ミーナ、オーメ、エタについて

 エリージェ・ソードルはそんな愛猫に少々、決まり悪い思いを抱き「何でも無いのよ。ありがとう」とその頭を撫でた。

 そして、言う。

「まあ、最悪、レーヴと調整する事になるにしても、ある程度のものは確保するわ。

 忌々しい話だけど」

「はい」

 頷く執事ラース・ベンダーを見つめつつ、エリージェ・ソードルは机の上を指先で軽く叩く。

「レノ、レノ……。

 何だったかしら?」

「どうかなさいましたか?」

 執事ラース・ベンダーや従者ザンドラ・フクリュウが不思議そうに訊ねてくる。

「いや、レノ伯爵家の事で何かあったような……。

 あ、ああ……」

 エリージェ・ソードルが視線を侍女ミーナ・ウォールに向けると、少し驚いた顔をした侍女は、直ぐに困った顔になる。

「レノ伯爵家はわたしが以前勤めていた家で……。

 その、良い人ばかりだったので、出来れば険悪な感じにはならないで頂きたいです……」

 だが、エリージェ・ソードルは、この小柄な侍女がボソボソ話している事など、まるで聞いていなかった。

 それより、二年ほど前の事を思い出していたからだ。


(もう、約束の時期は過ぎたけど……。

 そういえば、音沙汰が無いわね)


 この女が思う約束とはイェンス・レノ伯爵子息とのもので、侍女ミーナ・ウォールに懸想けそうをしている彼から、二年ほどミーナに婚姻話を持って行くのを控えて欲しいと頼まれていたものである。

(……まあ、連絡が無いなら無いで、別に構わないけど)


 武門の家で、五大伯爵貴族とまでは行かないまでも、名門と言って差し支えないレノ伯爵家――その女主になった侍女ミーナ・ウォールの姿が、正直、この女には想像つかなかった。

 この素朴な感じの侍女は、それぐらいならむしろ、農家の主婦の方がしっくりくる――エリージェ・ソードルはそんな風にすら思っていた。


 無論、自分にしっかりと使えてくれた侍女に対して、出来るだけ良い嫁ぎ先を見つけてあげたいと思っている。


 だが、名家でなくても浮き沈みの少なく、相手やその家族が穏やかな気質で、のんびりと子供が育てられる平和な貴族家――この女としてはそういう所を選んであげたいと思っていた。


 なので、イェンス・レノ伯爵子息から連絡が無いというのなら、むしろ、都合が良いとも言えるのだが……。


(でも、オーメが関わっているのよね)

 エリージェ・ソードルは苦笑する。

 何も言わず侍女ミーナ・ウォールの嫁ぎ先を決めると、幼なじみオーメスト・リーヴスリーは確実に騒ぎ立てるだろうと、エリージェ・ソードルは確信できた。

(騒ぐだけならともかく、突飛な行動に出られると、面倒ね。

 一応、手紙を送りましょう)

 そこで、ふと思いだし、訊ねる。

「そういえば、オーメはまだカープルに居座っているの?」

 女の問いに、従者ザンドラ・フクリュウが苦笑する。

「リーヴスリー子息は大将軍――いえ、リーヴスリー卿の元で元気にされている様です。

 最近では、公爵騎士団に自分の団を新設しようとされているとかなんとか……」

「あの人は何をやっているの……」

 エリージェ・ソードルは頭を抱える。

 幼なじみオーメスト・リーヴスリーは最近、大将軍を辞して本格的に公爵騎士団の顧問となったザーダール・リヴスリー卿の元で指導を受けるようになった。

 エリージェ・ソードルとしては、リヴスリー伯爵家嫡子なら嫡子らしく、自領の騎士団で鍛錬なりなんなりすれば良いと思うのだが……。

 ザーダール・リヴスリー卿に師事を受けるせっかくの機会と、公爵領に居座ってしまっている。

 しかも、図々しい事に通うのが面倒だからと鍛錬場の近くに邸宅を用意して欲しいとか言い出して、この女を激怒させた。

「オーメといい、エタといい、公爵家を何だと思っているの!」


 本の虫令嬢、エタ・ボビッチ子爵令嬢はクリスティーナに付いて回りつつ、王都や公爵領の書庫で本を読み漁っていた。


 エリージェ・ソードルが幾度となく立ち入り禁止にしようとするが、クリスティーナや王族ロタール・ハイセルなどを巧みに使い、回避し続けていた。

 その姿に、従者ザンドラ・フクリュウをして「なかなかの立ち回りですね」と賞賛していた。

「エタなんて、最近、公爵家への敬意が無くなっている気がするんだけど……」

 女のげんに、従者ザンドラ・フクリュウは苦笑しながら「あの本に対する熱意は、ある意味尊敬できます」と言う。

「子爵が言うには、”不治の病”、らしいわ」

 エリージェ・ソードルがボビッチ子爵に苦言を呈した時に返された、酷すぎる返答を伝えると、従者ザンドラ・フクリュウは遠い目になりながら「父親もお手上げって事ですね」と言った。


 話を変えようというのか、執事ラース・ベンダーが話し始める。


「お嬢様、残念ながら景気の良い話とはなりませんが……。

 コッホ卿が水害対策について、相談したい件があるので、出来れば、来月にもブルクにお戻り頂けないかとのことです」

「あら?

 コッホ卿の滞在場所はカープルでしょう?

 そちらで、構わないわよ」

 女のげんに、執事ラース・ベンダーは苦笑する。

「現在、コッホ卿はブルクに滞在されています。

 カープルだと、気が緩みすぎて仕事にならないのだとか。

 あと、コッホ夫人も特に交流の無かった”親しい友人”が押しかけてくるのに、少々お疲れになったとの事で、卿と共に移られました」

 流石の女も苦笑する。

「そう……。

 相談というのは、急を要する話なのかしら?」

「いえ、どちらかというと、計画全体の進行について、らしいです。

 年単位の事業になりますので、お嬢様も含めての方が良いとの判断です。

 ……あと、金銭的な話にもなりそうです」

「問題無いわ。

 来月頭には向かうから、その予定でいて」

と言いつつ、木片を手に取る。

 従者ザンドラ・フクリュウがエリージェ・ソードルの様子を探るように訊ねる。

「予想通りではありますがお嬢様、工費が馬鹿に出来ないくらいになっています。

 必要な工事だとは思いますが、ここまで一気に行う必要は無いと思いますが」

「必要よ。

 少なくともマヌエルに爵位を引き継ぐまでには、なんとしても終わらせたいの」


 この女が水害対策に乗り出しているのは、当然、”前回”の事があったからである。


 ただ、その時に氾濫があった所、以外にも、レロイ・コッホ卿が必要と判断した場所に関しては工事を進めている。

 広大な公爵領を治める事となる弟マヌエル・ソードルの、その重荷を少しでも減らしてあげたい――その願いからだ。


 普段、けちくさい事ばかり言っているエリージェ・ソードルだったが、この部分で金を控えるつもりは一切無かった。


 とはいえ、目減りしていく資産を目の当たりにするのは、気分の良い物では無い。

「ラーム伯爵家からどれだけ搾り取れるか、ね。

 なんでも、ラーム伯爵はまだ戻っていないけど、ラーム伯爵夫人は参加するとのことだったし、ある程度の物をきちんと約束させなくては」

 などと酷い事を呟き、従者や執事を苦笑させつつ、積み木の枠に木片を置く。

 そして、膝に乗る愛猫エンカの柔らかな毛並みに頬を乗せるのだった。

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