第25話 交渉の切り札

『ちがっ、パートナーってのはビジネス上のパートナーって意味で伴侶とかそういう意味じゃ――』

『わかってるっつーの』

『それはそれでムカつく』


 俺にどう答えろと……。

 いいや、考えるだけ無駄でしょ。

 どうせ正解なんてどこにもないんだし。


『あのなぁ、最初の「ダンジョンの発生に関係してるでしょ」みたいな態度どこ行ったんだよ。俺を疑ってたんじゃないのか?』

『疑ってたよ。でも過去形』


 とととっとナターシャは俺の前に躍り出ると、じっと俺の瞳を覗き込んだ。


『こうしてダンジョンの話をしても、カズマの目には後悔も達成感も現れない。それってダンジョンの発生に関わってないからでしょ?』

『む。でも、疑問は何一つ解決してないだろ』

『そうね。でもそれは後でいいかな。今、私が優先すべきことは他にあるもの』

『他?』


 ええ、とナターシャが頷く。


『私の役目はね、アンテナなんだよ。お国に迫る危機を事前に察知するために、世界各地の悪だくみを諜報するのが仕事なんだよ』

『そうか。生憎だけど俺は愛国心なんて持ち合わせちゃいない。分かり合えないと思うぜ』


 小さい頃は「いい子でいなさい」と言われて、大きくなるにつれて「一般的であること」を求められ、だけど最後には「自分らしさ」が求められるなんて罠だろ。

 何度、俺の人生って何だったんだろうって思ったことだろう。どれくらい、国の指針を恨んだだろう。


 全部が全部、国のせいだなんて思っていない。

 俺が生涯で学んだことはただ一つ。

 国は俺が飢えても嘆いても、手を差し伸べてくれやしないってこと。

 お国のためになんて思想は全くない。


『パートナーとしては相性最悪だろうさ』

『ふうん。いいんじゃない? 別に』

『は?』

『私だって別に、国が好きだからって理由で諜報員やってるわけじゃないし』


 は?

 じゃあなんで諜報員なんて危険な職業についてんだよ。なんて言葉を口にするかしないか考えていると、ナターシャは「あはは、気になる?」と言った。


『私さ、孤児院で育ったんだ。頼る先もなかったし、この集団に溶け込めなかったら、行く先が無いって思って、必死に顔色を読んで、波風立てないように生きてきた』


 ふと思い出す。

 テロリストに絡まれたとき、彼女は「言葉がわからなくっても何言ってるかくらいわかる」と言ってのけた。

 あれは比喩でも何でもなく、環境が彼女にもたらした生きる術だったのかと、今さらながらに思う。


『孤児院って、資金繰りが大変でしょ? ピアノとかダンスとか、そういった習い事がしたいとき、どうすると思う?』

『諦める?』

『潔いね。でも残念。正解は、孤児院出身の大人が教えに来てくれる、でした』


 なるほど。

 育ててもらった恩返し、的な感じなのかな。

 あるいは伝統って言ってもいいのかもしれない。


『その中にね、IT関係に詳しい先生がいたんだ』


 その人にハッキングを教えてもらったのかと聞けば、そういうわけではないと答えられた。教えてもらったのはあくまでIT知識やアルゴリズムについて。ハッキングの知識は独学だ、と。


『電子の世界はさ、アルゴリズムって決まった秩序で動いてるんだ。それが、人の顔色を読んでばかりだった私には、すごく心地が良くて』


 仕掛けがわかったら、正確な答えを読み解ける。

 複雑怪奇で解が一意に定まらない人間の心情とは全然違う。

 そんな単純な世界が、心地よかったんだ、と。


『切っ掛けはその先生の仕事内容が知りたいっていう、好奇心だったんだ。でもさ、その先生が、実は結構重要な機関の一員でさ。機密情報を盗み見た罪悪感に押しつぶされて、先生にごめんなさいしたの。

 そしたらどうなったと思う?』

『なんやかんやあって、今の仕事におさまっちまったってわけだ』

『そういうこと』


 重大な秘密を知った相手に取れる行動は2つに1つだ。この世から消し去るか、内部組織に抱き込む――機密を守る側に仕立て上げるかだ。

 彼女は類稀なるハッキングの才能が認められて組織の一員に組み込まれることになったと。わからない話でもない。


『だったらなおさらわからねえ。俺をパートナーに誘って何になる?』

『ダンジョン攻略』


 ナターシャは自信満々で答えた。


『結局、私がこの職業に縛られてるのは立場が弱いからよ。でも、世界中にあふれ出した謎の建造物。その仕組みを解き明かせば功績が認められ、私の地位も確実なものになるかもしれない』

『なるほどな』

『どう? カズマの身体能力ならダンジョンを探索するなんて余裕でしょ? 給金はしっかり出すわ』

『ああ、よくわかったよ。ナターシャは一つ、大きな勘違いをしている。

 俺は金に困ってなんかない』


 ナターシャは「へ?」と素っ頓狂な声を上げた。

 それからひきつった笑いを浮かべた。


『あ、はは。いいって、そういう見栄はるの』

『いや、まじで』

『……まじ?』

『まじ』


 と、いうわけで。

 わざわざそんなめんどくさいことに首を突っ込むメリットが無い。


『じゃ、そういうことだから。他を当たってくれ』

『ま、待って! えと、えーと、じゃあ、そうだ!』


 歩き出そうとする俺の手を、ナターシャは掴んだ。

 目は赤くなり、顔はうるんでいる。


 これいろいろ理由をかこつけてるけど、単純に俺と離れたくないだけでは? 思い上がりすぎか?


『身の安全、てのはどう?』

『……へえ? 話を聞こうか』


 もはや人類がたどり着けない域に成長したステータスを持つ俺の安全を守るだって? 面白い、聞かせてもらおうじゃないか。


『カズマの顔は、ニュースで世界中に広まった。これがどういうことかわかる?』


 ナターシャは天に向かって指をさした。


『衛星写真。今頃ウチだけじゃなく、アメリカや中国、はては北朝鮮があなたを躍起に探してるわよ』

『げっ、マジかよ!? おま、それが目的で……』

『だから私はインターホンを鳴らしたじゃない。出てこなかったのはカズマの選択』

『ぐ、ぐぬぬ』


 しまった。

 あのインターホン連打は悪意じゃなくて善意だったのか。

 くっ、読み違えた。


『今のままなら、一生狙われ続けるわ。それこそ、寝る間もないほどにね』


 ……一応、覚醒の間を逃げ道に使えなくはない。

 だけど何度か繰り返せば、消えた地点と同じ時点にしか出てこれないってことはすぐにばれる。

 待ち伏せは逃れられない。


『でも、私ならあなたの痕跡を完全に消し去れる』


 確かに、ロシアお抱えの諜報員なら、俺に関するデータを抹消するなんて造作もないことなのかもしれない。


『さ、どうする?』


 彼女は確信をもって、俺に問いかけてくるのだった。

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