第19話


その日も昨日と同じだった。

朝起きて、身支度をして、お店の手伝いをして、寝る。

食事は必要最低限の分だけ。生きていられればそれでいい。

そんなことを考えながら眠ろうとすると、ピコンと視界の端で携帯が光った。


 『お元気ですか。もしこのメールが届いていたら何かしらの返事を下さい。

メールは不便ですね。相手に正しく届いているかさえわからないので、待っているととても不安になります。

こっちは遅いですが夏休みに入りました。

地区大会では個人で優勝して、秋の新人戦に向けて皆で練習中です。

今君は何をしていますか?さらっとした近況でいいので聞きたいです。

燈花より。』


メールは燈花からだった。添付された写真はおそらく地区大会のもので、質素なトロフィーを抱えてチームメイトと一緒にいるものだった。

記憶の中の彼女と写真の彼女が重なり、視界が少しだけ滲んだ。

メールを開いて気づいたが、メールボックスの中には一ヶ月ほど前からメールが溜まっていた。積み重なる未読メールを見るとなんだか無性に申し訳なくなってきた。

衝動的に電話帳から燈花の番号を探す。

探してから通話ボタンを押すまでの間、僕はなぜか呼吸も忘れるほどに必死だった。

ボタンを押して我に返って、今更後悔し始めてきた。

こういうの、アポとか取らなくても平気なんだろうか。非常識な奴だと思われたりしないだろうか…



電話のコール音が長引く。

早く出てほしい反面、このまま繋がらないでほしいとも思っていた。まるでテスト返しの前のような、寿命の縮みそうな時間を過ごす。


 「…もしもし?春斗?」


携帯電話の向こうから、聞きなれた声が聞こえてきた。

その声は、電話待ちの苦痛全てが杞憂になるほどの安心感を僕に与えてくれた。


 「…こんばんは。…今平気?」


恐る恐る燈花に聞く。

僕の心配をよそに燈花は元気いっぱいにぜーんぜん平気と答えてくれた。


 「それで、急にどうしたの?」


 「メール、全然気づかなくて一つも返事してなかったから謝らないとって…衝動的に」


 「なんだそんなことで」


僕のトーンがだんだんと弱弱しくなっていくのが面白いのか、燈花は笑うのを堪えるようにあっけらかんと言った。


 「でも久しぶりに声が聞けて嬉しいよ。電話かけてきてくれてありがとう」


ありがとうと言われてほっとため息をつく。

さっきまでの心配は本当に杞憂で終わったようだ。


 「よかった。突然電話掛けて迷惑がられるかと心配だったから」


 「迷惑がるなんてとんでもない。むしろ私のことそんな人だと思ってたの?」


燈花はねえねえどうなの?とちょっと楽しそうに言い詰めてくる。

圧に押し負けた半面、本当にそう思われたかもしれないとほんの少し不安になりながらそんなことないと必死に弁解する。

それを聞いた燈花はだろうね、と心底楽しそうに笑っていた。


 「春斗は昔からそうだよね。何でもかんでも約束約束って、誰かに見放されるのを極端に怖がってたよね」


昔を懐かしむような口調に釣られて僕も昔の出来事をいくつか思い出す。


 「そりゃあ、それがただの口約束で何の効力がないとしても、それだけが僕を不安から守ってくれるから」


 「知ってる。でも約束したのに心配になって夜中急に泣き出したこともあったよね。そういうところは何年たっても変わらないんだから。いつまでも可愛いままだね」


言われてカァーっと頬が赤くなる。自分でも忘れていたのにどうしてこういうことばかり憶えているのだろうか。


 「それ小学校低学年の時でしょ。流石に今は泣き出すなんてことないから」


 「ふふふ、ごめんごめん。久しぶりに話せて楽しくてさ、ちょっとからかいすぎちゃった」


そう言って笑いながら何度もごめんと言ってくる。

ほんとに反省してるのだろうか…


 「でも不安にはなるんでしょ」


ウグッと声が漏れそうになる。

急に痛いところを突かれて心臓が縮み上がる。


 「私もね、夜中急に不安になることあるし、何なら部活中でも試験中でも急に不安になることあるよ。でもね、そういう不安ってどうにもならないんだよね」


でしょ?と共感を求めながら燈花が明るく話す。


 「だからね、自分を信じるの。経験を、努力を、記憶を信じる。というか、そもそも信じているいないの基準なんて自分でしか決められないものなんだからさ、自分が思った通りにすればいいんだよ。私たちができるのは自分で決めたことをちゃんと信じることだけ」


心の霧が一つ晴れていくのを感じる。

そういえばテラリウムで彼女に同じようなことを言われたことがあった気がする。

あの時はなんとなくだったが、今ようやく理解することができた。

偽善者は自分の本心を偽っている自分自身だ。

これからしなきゃいけないことは、誰にでも好かれようとする私(・)をやめることだ。


 「ありがとう、燈花」


 「私は何にもしてないよ。私の妄言に、春斗が勝手に意味見つけたんだよ」


ふふふ、と燈花が笑う。

釣られて僕も笑った。笑った分だけ喉の奥の辛さが吐き出されるようだった。



 「そういえばさ、お母さんのことはどう?何かわかった?」


思い出したかのように燈花が聞いてくる。

もともとこの島に来たのは母がどんな人かを知るためだったのだ。

目的そっちのけで他のことばかりやってるように見えるかもしれないがちゃんと母のことも自分なりに調べてはいた。ただ、三船さんの家ではあまりにも何も見つからなかっただけなのだ。


 「ううん。まだ三船さんに昔話を少し聞いただけだから全然わからない。二学期になったら学校でも色々調べて今年中にはそっちに帰るつもりだよ」


 「そっか。じゃあ帰ってくるの楽しみに待ってるね」


僕の答えを聞いて安心したように燈花は言った。

僕が生まれる前だからせいぜい二十五年前かそこらだろう。

流石に卒業生の資料の一つや二つあるはずだ。


 「それにしても春斗のお母さんってどんな人なんだろうね。記憶にないのは仕方ないとしても写真一つくらいはあってもいいのにね」


 「本当にね。それにお父さんがすんなり許してくれたのも気になるし」


僕たちにとって母の存在は常に謎に包まれているものだったのだのだ。

親からは話しづらいわけがあるというのはお互いなんとなく理解していて、気にしてはいないもののやはり空気は暗く重いものになってしまう。


 「そういえばさ、燈花は自分の色って何色だと思う?」


なんとか話を変えたくて苦し紛れにこの前の話題をあげる。

自分で決めなくちゃいけないのはわかっているが、他人の考えを聞くくらいなら罰は当たらないだろう。


 「自分の色について?そーだねぇ」


燈花はうーんうーんと唸っている。

燈花が唸っているときはたいてい何か思い出そうとしているときだ。

そしてようやく思い出したのかやけに弾んだ声で答える。


 「そうそう、この前後輩に自画像を見せてもらったんだけれどね、思わずぞっとするほどに奇妙だったの」


 「奇妙?ピカソの自画像みたいなイメージ?」


頭の中にピカソの角ばった自画像が思い浮かぶ。


 「近いような遠いような…なんかね、キャンパスくりぬいて別のキャンパスを一部貼り付けてるの。で、何か所も貼り付けててそれぞれに違った服が書かれている…みたいな」


燈花もどう説明するか考えあぐねているような感じだった。

結局後で写真を送ってもらえることになったのでそれを見て考えようと思う。


 「とにかく、自分の色でしょ?私この前の授業で自分をテーマにした作品を作りなさいってあったからそれの写真も送っておくね。それ参考にして」


説明は最初から諦めたのかずいぶんと投げやりな態度だった。

そこが燈花らしいともいえるけれど。

それにしても、そんな大きなテーマで授業やったんだと驚く半面、あの先生ならやりかねないと多少納得もする。


 「一学期最初の授業で『このテーマで制作をして学年末までに提出すること。作品の評価がそのまま成績になります。それ以外は何しても自由ですがくれぐれも他の先生にばれないように』なんて言っちゃうんだよ、あの自称文学少女。テーマがテーマだしちょっと本気になったけど」


 「それはなんとなく想像できる。作品が完成したってことはもう成績わかるの?」


僕の問いに燈花は自信満々に答える。


 「もちろん。今年の美術は全部5です。先生にも確認を取りました」


電話越しでも嬉しそうにしているのが伝わってくる。

誰かに自慢したくてしょうがなかったんだろうな。


 「というか、そういうのは過去のメールで送っているから。知らないのは春斗の落ち度だから」


 「それはほんっとうにごめん。これからはちゃんと確認するから」


潔く謝ると燈花は笑いながら許してくれた。

あなたたちはからかい症候群にでもかかっているのですか。


 「それじゃあ私はもう寝るね」


燈花に言われ時計を見ると時間はもうすぐ12時になるところだった。


 「うん。話せて楽しかったよ。おやすみ」


 「おやすみ、春斗」


そう言われて電話は切れる。

また三分くらいしてメールが届いた。

添付された写真は三枚。

一枚目は後輩の自画像で燈花の説明したとおりの絵だった。

何も服を着ていない自分をベースに、キャンパスを切り貼りするようにして制服や私服などで自分の肌を隠している。そして目や口、耳などをマスキングテープやアニメのキャラクターで隠すようにしている。

こういうのをコラージュって言うんじゃなかったっけ。

二枚目はその絵の説明で『全部の私を書きました』と書いてあった。

全部の私、か。自分を着飾り、守る洋服ですら自分の一部であると。それはいったいどれほど心強いことだろうか。そんな風に、自分を認めることを考えたことはなかった。

三枚目は燈花の作品だろう。真っ暗な部屋の一枚の壁に色とりどりのスポットライトが向いており、中心部は色が混ざって白く光っていた。そしてそこには眩しくて目をつぶりながら立っている燈花がいる。

タイトルは『無色透明』らしい。

もっとシンプルなのを期待してたのになと苦笑して机に向かった。

もう夜は遅いが、今思いついたことを全部ノートに書きたかった。

今すぐ始めなければきっと朝には忘れてしまう。

僕の色は何色か。綺麗な色か、汚い色か。

僕に相応しい色を求め、一心不乱にノートに書きまくった。

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