2日目
1
廊下側の一番後ろ、俺の右隣の席に座っているのは紫乃愛聖。しのあみ、と読むらしいが、昨日、先生も読めずに困惑していた。
今は昼の長い休憩で、紫乃愛聖はこめかみを押さえ、静かに座っている。
黒くて厚ぼったい眼鏡をかけていて、そのフレームに見え隠れしている眉間には、しわが寄せては返す。
肩にかかるくらいの黒髪は、毛先が内側に巻かれている。おそらく頭痛を耐えるために軽く頭を振っているが、その度に重そうな髪が、主人を守るように揺れた。
「ねえ、曽根君っていったっけ?」
カーテンの様な髪の隙間から、紫乃さんの目が見える。
声をかけられたせいで、食べようとしていた玉子焼きを弁当箱に戻すことになった。
「そうだけど、どうしたの?」
「えっと、ね」
紫乃さんは遠くの的を狙う時のような慎重さで話している。
「聞きたいことがあるんだけど……」
表情は苦痛に歪んでいるが、落ち着いた囁き声だ。
「聞きたいことってなに?」
「あの、曽根君って自分がシャーペンの芯を頻繁に折ってしまってることに気が付いてる?」
じっと、こちらを見ている。虹彩が黄色に近い茶色で、ライオンか虎に睨まれているような緊張感に包まれた。
「いや、今言われて初めて気がついた」
俺の言葉を聞くと、メガネに触りながら少しだけ黙ってしまう。
「そうなんだ。気が付いてなかったんだ。えっと、当然だよね。そういうのって、自分じゃ気が付かないもんだよね」
早口で話したかと思うと、急に静かになる。またメガネを触り、唇をわずかに歪めた。
そして目を細め、ゆっくり息を吐きながら素の表情に戻っていく。
「自分じゃ気が付かないもんだよね。わかるよ。曽根君」
自分に言い聞かせるように、同じ意味の言葉を繰り返した。
「俺、直したほうがいいかな?」
紫乃さんは目を細め、俺をじっとみた後に、少しだけ柔和な表情になり、
「一理あるね。そのほうが曽根くんの為になるのかも」
そう言いながら一人頷いている。
「これから気をつけるよ。また折ってたら、その時には注意して欲しいな」
「わかった。協力するよ。曽根君」
初めて笑顔になったが、すぐにまた眉間にしわを寄せ痛みに耐えるようにこめかみを揉みはじめる。そして机に突っ伏してしまった。
四十分ある昼休みだが、とても静かだ。今日はまだ始業式の翌日だからだろう。これからは、みんなが思い思いに仲良くなり始めて、騒がしくなっていく。
俺は残りの弁当を食べながら、二時間目の終わりの休み時間のことを思い出した。
その時、俺は次の授業の準備をしていた。
途中、近くの扉から俺を呼ぶ声が聞こえ、振り返ると昨日の放課後によくみた男、つまり青柳高耶がいたのだった。
高耶は俺を見つけると、中腰で近づいてきて一言、
「頼む。消しゴムを貸してくれ」
と、小さく呟いた。
俺は二つあるうちの小さい方の消しゴムを渡しながら、高耶が存在している事実にとても安堵したことを覚えている。
昨日の出来事が幻想で、高耶の存在自体が俺の生み出した妄想だったんじゃないか、という不安が拭い去られたからだ。
そして高耶は、また後で、と言ってさった。
弁当の最後の一口を食べ終えて時計を見る。二十分くらい休憩時間が残っていた。
高耶の教室に行ってみようと考え、席を立とうとすると紫乃さんが顔をこっちに向けた。重たい髪が揺れている。
「そういえばさ曽根君、これ使ってみない?」
そう言った紫乃さんは、紫色のシャーペンを細くて白い布製の筆箱から取り出した。
「なにか違うの?」
受け取って、使わないプリントに適当な線を書き込んでみた。
「それ、芯が折れにくくなってるの。嫌じゃなければあげる」
確かにかなり乱暴にしても芯が折れなかった。
「全然嫌じゃないけど、本当に貰っちゃって良いの?」
「ねえ。良くなかったら、あげるなんて言わないと思わない?」
紫乃さんはそれだけ言うと、またこめかみを揉んで机に寝てしまった。
貰ったシャーペンを筆箱にしまって席を立つ。
「シャーペン、ありがとう」
寝ている紫乃さんに伝えると、顔を伏せたまま、右手をあげて俺を見送っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます