男爵領取得8

 マガド分家当主との面会の翌日、エリージェ・ソードルは改めて王都に向かうためにマガド邸の玄関前にいた。

 せっかちなこの女が準備完了の報告前に現れてしまったことで、使用人や騎士達は大慌てで出発準備を行っている。

 そんな、忙しない様子を横目に、エリージェ・ソードルは用意された椅子に座り、お茶を飲み、時間を潰すことにした。


 ルマ家騎士の大半はルマ家騎士レネ・フートと共にマガド領に残ることとなった。

 祖父マテウス・ルマとの話し合いで希望者のみ留め置く事となっていたが、ルマ家騎士レネ・フートを慕ってか、外せない用がある者以外の全てが手伝いとして残ることとなった。

 そのため、エリージェ・ソードルや弟マヌエル・ソードルの護衛として、彼らの代わりに今回遠征してきた第一騎士隊百名を当てる事となった。


 エリージェ・ソードルは隣に立つルマ家騎士レネ・フートを見上げながら話しかけた。

「昨日話していた通り、うちの兵を残して置くから、治安に関しては問題ないでしょう。

 あと文官に関しても、それなりの人員はこちらに届けられる予定になっているから、しばらくは大丈夫ね。

 ただ、分かっていると思うけどあくまでも彼らは臨時に派遣されるだけなのだから、あぐらをかかずに、きちんと教えを受けるのよ!」


 派遣される文官はルマ家から送られる予定となっている。


 エリージェ・ソードルとしてはマガド領への影響力維持のためにソードル家から送りたかったのだが、ソードル家はソードル家で人が足りていない現状そうも行かず、また、ルマ家騎士レネ・フートとしても見知った人間の方が良かろうということで、そういう手はずとなった。


 エリージェ・ソードルの言に、ルマ家騎士レネ・フートは柔らかに微笑み一礼をする。

「分かっております、お嬢様。

 お嬢様に心配をかけぬようにしっかりやっていきます」

 ルマ家騎士レネ・フートの返答にエリージェ・ソードルは頷く。

 そして、さらに続けた。

「あと、乱暴にされた女性についてだけど、光神の司祭を幾人か送ってもらえる様、書状を送ったから、受け入れる場所の目処はたてておいてね」

「司祭を、ですか?」

 ルマ家騎士レネ・フートが目を見開くと、エリージェ・ソードルは頷いて見せた。

「こと、心の疵を癒す事にかけては彼らは専門家、任せてしまおうと思ってね」

「……流石ですね、お嬢様」

 ルマ家騎士レネ・フートが感心するように声を漏らした。


 オールマ王国では、光の神を国教としている。


 その権威は強く、時に国王をも上回る。

 そして、教団に属する者達も必然、影響力を強くした。

 神事を行うことが出来る司祭に対しては、貴族ですら頭を下げる対象であった。


 そんな彼らを書状一つで呼び出す。


 その様な事、貴族どころか大貴族の中でもなかなか出来ることではないのだが……。

 そこは光神とも結びつきが強いソードル家である。


 そんな事が出来てしまう希有な存在であった。


 エリージェ・ソードルは閉じた扇子を振る。

「大したこと無いわ。

 やってもらえる以上の金貨を寄付しているしね。

 たまには返して貰わないと」

「そんな事を臆面もなく言ってしまえるのはお嬢様だけですよ」

「そうかしら?

 まあ、何にせよ、よろしくね。

 迎えるに辺り必要なものはザンドラにまとめさせた物をそちらの執事に渡しておいたから。

 あとは、貸付金ね。

 無駄づかいなどしないように」

「分かっております。

 大変助かります」

とルマ家騎士レネ・フートは申し訳なさそうな笑みを浮かべると、再度頭を下げる。

 今回のマガド領復興のために、ソードル家から無利子無担保の貸付が行われる。


 金貨にして一万枚にもなる。


 大貴族であるソードル家をして少なくない金額ではあったが、マガド領の現状を知り即決した。

 この女がそれだけマガド領の木材に期待していることを現していたし、それだけマガド領の状況が切迫している事も意味していた。

 エリージェ・ソードルは話を続ける。

「構わないわ。

 その代わりに木材の件、よろしくね。

 あとは……。

 そうそう、カタリナとは結局どうなったの?

 凄い勢いで拒絶されていたけど」

 分家娘カタリナ・マガドとは彼女が目を覚ました後に、もう一度会ったのだが……。

「無理です! 無理です!」と言うばかりで首を縦に振ることはなかった。

 ただ、ルマ家騎士レネ・フートが「ここはお任せください」とにこやかに言うので、未決定としていた。

 頭を上げたルマ家騎士レネ・フートはなにやら楽しげに微笑んだ。

「まだ色よい返事は頂けていません。

 ただ、近いうちには良い報告が出来ると思いますよ」

 エリージェ・ソードルは小首を捻る。

「そうなの?」

「ええ。

 あれは、イヤよイヤよは、って奴ですよ。

 最悪、寝台の中に連れ込み――」

「レネ様!

 お嬢様の前で”それ”はちょっと!」

 騎士ギド・ザクスが慌てて止めると、ルマ家騎士レネ・フートは”しまった”というように自身の右手で口を押さえた。

 そして、頭を掻きながら苦笑する。

「申し訳ございません、お嬢様。

 お嬢様と話をしていると、時々、お嬢様の年齢を忘れてしまうと言いますか……」

 エリージェ・ソードルはこの女にしては珍しく、少し悪戯っぽく口元を緩める。

「あら、少なくともあなたよりは年下のはずよ」

 この女は”前回”と”今回”を合わせても、ルマ家騎士レネ・フートより年下と含めていったのだが、勿論、ルマ家騎士レネ・フートに察することは出来ず、ただただ、当たり前のことを言われたと思い、「流石にそこまでは思ってませんよ」と困ったように笑った。


 そんなやりとりをしていると、視界の端に侍女ミーナ・ウォールがこちらに向かって早足で歩いてくるのが見えた。


 彼女は女のそばに来ると、一礼し、少し困った顔で話し始めた。

「お嬢様、実はドル先生ですが、無理が祟り、体調を崩されているご様子です」

 ドル先生とは、今回連れてきている医療魔術師スーザン・ドルの事だ。

 ”無理”について思い当たることの無かったエリージェ・ソードルは、少し不思議そうにしたが、確かに強行軍だったかと頷いた。


 だから、ルマ家騎士レネ・フートを見上げて言った。


「悪いんだけどレネ、ドル先生の体調が治るまで、ここで面倒を見てもらえるかしら?

 万全になったら、駐在するうちの騎士に王都まで連れて帰るようにするから」

「畏まりました」とルマ家騎士レネ・フートはにっこりと微笑んだ。

 エリージェ・ソードルは近くに控えていた従者ザンドラ・フクリュウに視線を向ける。

 従者は心得ているとばかりに、小さな机と指示書、そして、万年筆を女の前に準備した。

 その間、エリージェ・ソードルは近くにいた騎士に、騎士隊長ミロスラフ・クローゼを呼ぶように指示を出す。


 そして、視線を指示書に移すと、紙上に筆先を走らせた。


 書き終えた女が視線を上げると、女騎士ジェシー・レーマーが並べられた馬車や準備を行っている騎士等を縫うようにやってくるのが見えた。


 エリージェ・ソードルは少し、眉を険しくする。


 そして、目の前にたどり着いた女騎士ジェシー・レーマーが何かを言う前に、口を開いた。

「ジェシー、あなた何をしていたの?

 それとも、わたくしの知らないうちに、護衛騎士を辞めていたのかしら?」

 女騎士ジェシー・レーマーは慌てて首を横に振る。

「いえいえ、お嬢様!

 例の平民達の治療でド――」

「そんなもの、あなたがする必要なんてないじゃない!

 あなたがふらふらしているから、次期男爵様にあなたの代わりをしてもらったのよ」

「え?

 次期男爵様?

 え?

 どういうことです?」

 エリージェ・ソードルのそばにいなかった女騎士ジェシー・レーマーは、ルマ家騎士レネ・フートが次期男爵になることも知らない。


 ただただ、困惑するだけだった。


 だが、エリージェ・ソードルはそんなこと頓着せず、さっさと話を続ける。

「もういいから、あなたもさっさと帰る準備をしなさい!

 それとも、まだ平民にかかずらいたいなら、もう、マガド男爵家に仕えなさい!」

「申し訳ありません!

 申し訳ありません!

 お許しを!」

 女騎士ジェシー・レーマーは水面をついばむ水鳥の様にペコペコと頭を下げた。

 そして、両膝でひざまずくと、やや上目遣い気味に言った。

「お嬢様、そのう……。

 例の平民達がお嬢様にお礼が言いたいと来ているのですが……」

「はぁ?」という怒気の籠もった女の返事に縮こまりつつも、女騎士ジェシー・レーマーは続ける。

「治療の指示を出してくださったお嬢様への感謝を、そのう、直ぐ終わりますから!」


 エリージェ・ソードルは一つため息を付いた。


 この女としては、他領の平民の言葉など、感謝だろうが、罵声だろうが、等しく価値はなかった。

 そんな”もの”の為に平民を自分の前に連れてこようとする女騎士ジェシー・レーマーに嘆息したのだった。


 ただ、平時ならともかく、現在は次期当主と共に盛り上げて貰わなくてはならない時期である。


 仕方がないかと、エリージェ・ソードルは頷いて見せた。

「ジェシー、ここに連れてきなさい」

 女騎士ジェシー・レーマーはパッと表情を明るくさせ、「畏まりました!」と足早に駆けていった。

 エリージェ・ソードルはルマ家騎士レネ・フートを見上げながら言う。

「ねえレネ、わたくし、ルマ家の、騎士に対する教育に対して、少々、疑問に感じ始めているのだけれども。

 ルマ家の中でジェシーあれは”護衛”騎士として相応しい振る舞いなのかしら?」

 ルマ家騎士レネ・フートや騎士ギド・ザクスがいるとはいえ、主の護衛本来の仕事を一切省みない態度を言っているのだ。

 そんな指摘に、ルマ家騎士レネ・フートは苦笑する。

「言い訳をさせて頂くと、その辺りの教育を受ける前に、ジェシーは脱退してしまいましたから……。

 そこは、ソードル家そちらでお願いできればと思います」

 エリージェ・ソードルは片眉を一度上げると、首を横に振りながら再度ため息を付いた。

 そして、閉じた扇子で自分の首をコンコンと叩きながらボヤく。

「ジェシーだって脱退当時は別段、新兵という訳ではなかったでしょうに……。

 ルマ家騎士団は本当に、武力以外では当てにならないわね」

「ハハハ、耳が痛い話です」

などとやりとりをしていると、女騎士ジェシー・レーマーが十人ほどの平民の女性を引き連れてやってきた。

 いかにも農婦という出で立ちの彼女らは、緊張の為かその表情は堅く、女の前まで来ると両膝を付き、頭を深々と下げた。


 女騎士ジェシー・レーマーはエリージェ・ソードルに向かって紹介する。


「お嬢様、彼女たちが先ほどお話しした、お嬢様にお礼が言いたいと申している者達です。

 発言の許可が頂ければと思います」

「いいでしょう。

 あなた達の発言を許可します」

「ありがとうございます」

と先頭の女が代表するように話し始めた。

「公爵代行様、この度は助けて頂き、ありがとうございます。

 そればかりか、皆の傷や病までも癒してくださり、本当に、本当に、ありがとう、ございました!

 もう駄目かと、思って、苦しくって、このご恩は一生忘れ、ません!」


 気持ちが高ぶってきたのか、その女性は感涙に咽び始めた。


 後ろにいる女性達も釣られてか、すすり泣き始める。

 それに対してエリージェ・ソードルは――そういえばこの子、あの時、何で男装なんてしてたのかしら? ――などとどうでもいいことを考えた。

 ただ、平民のやることなど理解をする気も無いこの女は、軽く頷いて見せた。

「あなた達の感謝、受け取ったわ。

 でも、わたくしに恩を感じる必要はないわ。

 それらは、わたくしをここに向かわせた、国王陛下と……。

 あなた達、顔を上げなさい」

 エリージェ・ソードルの指示に、彼女たちは恐る恐る顔を上げる。

 そんな平民の女性らに、ルマ家騎士レネ・フートを手で指しながら女は続ける。

「ここにいる次期領主への忠義にして頂戴。

 彼は数少ない手勢で――」

 などと、身振り手振りを付けて、ルマ家騎士レネ・フートを売り込むがごとくほめそやした。

 突然のそれに、平民の女性らはポカンとしていたが、しばらくすると、その表情は柔らかくなっていった。


 自身の善行をひけらかせず、むしろ他者に譲る姿勢に感動したこともある。


 だがなにより、どことなく冷めた雰囲気のある幼いご令嬢の――一生懸命、誉めようとする姿勢が、不敬だと知りつつも、”可愛らしい”と思ってしまったのだ。


 彼女たちの自分を見る視線に、そんな、ほんわかしたものが混じっているのにも気づかず、エリージェ・ソードルは恥ずかしさに堪えきれなくなったルマ家騎士レネ・フートが止めるまで、一生懸命語り続けたのだった。


――


 平民達が去った後、女騎士ジェシー・レーマーが「レネさんが次期領主って、どういうことですか!?」などと騒ぎ出したが、とにかく出発の用意が出来たので、騎士隊長ミロスラフ・クローゼに指示書を渡すと馬車に乗り、ハマーヘンに向かって進み出した。


 そこで一泊した後に、王都へと再度向かう予定となっている。


 エリージェ・ソードルが進む道沿いには、町民達がずらりと並んでいた。

 彼らは、彼女らは潤んだ瞳のまま笑みを浮かべ、「ソードル家万歳!」「ソードル公爵代行様、万歳!」などと声を張り上げていた。

 その熱狂ぶりに、エリージェ・ソードルをして面食らったように少し目を見開いた。

「凄いわね。

 ウリ・ダレ子爵あれらは、いったいどれだけの悪事をしてきたのかしら?」

 その呟きに対して、世話役として同乗している侍女ミーナ・ウォールがどことなく誇らしげに微笑みながら言った。

「解放されたことだけではありません。

 お嬢様、あの歓声には、お嬢様の”ご慈悲”に対する感謝の声も含まれていますから!

 わたし、お嬢様にお仕え出来て、本当に誇らしく思います」

「?

 そうなの?」

「はい!」

 目をキラキラさせながら、侍女ミーナ・ウォールに言われるも、エリージェ・ソードルには、その”ご慈悲”とやらに思い当たるものがない。


 小首を捻るだけだ。


 だが、そんな疑問もこの凡庸たる女は意識の端に追いやってしまう。

(まあ、これで町民あれらが気持ちよく復興に努めてくれるのならよいでしょう)

 などと思いながら、この女にしては珍しく、彼らに向かって手を振って応じる事までして見せた。


 どっと沸く町民を見ながら(これぐらい安いものね)と少しほくそ笑んだ。

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