第1話「副会長の苦悩」
神林梨花(かんばやしりか)の名は学校中に轟いている。
さらに、俺達の通う中学校に留まらず、どういうわけか近隣の学校にも梨花の名前は響き渡っていた。
人の目を惹かずにはいられない可憐な容姿。
全国模試の順位は上位三位以内を逃したことのない天才的な頭脳。
あらゆる運動部から助っ人の依頼が来る程の抜群の運動神経。
男子女子問わずに人気を集める人柄の良さ。
容姿、頭脳、運動、性格。
三拍子どころか四拍子そなえた人を超えた天使。
ここまでが世間の梨花に対する評価。
世間の梨花に対する間違えた評価である。
*
「竜一。準備はまだなの?」
「もう少しです」
パソコンと格闘を繰り返しようやく解決策が見つかった。
この案件は言葉通りもう少しで終わる。
しかし、梨花はその僅かな時間を待ってくれなかった。
「ちょっとどいて」
そう言って俺を突き飛ばした。
「全く、こんな簡単なことなのに」
そんなことを言うなら実際にやってください。
そう思っている内にすぐに終わらせてしまった。
まあほとんど俺が仕上げかけていたのだが。
「竜一。こっちを人数分コピー取って次の会議の資料に組み込んでおいて。あと運動部から申請書が出ていないところがあるから回収してきて。ついでにそこの荷物返しといて。今日中にお願い」
「……申請書出してない部活って二桁いくんだけど」
「今日中よ」
凄まじい仕事量だが梨花は当然のように言う。
反論も許さない理不尽ぶり。
そして悲しい事にそれに対する俺の返事はこうだ。
「わかった」
我ながら情けなさすぎるが、小さい時から梨花への恐怖が蓄積している俺は梨花に逆らえなかった。
*
桜井竜一(さくらいりゅういち)は神林梨花についてこう語る。
『神林梨花は天使の皮を被った悪魔である。あの完璧とも言える姿は全てが演技で、人の上に君臨し皆に崇められるのが大好きなだけで一度暴れ出せば誰も手のつけられない超暴力女である』
しかし、誰もそんなことは知らない。
俺としても誰にもこのことは言っていない。
言っても誰も信じてもらえないだろう。
それくらい梨花は完璧超人を演じている。
俺と梨花では梨花の方が信用度が高い。俺が何を言っても無駄なのだ。
梨花の演技だが、昔からずっと優等生を演じてきたわけではない。
あれは小学校四年か五年の頃。
暴れん坊だった梨花が突然優等生を演じはじめた。
理由はわからない。
ちなみに、同じ小学校出身の連中は皆、暴れていた頃の梨花を忘れていた。いや、記憶の彼方に封印したのかもしれない。
一度小学校時代の友達に昔の梨花について尋ねたことがある。
「誰にでも、語られたくない事はあるよ。昔のことなんだから今更いいじゃないか」
どうやら梨花の過去を知る者たちにとっては語ってはいけない黒歴史として封印されているようだ。
我が友人たちよ。
お前達の過去になった黒い歴史は誰にも知られていないところで現在も進行中だ。
そして大変不本意ながら桜井竜一の名前もそれなりに知られている。
主に梨花のおまけで。
あれだけ注目される梨花と常に一緒に居れば誰だって多少名は知られる。
家が隣にあるせいで学校に行くところから梨花と一緒にいる。
登校中に梨花に目を奪われる生徒には「なんだ。神林さんと一緒にいる平凡な男は?」みたいな感じに思われている内に顔を覚えられたのだろう。
クラスこそ違うが、梨花は用事があると問答無用で我がクラスに現れて俺を連行していくので俺のクラス近隣では「付き合っている」との噂が流れている。梨花も告白されるのが面倒だから噂は否定するなと言うし。
梨花が生徒会長になった時に副会長に任命されたのも付き合っていると思われている原因だろう。
書記と会計は別にいるのだが庶務のポストは無く、いつの間にか副会長の仕事になっていた。
要するにパシリだ。良く言ってもせいぜい雑用係である。
そんな俺の苦しみも知らずに、噂は一人歩きしていくのだった。
*
「ねえ、竜一」
帰り道で不意に梨花が口を開いた。
「どうした?」
「私に何か隠していることない?」
「無いよ」
一瞬ドキッとしたが平然を装った。
隠し事はあるのだがそれに気付かれたわけではない。
梨花はたまにこういう事を言い出す。
昔はやましい事があるたびにビクビクしていたものだがもう慣れた。
「この前のテストの成績良かったわね」
「梨花ほどじゃないけどね」
学年トップが学年十九位に言っても嫌味にしかならないぞと言いたいが怖いので言わなかった。
ちなみにうちの学校では上位三十位まで廊下に張り出すのだが前回のテストでは初めてそこに名前を連ねた。
「今まで平均より少し上くらいだったのに。カンニングでもした?」
ちょっと酷い質問だが文句は言えない。怖いから。
「そんなことしないよ。最近勉強してるだけだ」
「どうして急に?」
「急にってことでもないだろう。俺達今年受験だし」
「そっか」
危ない。
特に深く踏み込まれることなくこの話題は終わった。
それから他愛のない話をして家の前に辿り着く。
「今日も勉強するの?」
「毎日するよ。受験生だし」
「ふーん。頑張ってね」
どうでもよさそうに梨花はそう言った。
「じゃあね。また明日」
「ああ」
隣の家のドアを開ける梨花を見ながら手を振った。
そして俺も家に入る。
「ただいま」
「おかえり。何か食べるかい?」
「いい。夕飯が出来たら呼んで」
母親との話もそこそこに俺は自室へ向かった。
部屋に入るなり俺は机に向かった。
昨日寝る前まで進めた参考書が置かれたままになっている。
俺は昨日の続きのページを開いて勉強を始めた。
毎日の猛勉強が日課になってきた。
俺が勉強を始めた理由。
それは、俺の希望校に関係する。
家から電車で三時間以上かかる他県の新設校。学生寮有り。
特に勉学に力を入れるらしく、進学コースはなんと学費免除の高待遇。
こんな好条件ではどうしても倍率は高いだろう。
しかし、ここが俺の唯一の逃げ場所。
この高校へ進めば、梨花と離れられる。
あの日、進路相談室で偶然そこのポスターを見つけたのは運命だと思った。
地獄から新世界へ旅立つのだ。
そう思って俺は死ぬ気で勉強を始めた。
そのおかげでとうとう定期試験でも上位の成績を収めることが出来た。
しかし、まだまだ足りない。
どれほどの倍率になるかわからないが絶対に合格して見せる。
生徒会副会長として内申点も上げておく。
本番までまだ数カ月あるが俺は着々と準備を続けている。
*
翌朝。
午前二時間目が終わり休み時間を迎えていた。
頭痛がした。勉強のしすぎで脳みそが痛くなっている気がする。
俺は机に突っ伏していた。
「竜一。体調悪そうだけど大丈夫?」
心配したクラスメイトが声をかけてくる。
「脳がオーバーヒートしただけだ。気にするな」
そう答えて突っ伏したままの態勢で回復に専念する。
常に梨花に振り回されているが教室では落ち着ける。
クラスが違うのがせめてもの救いだ。
「桜井君。彼女が呼んでるよ」
救いの時間はあっさり終わった。
顔を上げると梨花が手を振っているのが見える。
一気に胃が痛くなった。
彼女じゃないと否定したかったが、そんな権限が俺にはなく無言で梨花の方向へ歩き出した。
「何ですか会長」
「申請書。まだ出てないところがあるんだけど」
「すいませんでした。今日中に回収します」
「そう。早めにね」
いつも以上に素直に非を認めた俺を見て梨花はすぐに戻っていった。
少しでも反論したら倍になって返ってくる。
だから嫌な顔は一つもしない。
高校生になればこの苦痛ともお別れだ。
梨花から解放される日は近い。
俺は気合いを入れなおし次の授業に意識を集中させた。
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