第17話②
教室の方へと帰るとこれまた人気のない踊り場で委員長と柊馬に出会う。
柊馬は朝の勢いはどこにやったのかというくらい意気消沈していたし、委員長は昨晩とは正反対に血の気の良い顔色をしていた。
「気分はもう平気なの?」
「まあな、こいつがあれだけ騒いでいたら誰だって冷静になるさ」
「そっか、それはなにより」
時間が経ってお互い落ち着いた。
柊馬には止めてくれてありがとうと感謝された。大事にならなくてよかったと皆で安堵する。
話を聞くと柊馬は一ノ瀬さんが夏夜祭りの女性ではないと確証を得るために、そしてもしそうならそれを自分たちに隠していたのが許せずに朝の行動を起こしたらしい。
そもそもあの女性が一ノ瀬さんだという確証がない以上ずいぶんと早とちりした行動だったと思う。でも柊馬らしいとも思った。
僕は二人に昨晩のことを一ノ瀬さんに話したと言った。
一ノ瀬さんは自分たちで勝手にやったのに自分まで巻き込むなと言っていたとも。
それを聞いて二人、特に柊馬は朝のことを深く反省したのだと思う。
僕も一ノ瀬さんに言われたことを口に出して改めて悪いことをしたと反省した。
きっとさっき言われた言葉を口にするたびに胸の奥が痛くなるのは罪の意識からくるのだろう。もしそうでないのなら、このこみ上げる辛さはなんと表せばよいのだろうか。
昼休みが終わるころ、柊馬は一ノ瀬さんに謝っていた。
勝手な憶測で酷いことをしたと。
一ノ瀬さんは普通に許していた。
でも、みんなの中にはわだかまりのようなものが残っていた。
「つまりことの顛末はアンハッピーエンドっていうところだったんですね」
アンハッピーエンドと言えばそうかもしれない。まるで見ていたかのように適切な表現を見つけてくるものだと少し感心する。
「君はどうすれば前みたいに仲良くなれると思う?」
桜の木の後ろで、彼女がいつものように考える。
この部屋だけはいつも暖かく、少しの間でもつらい気持ちを忘れることができた。
「無理じゃないですかね。前みたいに仲良くするなんて」
彼女ならきっと何か教えてくれると思っていた。
直接ではなくても、会話の中で何か自分が気づけることがあると思っていた。
「無理って…なんで?」
「だって女の子は暴れた男の子の謝罪を受け取り、許したのでしょう?解決するような要因が何一つないんですもの」
なのに彼女はいともたやすく明るい未来を切り捨てた。
彼女の言うことが正しいと認めたくなかった。
「確かに謝罪を受け取ったけど、それがきっと表面的なものだったら?本心でははらわたが煮えくりかえっていたとしたら?」
「謝られてすぐに切り替えられる人なんていませんよ。それに、あなたはどうしてもお友達の不和に原因を付けたいのですか?」
彼女の言うことに対し何も言い返せなかった。
彼女の言うことは正論だ。なのにどうしてもそれを消化しきれない自分がいた。
「それより、あなたは謝ったんですか?」
彼女の語気が少し強くなる。そしてそれに気づかないままそうだと返す。
「なぜ?何に対して謝ったのですか?」
「何に対してってそれは…」
それは…なんだったのだろう。
柊馬が手をあげそうになったから?それは柊馬が個人的に謝った。
柊馬を止められなかったから?いや、最後はしっかり止めたじゃないか。
一ノ瀬さんの秘密を詮索したから?そもそもあれは一ノ瀬さんの秘密なのか?
「今回の騒動で場を混乱させてるのはきっとあなたです。図々しいというか、他人を信用しなさすぎるんですよ」
それは…違う、とは決して言いきれない。
でも自分が悪いという実感があやふやになる。
「辛い言葉かもしれませんが、それは偽善者だからこそ出てくる言葉なのではないでしょうか?」
彼女の言葉が胸に刺さる。何も間違えたことは言ってない。
認められないのはなぜか?きっと彼女が当事者ではないから、それこそ部外者に否定されるのが我慢ならないのかもしれない。
背中からナイフで刺されたように、得体のしれない痛みが広がっていく。
「汚かったり、大変だったり、そういった何かをするよりも何もしないことの方がいっそう辛いことです。でも、問題は本人たち同士でしか解決できませんし、そこに部外者たるあなたが参入することはよくないことなのですよ」
無言の僕を見かねたのか、彼女の声色はいつもと同じかそれ以上に優しくなった。
その優しさも否定したくて、でもそれを否定してしまうと何もなくなりそうで、ぐちゃぐちゃな心の中で悪態をついた。
「部外者って、彼らとは友達だから僕は部外者なんかじゃない」
それを聞いていたのか、あるいは僕がそう思うことまで想像していたのかもしれない。
彼女は仕方ないなという風にため息をついて静かに呟いた。
「…そういうところですよ」
少しの間無言の時間が生まれる。
僕は泣きそうなのをこらえるので精いっぱいだった。
彼女はこんな空気だからかいっそう明るい声で問いかけてくる。
「この前星を見たとき言ったことを覚えてますか?」
ほんの数日前のことだ。あの一日の出来事の全てを鮮明に思い出すことができる。
「どれのことだっけ、いっぱい話しすぎて思い当たることが多すぎるや」
こんな返しで彼女は僕が全部憶えていることまで読み取ってくれるだろうか。
「心は空模様と似ているというところです」
それを聞いてあの日の青空が脳裏に浮かびあがる。ずいぶんと美しい空だった。
テラリウムから見える空模様も、あの時と似ていた。
同じ青のはずなのに、比べ物にならないほど濁っているように見える。
「私たちは、あの空のような、誰にでも受け入れられる心を持つことは出来ません。だからこそ、自分の個性や人間性を、長い時間をかけて認めてもらわなければならないのです」
彼女の言葉は柔らかく、まるでそれが真理であるかのように僕の心に入り込む。
しかし、それを押し返すように反対の言葉が心の底から湧き上がってくる。
多くの人に認めてもらわなければ、自分はここにいられない。
ここにいてもいいという、そんな存在証明だけが僕を安心させてくれる。
受け入れられるのであれば僕は何にでもなれたはずなのに、いつもいつも調子に乗って失敗してしまうのだ。それがどうしようもなく苦しい。
彼女の言葉は僕の心に染みわたる。傷口に海水が染み込むように。
「あなたの心はどんな色をしていますか?私には、誰かを理解するより先に、まず自分自身と向き合う方が大事なように思えます」
誰かを理解しようとするより、自分自身と向き合う方が大切、か。
きっと彼女の言うことは正しいのだろう。
ああ、いったいどうしてだろうか。
ようやく友達になれたと思ったのに、彼女は僕よりもよっぽど大人で、まるで対等なんかじゃない。
肩を並べるために、足りない頭で必死に考えることを強要してくる。
空模様は心の移ろいに似ている、彼女はそう言っていた。
じゃあ、僕の心は何色なのだろう。
「しっかり考えてくださいね。8月2日、夜9時頃に御崎神社で待ってます。しっかりと答えを持ってきてくださいね」
夕方のチャイムが鳴り響く。
校舎はもうしばらくすると閉められてしまうだろう。
もう少しだけここにいたかった。
ぐちゃぐちゃな心を、彼女に慰めてもらいたかった。
今日、彼女は顔を見せてはくれなかった。
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