第3話 東叶神社

 浦賀湾には、渡し船が就航している。俺が子どものころからある『ポンポン船』だが、大人になってからは乗ったことがなかった。


 船内に設置された料金箱に、自主的に船賃を入れるスタイルで、手厚いサービスに慣れた観光客にはわかりにくい。釣り銭も勝手に取れと言われるから、けっこう戸惑うだろう。近藤は、しかし、以前来たことがあるだけあって、さっと自分の船賃を払うと、クッションの固い座席に腰かけた。


 俺は近藤の近くに座って、かもめが鳴くのを聞きながら、船が出るのを待った。近藤は、手でスカートの裾を直している。その手首に、例のピンクの数珠風ブレスレットがあるのが見えた。


「その石には、何の意味があるんだ?」


 顎でくいっと示すと、近藤はブレスレットに目を落とし、めずらしく言いよどんだ。


「ええと、これは……」

「じゃあ、質問を変える。なんて石だ?」

「ロードナイトです」

「ほうほう、『ロードナイト 意味』っと」


 すかさずスマホで調べる俺を、近藤はあわてたようすで引き止める。だが、一歩遅かった。


「へえ、恋愛運上昇ね。それなら、おまえの勾玉は、めのうか」


 近藤はうつむいて、恥ずかしそうにうなずいた。頬が真っ赤に染まっている。


 ──片思い中ってヤツか。俺なんかと出かけてていいのかね。そいつを誘えばいいのに。


 やはり色気づいていたらしい。俺は肩をすくめる。渡し船はまもなく対岸の船着き場に泊まった。


 目指す先、ひがしかのう神社のことは、近藤に言われるまでもなく知っていた。俺の子どものころの遊び場のひとつだ。白い砂利の敷き詰められた境内を懐かしく見渡す。近ごろは、初詣にも来ていなかった。


 本殿にお参りし、守袋をいただいて、先程の水晶を収める。パワースポットと騒ぐだけあって、女性向けのかわいらしいフォルムだ。カバンのジッパーに結びつけ、俺は神社の裏山をあおいだ。


「ね、ちゃんと見ました? 狛犬の口が閉じていたでしょう? 西叶神社と東叶神社で一対の阿吽型らしいんですよぉ」


 近藤の説明に、狛犬を見損ねたと気づく。でも、また、すぐに来られるしなぁ……。


「先輩、うわの空ですね」

「ん? ああ、ガキのころ、ここで結構遊んだもんだなぁって、思いだしていただけだ」

「えっ、そうなんですかっ?」


 がぜん食いついてきた近藤に、俺は少し引き気味になりながらも、裏山に目を向ける。


「本殿の左奥に石段があったろ? 登っていくと、てっぺんに奥宮があるんだ。広場になってたから、よく友だちと駆けあがってさ」


「左奥? 石段──?」


 知らなかったらしい。近藤は目の色を変えて、ふたたび本殿への階段にむかっていく。


「おい、よしとけ! 今日のおまえの靴じゃ、怪我するのがオチだ」


 呼びとめるも、聞くつもりはないようだ。近藤は真新しいパンプスが傷になるのも気にせず、ずんずんと荒れた石段を登っていく。


「……ったく」


 舌打ちして、俺は近藤のすぐうしろについた。万が一落ちてきても、ここなら受けとめられる。


 勝海舟断食の地の碑に目もくれず、近藤はワンピースの裾を翻し、黙々と頂上をめざす。


 奥宮に着いたときには、俺も近藤も完全に息があがっていた。木戸のむこうの奥宮を見つけ、近藤はすがるように目を閉じて、手を合わせる。見たこともないほど真摯なようすに、茶化す気も失せた。


 ──そんなに、叶わない恋なのか。


 何も言えずに小さな背を見つめていると、近藤は前触れもなくこちらをふりむいた。


「先輩、どんなふうに遊んでたんですか?」

「いろいろだ。ヤブ蚊と戦いながらゲームボーイしたり、集めたカードを持ちよったり」

「あはは、めちゃめちゃインドアな遊びじゃないですか」

「ここでボール遊びはできないだろーが」


 混ぜっ返し、近藤に先立って階段を下りる。


「焦るなよ、手すりにつかまってゆっくり」


 声をかけながら、うしろを確かめ、俺はあわてて体勢を整えた。


「……っ、セーフ」


 肝が冷えた。なんとか、踏みとどまった。


 腕のなかで、近藤がからだを固くしている。足をすべらせたのだ。言わんこっちゃない。


「怪我は」

「す、すみませんッ」

「謝罪はいい。怪我はないのかと聞いてる」

「平気、です」


 目が合わない。ほんとうに怪我はないのだろうか。不審に思ったが、近藤は頑なだった。手をさしだすも、拒否された。俺はためいきをつくと、近藤に背をむけた。


「背中か肩につかまれよ。手すりも持てば、安定するから」


 おずおずと、手がふれる。小さな冷たい手が俺の背に添えられる。それを受け、一段一段、近藤のようすを確認しながら下りる。


 下りは、上りの倍以上の時間がかかった。


 東叶神社を出ると、ちょうど三時手前だった。近くの喫茶店にでも入ろうかと提案すると、近藤はふるふると首を振った。


「金の心配か? おごるから気にするな」


 尋ねると、近藤は黙ったまま、おもむろにコンビニのサンドイッチを取りだす。


 おまえ、昼食もまだだったのか。早く言えよ!


「おまえ、さっきからなんか変だぞ。ろくにしゃべらないし」

「そんなこと、ないですよぅ」


 否定は弱々しかった。


 しかたなく俺も缶コーヒーを手に入れると、浦賀駅行きのバスを待つあいだ、ベンチに腰かけて、遅めの昼につきあうことになった。

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