婚約者からの先触れ

 ”前回”のこの時期、エリージェ・ソードルは忙殺されていた。


 それは、父ルーベ・ソードルが死んだことが大きな要因となっている。

 対外的には病気療養とされたのだが、突然、社交場から居なくなったことで大騒ぎとなったのだ。

 そして、王都公爵邸には様々な者達が押し寄せることとなる。


 曰く、ルーベ様と何々の約束をしていて。

 曰く、ルーベ様が何々を購入する事になっていて。

 曰く、ルーベ様が妾にしてくれると言ってくれて。

 曰く、曰く、曰く。


 ひょっとしたら、父ルーベ・ソードルの死を何となく察していたのかもしれない。

 群がるように、公爵家に人々がやってきた。


 中には、指輪印が押された契約書付きの正当なものもあったが、口約束とも言えない下らない話を真面目クサった顔で持ってくる者もいた。


 その時のエリージェ・ソードルはたかだか十歳の小娘である。


 生真面目な性格も災いし、一つ一つを馬鹿正直に対応していた。

 その事で、ただでさえ混乱する公爵邸の執務が滞る要因となった。

 あまりの状況に見かねた、祖父マテウス・ルマが割って入り、エリージェ・ソードルは一旦、公爵領に戻ることとなった。


 そこで勃発したのが、騎士達の反乱である。


 道中、その報を受けたエリージェ・ソードルは王都に戻らざる得なかった。

 そして、ブルクの公爵邸奪還と隣接する三国に対応するため、方々に働き回らざる得なかった。


 まさに、寝る間を惜しんでである。


 そうして、何とかブルクの公爵邸を取り戻し、ようやく戻ることの出来た女が目にしたものは、悲惨な現実であった……。


 ところがである。


 ”今回”はまだ父ルーベ・ソードルは生きている。

 なので、前記の様に人々は押し掛けてきていない。

 それに、”前回”を経験して十七歳まで生きた女である。


 仮に押し掛けてきても、”全員”、蹴散らしたことだろう。


 そして、反乱も未然に防がれた。

 ”前回”苦しめられた人手不足も解消している。

 そうでなくても、”前回”を知る女は様々な問題に対して、反省を生かして対応している。

 結果、”前回”では考えられないことであったが……。


 暇になった。


 どれくらい暇かというと、午前中、少し執務をしただけで、午後はクリスティーナと庭園の芝に転がるぐらい暇になった。

 大きな日除け傘の下、「ふにゃぁ~」と言いながら転がるクリスティーナの横で、令嬢にあるまじき事にエリージェ・ソードルも「フフフ」と一緒に横になった。

 ”前回”、一度も行うことの無かった”それ”に、エリージェ・ソードルは何やら訳も分からず楽しくなった。


 そんな様子に、侍女長シンディ・モリタは苦笑し、「ご令嬢が地面に横になるなんて」とボヤいたが、止めるまではしなかった。


「ねえねえ、おじょ~様!

 新しいご本、届くの今日だっけ!?」

 クリスティーナが寝転んだまま、エリージェ・ソードルの左腕に自分の右腕を絡めながら訊ねてくる。

 エリージェ・ソードルは少し考えた後に、笑顔で頷いた。

「ええ、確か今日、届く予定になってたはずよ。

 何て本だったかしら」

「えとねぇ、王女様と騎士様のお話!」

「そうなの?

 ……それって、おもしろいの?」

「素敵!」

「素敵?」

「素敵!」

「そ、そうなの?」

 キラキラと瞳を輝かせるクリスティーナの勢いに、エリージェ・ソードルは気圧される。

 クリスティーナの読む本は童話などから恋愛ものに変わり、この少女は最近、やれお姫様だ、やれ王子様だとハシャいでいた。

「ねえねえ、おじょ~様!

 ご本届いたら読んでね!」

「はいはい、分かったわ」

 エリージェ・ソードルは柔らかく微笑むと、クリスティーナの髪を優しく撫でた。

 薄金色のそれはとても滑らかで、エリージェ・ソードルは少し癖になっていた。


 そこに、侍女長シンディ・モリタが早足で近づいて来る。


 常に厳格さを尊ぶこの老婦人にしては珍しく、どことなく浮ついた雰囲気があった。

「お嬢様、失礼します」

「何かしら?」

「第一王子殿下から先触れが参りました。

 四刻ほど後に、訪問したいとのことでございます」

「殿下が!」

 エリージェ・ソードルはバッと上半身を起こす。


 その表情には喜色が溢れていた。


 侍女長シンディ・モリタの表情が柔らかくなる。

「はい。

 いかがしましょうか?」

「先触れにはお待ちしておりますと、伝えて頂戴。

 あと、お迎えの準備もお願いね」

「畏まりました」

 侍女長シンディ・モリタは深々と頭を下げた後、離れていく。

「殿下が……」

 嬉しそうに微笑むエリージェ・ソードルに、側にいる侍女ミーナ・ウォールや女騎士ジェシー・レーマー達が言葉にはしないまでも温かな視線を送ってきた。


 ただ、クリスティーナだけが小首を捻りながら訊ねてくる。


「おじょ~様、デンカって?」

「ん?

 ああ、この国の王子様の事よ」

 エリージェ・ソードルが分かりやすく言うと、クリスティーナが目を丸くする。

「王子様!?

 なんで、王子様が来るの!?」

「それは、第一王子殿下はわたくしの婚約者だからよ」

「えええ!?」

 クリスティーナは目を見開く。

「おじょ~様って、王女様なの!」

「え?

 王女様?」

 エリージェ・ソードルは少し言いよどむ。

 国の貴族という括りに入ってはいるが、ソードル家はどちらかというと従属国に近い立ち位置にある。

 なので、エリージェ・ソードルを王女と形容しても、完全には間違いではないのだが……。


 エリージェ・ソードルは首を横に振って否定する。


「クリス、わたくしは王女様ではないわ。

 ただの令嬢、まあ、あえて言えば姫様かしら」

「姫様!

 すごぉ~い!」

 クリスティーナが興奮気味に言う様子に、エリージェ・ソードルは(可愛いわね)と柔らかく微笑む。


 そこで、”前回”を思いだし、少し考える。


 そして、エリージェ・ソードルは探るようにクリスティーナに訊ねた。

「ねえクリス、あなた、殿下に会いたい?」


 ”前回”のクリスティーナは女から、第一王子ルードリッヒ・ハイセルを奪っている。

 なので、不安になったのだ。


 ところがである。


 クリスティーナは「無理無理!」と笑いながら手を振る。

 そして、言い切った。

「クリスじゃあ、王子様に不敬ふけ~しちゃうよ!」

「そう?」

「うん!

 絶対無理!」

 エリージェ・ソードルは手を顎に当てて考えた。

(あの時、クリスが殿下を奪ったと思いこんでいたけど……。

 ひょっとして、殿下が勝手に懸想けそうをしていただけで、クリスは何とも思っていなかったのかしら?)

 エリージェ・ソードルは再度、クリスティーナを見る。

「王子様が来てくれるなんて、お嬢様は凄い!」

 などと話すクリスティーナに、遠慮とかそういった類のものは見えなかった。

(そうだったら、申し訳なかったわね)

とエリージェ・ソードルは思った。

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