高耶が目を丸くして驚いた。

「お、おう。咲太。急にどうしたんだよ」

「どうしたはこっちのセリフだよ。いつになったら紫乃さんのところに行くのさ」

「もう、すぐな」

 そして、高耶はまたフラフラとドアの前を彷徨った。手にはなぜかカバンを持っている。

「なあ高耶。紫乃さん、全然怒ってないよ」

「そうだよな。分かってるんだけどさ」

 とは言いつつも、頭を掻くばかりで教室に入る気配がない。

 謝るチャンスは何度もあったのだが、高耶はずっとこの調子で渋っていた。

「ただ謝るだけだろ? なにがそんなに嫌なのさ」

「よく分からなくて嫌なんだ。俺さ、謝るってしたことないんだよ」

「今まで一度も?」

 高耶は笑いながら頷いていた。

「なんで?」

 素直な疑問が口をついて出る。高校生にもなった人間が一度も謝らなかったなんてありえるのだろうか? よほど頑固なのか、相手が怒ってることに気がつかないほど鈍感なのか、もしくは途方もないほど優等生なのか。

「きっかけが無かったんだろうな」

 高耶は他人事のように言った。

「きっかけって、誰かと一緒にいたら訪れると思うんだけど」

「へー。そうなんだな」

 なにかに納得して頷いている。そして窓から暗い外を見始めた。追うような視線。きっと、星が見えているんだろう。

 俺も同じように外を見る。木が揺れていた。風が強くなっている。

「高耶。行くぞ」

 このままでは埒が明かない。紫乃さんも迎えがきたら帰ってしまうわけだし。俺は高耶の腕を掴み、教室のドアを開けようとした。

 しかし、それよりも先にドアが開く。

「うわ! 曽根君か」

 そしてドアの向こうから、驚く声と共に紫乃さんの姿が現れた。

「えっと、もう迎えに来たの?」

 高耶に手を叩かれる。俺にきつく腕を握られ痛いようだ。紫乃さんの不意打ちに動揺して、無意識に力が入ってしまったらしい。

「違うよ。曽根君がトイレ行くって出て行ったきり、戻って来ないから」

「ああ、ごめん、ちょっと別件で」

「別に心配してたわけじゃないから、いいんだけどね」

 と、俺と会話しているが、視線は明らかに高耶の方を向いていた。

「あんた、昨日の星の、だよね?」

「はは、そう。昨日の、星の」

 高耶はしきりに首の後ろをさすりながら、俯いている。

 紫乃さんはその姿を凝視してから、俺の方を見て、

「曽根君、どういうこと?」

 と、笑いながら言った。

「高耶はさ、紫乃さんに謝りに来たんだよ」

「え、そうなんだ。その男、謝まったりしないと思ってた」

 表情も、目つきも声色も全く変わらず、普段の調子で紫乃さんは言った。

 言われた男は、その失礼な物言いに気がつく様子はなく、急に手に持っていたカバンの中をあさリ始めた。そして片手をカバンに突っ込んだまま、高耶が話し始める。

「あのさ、紫乃。昨日は悪かった。こんなもんしか用意できなかったけど、これで許してほしい」

 カバンから手を出した。そこにはなにかが握られている。それは素早く紫乃に差し出された。

「えっと、え? 謝りに来たんだよね?」

 その手に握られた物を見て、紫乃は周りを気にし出していた。俺の目にも、高耶の手の中のものが目に入る。

 その手には、一輪ずつの赤と白の花が握られている。

「高耶、なんで花?」

「手ぶらって訳にもいかないだろ?」

「それで、花なのか。なるほどな」

 なにか違うと思いつつ、俺は言った。二輪の花は依然として高耶の手に握られている。

「早く受け取ってくれよ。もしかして、これじゃ許せない?」

「そういう問題とは違うけどね」

 紫乃さんは花を受け取り、なにも持っていない方の手でメガネを触った。

「あんた名前はなんていうの?」

「え、俺? 青柳高耶」

 名前を聞くと、紫乃さんはメガネを上げたり下げたりしながら高耶を見た。裸眼でも見ようとしているせいか、どんどんと近づいていく。

「おい、なんだよ。紫乃」

 その威圧感に気圧されて、高耶はわずかに後ずさる。顔が、握りこぶし三つ分くらいまで近づくと、二人とも動きを止めた。

「青柳くん、私、全然怒ってないよ」

 近づけていた顔を離し紫乃さんが言う。

「おう。そうか。それなら良かった」

 肩の荷が降りたのか、高耶は大きく伸びをした。

「よし、これで今日のやることは終わったな。じゃあ帰るか。咲太はどうする?」

「俺は高耶が謝るの待ってたんだよ。もちろん、帰る」

 カバンを取りに教室に行こうとすると、紫乃さんが立ちふさがる。

「ちょっと、私を一人で置いて行く気? 迎えが来るまでは待っててよ。どうせ暇なんでしょ?」

 重たそうな髪が左右に揺れる。紫乃さんは時計回りに回って、教室のドアを開けた。後ろ姿から、聞き取りづらい声が聞こえる。

「花をプレゼントする時はさ、もっと大切な時にしたほうがいいと思うよ」

 その言葉に、高耶はすぐに反応し、

「そうなんだ。よく覚えておくよ」

 と、紫乃さんが見ていないのが勿体ないくらいの笑顔で言った。

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