第4話 走水神社

 浦賀駅に戻り、一駅だけ電車に乗る。馬堀海岸駅で下車して、ふたたびのバスへ。着いた先は、走水はしりみず神社だった。


 バスのなかでの近藤の言によると、スピリチュアル界の重鎮がこの神社をべた褒めしていたとかなんとか。正直、興味がなかったが、立て板に水と話し続けるうちに近藤が元どおりのキャラに戻っていくので、どうにも遮る気が起きなかったのだ。


 走水神社は、閑散としていた。ほんとうにここなのか? と、疑いたくなる具合だ。


「こちらはふだん、宮司さんがいらっしゃらないんです。叶神社と兼務されてるそうで」

「へぇ? じゃあ、おんなじ神様が祀られてんの?」

「先輩は、石清水八幡宮と鶴岡八幡宮と富岡八幡宮をはしごするタイプですか?」


 遠まわしに、祭神が違うに決まっているだろう! と、言っているようだ。


「走水神社には、日本武尊と弟橘姫命っていう夫婦の神様が祀られてるんですよ。日本書紀や古事記によると……」


 長々と講釈を垂れている近藤をよそに、俺は本殿への長い石段を見上げた。西叶、東叶と、だんだんに本殿までの段数が増えてきたなと思ってはいたが、ここ走水神社でいっきに縦に伸びた。いや、でも、東叶の奥宮ほどではないか。


 しかし、近藤はスピリチュアルというよりは古事記や日本書紀の説明が長い。文学部出身だったような気もする。ひとの特技は意外なところにあるものだ。


 ひととおり話が終わったタイミングを見て、俺は近藤に依頼した。


「要約してくれ」


 がくぅ。俺のことばに、近藤がうなだれた。


「やっぱり聞いてなかったぁ……。わりと、かいつまんだ説明だったんですけど」

「百字以内で簡潔に述べなさい」


 無茶振りに目を伏せ、こめかみを両手のこぶしで、ぐりぐりっと挟みこみながら、近藤はうなる。


「東京湾渡るときに、ダンナが『こんなちっちゃい海、楽勝だぜ』って言ったせいで、海神が怒って海を荒らしたので、奥さんが身投げして怒りを鎮めました、ダンナは無事に千葉に渡れました。ちゃんちゃん。みたいな」


 先ほどのだらだらした説明に比べると、格段にわかりやすかった。


「おまえ、仕事のときもそのくらい真剣に取り組んでくれよなぁ」

「あたしはいっつも真剣デスヨ?」


 キリッとした表情で返されて、脱力する。


 本殿へ詣ろうと、階段をのぼりはじめる。今度も、俺があとからのぼり、近藤が落ちないようにと気配りする。


「先輩って、こんなにバカにしてる後輩相手にも、ちゃんとレディファーストするんだ……」


 気づいていたのか。


「がきんちょ扱いのほうがよかったか?」


 かちんときたのか、近藤は黙りこんだ。


 境内の空気は暖かい。気温のせいばかりではなく、やはりパワースポットと言われる場所には、何かあるのかもしれない。


 三社目通算四度目の参拝で初めて、俺は作法に則り礼をして、手を合わせ、目を閉じた。


 近藤の恋が実ればいいと思った。ひとのためいきを気にして、こんなにも一所懸命になる後輩が報われないなんて、きっとおかしい。


 妙なふんいきで参拝をすませたあたりで、近藤はくるりとむこうを顧みた。俺もうしろをふりむく。


 走水神社もまた、東西叶神社と同様、海に向かって作られている。暗くなりかけの空。水平線に、船の影がちらほらと行き来する。


「ここから見える夕焼け、きれいだそうで」

「いまの季節の日の入りは七時近いからな、今日はさすがに無理があるだろ」


 冬場だって、日の入り時刻は四時半過ぎだ。


 また、沈黙がおりた。何から言えばいいのかわからなくて、俺は海を見つめる近藤の横顔を見た。いつものふざけたようすではない。真面目な近藤は、いつになく女らしかった。


「俺は、おまえをバカにしたことは一度もないよ、近藤」


 ことばが自然に口から滑り出ていた。近藤はふいをつかれたのだろう。こちらを見て、いつものように口をとがらせる。


「でも、先輩のほうが仕事早いし、正確だし、先輩、すぐにあたしを怒るじゃないですか」


 そのいじけた言いように笑みがこぼれた。


「バカにしてたら、仕事なんか任せねえよ。たしかに俺がやったほうが早く終わるけどな、どれくらいで仕上がるか、なんざ、経験の差だ。俺と近藤の能力に差なんてない。だから、俺は手出しはしない。手伝いはするけどな」


 俺を見つめる後輩のくちびるがへの字になる。あ、泣きそうだ。悟った俺が焦るわきで、近藤は海にむきなおり、涙声でつぶやく。


「バカにしてるって、言ってくださいよぅ。勘違い、しちゃうじゃないですか」


 近藤の細い指先が、手首をたどり、ロードナイトのブレスレットを撫でる。その意味を思いださずには、いられない。


 回路が、つながった。


「へ」


 間抜けな声が漏れる。一瞬の静寂を挟んで、近藤はすっとんきょうな声をあげた。


「たいへん! もうこんな時間です。帰りましょう。バスに乗り遅れたら一大事です!」


 言うなり、石段を駆けおりはじめる。


「あ、待てよ! 危ないだろがっ」


「平気ですよぉ。ほら、先輩、早くぅ!」


 カラ元気もいいところだ。近藤は痛々しいくらいの勢いではしゃいでみせる。どうしよう、なんて、俺に悩ませる暇も与えず、いつもどおりに振る舞わせようとする。


 俺はせきたてられるように階段を下り、ふりむこうとしない近藤の小さな背を、ひたすらに追いかけた。

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