第十一章

王都帰還と判定勝ち

 王都公爵邸の門を通り過ぎてからしばらくすると、エリージェ・ソードルの乗った馬車はゆっくりと停車する。

 同乗したクリスティーナが「着いたぁ!」と嬉しそうにはしゃぐ姿にエリージェ・ソードルは微笑んだ。

 外からドアを開けた女騎士ジェシー・レーマーの手に支えられながら梯子段に足を踏み出すと、迎えにきた者達が「お帰りなさいませ」と頭を下げた。

 そこには侍女長シンディ・モリタや執事ラース・ベンダー、そして、満面の笑みを浮かべるルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンの姿が見えた。

 エリージェ・ソードルは後ろから降りてくるクリスティーナに先に屋敷へ入るよう促した後、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンに向き直った。

「ただいま帰ったわ、ウルフ。

 何事もなかったかしら?」

 ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンは何やら嬉しそうに、その厳つい顔を緩ませながら答える。

「一勝一敗でお嬢様の判定勝ち、と言ったところでしょうか?」

「どういうこと?」

 エリージェ・ソードルが小首を捻るも、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンは「細かいことは中で」と悪戯っぽく答えるだけだった。


 そこに、もう一台馬車が入ってきた。


 視線を向けると、弟マヌエル・ソードルが乗る物で、停車すると護衛騎士達が忙しなく梯子段を設置している。

 エリージェ・ソードルは少し黙考した後、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンを見上げた。

「……ウルフ、弟を紹介しても良いかしら?」

 それに対して、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンは「是非とも」と恭しく頭を下げた。

 エリージェ・ソードルは視線を戻すと、梯子段から少しおっかなびっくりと言った感じで降りてくる弟マヌエル・ソードルに声をかけた。

「マヌエル、こちらにいらっしゃい」

「あ、はい!

 お姉さま」

 弟マヌエル・ソードルは巨躯の男、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンを見て、少し顔をひきつらせたが、早歩きで女の元にやってきた。

「マヌエル、こちらはルマ家騎士団長クリンスマン子爵よ。

 ウルフ、こちらがわたくしの”弟”マヌエル」

「クリンスマン卿、お初にお目にかかります。

 ソードル公爵家、ルーベ・ソードルの息子、マヌエル・ソードルと申します。

 以後、よろしくお願いします」

 弟マヌエル・ソードルは緊張気味ではあったが、それなりの所作で挨拶をする。

 対するルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンは丁寧に頭を下げながら、それに応じる。

「ルマ家騎士団で団長を務めております、ウルフ・クリンスマンと申します。

 こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 そこに、老執事ジン・モリタが柔らかに微笑みながら、足早にやってくる。

「おうおう、クリンスマン殿、ご無沙汰しておりますな」

「おお、モリタ殿。

 ご病気とお聞きしておりましたが、お元気そうで何より」

 ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンは嬉しげに微笑み、それに返す。

「お恥ずかしながら、少し寝込んでおりましたが、まだまだ、こんな爺をお嬢様は”必要と”してくださる様でして、ハハハ」

 などと、実に嬉しそうに言う老執事ジン・モリタに、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンは少し苦笑する。


 幼い頃から、エリージェ・ソードルがルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンに懐いていることに対して少々思うことがあるのか、老執事ジン・モリタが会話の合間合間に対抗するような言葉を挟むのはいつものことであった。


 ただ、当事者の一人であるエリージェ・ソードルは、そんな内心に気づいていない。

「そうよ、ジンにはまだまだ頑張って貰わなくては」などとウンウン頷いていた。


――


「ごめんなさいね、ウルフ」

 応接間にてルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンと対面して座るエリージェ・ソードルは、まず謝罪の言葉を口にした。

「はて、なんのことでしょう?」

と少し不思議そうな顔をするルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンに対して、この女は珍しく、言いにくそうに言葉を紡いだ。

「あの子の母親は、あなたにとって”複雑”な相手でしょう。

 なのに、その息子とはいえ、会わせてしまって……。

 ウルフ、あの子は……。

 わたくしにとっても、公爵家にとっても、大切な子なの」


 女にとってルマ家やその関係者は極めて近い。


 それは当然、女の母親で、今は亡きサーラ・ソードルとの繋がりがあるからに他ならない。


 だが、マヌエルは違う。


 母サーラ・ソードルが病のために苦しんでいるときに産み落とされた彼には、血の繋がり所か感情的繋がりも無い。

 心情で言えば、むしろ、赤の他人よりも遠いのだ。

 言葉を交わすどころか、視界に入れるのも嫌であろうと、エリージェ・ソードルは思っていた。


 だが、それでも面識を持たせなくてはならなかった。


「結局、何かあった時にわたくしが頼りに思えるのは、お爺さまやウルフなの」


 弟マヌエル・ソードルは将来、大貴族の当主として生きて行かなくてはならない。


 元々は、自分が後ろ盾になってあげれば良いと思っていた。

 だが、クラウディア・コッホ伯爵夫人の件から、この女、自信を無くしていた。


 家の中ですら守れないのに、どうして、外からの悪意から庇って上げられるのか? とだ。


 色々考えた末に、やはり年長の頼りになる男性に託そうと思ったのだ。


 その中の一人が老執事ジン・モリタであった。


 そして、出来れば祖父マテウス・ルマやルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンにもお願いできればと思っていた。

「お嬢様」

 ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンは腰を上げると、静かに進み、女の前に片膝を付いた。

 そして、女の右手を優しく取った。

 分厚く、ゴツゴツとしたものだったが、エリージェ・ソードルの手を柔らかく温めてくれる。

 ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンは微笑みながら続けた。

「お嬢様、そのような些末なこと、気になさらないでください。

 お嬢様はご自身で全てを背負ってしまう所がございます。

 わたしも、マテウス・ルマ閣下もお嬢様に頼られると嬉しい――そのことだけは覚えていてください」

 エリージェ・ソードルは唇を少し噛んだ。

 そして、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンの手を握る。

「……ありがとう、ウルフ」

 女の呟きに、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンは厳つい顔を綻ばせた。


――


 椅子に座り直したルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンに、エリージェ・ソードルは訊ねる。

「それで、ウルフ。

 一勝、一敗とかって、結局なんだったの?」

 それに対して、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンはニヤリと笑った。

「実はお嬢様の危惧通り、ソードル卿が屋敷に”訪問”してきまして――お嬢様、それがどの時期かお分かりになりますか?」

 エリージェ・ソードルは閉じた扇子の先を口元に置き、考える。

「遠出先の場所が場所だから、早くても二週間後ぐらいじゃないかしら?」

 すると、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンはなにやら嬉しそうに微笑んだ。

「答えはお嬢様、お嬢様が出立された”一刻”後です」

 エリージェ・ソードルが、この表情をあまり変えぬ女が、軽くだが目を見張った。

「一刻……。

 と言うことは……」

「遠出の件は、偽情報ですな」

「……あの人にそんな頭があるなんて、意外ね」

 酷すぎる言いようだが、この女の前で父ルーベ・ソードルが行ってきた振る舞いを思えば、致し方が無いげんでもあった。

「ソードル卿もなかなか捨てたものではないですよ。

 本当に、惚れ惚れするほど堂々とした佇まいで公爵邸に入ろうとし、止める門番や使用人に一喝を入れておりました。

 ……まあ、わたしの存在に気づくまでの事でしたがな。

 ガハハ!」

と愉快そうに笑うルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンを眺めながらも、エリージェ・ソードルは少しも笑えなかった。

 偽情報を掴まされて一敗も、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンを配置していたことで一勝、最終的には公爵邸を守ったので判定勝ち――ではあったが、見下していた相手にしてやられた事でエリージェ・ソードルの機嫌は降下した。


 むろん、表情を余り変えぬこの女だ。


 表面上、変化はほとんどなかった。


 だが、幼い頃から女を見てきたルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンは、その微かなものに気づき、さらに愉快そうに笑った。


「ガハハ!

 そう、むくれなされるな!

 良い教訓を得たではありませんか。

 どんな愚か者にでも、足をかけられる可能性があるという事ですよ!」

 エリージェ・ソードルは口元をひきつらせた。

 そして、そっぽを向きながら、

「わたくし、何がそんなに楽しいのか、よく分からないわ」

と言った。

「ああ、失礼しました。

 そんなに怒らないでください、お嬢様」

というルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンの目は慈しむように緩まっていたが、視線を不機嫌そうに反らしていた女は気づかなかった。


――


 一通り、双方の報告を終えると、二人は雑談をし始めた。

 エリージェ・ソードルが最近の王都について何かあったかと質問すると、ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンは少し難しそうな顔をした。

「詳細は分からないのですが、どうやらリーヴスリー家でなにやら問題が発生したらしいです」

「リーヴスリー家が?」

「ええ、結構な騒動になってますよ。

 何でも、リヴスリー大将軍が私兵を連れて子爵家に攻め込んだとか何とかで」

「え!?

 どういうことなの!?」

 流石のこの女も面食らったようで、目を見開いた。


 貴族が他家領を許可無く攻め込むことは、完全に禁止されている。


 それは、どんな理由があるにしても、仮に最上位の家が最底辺の家に対してであっても、だ。

 エリージェ・ソードルがマガド家に兵を送ったのも、賊から領を解放するという名分があったから出来たことで、仮にマガド本家が存命していた場合、大貴族たるソードル家であってもただではすまされなかっただろう。


 ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンは深刻そうな顔で続ける。

マテウス・ルマ閣下も頭を抱えていらっしゃいましたよ。

 理由もろくに告げず、まさに電光石火の進軍でしたので。

 残されたリヴスリー伯爵夫人を含むご婦人達が、『訪問だけだから』『分家の婿の家に訪問するだけだから』とか弁明に奔走されてますからまだそこまでの事にはなっていませんが、それがなければ大問題に発展してもおかしくないですよ」

「分家の婿の家?

 浮気でもしたのかしら?

 それとも、暴力を振るったとか……」

 ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンは苦笑する。

「どちらにしても、命知らずといいますか……。

 ただ、大将軍は分家の娘の方も制裁するとか怒鳴っていたという話もありますから、何かもっと複雑な話でもあるんじゃないですか?

 まあ、何にしてもお嬢様、お嬢様にも救援要請があるかもしれませんので、覚えておいてください」

「ありがとう、分かったわ。

 リヴスリーのお爺さまには日頃からお世話になっているもの、助力は惜しまないわ」


 この女、そもそもの原因は、この女が送った、ウリ・ダレ子爵と手紙にあるのだが……。

 そのような些末なこと、すっかり忘れている。


 心配しながらも、どこか他人事のように

「大事にならなければよいけど……」

などと呟くのであった。

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