第2話「入学式」
入学式を目前に控え、俺は十五年の人生を振り返っていた。
ほとんどが梨花の事ばかりだ。
他に思い出が無い事も無いが、どうしても俺の過去は梨花を中心に構成されている。
幼少期の梨花は、本当に手のつけようの無い子供だった。
大人から見てもそうだったようである。
『いいか。竜一。梨花ちゃんはお前の許嫁だ。何かあった時はお前が梨花ちゃんを守ってやるんだぞ』
小学校に入る前に道場で父親に言われた言葉である。
前半はともかく、後半に関しては文面だけ見ればいい台詞だと思う。
女の子を守るのは男の役目だと教わり俺もその通りだと思っていたからだ。
しかし、父親に言われた言葉には続きがあった。
『梨花ちゃんを守るだけじゃない。梨花ちゃんが何か問題を起こしそうになったらお前が止めるんだ。それでももし問題が起きてしまったら平和に解決する道を探せ』
どう考えても幼稚園を卒園したばかりの子供に言う言葉ではない。
『竜一君。梨花を頼むぞ』
これは梨花の父親の言葉だ。
何気ない一言だが、この一言には梨花を何とかしてほしいと言う心からの懇願が混ざっていた。
こんな風に二つの家の両親達から梨花のことを押し付けられてきた。
時々考える事がある。
俺は許嫁に苦しめられてきたのか。
それとも許嫁という言葉に苦しめられてきたのか。
答えは「どっちも」である。そして中学生の時に、俺の中の何かがとうとう限界に達した。
俺は梨花と違う土地に逃げることにした。
当然のことながら、高校の受験申込には両親の許可がいるため、俺は願書を出す時に初めて両親に俺の計画を打ち明けた。
父親も母親も『梨花ちゃんを置いていく気か』と怒りだしたが、俺の今までの積もりに積もった不満を爆発させたら両親が折れてくれた。
まさかあそこまで文句を言われるとは思っていなかったようで呆然とした顔で願書に判を押してくれた。
計画が思い通りに進む中で、不思議と梨花への後ろめたさがあった。
仲の良い友達もあまりいない梨花を一人地元に置いていくのは少し可哀想なんじゃないかとも思った。梨花に友達はたくさんいたが本性を知っている親友と呼べるような存在はいない。
そんな事を考えている内に校内アナウンスが入学式の開始十分前を告げた。
ここから俺のバラ色の人生が始まる。
俺は誰にも束縛されることなく自分の好きなように高校生活を送る。梨花に支配される放課後はもう無い。好きな部活に入り、友達と遊び、彼女を作って一度きりの青春を謳歌するのだ。
俺はゆっくりと体育館へと向かった。
*
俺はこれまで様々な事件に遭遇してきた。
主に梨花がらみ……訂正しよう。全て梨花がらみではある。
だからと言うべきか、しかしと言うべきか、今日この瞬間俺はかつてない驚愕の事実をしってしまった。
新入生挨拶。
呼ばれた生徒の名前に聞き覚えがあった。
壇上に上がる生徒の姿に見覚えがあった。
「━━━━━ことを誓います。新入生代表、神林梨花」
新入生挨拶が終わり、そこで初めて梨花も同じ学校を受験していたのだと知った。
おまけにその年のトップ合格者のおまけつきだ。新入生挨拶はトップ合格者がすると聞いていた。
俺は即座に理解した。
俺が両親に進学先を告げた時に、両親から梨花の両親に連絡がいったのだろう。
その後の細かい流れは知らないが、梨花を俺と同じ高校へ送り込むことにしたのだと簡単に予想できた。
俺で合格できたんだから俺より頭の良い梨花が合格できるのは当たり前だ。
なぜ入学当日まで気付かなかったのだろうか。
悔やんでも悔やみきれない。
俺と同じ公立も受けていたからだろうか。一緒の学校を受けていたことに全く気付かなかった。
さっきから色々と考えているが、正直理由はどうでも良くなった。
今わかっていることは、高校生になっても前と変わらぬ日々が続くということだけだ。
俺の一年に渡る努力は無意味だった。
入学式が終わった後も、俺は動くことが出来ずに皆が退場していく中で唯一人席に座ったままであった。
*
入学式が終了してから数十分後、俺は一人中庭のベンチで頭を抱えていた。
入学式の後で簡単なホームルームがあるはずなのだが初日からいきなりサボってしまった。
さようなら俺のバラ色の高校生活。
こんにちは新天地で梨花に支配される地獄の日々よ。
「竜一」
不意に聞こえた声に反応して顔を上げる。俺を悩ます原因が立っていた。
「ホームルームは終わったのか?」
「ええ、もうみんな帰宅しているわ。竜一はどうしていなかったの?」
「何で俺がいなかったことを知っているんだ?」
「同じクラスだから、先生が出席を取ってたわ」
そっか、出欠確認はしていたのか。
本当にサボりになってしまったがそれよりも気になる言葉が聞こえた。
「同じクラス?朝教室に一度集まった時にいなかっただろう」
さすがに教室内に梨花がいれば一瞬で気付く。
「私は入学式の打ち合わせをしていたのよ」
「じゃあ、俺の横の空いてた席って」
「私よ」
入学して一日目だが早くも転向したくなってきた。
ひと気の無いところに美少女と二人きり。
そして俺は空手黒帯。
でも力でどうこうしようとは思わない。
別に女性相手に暴力は振るわないとか紳士的なことを言うわけではない。
目の前にいる可愛らしい少女が俺より強いからだ。
俺は小さいころから近所の道場に通っていた。
父親が小さい頃に通っていたところで今もたまに稽古をつけに行っていたのでそれに一緒に連れて行かれたのがきっかけだった。
ちなみに梨花の父親もうちの父親同様に道場に通っていたらしい。
俺の父親と梨花の父親は家も隣で年齢も一緒で小・中・高とほとんど同じクラスだったそうだ。
それで二人に同じ時期に子供が出来てそれが男の子と女の子だったら何らかの拍子に将来結婚させようなんて話になってもおかしくは無い。正直迷惑極まりないことではあるが。
しかし、俺は梨花の姿を道場で見た事もなければおじさん(梨花の父親)は梨花に空手を教えたとはないと言う。
梨花のあの強さはどこからきているのか不明だが俺は梨花に一度も勝ったことは無い。
それが俺の梨花に逆らえない最大の理由だ。
「竜一。私ね」
梨花が何かを喋り出した。
俺は俯いたまま適当に相槌を繰り返した。
「━━高校生になったら変わるの━━」
前後の部分を聞いていなかったがこの言葉だけが耳に入ってきた。
なるほど。要するに、校内における自分の評価を完璧にしたいようだ。
中学の時はごく一部の生徒は梨花の暗黒時代を知っている。猫を被っていたせいで本性を知っているのは俺だけだが。
誰も梨花を知る人のいないこの高校で、完璧超人を演じるからそれを手伝えと言うことだ。
どうして俺がそんなことをしなければいけないと思うが梨花の言葉に逆らえるはずもない。
中学の入学式の時もそんなことを言われて協力させられた思い出が蘇った。
「わかった。俺でよければ喜んで」
俺は手を差し出した。
梨花の頼み(命令)なら断れない。
断って暴れられたうえで無理やり引き受けさせられるのも素直に引き受ける方がダメージが少ない。
「本当に?」
「ああ。地獄の底までお供しますよ」
梨花は一瞬キョトンとした顔をした。
そして少しずつ表情が笑みに変わり満面の笑みを浮かべてから俺の手を握った。
「これからよろしくね。竜一」
「こちらこそ」
残っていた胃薬がどれくらいあるかを考えながら、俺はため息をついた。
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