第3話「嵐の前の静けさ」
入学して二カ月が経過した。
結論から言おう。
俺はとても平和な日々を過ごしている。
梨花と同じ高校に進学したことに気付いた入学式の日。
高校でも前と変わらぬ日々が続くのかと軽く絶望していた。
しかし、現実は俺の予想をはるかに凌駕した。
梨花が高校デビューを果たした。と言うのが率直な感想だった。
高校デビューと言っても良い方向にである。
急におとなしくなったのだ。
クラス委員になることもなく、特に目立つ事もせずに、ひっそりと日々を送っているように見える。
もっとも、あの容姿と成績から間違えなく周りから注目されているし、友達付き合いもおろそかになっているというわけではない。
俺の見立てでは仲の良い友達も何人か出来ているみたいだ。
気のせいか表情が以前より柔らかくなっている。
あまりの変貌ぶりに入学直前にコンクリートにでも頭を打ち付けたのではないかと心配になって思わず尋ねてしまったがそんなことはなかったようだった。
不思議に思いながらも平和な学園生活を送り始めた。
そして、梨花は表面上だけでなく水面下でも大人しくしている。
中学の時のような裏の姿を一度も目撃していない。
そんなことを考えながら隣の席に座る梨花を見る。
仲の良い女子グループで話をしていた。
俺の知る限りだが、入学してから梨花は自分のことを多く語らない。
昔のことでボロが出ることを恐れてだろう。
けれど梨花は話さない代わりに聞き上手だった。
近くでその様子を見ていた俺の率直な感想だ。
今も盗み聞きしているわけではないが、今度の生徒会長選に梨花が出馬するなどと聞こえてきた。
ここは新設校だ。上級生がいないため一年生が生徒会長を務めることになる。
今の梨花だったら生徒会長になってもなんの不思議もない。
成績優秀で友達も多くて面倒見がいいと評判だ。
あの梨花がこんな風に普通の女子高生らしく日々を過ごしている。
暴れまわっていた十五年間が嘘のように。
「なあ、竜一」
隣の席から声が聞こえる。
「何だよ。浩司」
高校に入ってからの友人、杉村浩司が話しかけてきた。
出会った当初から馴れ馴れしい奴だったが不思議と心を許してしまう。
「お前ってさ、神林さんと付き合ってるの?」
これも出会った当初から聞かれ続けている。
「付き合ってないよ」
「いつも一緒に登下校してるじゃん」
「家が隣だからね」
俺は当初の予定と違い寮ではなくワンルームマンションで暮らしている。
『喜べ。竜一。俺の知り合いがマンションを経営していてな。お前が行く学校の近くにあるんだが丁度部屋が空いているそうだ』と言うのが父親の言葉だ。
そんなこんなでマンション暮らしだが、隣の住人には驚いた。
俺の隣の部屋は梨花の部屋だ。
親父の知り合いとは梨花の親戚なんだそうだ。
引っ越した先でも隣が梨花というのもなにか皮肉な気がする。
「あいつとはただの幼馴染だよ」
「そうか。そうなのか。そうだよな」
俺の説明を聞いた浩司は嬉しそうに頷いている
誤解されずに済みそうだった。
「竜一」
俺と浩司の後ろから梨花の声がした。
振り向くと、梨花が間近に接近していた。
「か、神林さん」
「ごめんね。杉村君。ちょっとだけ借りるね」
「どうぞどうぞ。好きなだけ」
そう言って浩司はいつぞやと同じようにそそくさと立ち去っていった。
「夕飯はカレーでいい?」
「最近多いね」
「凝ってるの。……あきちゃったかな?」
「いえ、楽しみにしています」
「ふふ、楽しみにしててね」
梨花は手を振って離れて行った。
後方から気配を感じた。
後ろを振り向くと立ち去ったはずの浩司がありえない程恐ろしい形相をしていた。
目があっただけで呪い殺されそうなそんな殺気を感じた。
「竜一よ」
「ど、どうした親友」
「夕飯ってなんだよ?」
「ほ、ほら、俺とあいつ隣の部屋だし俺自炊しないからコンビニ飯じゃ体に悪いからって夕飯をお裾分けしてもらっているだけだって」
「昼に見たおいしそうな弁当は?」
「それも作ってもらってます」
「まさかと思うけど朝は?」
「……特に意識したことなかったけどなんだかんだで三食世話になってるな」
「死ねよ。リア充」
浩司がぼそっと呟いた。
表情は怖いままだ。
「何見てんだよ。死ねよ。リア充」
今度ははっきりとそう告げた。
二回言われると流石に悲しくなってくる。
「竜一。親友として頼みがある」
「何だ?」
「一度夕飯を御馳走してほしいのだが」
「寮の門限あるだろう」
「しまったあー」
浩司の悲鳴にクラス中がこちらを見たので俺は浩司を放っておいて席を離れた。
*
この日の放課後はカラオケボックスに梨花と二人で来ていた。
高校に入ってストレス発散の方法が変わった梨花。
俺も歌うがほとんど梨花が歌い続けている。
俺はほぼ聞いているだけだが殴る蹴るのストレス発散に比べたら断然こちらの方が良い。
それに梨花の歌声は綺麗だから聞いていて楽しい。
それなのに梨花は友達とカラオケに行くことはほとんどないと言う。
梨花が言うには「歌ってる姿を見られるのは恥ずかしい」との事だ。
こんなに上手いんだから聞かれたって良いだろうと思いながらも梨花の歌声に耳を傾けていた。
*
カラオケ帰り。
ストレス発散を終えた梨花は終始満足そうな笑顔だった。
「そういえば、杉村君はさっき、何を叫んでいたの?」
「些細なことだよ」
「ふーん」
ジトーっとした目で梨花はこっちを見ている。
「き、昨日のドラマの最終回の予想を立ててたんだ」
「そうだったんだ」
凄く興味が無さそうな感じで梨花の視線が離れた。
辺りを見回すと人の数が少ない。
これはあの事をチャンスなんじゃないだろうか。
梨花を見る。
過去の恐怖が蘇りどうしても踏み出せない。
でも、どうしても聞きたいことがある。
『梨花。お前は何をたくらんでいるんだ?』
さすがにこの平和を日常のものとして受け入れるほど俺は甘くない。
梨花は一体何を考えているのだろうか。
高校生になったら変わると言うのは良く考えてみればおかしい。
優等生の振りは中学から続いているはずだ。
みんなの中心になるのを止めるという意味だろうか。
生徒会長に立候補しないどころか、クラス委員にも立候補しなかった。
まあ、おかげで副会長にされたり副委員長にされたりすることもなかったので助かったのだが。
とにかく不気味だ。
入学式の衝撃でそれどころではなかったが、ちゃんと話を聞いておけば良かった。
ひょっとして周りがどうこうではなく、俺に対する態度を変えるとかそういうことなのだろうか?
つまり、新手のいじめか?
さんざん優しくしておいてから手のひらを返す。
考えてみれば今の俺の食生活は梨花任せだ。
急に飯を作ってもらえなくなったら餓死してしまう。
自分で作ればいいだけなのだが料理は出来ないし今更コンビニ弁当では耐えられない。
俺の受けるダメージは計り知れない。
そう考えると怖くなってきた。
この平和はきっと仮初のものだ。それに梨花は生徒会長に立候補しなくても周囲の推薦で出馬の話も出ている。そうなったら俺もまた中学の頃のようにこき使われるのだろう。
きっと今の平和は嵐の前の静けさなのだ。
いずれ来る嵐に備えて、俺は心の準備だけは怠らないことを誓った。
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