第十六章

見学されながらの執務

 王都公爵邸執務室にて、エリージェ・ソードルは執務机に座り、目の前の羊皮紙、その文字の上に指を沿わせていた。

 しばらくすると、正面に立つ若者、執事ラース・ベンダーにそれを突き返しながら言った。

「他の費用はともかく、この地鎮祭って何?

 そんなものに何で、酒やら肉やらがいる訳なの?」

 それを受け取りながら、執事ラース・ベンダーは苦笑気味に眼鏡の鼻当てを持ち上げた。

「何でも、ザヘラウフ近辺では大きな工事をする場合、土地神様とやらにお供えをする事が習わしになっているようで、それだけ分必要だと言ってきてます」

「はぁ?

 土地神って何?」

 エリージェ・ソードルの怪訝な問いに、側に控えていた従者ザンドラ・フクリュウが答える。

「いわゆる土着神ですね。

 田舎などで良くあるのですが、身近にあるものを神に見立て、奉るのです。

 自然に出来た岩石や巨木、場所によっては精霊や魔獣などを”神”とします。

 雄大なものや強いものを崇めることで、自分たちを守って貰おうとしているのです」

「……そんなことをして、意味はあるの?」

 エリージェ・ソードルの問いに、従者ザンドラ・フクリュウは苦笑しながら答える。

「もちろん、それらに頭を下げた所で、願いは叶いません。

 結局の所は、村を纏めるための方便だったり、心情的安寧を得るための儀式に過ぎないのです」

「ふ~ん」とエリージェ・ソードルは顎に手をやり考える。


 ソードル家は光神教団とのつながりが強い。


 故にと言うべきか、この女は教団が行う儀式に対しては、それなりに理解はある。

 それを、統治の為に使うことにも、忌避感は全くない。

 貢ぎ物それによって工事を行う者が安心できるのであれば、いくらか都合をするのはやぶさかではなかった。

「これだけの肉を与えるのであれば、かなり強力な魔獣に思えるんだけど、それは安全なものなのかしら?」

 などと呟く女に、執事ラース・ベンダーは苦笑する。

「わたしもその点が気になり調べさせましたが……。

 どうやら、その土地神とやらは、巨木のようです」

「ん?

 どういうこと?」

 魔獣などの肉食ならともかく、木に肉を捧げるのは変な話である。

 女の問いに、執事ラース・ベンダーは言いにくそうに答えた。

「有り体に言えば、土地神に格好付けて村人総出で飲み食いがしたいだけのようです」

 執事ラース・ベンダーの言葉に、エリージェ・ソードルの左頬がひきつる。

 だがそれも一瞬のことで、一つため息をついた。

「土地神の為なら、土地神の分だけあれば良いでしょう。

 我が領にはそんな無駄金を使う余裕はないわ」

 エリージェ・ソードルは従者ザンドラ・フクリュウから指示書を受け取る。

 それを見ながら執事ラース・ベンダーが言葉を返す。

「とはいえ、お嬢様。

 村長代表の者がそういう風習だと言っておりますので、全くやらないとなると却って手間が増えませんか?」

 オールマ王国では大規模な工事を行う場合、専門工夫以外は周辺住民を徴収して行わせるのが一般的である。

 それを纏めるのが村長、さらにはもっとも大きい村の長が村長代表となる。

 その村長代表のやる気如何いかんが進捗に影響があるのはままあることである。

 その事が分かっているからこそ、村長代表は役得を得ようとしているのだろう。

 だが、エリージェ・ソードルはその辺りに理解を示さない。

 淡々と返す。

「全くじゃないわ。

 土地神とやらには与えるわよ。

 ラース、今回の工事はザヘラウフの安全のために行うこと。

 まして、徴収と言ってもきちんと賃金を出すのだから、それ以上は不要でしょう。

 それでもまだ、ギャアギャア言うのであれば、村長代表の資産から出させなさい。

 村のためというのであれば、それぐらいは出来るでしょう?

 それも嫌なら、仕方がないわ」

 エリージェ・ソードルの瞳の光がギラリと輝く。

村長代表それの首と体を土地神の供物にしなさい」

「お嬢様!」

 従者ザンドラ・フクリュウが声を上げる。

 エリージェ・ソードルが視線を向ければ、何やら目で訴えてくる。

「あぁ~」とエリージェ・ソードルは気づき、視線を”そちら”に向ければ、執務を見学するために部屋の隅に置かれた椅子に座っているルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が呆然とした顔でこちらを見ていた。

 その隣に立つ、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢の付き添いである侍女の顔もひきつっていた。


 エリージェ・ソードルは口元に手を置き、軽く咳払いをする。


 そして、言った。

「ルー、今のは言葉のあやというか、比喩というか、脅し文句というか……。

 実際やるわけではないから、勘違いしないでね」

「え、あ、うん」

とルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は少々ぎこちなくだが、頷いて見せた。

 それに満足したエリージェ・ソードルは、指示書を執事ラース・ベンダーに渡しつつ「きちんと言って聞かせるように」と言った。


――


 一通りの執務が終わり、執務机の前に用意された机を挟み、エリージェ・ソードルとルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢はお茶をすることになった。

 エリージェ・ソードルは一口お茶を飲んだルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢に訊ねる。

「どうかしら、ルー?

 参考になったかしら?」

 そんな問いに、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は苦笑する。

「エリーは周りに人さえいれば――みたいなことを言っていたけど、正直、今のわたしではエリーみたいに執務をするのは難しいと思うわ」

「あら?

 周りに人がそろえば、あとは承認や決断、最終的な責任を取るだけよ」

「それが難しいのよエリー!

 だって、何が正しいかなんて、分からないじゃない!」

「だからの”人”よ。

 知恵者が側近にいれば、少なくとも選択の幅は広がるわ」

 エリージェ・ソードルがちらりと、後ろに控える従者ザンドラ・フクリュウに視線を向ける。

 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢も同じ者に視線を向けつつ訊ねてくる。

「その知恵者が見つからない場合はどうすればよいの?」

 エリージェ・ソードルは閉じた扇子で肩を叩きながらはっきりという。

「いようがいまいが一緒よ。

 領主わたくし達は領の問題全てに向き合わなくてはならないのだから」

 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は腹部に手を置き、泣きそうな顔をする。

「わたしには無理……。

 何だか、お腹が痛くなってきたもの……」

「そう思えるだけ、あなたは領主というものが理解できている証拠でしょう。

 そこらの、ボンクラよりは向いてると思うわ。

 ねえザンドラ、あなたはどう思う?」

 執務を始める前、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢に対して一通り説明をさせていた従者ザンドラ・フクリュウに訊ねると、彼女は少し思案げに答える。

「ヘルメス伯爵令嬢はお年のことを考えるととても博識で、聡明な方だと思います」

 そこまで言うと、従者ザンドラ・フクリュウは困ったように眉を寄せた。

「ただ、お嬢様のように、となると、お若すぎるヘルメス伯爵令嬢にはやはり難しいかと。

 お嬢様、責任の重さを分かっていてなお、お嬢様の様に決断し続ける――それは並の胆力では出来ないものですよ」

「そうかしら?」

「そうなのです。

 それに、お嬢様はご自分が考えていらっしゃるより、ずっと優秀なお方です。

 知識量にしても、判断力にしても、ずば抜けていると言って良いでしょう。

 まだ、執務経験が一年程度とはとても思えないほどです」

 実際の所は、”前回”を合わせれば八年ほどにはなる。

 ただ、それを知らない従者ザンドラ・フクリュウははっきりと断言した。

「お嬢様、お嬢様は年齢を抜きにしても優れた領主と言って差し支えはないのです。

 ……”余計な”事さえしなければ」

 従者ザンドラ・フクリュウの評価に対して、この女にしては珍しく、気恥ずかしそうに閉じた扇子を振った。

「止めなさい、ザンドラ。

 流石に買いかぶり――余計なこと?」

 従者ザンドラ・フクリュウはルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢に向かって一冊の本を渡しながら優しく微笑む。

「ヘルメス伯爵令嬢、すぐに当主代行をする必要がないのであれば、まずはこの”お嬢様”式の指南書を読まれてはいかがでしょう?

 わたしも読ませて頂きましたが、執務についてとても分かりやすく書かれていますので、手始めにはうってつけかと」

「余計な?」

「ありがとう」

と言ってルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は受け取り、パラパラとめくった。

 そして、エリージェ・ソードルに訊ねる。

「ねえエリー、この本を借りることは出来るかしら?

 出来れば写本したいんだけど」

 エリージェ・ソードルは横目でじーっと澄まし顔の従者ザンドラ・フクリュウを見つめていたが、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢の問いに頷いて見せた。

「……構わないわよ。

 分からないことがあったら、わたくしに聞いて頂戴」

「ええ、お願いするわ」

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