「知り合い?」

 高耶は出ていった男の方を見ながら、席に着く俺に言った。

「いや、ちょっとね」

 適当に濁す。まともな言葉を返すほどの余裕がなかった。あの男と拳銃と、死んだはずの自分のことばかり考えているからだ。

「曽根君、知り合いかどうか聞いてるんだけど」

 紫乃さんが曖昧に返事する俺に釘を刺す。そしてメガネを触った。苛立っているのか、眉間にはしわが寄っている。

 残念なことに、その質問には、はい、か、いいえ、で答えることができない。なにせ、俺の記憶では知り合いだが、あの男は俺のことを知り合いとは認識してないだろう。

 そのことを、紫乃さんと高耶にいま説明するのは難しい。

「ごめん、今日はもう帰る。あの男のことは明日また話すよ」

 そう告げて、椅子から立ち上がる。窓に雨が打ち付けられる音が響いていた。

 紫乃さんは、今にも暴言を吐きそうな表情になり、眉間にまたしわを増やしている。そのことに気がついた高耶は、俺に気を利かせてか、

「そっか、じゃあ気をつけて帰れよ。俺は紫乃の迎えを待ってから帰るからさ。また明日な」

 と、強引に別れの挨拶をしてきた。俺も、軽く別れを告げる

「意味わかんないんだけど」

 紫乃さんの声が聞こえたが、振り返らずに教室を出た。

 廊下には、雨のせいで外に出られない運動部員たちが、室内でできるトレーニングをしている。その脇を抜けながら、学校の門を出た。


 そのあたりから、ずっと立ちくらみが続いているような感覚になっていた。視界が、透明で暖かいゼリーに包まれているようだ。安らげる場所を求め歩き続けていると、いつの間にか自分の家の前にいた。濃く暗い橙色の屋根から、大量の雨が雨樋を伝って地面に落ちている。

 ドアの前に傘を干す。かじかむ指で鍵を開け家に入った。傘をさしていたはずなのに、制服はほとんど濡れていた。

「咲太おかえり。シャワー浴びちゃえば」

 リビングの方から母の声が聞こえてくる。家の中はカレーの匂いが詰め込まれていた。

「とりあえず着替えるだけでいいや」

 すぐに自分の部屋に戻り、制服を脱ぐ。

 近くにあったハンガーにかけ、タオルで体を拭いた。部屋着に着替え、階段の手すりに制服をかけに行く。弟の制服はすでに干してあった。

 部屋に戻りベットに寝転んだ。反対側の壁は、全体が棚になっていて、そこには球体関節人形が三人飾ってある。

 祖父に貰った白い髪と青い瞳の人形、それよりも大きなサイズで桃色の髪と黒い瞳の人形、そして、未完成の髪も瞳もない人形だ。

「あなた、私と一緒ね」

 青い瞳の人形が喋りだす。

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