とある陪臣男爵のお話2

 ペーター・カムは学院はもちろんの事、男爵邸に戻っても居心地の悪い思いをしていた。


 学院での成績を知らない男爵家の使用人は、「若様はきっと、学院でも活躍しているはず!」と嬉しそうに話し合っていた。

 町の皆は相変わらず、何をやっても「凄い、凄い!」を連呼してきた。


 ペーター・カムはそれがたまらなく嫌になった。


(片田舎の皆は知らないんだ。

 僕がどれだけ駄目な男なんだって事、知らないんだ)

 ペーター・カムは使用人や町民や、良い感じになっていた町娘からも逃げる様に、部屋に籠もる様になった。


 成績等、全てを理解しているだろう祖母は、何やら落ち込んでいる孫を元気づけるように、

「ペーター、あなたは立派よ。わたしの誇りだわ」

と背中を撫でた。

 実際の所、オールマ王国の貴族、その上位が揃うオールマ学院で”中の上”の成績を取っているのだ。

 祖母としては本気の言葉だったのだろう。


 だが、ペーター・カムは祖母の愛と懐の深さに包まれている気になり、涙を流した。


 結局、”中の上”止まりだったペーター・カムはオールマ学院を失意のまま卒業した。


 一応、努力をする姿を評価して貰えたのか、法務省から声をかけて貰えたが、すっかり自信を失ったペーター・カムはそれを断った。

 男爵になっても、代行を立てれば問題ないと熱心に言われたが、あれだけ必死になっても勝てなかった上位貴族、そんな彼らが闊歩する場所に行っても心労で倒れるだけだと、丁寧にだが固辞をし、男爵領に戻った。


 しばらくすると、ペーター・カムを愛し、期待してくれた祖母が死んだ。


 祖母が亡くなったとたん、父親が持病だなんだと騒ぎ立て、男爵位をペーター・カムに押しつけ引退した。


 本来であれば突然、自分たちの長が辞めてしまえば動揺をするだろう町民だったが、先代が本当に”クズあれ”だったのと、次代が英才と呼ばれるペーター・カムだったこともあり、むしろ、諸手を挙げて喜んだ。

 この町はこれから、もっともっと良くなると「新男爵万歳! ペーター様万歳!」とお祭りの様に騒いだ。

 使用人らもキラキラした瞳で、「偉大なるお方にお仕え出来て、光栄です!」などと言っている。

 そんな彼らの言葉に笑顔で手を振り返していた叙爵したペーター・カム男爵は、内心に苦い苦い物をため込んでいた。


 時折、自身が如何に凡庸かをぶちまけたくなった。


 本当は大したことが無い、必死になってやっと”中の上”なんだと打ち明けたくなった。


 大声で言ってしまいたくなった。


 だが、ペーター・カム男爵は出来ない。


 キラキラしたその瞳が、尊敬を紡ぐその口が、がらりと変わってしまうのが恐ろしかった。


 軽蔑されたらどうしよう……。

 騙したなと怒鳴られたらどうしよう……。

 ガッカリされたらどうしよう……。


 必死に執務をこなした結果、それを「凄い、凄い」と言ってくれる彼らが、自分を見てくれなくなったらどうしよう……。


 そんな、恐怖に囚われる様になっていった。


 そんな心を、以前、良い感じになっていた村娘に癒やして貰うと思い立ったりもした。


 だが、下町で見たのは大工らしい巨漢の男に寄り添いながら歩く村娘だった。

 その腹部は大きくなっていた。

(くっそー!

 くっそー!)

 ペーター・カム男爵はぐしゃぐしゃにされた頭の中を振り解く様に走った。

 走って、走って、人通りの無い所で、「あぁぁぁ!」と声を押し殺しながら叫んだ。


 別に、ペーター・カム男爵はその村娘の事など、何とも思っていなかった。

 ちょっと、そう、ちょっと、一緒にいると気持ちいいな――それだけだった。

 そもそも、相手は平民だ。

 栄光あるカム男爵の自分には不釣り合いだし、まして、結ばれる事などあり得ない事だった。


 そんな事を、頭の中でつらつらと流しながら、膝を地に着き、「おぅ、おぅ」と声を漏らしながら、目から零れた滴を落とし続けた。



 町娘の件、その衝撃が中々抜けないペーター・カム男爵は、酒の量が増えていった。


 とはいえ、男爵邸では飲まない。

 日頃から尊敬のまなざしを向けてくる使用人、その前で醜態を晒す勇気が持てなかった。

 なので、町人に変装し、酒場で飲み明かす様になっていった。


 ペーター・カム男爵の完璧と思っていた変装――は、所詮、貴族の坊ちゃまの児戯に等しいお粗末なものであった。


 だから、彼を見た町人らの大半は簡単に気付いた。


 だが、荒々しく”やろう”としてはいるが、どうにも丁寧さが抜けきれない所作で杯を煽るその姿を見て、(若様ほどの立場になると、やっぱり心労が大変なんだろうなぁ)なんて察してか、遠巻きに見守っていた。


 だが、そんなペーター・カム男爵に声を掛ける女がいた。


 真紅の癖のある髪を腰まで流す女は、杯を片手にペーター・カム男爵の元まで歩くと、意味深な笑みを浮かべながら腰を曲げた。

 胸元の開いた派手な服、そこから大きくて柔らかそうな谷間が覗いていた。

「うっ!」

 ペーター・カム男爵は思わず咽せてしまった。

 そんな初心なペーター・カム男爵の背中を女の華奢な手が優しく撫でた。

「あらあら、こんな程度で興奮しちゃって、可愛いわね」

 自尊心を傷つけられたペーター・カム男爵が鋭く睨むと、何が可笑しいのかケラケラ笑ったその女は、勝手に隣の椅子にそのほっそりした腰を下ろした。


 女はシェリーと”名乗っていた”。


 その女は、明け透けに物を話した。


 ペーター・カム男爵の恰好を見て、何処かの貴公子だと看破した事を。

 そして、金が有りそうだと思って、声をかけたとアッサリ言った。

 ペーター・カム男爵はそんな女に始め、気を悪くした。

 なんて無茶苦茶な女なんだと、腹も立てた。

 だが、何事にもあっけらかんとする様子や雰囲気が、何となく学院時代に何かと目を追ってしまった肉感的なコート伯爵令嬢に似ている気がしたのもそうだった。


 何よりも、自分が男爵だと知ってもまるで変わらない姿勢に、何だか本当の自分を愛してくれるのでは無いだろうか?

 駄目な自分も、許してくれるのでは無いか?


 なぜだか、そんな気になってしまった。


 ……あと、寝屋での”あれ”が凄かった。


 なので、ペーター・カム男爵はすっかり、シェリーに熱を上げてしまった。


 ただ、ペーター・カム男爵、冷静な部分もきちんと持ち合わせていた。


 自身は確かに高貴なる血に相応しくない男なのかもしれない。

 だが、それでも流れている血は間違いなくカム男爵家のもの――それを、次代に残さなくてはならないカム男爵の血を、愛しているからと言って平民の血で濁らせてはならない。


 だから、ペーター・カム男爵はその事をシェリーに打ち明けた。


 愛しているが、愛しているが、貴族としてそこだけはどうしようも無いのだと、”真摯”に打ち明けた。

 それに対して、シェリーは初めこそ、目を丸くしてはいたが、すぐに破顔しながら、ペーター・カム男爵の頬を撫でた。

 そして優しく言った。

「ペーター、わたしのペーター、いいのよそういうのは。

 わたし、別にそんな下らないものにはこだわったりはしないから」

 そして、悪戯っぽく微笑んだ。

「前から言ってるでしょ、ペーター。

 わたしはわたしに相応しい贅沢な暮らしがしたいの。

 それ以外には何も、望んだりはしないわ」

「シェリー!」

 ペーター・カム男爵は愛しい人を胸に抱き寄せた。

 その優しさに、その懐の深さに、涙が止まらなかった。


 シェリーだって、そんな風に本気で思っているとはペーター・カム男爵も信じていなかった。


 だけど、自分を困らせないようにとしてくれているのだと、強く強く感動した。


 だから、ペーター・カム男爵は思った。

 この女性を愛していこうと。

 仮に、貴族の妻を迎えざる得なくなっても、愛し抜こうと。

 なんだったら、年中盛っている父に孕ませて貰って、その子を愛する人との子として育てていこう……。


 そう、決断するのであった。

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