理解できない概念に出会ったらより難しい概念を紹介している本に出会えばいい。 / 一般と特殊、それは汎神論か実存哲学か。

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 ※統合失調症(本物)になると、起こること。(雑記ブログ)(とうおこ)(https://kakuyomu.jp/works/16816452221466841294/episodes/16817330658203236864)と同じ記事です。数学と汎神論と実存哲学に触れているのでこちらの記事にも載せることにしました。

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 2023年6月1日(木)。21時21分。


 藤井聡太(20)さんが名人戦のタイトルを取りました。最年少名人らしいです。最年少七冠達成らしいです。ちなみに、七冠を達成した棋士きしは今のところ羽生善治九段と藤井聡太竜王のみです。羽生善治九段が七冠を達成した年齢は25歳らしいです。将棋に全く詳しくないので分かりませんが、これは歴史的快挙なのかもしれません。だから冒頭に書いておきました。


 日本語の文章を書くならば将棋にも詳しくなっていたほうが良さそうです。中飛車とか穴熊とかは分かりますが、それは将棋の入門書を読んだだけであって、将棋に関する用語に詳しいかというとそうでもありません。いつか将棋の本も買いたいですね。


 こんにちは。井上和音です。


 特に何も思い付いていません。


 今日は仕事だったので遅く起きました。8時くらいにのたっと起きました。仕事の日には不思議なもので、8時前に意識が覚醒することがまずありません。しっかり8時まで寝ます。自分の無意識さんは自分に正直というか、脳が何を欲しているのかをよく理解しているようです。ただ本を読んで、一日の最後に何かしらを書くことだけが今のところの楽しみらしいです。


 読書が好きです! というわけではないのです。前にも書いた通り読書は嫌いです。ただ本から情報を読み取ることが好きなだけです。本を読破して「本を読破した私は偉い!」とかは特に感じません。私は我儘わがままです。面白くなければ本は閉じます。我儘というよりかは贅沢です。


 多分、誰でも「この本を一冊読み切るように」みたいな教育を受けてしまうから読書とか勉強とかが嫌いになるのかなと思います。「適当に100冊本を置いておくから自由に読んで。マーカーとか付箋とか何を付けても良いから。適当に読み終わったら3000字くらいで感想でも書いて。キーボードで打っていいから」と本を渡したとすると大半の人は読書は楽しいと自覚するでしょう。その100冊がちゃんと選ばれて与えられた100冊だったら間違いなく読書にハマるでしょう。それで良いんですよ。読書は自由でいいんです。


 いいんですよと打ったら医院ですよ、と出て来ました。医院と言えばイヤーノートを買いました。もちろん中古の2022年版のを買いました。5,000円くらい。前回の記事で母指球と外脛骨がいけいこつを間違えてしまい、自分には医学の知識が無いなと実感しました。元々浪人時代に本屋を彷徨さまよっていて、そこでイヤーノートを見つけて「何かを書くようになったらいつか買ってみたいな」と思っていました。医学部生でも無いのにイヤーノートを知っているのはそういう事情でして、なんだかんだ憧れの書物の一つでした。


 バキを読んだくらいでは外科分野の知識は付きませんね。長年の夢であったイヤーノートに手を出しました。ちょこちょこと勉強をしていきましょう。あと、もう本は買わないようにしましょう。7月の私が泣きます。もっと約束された収入なりがあれば嬉しいのですがね。


 勉強と言えば、世の中にはどうしても理解できないものがあって。今の私で言うところの Excel の VLOOKUP関数とか。あれは何がしたいのかが分かりません。あと、科学の mol濃度。なんでわざわざ mol濃度に変換しなければいけないのかが分かりません。あとは公務員筆記試験の判断推理とか。解説を読んでも意味が分かりません。総合職の試験の判断推理とかはもうダメです。ワニの表紙の本が部屋にありますが全く分かりません。


 こういうのを読んで、調子に乗りがちな私をちゃんと自粛させるためのツールとして利用しています。


 ただ、世の中にはどうしても理解できないものがあるとして──これは遥か昔に読んだ大学への数学での巻頭言に書いてあったことの受け売りですが──世の中に理解できないものがあったら、それよりも更に難しいと思われる問題にじっくりと取り組んでみたらよいと書かれてありました。更に難しい問題を全く理解でなくても考えた結果として、先ほどのどうしても理解できなかったものが、あっさりと理解できるようになっていることがあると書かれてありました。例に例えてある角度のスキーが滑れない人に、更に急な角度のスキーを滑らせた結果、更に急なスキーを滑っている間は恐怖でしかないのですが、滑り終わった後に前のスキーの角度に挑戦してみたら何も恐怖心を感じない、なんてことはない角度のスキーだったと思えるらしいです。


 より難解な問題というよりも、私は勝手に「本物の問題」を解くことが大事だと勝手に解釈しています。本物の問題って何ですかと問われたら、例えば哲学で言えば「原著を読みましょう」ということです。例えばカントを例に出すと大抵が「カント入門」とかの表題が飾ってある本から読むように指導されます。しかし、考えてみれば「カント入門」を読まなくても、カントが書いたそのものの本を読んだほうが時間的なコストパフォーマンスも良くないか、という誰でも思い付く勉強法です。それに、よくある話で「カント入門」とか書いてある本は妙に難解に書いてあり「私に哲学は無理だ」とカントに付随した本を読んだだけで挫折して、もう二度と哲学書には近付かなくなります。しかしながら、純粋理性批判をそのまま読んだとして「あれ。カントってこの程度」と思ってしまうことが往々にしてあります。大抵の学問書なり新書なりはあえて難しく書いてあり、読むのに時間もかかりますが、ちょっと高めの原著を読んでみるとあっさり読めます。原著と言えども邦訳してあるので充分です。


 なので、私の場合だと「Excel が全く分からないよ」と思っていても、実は Excel どころか、プログラミング言語まで幅広く考えてみて「プログラミング言語の基礎をちゃんと説明してくれているちょっと高めの分厚い本」みたいなのを読んでみたら、案外 Excel の関数の意味も分かってくるのかなと勝手に期待しています。ここらへんは良書に出会えるかどうかにかかっているので、運、もしくは本を購入しまくって乱読するしか方法はありませんが、お金と時間を費やして「本物」の本に出会うことが出来れば、たいていの問題は解決できるのかなと思っています。


 だからイヤーノートも買ってみたのですが。せっかく買うならば本物に近そうな本を買っておいたほうが良さそうです。


 一般の話をしてもいいでしょうか。すぐに終わります。


 数学ガールを読んでいて、数学では具体のことを特殊と呼んで、どの具体にも当てはまる式や定理のことを一般と呼びます。一般項とか一般解とか高校数学でよく出ますね。日本語の一般と特殊の使い方とは少しおもむきが異なります。そういえば高校時代に数学における一般の定義を聞いたときに少し感動したなと思い出しました。日本語で一般と言うと「ごく普通の人」で一般人と呼びます。誰も彼もが一般人。一般人はつまらない。特殊になりたいんだ特殊に、と人間誰でも思います。ところが数学用語で特殊というのは、具体例を指すので例えばどんな数字を入れてもそれは特殊と呼ばれることになります。


 一方で一般は一つしかありません。人間で一般人と言うと誰にでも当てはまるとにかくごく普通の人間という意味がありますが、誰しも彼しも同じ人間は一人としていません。一般とは概念化された人間でしかなく、誰もが特殊であることで間違いが無いのです。「私は純粋な一般人です」と言える人が居たとしたら、多分その人は神です。神によく似た存在で人間を創り出したという神話が旧約聖書には出て来ますし、聖書以外にも色々な神話で出てくると思いますが、人間がパワーアップして神になるのではなくて、人間から余計なものを取り除いた何かが神として存在するのです。


 この論調でいくと汎神論はんしんろんっぽい主張になりそうで、スピノザさんが大喜びしそうです。全てのものから余計なものを削ぎ落したらそこに神が現れる。だからあらゆるものには神が宿る。単純な数学用語から汎神論を導き出したような気がします──スピノザさんごめんなさい。あなたの本は読んだことが無いので何も確証めいたことは言えません──が、実存哲学にもこの思想が少し出てきたり、出てこなかったり。実存と本質とを分ける考え方で、数学の一般と特殊の定義と少し似ています。汎神論と違う点は一般を神と見ることなく、なんでもないものとして見るのが違うところなのかなと思いました。

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