「ほら。早く、窓の方に行って」

「わかったから、急かさないでよ!」

 二人はほとんど同じくらいの背丈で、よく見れば高耶の方がわずかに高いのだが、紫乃さんの正しい姿勢のせいか、高耶の方が小さく見えた。

 紫乃さんは明らかに不機嫌だ。眉間に深いしわが四つほど刻まれている。

「なに? 曽根君、知り合いなの?」

 軽蔑の目でこっちを見ている。俺は高耶を裏切りたい気持ちをぐっと抑える。

「そうだ。昨日、偶然あったんだよな。咲太」

「偶然……、てよりも、今の紫乃さんと似たような状況だった気がするな」

 笑いながら言うと、紫乃さんは厚ぼったい眼鏡越しにじっと見つめてきた。そして、ボソリと呟く。

「無駄に優しいんでしょうね。曽根君って」

 存分に嫌味を吐く紫乃さんは、眉間のしわを一層深くし。険悪な雰囲気が流れている。高耶は一切そんなことに気がついてないようだが。

「早速だけど、紫乃っていったっけ? そこから空を見てみてくれ」

 窓を指差しながら紫乃さんの肩をたたく。

「私、あんたに名前を名乗った覚えはないんけど」

 ボソリと言った。そして高耶の顔と俺の顔を交互に見た後、窓から空を覗き込んだ。

「紫乃、星、見えるよな。あの、灰色の」

 高耶は紫乃さんの右側に立って窓を覗く。俺は左側から覗き込む。三つの頭が、窓から空を眺めた。

「紫乃さん、どう? 見えてるの?」

 俺も急かすように聞いてしまった。少し睨まる。

 そして紫乃さんは両手を使ってメガネの位置を整えると、俺に向かって笑った。

「当然、——見えるわけないでしょ! バカにしないでくれるかな?」

 その声は、教室で休憩しているクラスメイトたちにも聞こえるほど大きな声だった。高耶が開けっ放しにしたドアの向こうで、みんながちらちらとこっちをみている。

「え、よく見ろよ。そこだぞ、そこ! ほらほら」

「だから、見えないっていってんでしょ。ほんっと、意味わからないんだけど!」

 クラスメイト達の視線に、二人は全く御構い無しで、言い合いが始まってしまった。紫乃さんはとても感情的で、高耶はいつもの調子だ。

 集まっていた視線はすぐに消えた。みな、厄介ごとに関わりたくないのだろう。

「高耶、紫乃さんは星が見えないっていってるし、もうそこまでにしようよ」

 終わりが見えない言い合いに、俺は一言った。二人はすぐに話すのをやめてこっちを向く。

「わかったよ。じゃ、最後にもう一度確認するぞ。紫乃、星が本当に見えないんだな?」

「何回も同じことを言わせんな!」

 紫乃さんは教室に戻っていった。銃声のような音でドアは閉められた。

「すごい怒ってるね、紫乃さん。謝った方がいいんじゃないの?」

 俺の意見に、高耶は真剣に耳を傾けている。

「そうか。謝った方がいいんだな。今すぐか?」

 俺はさっきの紫乃さんの様子を思い浮かべる。

「今行ったら、星にされるかもな」

「なあ咲太、つまらない冗談はやめた方がいい」

 と、高耶は笑いながら俺の背中を叩いた。ちょうどチャイムが鳴る。

「じゃあな。咲太」

 高耶は何事もなかったように、教室に帰っていった。俺も帰ろうとして、あることに気がつく。それは、紫乃さんが隣の席だということだ。

 なにか気の利いた言葉を探したが、当然なにも思いつかない。いや、なにを言っても無意味だろう。

 残りわずかな今日を諦め、教室のドアを開ける。そのまま机めがけて進み、出来るだけ静かに席に着いた。紫乃さんにもらった紫のシャーペンを手に取り、なにか考えているふりをしてみる。

 授業開始のチャイムがなる寸前、視線だけを動かして隣の席を見てみると、紫乃さんは頬杖をついてぼーっと黒板を眺めていた。怒っていると言うよりも、疲れているように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る