第4話

桜ノ宮学園から歩いて三十分。港の近くにひっそりと建っている喫茶店『四季』

その二階が僕の暮らしている家だ。

扉を開け、からんころんとベルが鳴る。お店の中には数人のお客さんがいた。


 「おや、もう学園終わったのか?それじゃあこれを持っていきなさい」


カウンターでコップを拭いていた初老の男性に紙袋を渡される。中身はおそらくサンドイッチだろう。


 「ありがとう、三船さん。荷物置いたらすぐ準備するから」


軽くお辞儀をしてバックヤードから二階へと上がる。三船さんは僕の母方の祖父だ。僕がこの島に住むことになった時に昔母が使っていた部屋を貸してもらったのだ。

そのお礼として放課後は週四日で喫茶店の手伝いをしている。

荷物を置いて先ほど渡されたサンドイッチを口の中に放り込む。

着替えだけしてお店へ降りるとちょうど店のベルが鳴った。


 「いらっしゃいませー」


入ってきたお客さんは学園の高等部の制服を着た女子生徒だった。

お客さんは常連さんなのかまっすぐ店の端のボックス席へと歩を進める。

しばらくしてお客さんが手を挙げる。この店では店員さんを呼ぶときは手を挙げて呼ぶのが決まりだった。


 「ご注文はお決まりでしょうか」


 「パンケーキをバターミルクで。あと、ミルクティーをお願いします」


 「わかりました。パンケーキのバターミルクとミルクティーですね。少々お待ちください」


注文の確認を済ませ厨房の方へと持ち帰ろうとするとそういえば、と忘れていたことを思い出すようにお客さんが話しかけてきた。


 「いずみ君って四季で働いてたんだね」



注文された品を席に持っていき、促されるままに向かい側の席に座る。混んでいるわけではないし少しくらいはいいと三船さんに許可はもらっていた。


 「ねえ、私が入ってきたときから気づいてたでしょ?」


一ノ瀬さんがどうして声をかけてくれなかったの?と首をかしげて聞いてくる。彼女の視線はなんでも見透かされてそうで少し苦手だった。


 「そりゃあ、バイト先に知り合いが来たら誰だって知らないふりをすると思うけど」


 「ふーん、東京の人って冷たいんだね」


冷たいと言われるとちょっと傷つく。確かに社交的な方ではないが、仕事中は愛想よくしているつもりだったのに。

落ち込む僕とは反対に一ノ瀬さんは楽しそうに笑っている。


 「ごめんごめん。いずみ君だって今日知り合った人と仲良くしろなんて言われても難しいもんね。でもあの二人の前じゃもっとフランクな感じの方がいいと思うよ。これから私たちは同じ島で暮らすんだから。都会じゃないかもしれないかもだけど、この島小さすぎて知り合いと会わない日なんてないんだよ?」


たしかに一ノ瀬さんの言っていることはもっともだ。何よりあの二人は僕が冷たい態度をとるときっと悲しむだろう。向こうで普通だったことがこっちでも普通とは限らないのだから。


 「一ノ瀬さんはこの店よく来るの?」


 「うん、放課後は図書室かここにいることが多いかな。そういういずみ君は毎日バイト?それとも週休二日くらいかな?」


再び一ノ瀬さんの視線に体がきゅっと締め付けられる。


 「休みは、土曜の午後と水曜日。それと、日曜。」


僕の答えを聞いてふーんと興味があるそぶりをしながらミルクティーを一口啜る。

まるで品定めをしているようだった。

しばらくして、再びベルがからんころんと鳴り響きお客さんの来店を知らす。

僕が立ち上がり接客をしようと立ち上がりかけたところで再び一ノ瀬さんに呼び止められた。


 「そんなに他人に嫌われるのが怖い?」


やはりその視線は冷たかった。見下すのではなく見定めるような。まるでお前のことは何でも知っているんだぞと言わんばかりの視線だった。

ちらっとカウンターを確認したら三船さんはまだいていいよと目配せしてくれた。

仕方なく席に座りなおして一ノ瀬さんのほうに向き直る。


 「誰だって嫌われるのは嫌だと思うけれど」


僕の答えを聞いて一ノ瀬さんはからかうようにふふふと笑い出す。


 「それはそうでしょ。私だって嫌われるのは嫌だし。不思議だよね、嫌われないように愛想笑いをするのに、それですら誰にでも愛想をよくしていると言われて嫌われる。いずみ君は人に好かれたいときってどうしたらいいと思う?」


一ノ瀬さんはさっきまでの冷たい視線が嘘のように穏やかな空気をまとって話し始めた。

過去に何か人間関係でトラブルがあったのだろうか。かく言う僕もはっきりと言えることがあるわけではないのだが。


 「僕も友達が多かったわけじゃないから何も言えないけど、相手が喜ぶことをすればいいんじゃない?」


 「なるほど、相手が喜ぶことをすればいいと。友達が少ないいずみ君らしい考えだね。」


今さらりとひどいことを言われた気がする。いやまあ友達が少ないのは自覚しているから平気だけれど。


 「一ノ瀬さんはさ、みんなと仲良くしたいとかそういうのってどう考えてるの?」


僕の問いにさっきよりも長く考え込んでから答える。


 「私は身近な人とだけ仲良く楽しく過ごせればそれでいいと思ってるかな。もちろんモラルは守るけど、人生の数パーセントも関わらないような他人に気を遣うのは無駄だと思ってる。それに、毎日そんなことをしてると疲れちゃうしね」


そう語る表情にはほんの少し影のようなものを感じたが、それでも彼女の言葉は彼女自身の本心を表しているように感じられた。 


「そういえばさ、いずみ君ってどうしてこの島に来たの?両親の転勤ってわけでもないでしょ?」


一ノ瀬さんはスプーンでミルクティーを弄ぶようにかき混ぜている。


 「…理由聞いても引かない?」


 「人殺しとストーカー以外なら引かないよ」


むしろそんな理由を暴露する人はいないんじゃないでしょうか。

まあ聞かれたからには言っても大丈夫だろう。


 「小さいころ死んだお母さんの学生時代を知りたくて」


ピタッと、ミルクティーをかき混ぜる手が止まる。


 「ごめん、まずいこと聞いちゃったね」


 「や、全然大丈夫。小さすぎていない方が当たり前だから」


空気が静まり返る。

しばらくして一ノ瀬さんが再びかき混ぜ始め、それを合図に元の空気に戻った。


 「そっか、お母さんは御崎島生まれだったんだ」


 「そう。環境が特殊だし、何より遺書も遺言もそれらしいものはなかったらしいから気になって探しに来たのです」


再び入口のベルが鳴り響く。話し始めてからもうすぐ一時間が経とうとしていた。

さすがにこれ以上はまずいと思い席を立つ。


 「ごめん、一ノ瀬さん。そろそろ仕事戻るね」


 「話に付き合ってくれてありがとう。また話そう」


 「うん、また今度話そう」


それを聞いて一ノ瀬さんは静かに微笑んで再び本を読み始めた。

先ほどまでとは異なりずいぶん穏やかな雰囲気をまとっていた。


結局その日、一ノ瀬さんは閉店近くまで本を読んでいた。


 「今度のお祭り、ちゃんと来てね」


と、帰り際にそれだけ言い残して帰っていった。

正直祭りに行くのも悪くないなと、若干心は傾き始めていた。

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