第三章
公爵令嬢失踪
「ふざけるなぁ!」
という怒声と共に、ラーム伯爵夫人が椅子ごと後ろに吹っ飛ぶ。
それを憤怒の顔で見下ろす騎士がいた。
女騎士ジェシー・レーマーである。
この騎士は主であるエリージェ・ソードルと共にラーム伯爵邸に訪れ、控え室で待機をしていた。
しばらく、騎士リョウ・モリタらと軽く談話をしつつ待っていたのだが、突然、馬車が伯爵邸から出てくる音が聞こえた。
少し気になった女騎士ジェシー・レーマーは誰が乗っているものかラーム伯爵の使用人らに確認したが、何やら挙動がおかしい彼らは、分からないと首を横に振るだけだった。
妙な胸騒ぎを覚えた女騎士ジェシー・レーマーは他の護衛騎士と共に、緊急事態だとエリージェ・ソードルとの面会を求めるも、ラーム伯爵邸執事からは奇妙な事に「今はお取り次ぎ出来ません」などと言われる始末だった。
明らかにおかしい事態に、女騎士ジェシー・レーマーは執事や伯爵騎士を押しのけ、先に進んだ。
そして、茶話会が行われているはずの部屋に押し入ったのである。
だが、そこには本来いるはずのエリージェ・ソードルの姿は影も形もなく、ラーム伯爵夫人と伯爵令嬢がただ、座っているだけだった。
「どういうことですか!」
と訊ねるも、何故かラーム伯爵夫人はニヤニヤと笑うばかり。
何度か意味の無いやり取りをした後、ようやく口にしたのが「わたくしもよく分からないの。公爵令嬢が勝手にどこかに行ってしまったので」などというふざけた言葉だった。
それに激怒した女騎士ジェシー・レーマーがラーム伯爵夫人を突き飛ばしたのである。
勿論、激怒しているのは女騎士ジェシー・レーマーのみではない。
代々、ソードル公爵家に仕えてきたモリタ家、その長子、騎士リョウ・モリタや、傭兵で名が売れていたとはいえ、ただの平民から引き上げられた騎士ギド・ザクスも眉を強く寄せ、剣の柄を握る左手を細かく震わせていた。
女騎士ジェシー・レーマーは転がっているラーム伯爵夫人の両腕を掴むと無理矢理持ち上げる。
そして、「お嬢様をどこにやったぁぁぁ! 答えろぉぉぉ!」と怒気の籠もった目で睨み上げた。
それに、一瞬怯んだラーム伯爵夫人だったが、顔を引きつらせながらも気丈に言う。
「あ、あなた、わたくしが誰だか分かっているの!
ハンケ伯爵家の――」
「それが何だ!
お嬢様は公爵家、しかも、”公”と呼ばれるお方だ!
あの方に何かあってみなさい!
ラームだろうがハンケだろうが、たかだか伯爵家――三族根切りに決まってるでしょう!」
何かがバタリと倒れる音と、「お、お嬢様!?」とかいう声が聞こえてきたが気にせず、女騎士ジェシー・レーマーはラーム伯爵夫人の細い体をガクガク揺すりながら「お嬢様をどこにやった! 答えろ!」と怒鳴った。
騎士リョウ・モリタや騎士ギド・ザクスも「さっさと言え!」とか「こんなことをして、ただで済むと思っているのか!」などと詰め寄っている。
しかし、ラーム伯爵夫人は答えない。
髪が乱れ、後ろで束ねていたそれが外れてしまっても、ただただ、女騎士ジェシー・レーマーを睨むだけだった。
苛立った女騎士ジェシー・レーマーは床に夫人を投げ落とす。
そして、腰に差した剣を鋭く抜くと、仰向けに倒れるラーム伯爵夫人に突き出した。
貴族夫人の前に剣先が向けられたのである。
周りにいる侍女らが悲鳴を上げ、伯爵家騎士らが「お、お待ちください!」と動いた。
だが、伯爵家騎士らは騎士リョウ・モリタや騎士ギド・ザクスらに殴り飛ばされ沈黙し、その余りにも暴力的な有様に、声を上げていた使用人らは恐怖で硬直するか、意識を失い、床に倒れた。
女騎士ジェシー・レーマーはそんな事も気にせず、怒鳴った。
「さっさと言えぇぇぇ!
言わないと、四肢を切り落とすわよ!」
一瞬、怯えた顔になったラーム伯爵夫人だったが、その気の強そうな目を鋭くし、叫んだ。
「うるさいわね!
三十一番地よ!
あの女の娘は薄汚い三十一番地区に行ったのよ!」
「闇の三十一番地区!?」
女騎士ジェシー・レーマーが驚愕するのも当たり前である。
闇の三十一番地区とは王都の貧民地区に当たる北部三十一番地区の事を指す。
オールマ王国で最も汚い場所とされ、多くの犯罪組合が潜んでいるとされている。
特に女性ではあるが、連れ込まれたら最後、生きて出る事が出来ないと言われていて、恐れられていた。
社交の場から姿を見せなくなった令嬢がいれば、陰口の好きな貴族達がまず口にするのがその名で、畏怖と侮蔑の象徴的場所となっていた。
女騎士ジェシー・レーマーの表情に満足したのか、ラーム伯爵夫人はケタケタと声を上げて笑った。
「そうよ!
もう、あの女の娘も終わりよ!
令嬢としても勿論、命だってお終いかしら!
いえ、自ら命を絶ちたくなる、そんな目に遭っているかもしれないわ!
ざまぁ~無いわ!
本当に、ざまぁ~無いわ!
わたくしをあんな風に――」
「何がおかしい!」
女騎士ジェシー・レーマーはそんなラーム伯爵夫人の顔面に、剣を持ったままの拳を叩き込んだ。
そして、吹っ飛ぶラーム伯爵夫人の元に駆け寄ると、剣を振り上げる。
だが、その腕を掴む者がいた。
騎士リョウ・モリタである。
普段、表情を変えぬ騎士が目を険しくさせながら言う。
「そんな狂った女など今はいい!
お嬢様の所に向かうぞ!」
部屋の入り口付近では、騎士ギド・ザクスが幾人かの公爵騎士に「公爵邸だけでなく、ルマ侯爵邸やリヴスリー邸にも応援を求めろ!」と指示を出していた。
「っ!」
女騎士ジェシー・レーマーは歯を強く噛みしめた。
そして、外に駆ける騎士リョウ・モリタらの後ろを追った。
(何故、お嬢様がこのような目に遭わなくてはならないの!)
駆けながら、女騎士ジェシー・レーマーは苛立つ。
美しく、誇り高いお嬢様……。
民のために頑張って働く勤勉なお嬢様……。
そして、我らに対してもいつも優しく――いや、たびたび? いや、時々……。
とにかく、たまにはお優しいお嬢様が……。
何故、このような目に遭わなくてはならないのか!
その理不尽さに、怒りが湧いてきたのである。
(お嬢様、今参ります!
どうか、ご無事で!)
脳裏に、悪漢に囲まれ、怯えているお嬢様の様子が浮かん――。
『
……ボコボコにされ転がる悪漢を眺めながら、愚痴るお嬢様の姿が見えた。
「あれ!?
いや、あれ!?
なんか、違う……。
あれ?」
思ったのと、ちょっと違う物を思い描いてしまい、女騎士ジェシー・レーマーは自身の頭をペチペチ叩くのだった。
(お嬢様……)
騎士ギド・ザクスは駆けながら、厳つい顔を顰め、唇を噛んだ。
元傭兵のキド・ザクスは闇の三十一番地区の事をよく知っている。
多くの犯罪者が集まり、王都の衛兵が討伐を諦め、閉じ込める事で被害を最小化した場所である。
そのような場所にご令嬢が連れ去られた時の末路は――自明の理である。
まして、騎士ギド・ザクスの主は美しくも可憐な、絵に描いたようなお嬢様である。
いや!
ともかく、見た目は、本当に――絵に描いても良いほどのお嬢様なのである。
とにかく、その通りなのである。
そんなお嬢様が、荒くれどもにどのような目に遭わされるのか……。
その事を考えると、胸が押しつぶされそうになる。
(お嬢様!
あっしが迎えに行くのを、どうにか、お待ちください!)
騎士ギド・ザクスの脳裏に、お嬢様の悲痛な叫び声が響い――。
『見なさい!
これだけいれば、魔石鉱山はもとより、甘芋栽培の方も十二分にまかなえそうよ!
むしろ、どうやって公爵領に連れて帰ろうか、困ってしまうぐらいだわ!』
などと、嬉しい悲鳴を上げるお嬢様の声が『助けてくれぇ~』という悪漢らしい男どもの悲鳴と共に聞こえて来た。
「え!?
あれ!?
あっしのお嬢様は、もっとこう!
柔らかくて、守って差し上げたくなるようなぁ~」
などと、思ったのと違ったのか、騎士ギド・ザクスが困惑したように、首を何度も捻るのだった。
(このような不覚……。
許されるものではない!)
騎士リョウ・モリタは心の中で自身を責めながら駆けた。
代々ソードル公爵家に仕えてきたモリタ家の者としての面子も勿論ある。
ただ、主を守る騎士として……。
一騎士として……。
自分のふがいなさが許せなかった。
騎士リョウ・モリタの主は、公爵代行をやっていても、まだまだ十三歳のご令嬢である。
内実は――まあ、ともかく、まだまだお若く、騎士としては身を挺してでもお守りしなくてはならない相手である。
それを、こうも易々と連れ去られるとは……。
今回は他のご令嬢方が参加しないと聞いて、”被害は最小化されて、少し安心だ”、なんて暢気に思っていてはならなかったのだ。
(お嬢様にもしもの事があれば、俺は生きてはいられないだろう……)
騎士リョウ・モリタは目を険しくさせて思った。
”まあ、普通にご無事だろう”とか”むしろ、どうやって害すというのか?”とか――騎士リョウ・モリタはけして、思ったりはしない。
そう、絶対に思ったりはしないのだ。
繰り返しになるが、”主に何かがあったら生きてはいられない”、このような場面ではそう思う事、それこそが大事なのである。
(お嬢様、ご無事で!)
騎士リョウ・モリタは強く願った。
脳裏に騎士リョウ・モリタの助けを請う、主の声が響き渡った。
『あ、リョウ!
悪いんだけど、衛兵詰め所に行って、
「先に、衛兵詰め所に寄ってきた方が良いかもしれないな……」
騎士リョウ・モリタは少し、遠い目をした。
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