ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢の事情

 エタ・ボビッチ子爵令嬢が何故、オールマ学院に入学できたかは、少し気になったものの、この女はすぐに(まあ、どうでも良いわね)とあっさり流した。

 そして、話を続ける。

「実はあなた達に紹介したい者がいるの。

 その者の身分は平民なんだけど、出来れば仲良くして貰えると嬉しいわ」

 エリージェ・ソードルの言葉に、前に座る二人は困惑顔になる。

 だが、この女は特に気にもせず、侍女ミーナ・ウォールに視線を向けた。

 小柄な侍女は、少し心配そうに眉根を下げたが、予め指示されていた通り、奥の部屋に控えさせていた者を呼びに行く。


 侍女ミーナ・ウォールと共に静かにやって来たのはクリスティーナだった。


 紺を基調としたお仕着せ姿の彼女は、顔を俯き気味に進み出ると、女達の近くで膝を付き、首を更に下げた。

 エリージェ・ソードルは座ったまま、クリスティーナを紹介する。

「この子はクリスティーナ、我が家の使用人の娘よ。

 クリスティーナ、わたくしの隣に座る彼女はルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢、わたくしの正面に座っているのはエタ・ボビッチ子爵令嬢よ」

 エタ・ボビッチ子爵令嬢が慌てて立ち上がろうとして、エリージェ・ソードルに手で制される。


 貴族相手ならともかく、平民に対して立ち上がる必要など無いからだ。


 その辺りを理解している様子のルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢はただ「よろしく」とだけ言った。

 エタ・ボビッチ子爵令嬢も慌てて「よ、よろしく」とそれに倣った。

 その間、クリスティーナは身じろぎしない。

 そんな彼女に、エリージェ・ソードルは声を掛ける。

「クリスティーナ、挨拶なさい」

 クリスティーナは頭を下げたまま、声を出す。

「畏まりました。

 お耳汚しではございますが、挨拶をさせて頂きます。

 わたしはソードル公爵家使用人クラーラの娘、クリスティーナと申します」

 どう対応すれば良いのか分からないのだろう、令嬢二人は視線を女に向けてくる。

 だが、そんな事一切気にする素振りも見せず、エリージェ・ソードルは何やら満足げに頷いた。

 そして、「クリス、良くできました。そちらに座りなさい」と一番入口側の椅子を示す。

 顔を上げたクリスティーナは何やら誇らしげに微笑みながら、言われた通りにエタ・ボビッチ子爵令嬢の隣に座った。



 初めのうちはぎこちない感じで始まったお茶会であったが、エリージェ・ソードルが本の話を振ると、クリスティーナとエタ・ボビッチ子爵令嬢が次第に小説の話題で盛り上がり始め、今では騎士様がどうとか、姫様がどうとか、二人で楽しそうに話し込んでいる。

 エリージェ・ソードルがそんな様子を微笑ましげに眺めていると、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が長椅子の上を中腰になり、少し近づいてきた。

 そして、声を落としながら話しかけてくる。

「ソードル公爵代行閣下、少しよろしいでしょうか?」

「何かしら?」

「結局の所、あの子はいったい何者なのでしょうか?」

 もっともな問いに、エリージェ・ソードルは口元を広げた扇子で隠しながら、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢にのみ聞こえる声音で言う。

「あの子は白の魔力持ちなの」

「ああ、なるほど」

 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が納得げに頷くのを見て、エリージェ・ソードルは少し驚いた。

 十歳そこそこの令嬢が、白の魔力その辺りについて理解しているとは思わなかったからだ。

 ただ、(家庭教師がしっかりとした方なのかしらね)と思い直しながら、言葉を付け足す。

「それにあの子、可愛いじゃない」

「はあ」

 この答えは予測できなかったのか、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢のキツメの目が丸くなる。

 そんなルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢を見ながら、エリージェ・ソードルは扇子を閉じ、それを振って見せた。

「あと、この場は私的な茶会だから敬称は不要よ。

 その”下手くそ”な敬語も結構」

 エリージェ・ソードルの言葉に、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は目を見開き、そして、唇を尖らせながら「下手くそとか、そんなことはないはずだけど……」と言った。

 その表情と台詞に、エリージェ・ソードルは思わず「ブフ!?」と吹き出した。

「ちょ、ちょっと!?」不満そうなルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢に、「フ、フフフ! 止めて、止めて頂戴! フフフ!」と口を押さえて必死にこらえようとしたエリージェ・ソードルだったが、耐えきれなくなり、長椅子の向こうにふにゃりと倒れ込んでしまう。


 ”前回”のルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢と全く同じ表情と返答に、なんだか無性に笑えてきたのだ。


 ただ、そんなことなど知らないルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は納得が行かないと言うように「そんなに笑うこと無いでしょう!?」と女の袖を引っ張った。

 そこに、クリスティーナから声がかかる。

「エリ~ちゃん?

 どうしたの?」

「え!? は?」

 クリスティーナの言葉に、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は驚きの声を上げる。


 その驚きは当然だ。


 大貴族の頂点に君臨するソードル家、その公爵代行の事を平民が愛称で呼んでいるのだ。

 驚くなと言う方が無理な話だ。


 とはいえ、エリージェ・ソードルは気にしない。


 体を起こすと、開いた扇子で口元を押さえながら目元を弛める。

「大したことじゃないのよ、クリス。

 ルイーサの反応が面白かっただけ」

「ふ~ん」と少し小首を捻っていたクリスティーナだったが、すぐに満面の笑みに変わる。

「ねえねえ、エリ~ちゃん!

 エタちゃんが、お屋敷の書庫に入ってみたいって。

 入れてあげていい?」

「クリスちゃん!?」

 エタ・ボビッチ子爵令嬢が文字通り飛び上がりながら、叫ぶ。

 そして、顔を真っ青にしながら「止めて! 止めて!」とクリスティーナの腕を掴んで引っ張った。

 それに対して、エリージェ・ソードルは「あら、いいわよ」とあっさり言った。

「ボビッチ家に招待状を送るから、来れる日を指定して頂戴。

 ただ、わたくしは執務をしている場合があるから……。

 クリス、その場合はあなたがきちんとお相手をするのよ」

「は~い!

 やったね、エタちゃん!」

 クリスティーナが嬉しそうにエタ・ボビッチ子爵令嬢に言うも、令嬢は呆然とした顔で「あ、ありがとう、ございます……」と漏らすだけだった。

「ねえ」とルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が隣から声をかけてくる。

「ええっと、クリスティーナに愛称で呼ばせているの?」

 それに対して、エリージェ・ソードルはあっさり言う。

「ええ、そうよ。

 なんだったら、あなたもエリーって呼んで良いわよ」

 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は少し考えた後、頷いてみせる。

「そうする。

 じゃあ、わたしのことはルーって呼んで。

 ルイーサって、余り好きじゃないの」

「そうなの?」

「ええ……」とルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は少し考えた後、改めて女に向き直る。

「ねえエリー、エリーって執務をしてるって、本当?」

「?

 ええ、やってるわね。

 だからこその、公爵代行だし」

「ねえ、それって見学させて貰うこと出来るかしら?」

「見学?

 ルーは執務に興味があるの?」

 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は真剣な表情で頷いた。

 エリージェ・ソードルは広げた扇子で口元を隠し、声を落とした。

「あなた、次期伯爵を狙ってるの?」

 だとしたら、(剣呑な話ね)、などと思っていたが、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は首を横に振った。

「わたしには弟がいるから、そこまでの繋ぎでいいの。

 ……わたしのお父様は、”熱心”じゃないから」

「ああ……」

 そこまで言われると、流石のこの女もピンと来る。

 いや、この女だからこそ、理解できるとも言える。

 エリージェ・ソードルはつぶやくように言う。

「そういえば、ヘルメス伯爵からは良い話を聞かないわね」


 この女の交友関係は非常に偏っている。


 有り体に言えば、優秀な人間としか交流しない。

 無能な人間と話をする気もないし、特に”前回”そんな暇など無かった。

 だから、ヘルメス伯爵などという取るに足りない人間の事など眼中にはなかった。

 だが、改めて思い返せば、ヘルメス伯爵の話も時々耳にしていた。

 その時に枕詞の様に付けられていたのは”賭狂い”だったはずだ。

 エリージェ・ソードルは口元に苦いものを浮かべながら、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢に言う。

「わたくし達はクズ父持ち似たもの同士だったのね」

 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢も苦笑いをしながら頷いて見せた。

 そして、視線を強くさせる。

「最近、執務すらろくにしてないみたいで、家の皆が困っているの。

 ねえエリー、わたしにもエリーみたいに出来るかしら?」

 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢の問いに、エリージェ・ソードルは少し困ったように眉尻を下ろす。

「何とも言えないわね。

 わたくしの場合、周りに信用できるものがいてくれて、なおかつ、わたくしの言うことを聞いてくれる状況だったから。

 ルー、あなたはそこまでの立場なのかしら?」

 エリージェ・ソードルの場合、公爵代行になる前から、エリージェ式の立案を行うことで、使用人から一目置かれていた。

 また、国王オリバーや祖父マテウス・ルマなどそうそうたる傑物が後ろ盾になっていた。

 その事が、年齢、性別等不利な女の支えになったことは間違いない所だった。

 だが、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢にそこまでのものがあるとは、エリージェ・ソードルには思えなかった。

 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢もその辺りの事を分かっているのか、「王都の執事なら……」と言いつつも、不安そうに眉を寄せた。

 そんな、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢に対して、エリージェ・ソードルは言う。

「まあ、何はともあれ、見学をしてみなさい。

 流石に、機密が関わる話は聞かせられないけど、通常業務ぐらいなら見せられるから」

 そんな、エリージェ・ソードルにルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は頷いて見せた。

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