第14話②

ずいぶん時間が経ったと思う。

ふと思い出したことがあった。


 「そういえばさ、時間は大丈夫なの?」


 「門限ですか?私の家はそういうの無いので大丈夫なのですよ」


門限も確かに大事なのだけれど、島の住民ならそれより先に出てくるものがあるんじゃないか?


 「門限もあるけれど、9時以降は外に出ちゃいけないんじゃなかったっけ。ほら、       島の風習で」


 「風習ですか?9時以降外出禁止なんてものありましたっけ」


彼女は必死に思い出そうとしているように見えた。

本当に知らないのだろうか?


 「『桜の妖怪』の話知らないの?」


 「『桜の妖怪』ですか?それなら知ってますよ。でもそんな脅しみたいな内容じゃなかったはずですよ」


そう言って彼女は遠くを見るようにしながら詠い始める。



 『桜の木には物あり。

  そは一人の恋する娘。

  思ふ人を守るために、人は一人先立つ。

  桜の木には物あり。

  そは我が子を見守る一人の女。

  夜の島には物の怪があれば、人はわらは見守り続く。』



彼女が詠ったのは雨宮のおじいちゃんが言っていたのとも委員長が言っていたのとも違った。

もっとこう優しい感じがするような詩だった。

詠い終わった彼女は立ち上がり、波打ち際まで行くと微かに笑った。


 「ふふふ、難しいですよね。現代語に訳すとこんな感じになるんですよ」


ひらひらとしたカーディガンのせいか、彼女が幽霊のように儚いものに見える。

一つ一つの言葉に命を吹き込むように、波打ち際で舞いながら詠った。



 『桜の木には妖怪がいる。

  それは一人の恋する娘。

  愛する人を守るために、彼女は一人先立ちます。

  桜の木には妖怪がいる。

  それは我が子を見守る一人の女。

  夜の島には怪物がいるから、彼女は子どもを見守り続けます。』



無意識のうちに頬を涙が伝う。

詠っている彼女の顔はやはり見えなかった。

しかし、この詩に込められた心はしっかりと伝わっていた。

愛する人を思う娘の心、子どもを愛する母の心。それらは彼女の言葉を通じて現代に蘇る。

もしかしたら彼女は詩の娘と同類なのかもしれない。

もっと言うと現代の『桜の妖怪』は彼女のことなのかもしれない。

もしそうだとしても、僕にはそれが醜いだとか怖いだとかは思えなかった。

僕は涙をぬぐって彼女のもとへと向かう。


 「詩、素敵だったよ。他の話しか知らなかったから、『妖怪』は怖いものだと思っていたけれど『桜の妖怪』は良い人だったんだね」


それを聞いて彼女は嬉しそうに微笑む。


 「そうですよ、『桜の妖怪』は良い人です。恐ろしいほどお人好しで、それこそ大雨の中で来ない友人を待つようなことまでしちゃう人なんです。でも、だからこそ周りの人が正しく付き合って、彼女の善意を踏みにじってはいけないのです」


不穏な言葉とともに辺りの闇が深くなる。

とっくに九時は過ぎたのだろう。町の方を振り返っても明かりのついてる家は片手で数えられるほどしかない。

唐突に彼女が口を開く。


 「先ほど言っていた中学の先生とは仲が良かったのですか?」


 「まあ、それなりには。学校生活とかいろいろ相談に乗ってもらっていたから」


なるほど、と少し考えるようなそぶりをする。

なんだろうとじっと見てると、視線に気づいたのか僕の前に立ち海の方へと向きを変えてしまった。


 「いえ、あなたの思想はもしかしたらその先生からきているのかなって」


言ってる意味が分からずしばらく戸惑う。

彼女もこれだけでは伝わらないのがわかっていたのか彼女自身の考えを述べ始める。


 「私の思想は沢山の本から得たものです。本は作者の人生の生き写しって言うじゃないですか。つまり私の思想っていうのは沢山の人の人生を集めただけのものなんですよ。でも、そう考えると不思議ですよね」


 「不思議って、なんで?」


 「だって、自分らしさとか、その人だけの考え方っていうのは自分が知ってる誰かの考え方を集めたものってことじゃないですか。それって自分のものって言えるんですかね?」


中学の時の先生と同じようなことを言うもんだなと思った。

先生の意見はよく聞かされてたから正直彼女の言っていることの意味も理解できた。

そしてそれは僕にとって十分共感できるような意見だった。


 「その気持ち分かるよ。僕には凄く優秀な幼馴染がいて、その子の思想が凄く好きだったんだ。彼女の周りにはいつも誰かがいるような人気者で、それが羨ましくてたまらなかった。だからその子の考え方を想像して真似することにした。彼女ならこの場面でどうするか、彼女がこうしなかったのは何故なのか。彼女の思想を得ることで、僕の周りにも誰かが常にいるようになってくれた」


 「オレンジ色の人のことですか」


言いながらどんどん吐き出したい言葉が湧き出してくる。

もっと自分を理解してほしい。

過去を吐き出して、醜い自分を知ってもらって、それでな自分のことを認めてもらいたい。

そんな下賤な欲望が心中に渦巻く。


 「うん。でも、そうすると今度はその誰かの思想を理解しようとして、その繰り返しで僕の思想が獲得されていく。結局のところ心の中に沢山の人が住み始めて、僕の心は多重人格みたいになってしまったんだ。本当の僕はなんなのかわからない。今の僕は誰かの寄せ集めに過ぎないんだって」


僕の意見を聞いても彼女は振り返らなかった。

でも否定するようなそぶりは見せなかった。

よくあることだと思われてるのか、自分もそうだと言うのか。彼女の返事が不安でたまらくなった。


 「ロマンチストなんですね」


予想外の答えに思わず戸惑ってしまう。

そんな素敵な答えが返ってくるとは思わなかった。

そして、彼女こそずいぶんと素敵な物言いをするもんだなと思った。


 「いいなぁ…私もその人たちと会ってみたいなぁ」


誰に聞かせるためでもない本心からのつぶやきが漏れ出したような気がした。

僕は再び彼女が突然消えてしまいそうな、幽霊でも見ているのではないかという不安に囚われる。


 「大丈夫?」


僕が聞くと、彼女はさっきまでのことが何もなかったかのように振り向き答える。


 「はい、大丈夫です。そろそろお開きにしましょうか。いい加減帰らないとご両親も心配されるでしょうし」


いつの間にか足首まで波に浸かっていた。

そんなことが気にならないほどに密度の濃い時間だった。


 「うん。また今度」


 「はい、また今度」


夕方に柊馬たちと別れた道で彼女と別れる。

家に着くまで、彼女が最後につぶやいた言葉が頭から離れなかった。

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