とある陪臣男爵のお話1

 カム男爵家は代々、ソードル領南東部に位置する町、ハマーヘンを含む領地を治める名家で、その権威は多くの偉大なる騎士を輩出し、常にソードル家と寄り添ってきたモリタ子爵家や、荒野を開拓し、経済的に支え続けてきたリヒケル子爵家にも引けを取らない名家だった。


 この家の役割は、なんと言っても王都との橋渡しにあった。


 ソードル家は三国と隣接するブルクで、かの国らに睨みを利かせる必要があった。

 場合によっては、それらと戦端を開くこともあった。

 その時、王都からの援軍や必要物資の移動は、カム男爵家が担うこととなる。

 また、逆にソードル家から他のオールマ王国地域への援軍の段取りも、カム男爵家が担う事が多かった。

 後方の働きであり、派手さはないもののその評価は高く、特にガラゴと激突した第二次デンキキの役でのソードル軍の援軍はカム男爵家の働きがなければ間に合わなかっただろうと言われていた。


 その功績を称え、子爵位が与えられる可能性すらあった。


 その戦いの最中、ソードル公爵当主が命を落とした事もあり、当時のカム男爵は固辞することになったのだが、陪臣貴族とはいえ、その家名はオールマ王国に知れ渡る誇らしいものであるのは間違いない所であった。


 そんな名門、カム男爵家の長子として、ペーター・カムは生まれる。


 若くして亡くなった偉大な祖父の話を、祖母から聞かされて育ったペーター・カムは自分も彼の人物のようになるのだと、希望を胸に育っていった。


 真面目なペーター・カムは礼儀作法や勉学もきちんとした。


 その姿に、母親や男爵親族、納める町の町民は希代の天才とほめそやした。

 町を歩けば、次期男爵家は安泰だと町民は歓声を上げ、町娘等は頬を赤めながら「若様、素敵!」と黄色い声を上げた。


 時には、町民から相談を受けることもあった。


 それを、まだ学院に入学すらしていないペーター・カムは簡単に解決して見せた。

 そうすると、町民達の尊敬のまなざしがなおも熱くなった。

 そして、「凄い、凄い!」と連呼された。

 ただ、そんな彼らに対して、ペーター・カムは少し冷めた顔をして言った。

「これくらい、出来て当たり前だよ」

 すると、町民はなおも熱狂して「凄い、凄い!」と声をそろえた。

 中には、「王国一の知恵者だ!」と叫ぶ者すらいた。

 ペーター・カムの父親で現男爵が、女へのおいたが”少々”過ぎる人物だったこともあり、ペーター・カムへの期待は日を追うごとに高まっていった。


 それに対して、ペーター・カムは特に何も思わない。


 期待が重圧になることもなかった。

 偉大なるカム男爵家の血統に連なる自分だから当たり前だと思っていた。

 さらに言えば、それを上回る人物とすら思っていた。

(僕は、公爵家の陪臣では収まらない)

などと思い悩み、良い感じの仲になった町娘にも漏らしていた。

 そんな、ペーター・カムに対して、その町娘は涙を流しながら、手を握ってきた。

「わたし、若様がここからいなくなるのであれば寂しいです!

 でも、若様!

 若様にはその相応しい場所に行って貰いたいです!」

「……ありがとう」

 そんな町娘をペーター・カムは強く抱きしめたのであった。


 だが、そんなペーター・カムの鼻面は踏みにじられる事となる。


 それは、ペーター・カムが十五になり、オールマ学院に入学した事に端を発した。


 元々、ペーター・カムは身分的に名門オールマ学院に入学など出来るはずがなかった。

 例えば、のちに領持ち子爵家の当主になるウリ・ダレ子爵ですら、書類で弾くのがオールマ学院である。

 下位貴族で入学できるのはよほどの縁故があるか、沢山献金が出来るほど裕福か、若くして恐るべき実績があるか、よほど魔術や勉学に精通しているか、となる。

 ペーター・カムの祖母は、愛する孫をどうにか名門に入学させようと方々に働きかけ、何とか入学に漕ぎ着けた。

 その事に、親戚縁者は元より、理解しているのかも怪しい町民達も歓喜した。

 第二次デンキキの役で貸しを作った貴族の縁だのみであったが、才覚が認められたと勘違いをしたのか、誰もがペーター・カムを「凄い、凄い!」とほめそやした。

 そんな彼らに、ペーター・カムは苦笑しながら「これぐらい、大したことないよ」と返し、さらに喝采を受けていた。


 だが、そんなペーター・カムを引き留めようとする男がいた。


 ペーター・カムの父親、カム男爵である。


 いつもなら、「亡き妻に面影が~」などと言いながら農村から半ばさらってきた童顔の娘で”遊んで”いる父親が、珍しく真面目な顔で話しかけてきた。

「止めておけ、ペーター。

 無理をして、そんな所に行く必要はない」

 だが、普段、下劣な顔をしながら嫌がる女を連れ歩き、その胸を鷲掴みにする様子を見せていた父親の言葉など欠片も考慮に入れず、ペーター・カムはオールマ学院に入学をしていった。



 オールマ学院に入学したペーター・カムは、驕る事無く勉学に取り組んだ。


 予習復習をきちんとこなし、授業を真剣に受け、時に講師に質問をした。

 周りの子息、令嬢が下劣な恋愛小説や下らない噂話に熱を上げている最中、自身には誇り高き血が流れているのだと、真面目に努力した。

 そんな、ペーター・カムが奇異に映ったのか、コート伯爵令嬢などは「真面目ねぇ~」と背中をバンバン叩いてきた。

 コート伯爵令嬢は何が可笑しいのかいつもキャッキャと笑っている少女で、大人しめな子が好みなペーター・カムは――その豊満な胸に目を吸い寄せられつつ、視線を必死に反ら”そうと”しつつ――眉を顰めていた。

 そして、授業をろくに聞いていなそうな彼女に、身分差を考えれば少し偉そうに、教えてやったりもした。

 また、何かしら学院中の女子を騒がしくして、ペーター・カム男爵の勉強を妨げる、若き王族、ロタール・ハイセルなどは、そんな彼を微笑ましいものを見る様に眺めつつ「社交も勉強の内だよ」と話しかけてきたりもした。


 そんな彼を内心見下しながら、ペーター・カムは”如才なく”対応した。


 魔術など先天的な才が物を言うものに関しては、流石に”中の中”に止まった。


 だが、努力で補える学問に関しては一番を取り、家名に胡坐をかいている輩を上回ろう。


 それが、誇り高きカム家の威光を示す機会だと、ペーター・カムは強く思った。


 だが、そんなペーター・カムは呆然とする事になる。


 掲示板に成績最上位者が張り出されるのだが、一年生最初の試験で、自信満々に挑んだそれで、ペーター・カムは漏れたのだった。

 そればかりか、教師から渡された成績表、そこに載せられた順位番号は”中の中”だったのである。

 子息や令嬢達と札遊びやお茶会に興じていた王族ロタール・ハイセルは一位、騒がしくも何となく目で追ってしまうコート伯爵令嬢が五位にもかかわらずだ。

(あり得ない!

 こんなことはあり得ない!)

 現実が認められないペーター・カムが固まっていると、「なになに、何番なの?」とコート伯爵令嬢に成績表を奪われた。

「ちょ!」と非難の声を上げるも、格上のしかもご令嬢相手に乱暴な事は出来ず、手を中途半端な位置でうろちょろさせる。

 そんな間に、コート伯爵令嬢に内容を読まれてしまう。

「あら?

 死にそうな顔をしているからよほど酷いのかと思ったけど、そうでも無いじゃない。

 下位貴族でこれなら立派よ!」

 そんな満面の笑みを浮かべるコート伯爵令嬢に、ペーター・カムは屈辱と情けなさで顔を真っ赤にさせ、俯いた。

 膝に置いた手には力が入り、震えていた。


 実際の所、コート伯爵令嬢のげんは正しい。


 貴族の格が上がれば上がるほど、教育は厳しく、濃くなっていくのは当たり前なのである。

 そして、家庭教師の質も当然上がっていく。

 また、体裁を整えたい上位貴族ともなれば自身らの格に相応しい成績が求められる。


 必然的に、試験に出るものを重点的に覚えさせられた。


 なので、多くの上位貴族は学院入学時点で試験勉強をほとんどしなくても良いのである。

 そんな中、下位貴族が”中の中”の成績が取れた事自体、快挙と言っても良かった。


 だが、ペーター・カムは知らない。


 下位貴族でも学院で社交をしていれば入ってきた情報なのだが、周りを馬鹿にして一人、勉強ばかりをしていた。

 また、王族ロタール・ハイセルの存在が、ペーター・カムを苦しめた。

 チャランポランで勉強をろくにせず、下世話な話題ばかり口にするこの王子の事を、ペーター・カムは内心、軽蔑していた。

 だが、ある日、学院に訪問してきた大臣との会話をたまたま耳にして、ペーター・カムは驚愕する事となった。


 二人の会話が高度すぎて、ペーター・カムにはまるで理解出来なかったのである。


 元々、王族ロタール・ハイセルは国王オリバーにも匹敵すると言われる秀才で、”道楽王子”という異名は王位に興味が無いという意思表示から来たものであった。


 だが、ペーター・カムはその辺りも知らない。


 上位貴族の努力や事情も、王族ロタール・ハイセルの特別な才も理解せず、ペーター・カムは単純に”貴き血”であればこれぐらい当たり前なのかと衝撃を受けた。

 そして、同じく貴き血族の筈の自分がついて行けないという事実に愕然とした。



 屈辱的な成績を取ってしまった、ペーター・カムはそれからも必死に努力し続けた。

 休みの時間も食事の時間も教科書や本を持ち歩き、暇さえあれば目を通した。

 教師に煩わしそうにされても食い下がり、質問を行った。

 オールマ学院の図書室に日参した。


 それでも、ペーター・カムの成績が”中の上”を超える事は無かった。


 そのたびに、校舎の人影が無い片隅で涙を流した。

「僕は、僕は……。

 この程度の男なのかぁぁぁ!」

 髪を掻きむしりながら膝を地に着き、地面を叩いた。


 実際の所は、ペーター・カムが中位から抜け出せないのには前記の理由の他にもあった。


 上位貴族がただの下位貴族に負ける事は屈辱以外に他ならない。

 それを両親や親戚縁者に知られたら何を言われるか分かったものではない。

 下手をすると、爵位の継承から外される可能性もあった。

 通常であれば、木っ端貴族など「出しゃばるな」と殴って終わりなのだが……。

 ペーター・カムの近くにはなぜだか、学年どころか学院の最上位に当たる王族ロタール・ハイセルや人気者のコート伯爵令嬢がウロウロしていた。

 なので、上位貴族達は「なんでこんな目に」とぼやきながら、必死に勉強をせざる得なかったのである。


 だが、自分の勉強手もとしか見えていないペーター・カムは、その事を知らない。


 自分の努力を嘲笑う様に、”ろくに勉強をしていない”上位貴族が自分を上回る様子を見て、自分は高貴なる血に相応しくないのでは無いか――そんな風に思ってしまった。

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