラと光っていた。
ほどなくして水底から青色の花びらが浮かび上がってくる。
まるで花吹雪のように、青い桜が舞い散るように。
息が続かずに一度水面へと上がる。先ほど見たものが信じられず再び潜ると今度はまた違った景色が見えた。
水底には積み重なって桜の木のようになった流木があり、その中心で大事に抱えていた鞄から青い花びらが舞い上がっていった。
花びらは流木の中心だけではなく木々の端などからも舞い上がってきている。その景色は桜祭りの夜に見た桜とそっくりなほどに満開で幻想的だった。
花吹雪の中心にいる彼女の姿は、白いワンピースのせいか本物の幽霊のようで儚い。近くに行こうにも息が続かず、結局僕は青い桜と幽霊を遠くから眺めることしかできなかった。
「どうでしたか?私の方からだとあんまりよく見えなかったんですけれど」
「すごかった…本当にこの世のものとは思えないほどに綺麗だった」
岸に上がった僕たちはお互い反対方向を向きながら服を絞っていた。
こんな山奥で濡れるとは思ってなかったので当然着替えなんて持ってきてない。
興奮していたせいか寒いわけではないが、今夜は多少冷たさを我慢しなくてはいけないだろう。
「それはよかったです。今までの感謝とか、そういうのを言葉で伝えるのは難しかったので、この景色を見せるしかないだろうと思っていたんです」
顔は見えないが彼女が微笑んでいるのが感じられた。
ずいぶん前に世迷い事のように言った青い桜を、感謝の気持ちにふさわしいと言ってくれたことが嬉しかった。
それと同時にちょっとだけ悔しかった。先を越されたこともあるし、何よりこんな景色見せられたら僕の物がだいぶ霞んでしまうじゃないか。
少し湿っているポケットに手を突っ込み、中にある小さな箱を握りしめる。
「あのさ、僕からも渡したいものがあってさ…」
振り返ると彼女はきょとんとした顔でこちらを見つめていた。
濡れた髪が妙に艶めかしい。
何より白いワンピースは水で透けて肌に張り付き、二の腕や太もも更には…
思わず顔を隠して見ないように体ごとそむける。
その様子が可笑しかったのか彼女はわざとらしくスカートをももまでたくし上げる。
「ふふふ、ちゃんと水着着てますから大丈夫ですよ」
そんなわけないじゃないですかと彼女は笑う。
「はあ…心臓止まりかけた」
大きなため息をついてそのまま深呼吸をする。
「えっと…ごめんなさい。ちょっとやってみたかっただけなんです」
彼女は悪戯をした子犬のようにしゅんとして謝った。そしてそのままタオルを持ってこちらに歩いてくる。
今度は乾いたカーディガンを羽織った状態で。
タオルを受け取り二人して近くの切り株に座り込む。
「さっきの花びらはシノグロッサムという花で、個人的に育てていたんです。今年は特に多く咲いたので花は摘み取って保管していたんですよ。そしたらあなたと会えたんでこれはと思ってやってみました。花の形もよく見ると桜の花に似ているんですよ」
そう言って形の残っている花を一つ拾って見せてくれる。
水中ではよく見えなかったが近くで見ると確かに桜に似ているような気がする。
「小さくて可愛いですよね。薔薇とか百合とか大きい花は綺麗でいいんですけれど、私はやっぱりこういう小さくて可愛い花が好きです」
そう言いながら彼女はニコニコと小さな花を見つめている。
このまま今日が終わりそうで、心臓が早鐘を打つ。
「あのっ…さ、渡したいものがあるのだけれど…」
渡すタイミングなんか多分とっくに過ぎてるけれど、渡さないと何もなくなっちゃうからとポケットの箱を握りしめる。
「僕の感謝の気持ちです。僕もやっぱり言葉じゃ伝えられなくて、さっきの景色と比べるとちっぽけだけど、よかったらぜひ」
そう言ってポケットから箱を取り出し彼女に渡す。
「開けてもいいですか?」
「…どうぞ」
受け取り、箱を開けた彼女がわあと目を輝かせる。
「髪留めですか!?それに水色の桜が付いてますよ!すごくかわいいです!」
彼女は早速手に取って髪に付けた。
よっぽど嬉しかったのか水面に移る自分の姿を見たり、外して手に取ったりとはしゃぎまわっていた。
微笑ましいなと眺めていると、彼女の頬を涙が伝うのが見えた。
自分でも気づいたのか必死にぬぐおうと何度も手を動かしている。
「違うんですよ。嬉しくて泣いているんです。嬉しくて、有難くて、私なんかには勿体ないほど綺麗で、暖かくて、言葉にできなくて泣いているんです。」
そう言って彼女は髪留めを大事に抱きしめ、精一杯の笑顔で振り向いて言った。
「一生大事にします。ありがとうございました」
再び二人で小船の上で星空を眺めている。
月はだいぶ位置を変えてしまっていた。
「そういえば、お互い今までの感謝って言って青い桜を渡しましたね」
「そうだね。あの時の言葉がここまでになると思うとちょっとびっくりだけど」
確かにそうですねと『幽霊』は笑った。
「私の景色とあなたの髪留め。あなたは髪留めがちっぽけだと言ってましたが私はそうは思いません。そもそも永遠が一瞬に勝てる道理はありませんから。それでも、永遠に残るこの青い桜は一生私の支えになるんだと思います」
そう言って再び彼女は大事そうに髪留めを抱きしめる。
「聞いてもいい?」
「どうぞ」
「君は『妖怪』?」
ちょっと困ったような顔をして彼女は答える。
「そうですけど、私は『幽霊』の方が優しそうで好きです」
優しそうで好きだなんて、ずいぶん彼女らしいと思った。
僕は未来のことから目を背けるように水面を見つめる。
「それじゃあ私からも。お互い本当の名前を交換しませんか」
声を弾ませながら『幽霊』は言った。
「いいよ。僕は『泉春斗』と言います」
約半年越しの自己紹介。今回は緊張せずに言うことができた。
「春斗…いい名前ですね」
何度も大事そうに僕の名前を繰り返している。
まるで忘れないように、何度も記憶に刻み込むように。
「はると、私の名前は…」
『幽霊』が大事そうに名前を告げた。
今夜ほど星月が綺麗な日は二度と来ないだろう。
願わくば私の記憶が永遠に記録されることを望む。
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